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皆さん、こんにちは。

私の髪を切ってくださっている理容師さん(女性・Kさん)はまだ30才と若く、しかもキャバ嬢風の雰囲気があります。
彼女は理容師の仕事が本当に好きで、毎日一生懸命お仕事をされています。
腕前も確かで、私なんかはいつも坊主頭なのですが、彼女が切るとスタイリッシュな髪型になります。

今日散髪中にKさんがふと漏らしました。

「私は中卒でこの理容師の世界に入ってずっと来ているから、先日異業種交流会の様な華やかな場に行ってひどく気遅れしてしまいました。遊びの世界を知らずに育ったから世間知らずなんです・・・」

異業種パーティーの様な華やかな場は独特ですから、そう感じるのも無理もありません。
私もサラリーマン時代には、社長に連れられ繁華街の華やかなお店に足を運んだこともあります。
ちょっと自信喪失気味なKさんに私はこう答えました。

職人の世界はね、技術を高めていく中で人間性を向上させて行くんです。また店の狭い空間に長くいたとしても、一人一人のお客様と深く付き合うことで、お客様を通して世界を知るのです。

「だから、世間知らずとか自分を劣っているとか思う必要はないですよ。」

普通の人にはちょっと重い話かもしれませんが、Kさんは向上心があってこの様な仕事論や人生論を語ると喜びます。



私もKさんと同じで、狭い店内で一日の大部分の時間を過ごしています。
仕事ばかりしているため、繁華街に出ることもありません。
サラリーマンと比べると人付き合いも多くありません。
私もKさんと同じ状況にある訳です。


しかし、自分自身を振り返ってみると、多忙なベンチャー企業の社員だった頃より、今の気功治療家の方が人間的に成長している気がします。
世の中を知るという点では、一所に長くいますので情報不足・刺激不足になっているかもしれません。
しかし、毎日数人のお客様と深くお付き合いをさせて頂く中で、お客様からとても多くのことを学んでいます。

弊店のお客様は、私にはもったいない位良いお客様がたくさん来られます。(客層がかなり良いのです!)
そのお客様と触れ合う1時間程の時間の中で、直接的なお話しを通して、またはちょっとした所作を通して、「この人は素晴らしいなぁ」と感じ、それが少しずつ自分の血肉となってきました。

また、お客様が病気で苦しんでいるのを目の前にして、「どうしてこの様なことになってしまったのだろう?」、「どうしたら早くこの苦しみから解放されるだろう?」と思索します。
たいてい答えはなかなかすぐには得られません。
そうして色々とない頭を使うことで、知識を本から得たり、直観的に本質を学んだりしできました。


人は自分の仕事を深めていくことで学び成長します。
仕事以外にも、子供たちが打ち込む部活動、主婦の子育てなども同じ様に成長します。
部活動に3年間一生懸命打ち込んだ学生と適当に遊んでいた学生では、前者の方が人間的に成長しているのは自明です。

一つの事を愚直に探究し続けることが、成長になるのです。
外界の多くの刺激は別に無くても何ともありません。
たくさんの友達を求める必要もありません。
たくさんの知り合いも、たくさんの名刺も必要ありません。

知識は書から得られる。知恵は観察から得られる

人間を涵養(かんよう)させるのは、知識よりも、知恵であり、更に叡智(えいち)でありましょう。
叡智とは、経験的な知覚においては与えられず、ただ思惟や直観によってのみ把握される超感覚的な認識のことです。

私自身、この言葉を胸に刻みこれからも歩んでいきます。
また分野は違えど、同じ職人の世界で生きている若き仲間達にもこの言葉を贈りたいと思います。



2017_08_06


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皆さん、こんにちは。

 

昨夜は毎月恒例のサットサンガを開催しました。

前半の説法では、「仕事」をテーマにスピリチュアルな視点も絡め1時間半お話しさせて頂きました。

 

その話の中で私は理想的な働き方として「職人的生き方」を提唱しました。

「職人的生き方」とは、自分にしかない専門性を活かし独立起業する生き方です。

非常にニッチな分野であっても、ネット社会ではそれを求める人が少なからずいますので、それを職業にしていける可能性があります。

 

只、単にブログを開設するだけでは、それを求める人に容易に結び付きませんからある程度のマーケティング能力も必要です。

それは、メディアリテラシーと言って近年は大学でも講座を設け指導しています。

20世紀のマスメディア中心の社会から、21世紀はインターネットが中心のパーソナルメディアの社会になっています。

あらゆる分野で個の能力が高ければ、それを求める人とのマッチングがされやすいのが時代の特性です。

 

この様なことは堀江貴文氏(ホリエモン)の著書に詳しいので参考にされたら良いでしょう。

 

「職人的生き方」のもう一つの利点は、自分で定年を決められるということです。

厚生労働省の調べによると、日本人の平均寿命は男性が80.75歳、女性が86.99になっています。

60才で定年を迎えると20年近くは定職のない生活を過ごすことになります。

 

男性は仕事を失うと、やることがなくなって急激に老け込んでしまいます。

張り合いのある趣味があるならまだしも、それもなければ刺激や緊張のない長い時間が続きます。

人間にはある程度のストレスは必要です。

そして、やがて連れ合いが先立ちます。

仕事もなく、伴侶もなく、永く誰とも話をしていないという人も都会では珍しくありません。

 

一方、元気なシニアを見てみると、自分の仕事を持って生き生きと働いている人が目立つ気がします。

自分の店をやっていたり、農業に従事し身体を動かしていたり、自分の専門分野を持って元気に働いているのです。

職人であれば、後進を育て、尊敬を集めながら熟練の技をふるい活躍しています。

そのような人達は、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」でプロ・仕事の達人として度々紹介されています。

その様な生き方は私の憧れるところで、自分も技量を高めて年を重ねていきたいと考え、理想的な働き方と提唱したのです。

 

生涯を80年として設計した場合、多くの人が目標としてきた大企業に勤めるというライフプランは、60才定年であるため人生の第4コーナーで失速する憂き目をみます。

 

 

この様な主旨の話をしたのですが、会社勤めをされている人達に話したところで分かってもらえるだろうか、反感を買うのではないか、意味があるのだろうか・・・と幾分危惧をしていました。

 

ところが、サットサンガを終えるとTさんがやってきて、

 

 

「実は転職をしようと考えていたので、今回の話はとても参考になりました。」

 

 

と、感想を述べてくださいました。

「ちょうど先生に個別に相談をさせてもらおうと思っていたところでしたが、お話を聞けて良かったです。」と言ってくれたので、私も安堵しました。

 

 

毎回思うことは、私が説法するテーマはどれ程聴き手に届いているかはわかりませんが、誰かそれをとても必要としている人がいるということです。

 

私はインスピレーションで説法のテーマを決めていますが、それを誰かが必要としているから話しなさいという天の指示かもしれません。

 

私の予約表は普通ではありえないシンクロニシティ(偶然の一致)の連続で、昨夜具体例を聞いた方はさぞ驚かれたことと思います。


参考 ➡ 同じ病気の人が集まる不思議

 

私はシンクロニシティとは神性の表れと理解しています。

それは気功治療の分野だけではなく、それはサットサンガという霊性修行の分野においても及んでいるということなのでしょう。

 

 

 

次回のサットサンガは

 

415日(土)19

 

 

の予定です。

 

説法のテーマは未定なので、決まり次第ご案内させて頂きます。

 

 


2017_03_26




人が数十年の人生を終えて、その後に残せるものは何でしょうか?
後に残っている人たちが心で感じられるもの、それはお金でも肩書や権力でもなく、人の思い・・・愛や情熱だけだろうと思います。
例え、一期一会であっても、あの人から「こんなことをしてもらった」「こんな言葉をかけてもらった」という愛のエネルギーの伝達・・・それしか後世に残るものはないかもしれません。

あなたは何を後世に残しますか?

私は一人一人の記憶の中に生きられる人に成れる様、熱いハートを持って修行を重ね、成長していきたいと思います。



愛だけを残せ 壊れない愛を
激流の様な時の中で
愛だけを残せ 名さえも残さず 
生命(いのち)の証(あかし)に 愛だけを残せ



まさに中島みゆきさんが歌うかの如く。


「愛だけを残せ」 中島みゆき





2017_03_09


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皆さん、あけましておめでとうございます。
埼玉は陽気で穏やかな天候に恵まれた正月を迎えています。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
旧年に引き続き、本年も宜しくお願い致します。


私は、常々自分はこれで良いのだろうかということを自問自答します。
やりたいこと、達成したいことが色々とあるのですが、仕事の忙しさに追われそれ以外の事がなかなかできません。
気功治療が私の仕事ですから、忙しいことは大変ありがたいことであり、それに没頭していれば良いのです。
しかし、自分の成長にとってそれがベストなことがというと必ずしもそうではないと思います。
より成長を加速させるためには広い視野・観点も併せ持つ必要があり、そのバランスに悩むことがあります。


サラリーマンとして会社勤めをしていた時は、上司から「ああしろ」「こうしろ」などと指導を受けたり、叱責を受けたりします。
その時は、心底嫌なものでしたが、独りで仕事をしている自営業者や会社の社長にはそれがないため、独善や自己満足に陥る危険性があります。
ある意味、ぬくぬくとやっていても誰も叱る人がいませんから、収入が安定的に得られていれば自分に合格点を出すという考えもあるでしょう。

しかし、私の場合、収入より気の力や意識レベルというところに自分の成長の基準(物差し)を置いています。
人はそれぞれ自分を測る物差し(スケール)を持っていますが、多くの人(特に男性)は年収や役職・肩書という社会的なスケールを持っています。
または、知識量や筋力という個人的な能力を成長のスケールにしている人もいるでしょう。
その点、私は気や意識がスケールになっていますので、そこは他の多くの方々とは違うところがあります。

では、自分の気(エネルギー)や意識の成長度をどう図るかというと、今のところ主観的な感覚しかなく、なかなか相対的に判断することができず難しいところです。

人は成長を志向する生き物ですが、その成長の度合い・進度は人それぞれ大きな差があります。
「自分は頑張っている」と言っても、実のところその頑張り度(努力)は差があるということです。
「私はすごく頑張っています」と言っても、相対的に見ればやっているレベルが低いこともあります。
一方、「私は余りやっている方ではありません」と言っても、その人は基準が高く自己満足していないために、相対的に見れば相当高いレベルで成長を続けている場合もあるでしょう。




この頑張り度は主に次のものから影響を受けていると思います。

一つが、教師(マスター)です。
もう一つが、団体・母集団、またはライバルです。

優秀な教師(マスター)が身近にいれば、その教師のレベルに早く到達したいと願うでしょうから、必然的に努力し成長が加速します。
教師が極めて有能であれば、自分も教師の指導を受け続ければいずれそのレベルに到達できるのではないかという希望も持てます。
一般的に見たら到達不可能と思えるレベルも、目標が身近にあれば心のリミット(=無理だ、できないと自分を制限すること)が外れやすくなるという大きなメリットがあります。

もう一つの母集団というのは、自分の身が置かれている環境のことです。
そのレベルが高ければ、周りにつられて自分も自然と努力をする様になりますし、また身近な人ができることであれば自分もできるだろうと心のリミットが外れやすくなります。
母集団のレベルが高いこと、または切磋琢磨できるライバルが存在するということは、成長のためにとても有益です。



冒頭で私が自分自身これで良いのだろうかと自問自答するのは、今の自分の努力が客観的に見てどうなのだろうかということを問うているのです。
恐ろしいのは、自分の努力に自己満足してしまい、成長が鈍化していることに気付かないということです。

この世界(物質世界)は、何かにつけ有限ですが、このゲームの中でできるだけ成長を遂げるために飽くなき努力・精進をしていかなければならない、その様なことを正月早々考えてみました。




2017_01_02


松田喜一1
松田喜一像


皆さん、こんにちは。

今回は熊本県の偉人、農業研究家の松田喜一翁についてお話しします。
松田喜一翁は「土の行者、今尊徳(いまそんとく)、昭和の農聖」と人びとの尊敬を集めた人物です。

松田喜一翁は明治20年12月1日下益城郡豊川村(現松橋町)松崎に生まれ、熊本農業学校に学びました。
その後、麦作法の改良に情熱を傾け「松田式麦作法」を考案・普及し、麦作の生産性向上に大きく寄与しました。
日本初の民間農業実習所を開設し後進を指導、直接教育を受けた生徒は約3600名、講演で講習を受けた者は延べ約40000名に及ぶといいます。

その実習所の凄いエピソードがwikipediaにこう書かれていました。




● 農友会実習所で春秋の年二回、三日間ずつを使って行われた定期講習会には、喜一の話を聞くため毎回数千人、多いときには6500人もの人々が各地から集まった。長蛇の列が国鉄千丁駅から農場まで数キロに渡って続いた[4]。
● 実習所での生活は過酷を極めた。午前5時の朝礼から農作業は三食を挟み、夜まで続いた。食事は視察者が「豚も食わん」と顔をしかめたほどの粗食であったが、喜一は「論より証拠」の精神から率先して腐った芋を食い、一日3~4時間の睡眠で労働や研究・執筆に励んだ。





昭和24年6月には天皇陛下の御巡幸の光栄に浴し、また昭和26年には高松宮殿下、27年には三笠宮殿下の御視察を頂き、その名声は日本中に響き渡りました。
生涯に渡って農民指導に勤め、日本農業の進歩と発展のために捧げた人生でした。


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その松田喜一翁は「百姓の五段階」を唱えました。
それは、次の様なものです。


一段目が、「生活のための百姓」
二段目が、「芸術化の百姓」
三段目が、「詩的情操化の百姓」
四段目が、「哲学化の百姓」
五段目が、「宗教化の百姓」




一段目が低いレベルで、五段目が最上級のレベルとなります。

では、具体的に私流の解説をしていきましょう。


「生活のための百姓」とは、生きるための職業として百姓をしているという段階です。
他にできることもないし、食べていくためには百姓をせにゃならん、そんな動機で働いているレベルです。
または、遊興・享楽のためのお金を稼ぐ手段が百姓であるというレベルです。


二段目の「芸術化の百姓」とは、百姓の仕事を通して十分な貯蓄もでき、無理に百姓をする必要はない。辞めようと思えばいつでも辞められるのですが、生活上の実利よりもむしろ農作物の美しさや趣きといった内的価値感によって心を動かされ働いているというレベルです。農作物が生育しやがて実がなり収穫となるその不思議さ・神秘に感動を覚え、それにつき動かされている段階とも言えます。


三段目の「詩的情操化の百姓」とは、四季折々の山水や農村の風情を味わうことに幸福感を感じ、そのために百姓をしているというレベルです。百姓という仕事が生の一部になってしまい、仕事をしているという感覚はほとんどないのでしょう。


四段目の「哲学化の百姓」とは、天地の声なき声を聞き百姓をしている、農業を通して真理を追究するレベルです。天候を自在に読みきったり、農作物と会話をしたりして、自然と一体化している賢者クラスでしょう。


五段目の「宗教化の百姓」とは、百姓の最高峰で、自分自身が農業に従事していることが神の手足となって働いているという自覚があるレベルです。百姓をしているということが神業奉仕であると肚(はら)で分かっている聖者クラスと言えるでしょう。



百姓は昔から低く見られがちであると思いますが、本物の百姓になるには天地自然と一体化しなければならないので、霊性が向上しやすい仕事です。
一見、百姓は野良着で汚らしく見えるかもしれませんが、魂レベルでいえば霊性が高い人が多いのではないかと思っています。
実際、宗教大本の巨人 出口王仁三郎も「これからは一番いいのが百姓だ」と言っています。(他の含みもあるかもしれませんが・・・)

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この松田喜一翁の分類は、百姓に限定されず他の様々な職業に当てはめることができると思います。
皆さんは自分自身を診断するとどの段階になりますか?

生活にあくせくして稼ぐことばかり考えている人はまだ一段目です。
治療家でもお客様を治すことより、やれマーケティングだ・経営だと集客のことばかり考えている人はこのレベルです。(世の中にたくさんいますよ。)
そういう人は、人から感謝されることが自分の喜びであるという境地まで早く進むといいかと思います。

私はイチローのことを「野球をする哲学者」と考えています。
イチローは野球を通して真理を追究する姿勢があり、そのために彼の発言は他の分野で活躍する人にとっても大いに啓発されるのです。
実際、イチローは若い時から、自分の高額な年俸の理由について「野球界に限定されず他の職種の多くの人に与える影響力に対する報酬である」と語っていました。
それからするとイチローはここでいう四段目になると思います。

私は農業をしている人を多く知りませんが、リンゴ栽培で有名な木村秋則さんは五段目の境地なのでしょう。
木村さん以外にも、あの人が作った作物はなぜか大きく実る・とりわけ美味しい、または地域全体が天候被害や害虫などの被害を受けても、あの人の畑だけはなぜか無傷だったという人がいたら、神のご加護が厚い五段目の百姓と言えるでしょう。



参考 :  なぜ木村さんのりんごは無農薬で育ったのか?

治療家で言えば、自分が人々を癒し救済することが神業奉仕である感覚的に分かっている段階と言えるでしょう。
その様な人は特別集客などと考えなくても、結果を出し続けていますのでお客様が途絶えることなく繁盛しています。
私はその様な治療家さんも数人知っていますし、自分もかくありたいと思い気功治療の仕事に従事しています。



2016_04_16


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皆さん、こんにちは。

私たちは頻繁に「ありがとう」と人に感謝を伝えます。
または、人から感謝を伝えられます。


「ありがとう」とは、漢字で書くと、

有り難う


と、なります。

この意味は「(そう)あることが難しい」「(そう)あることが困難である」ととることができます。

なのに・・・それなのに、やってくれたとは・・・

と、いう感謝の気持ちがその言葉の裏にある訳です。


つまり、

「そうあることがとても難しいのに、私のためにやってくれて・・・」

と、いう高まった気持ちが「ありがとう」です。


そうあることが難しいのに、それを私のためにやってくれることが日常で頻発しています。

モロヘイヤ
(出典: モロヘイヤ栽培 )

例えば、私は昼食に伊豆諸島産のモロヘイヤを食べました。
それだってそれが生育するまで農家の方(たぶん夫婦でしょうか?)が毎日面倒をみて、刈り取るまでの長期に渡って台風でダメになることもなく、トラック・飛行機などの物流に携わる多くの人の力を借りて、ある経営者が経営してくれているスーパーで、その社員さんが丁寧に陳列してくれて、私がお客様から頂いた施術料の一部と交換して、ようやく私の口に入ったのです。
より細かく検証したら、もっともっと多くの人が関わっていますよ。

この様にたった一つの事例をとっても多くの人の力が関わっています。

でも、普段はそんなこと考えませんよね。

しかし、私たちの日常はそんな多くの人の力が結実して成り立っているのです。
そんなことばかりです。
それはある意味、奇跡ではないでしょうか。
例に挙げたモロヘイヤだって300年、500年前では有り得ない(=そうあることはない)ことでしょう。



不満や怒りなど心がネガティブに振れていてはその様な日常の小さな奇跡に気付きません。

今の日本人は電車が3分遅れただけで激怒しキレてしまう人が多いのが実情です。



「ありがとう」とは奇跡が起こっていること。
何もない空中から物質を取り出すばかりが奇跡ではありません。


私たちの身体は60兆もの細胞から成っており、それが不思議な力で実に見事に有機的に動いています。
何も私たちは意識せずとも自動で身体は動いてくれています。
多少の不調はあるかもしれませんが、細菌が一杯、リスクが一杯のこの地球という星で故障もせず長く生きていられることは奇跡以外の何ものでもありません。

本当に「有ることが難しい」、ありがとうなのです。


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2016_01_18

2016年の抱負

category: 人生  

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皆さん、こんにちは。

年初に抱負を固めておくことは、1年を実りあるものにするために大切なことです。

松下幸之助氏は創業の頃より年末または年頭に新年の抱負とその年の経営方針を述べていました。
松下幸之助氏だけではなく経営者で同じ様にしている人は少なくないことでしょう。

そこで、私も例年の様に今年にやっていきたいこと、実現したいことをまとめてみます。
自分自身に向けて書いている一面もありますので「??」なところもあるかもしれませんが、それはそれでご覧頂ければと思います。



霊性修行に一層励んでいくこと、肉体と魂を鍛えていくこと

霊性修行をするということはいわば魂を鍛えていくことになるのですが、その点で現状より一段高いレベルを志向したいと思っています。
今年は霊性を加速度的に高めなければならないという緊張感をひしひしと感じます。
すべてにおいて最優先事項は修行となります。
それで成果を上げれば上げる程お客様に還元できるものが多くなります。
人生においてあることを集中的にしなければならない時期というものがあります。
それが私にとって今年の霊性修行であるということです。
山に入ることも多くなるでしょう。

また、物質世界を生きる上で肉体を疎かにすることはできないので、肉体的にもより強靭になる様鍛錬していきます。

食も今は牛・豚・鳥・魚の肉をとりませんが、より一層の食の節制をするかもしれません。
※魚はお付き合い上やむを得ない場合はとることもあります。


指導の一層の進化・充実を図る

スピリチュアル・ヒーラー養成塾の全カリキュラムを一新し、質・量ともに現状の進化向上を図ります。
治療の技量、人間性共に多くの患者さんに慕われる治療家を輩出していきます。


WEBメディアのコンテンツを充実させる

このブログの他、複数のサイトでの情報発信に力を入れていきます。
集客・広告という観点ではこれ以上する必要はないのですが、書くことは情報提供という点で読者の役に立ちます。
ブログについては、読者数を無闇に増やそうとするのではなくコアな読者に響く質の高い記事を書いていきます。



日々の本業である気功治療が多忙であるため、他のことについては時間の使い方が重要となります。
二十歳を過ぎれば脳細胞は日々死んでいくと言われますが、頭脳のメモリーが増量しないものかなぁと思う今日この頃です。

気功治療については例年通り、他所で良くならないクライアントさんを健康に導いて差し上げることに情熱を持って取り組んでいきます。

あとは、できるだけ腹を立てない、穏やかな笑顔でいることでしょう。



2016_01_13


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皆さん、こんにちは。

FC2でブログを始めてもうすぐ1年になります。
別にブログを書くのが嫌になった訳ではないのですが、ブログをやる理由を改めて考えてみました。

ビジネスをしている人がブログを書く目的は主に集客ということになるのでしょう。
私も気功治療を生業としていますので集客はしなければなりませんが、自分の場合は集客目的でブログを書くというのはほとんどないでしょう。

約1年間ブログをやって、それで急激にお客様が増えたかというとそれは全然ありません。
苦労してブログを書いているのに、ブログというのは余り集客に役立たないのだというのが改めての実感です。

と、言ってもブログをやる前から多忙でフル回転していますので、そんなにお客様の増加を取り込める余地がありません。
集客を目的としている訳ではないと言っても記事が多くの人の目に触れて読んで貰いたいという気持ちは書き手として当然あります。


では、ブログを書く違う目的を考えてみましょう。
集客以外では、ブログを書いて有名になるという目的も多いのではないでしょうか。
いわゆる有名志向ですね。
今、私の気功治療を受けている人も先日そう言っていました。
有名になりたい人はさぞかし多いことでしょう。

私の場合は結果的に有名になるのは流れとして受け入れるかもしれませんが、有名になるのを意図してブログを書くという気持ちは毛頭ありません。
私は数年前に神様から「目立たない様に」と言われています。
ですので、今も目立ってはいないはずですが、余り目立たない様に配慮してやっているのです。
私は民間企業で営業や企画を担当してきた経験がありますので、その気になってやろうと思えばもっと目立って売上も上げていくことはできます。
でも、それはやらないのです。
私は今の気功治療という仕事を神様のための仕事と捉えています。
利益の最大化を目指す企業人としての生き方とは違う生き方をしています。



では、一体ブログを書く目的って何でしょうか?

私は本業の気功治療が多忙なので、なかなかブログを更新する時間がとれません。
それなのに、どうしてそれをやるかというと、自分の記事での発言が「参考になった」とか「役に立った」とか言ってくれる人がいるからなのです。

気功治療の場合は、一日頑張って施術をしても診られる数は両手の指の数を超えることはありません。
しかし、ブログは気功治療程ダイレクトな効果はないとしても、「役に立った」とか、気功家・ヒーラー・治療家さんが「勉強になった」とかで、ブログを読むご縁と機会があれば数の上限なく人の役に立ってくれるツールだからです。


そこで、私がブログをやる理由を改めて考えてみると、読者の方々のお役に立ちたいというところが第一義になります。
「面白かった」とか「役にたった」とか好意的なご反響を頂けると「やって良かった」と思い、単純だから更に発奮します。
ブログのページビューもベテランの方々よりは全然多くはありませんが、少しずつ増加していますのでそれもまた励みになるところです。



私は自分が他の治療家さんとはちょっと違うユニークな体験をしてきていると思っています。
インドやヒマラヤで修行をする機会を頂けたというのもそうですし、山で行っている密教修行もちょっと珍しいと言えるでしょう。
また、当院の客層は意識の高い方や精神世界のことに詳しい方がとても多いのもユニークなところです。
一般の治療院さんでは、ご高齢の患者さんが多いのでしょうが、当院は結構少ないのです。
また、最近は神様とのご縁も深まって身の周りに不思議な現象が次々起きていて、それもまた知るとビックリされることでしょう。
もっとも、それは書けるものと書けないものがあるのですけど・・・


あとは、日記的な目的でブログを書いているというのもあります。
あの時何を考えていたとか、振り返って見るのにブログ記事は役立ちます。
しかし、日記と違うところは他人が読みますのでいい加減なことは書けないということと、ある程度読みやすい文体にしなければならないということがあり、そこは日記より骨が折れるところです。
また、私の後に続く人がブログを読んで学ぶことはとても多いはずです。


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ブログを書いていく作業というのは実に大変なのです。
これは創作活動をした人しかわからないですね。
文筆活動、漫画を描く、映画を撮る・・・というものは製作者サイドには大変な労力がかかります。
しかし、読む側・観る側はその労苦もわからずサ~と楽しんでしまいます。
漫画本なんて読んでしまえば30分もかかりませんが、それを描くのにどれだけのエネルギーが必要だったか、漫画家ご本人しかわからないでしょう。
私も日頃本を結構速読するのですが、これも本当は申し訳ないという感じです。

私の場合、ブログの1記事を書くのにだいたい2~3時間位かけています。
歴史物とかになると調べることが多くなるので、10時間以上かけることもあります。(だからなかなか書けない。)
それに対して読者が読む時間は、せいぜい3分~10分位でしょう。



そうまでしてブログを継続していく理由は、結論的にはブログの読者の方々の人生のお役に立つのが自分にとって喜びになるから書いているということに尽きます。
営業的なガツガツ感はないので、書きたい時に書きたいことを書けるというのは幸せなことです。

今年はブログについて少し勉強したのですけど、そこでよく言われていることに「読みやすい記事を書くように」とか「まめに更新する様に」というのがあります。
しかし、1年やってきて思ったのは、更新頻度やアクセス数など気にして余り内容のないくだらない記事や軽薄な内容の記事を書き連ねても「屋上屋(おくじょうおく)を架す」だけになってしまうと思うので、それはどうなのだろうかと思います。(※特定の人を想定して言っているのではありません)
そんなことをすれは自分自身も徒労になるし、読者の方々の貴重な時間を奪うことにもなります。

それよりは読むのに骨が折れても、人の心に残るもの、読む人の満足感を得るものを書かなければならないと思ったのです。

と、いう訳で来年はもっと読み応えのある骨太の記事を書いていきます。
更新頻度は落ちると思いますが、変わらずご愛読いただけましたら嬉しく思います。


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2015_12_17


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24日女優の川島なお美さんが胆管がんでお亡くなりになりました。
私は芸能情報に詳しくないので、正直川島なお美さんのことはよく存じ上げませんが、死の1週間前まで舞台に出てご活躍されていたとのこと。

女優としての人生を貫き、死の直前まで女優の仕事を続けていたというのは尋常ではないプロ意識です。
かねてから「舞台の上で死にたい」と言っていた様で、その人生を全う(まっとう)されました。
私はその一点で川島なお美さんは見事であったというしかありません。
川島さんは美貌も美しいですが、最期の人生の散り方もまた美しいものだったと思います。

舞台を降板する際に悔しさで大いに泣いていたとご主人が語っていましたが、舞台の降板と地球での人生の降板を重ねてお考えであったのかもしれません。

ワインが大好物とのことですので、早く天国に行ってお好きなワインを存分に楽しんでほしいものです。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。






私も川島なお美さんの様に最期まで自分の仕事を全うし、自分の気功院で死ねたら幸せだろうと思います。

2012年3月30日に「避けられない死をどう迎えるか」という記事を書きましたので一部修正して再掲します。







私はこれまで多くの方の死の間際に立ち会ってきました。
施術家・気功家という職業についている人の中でも多い方だと思います。
人の死に立ち会う度に「助けられなかった…」という自身の無力さを味わいます。
もっとも、人の生死は神のみぞ知る領域。凡人の力の及ぶところではないのですが。

人が死ぬ際に思うことは、年配の方だと「あぁ、長い間お疲れ様でした。」と心の中でお伝えします。
寂しい思いがするものの、物事には順番がありますからそれを踏んで逝かれるのは次の生に向けての新たなるスタートなのでどこか良かったという思いもあります。

しかし、見るに耐えないのは自分より若い人やお子様を生んだばかりの若いご婦人の場合は、まだ若すぎてなぜこの人は今逝かなければならないのだろうと心が締め付けられる思いがします。
良い人だと周囲で思われている人も神様が早く召してしまうのでしょうか、時として早く逝ってしまう様です。

私はがんのお客様をよく気功で施術するため、その人の邪気を受けすぎて自分の身体に同じような症状が出てしまうことがあります。
その度に、「こりゃまずいことになったかもしれない。」と思うのですが、今のところしばらくするとそれが無くなってしまっています。
何かそのような体験を幾つも踏んでいると、死は遠い将来にあるというものではなく、すぐ身近にあるようなものと思う様になりました。
細い一本道を歩いていて、少し道を踏み外すと死の谷に真っ逆さまというような感覚です。
未だに死を迎えず永らえているのは神の恩寵というべきでしょう。

気功治療でも死に際した人を救うことはできません。
死は神が支配しているので一介の人間がどうこうできるものではないのです。
しかし、神人と言われるレベルの人は死人をも生き返らせたことがあると伝えられています。
日本では黒住宗忠であり、インドではサティア・サイババがそれをやったことがあるそうです。
2000年前にはイエスキリストがそれをやりました。

だからといって、次から次に死人を生き返らせたというものではなく、生きるに値すると神が認めた人が2度目の生を頂けただけです。
神の意思は人間の見識をはるかに超越していますから、一時の生を延長させることよりも次の生を早く進ませるということもあるでしょう。
また、現世での活躍より、あの世での活躍を求められていることもあるでしょう。
しかし、私たち人間は存在が小さいので神の意思を図りかねます、だから死の理由が分からず悲しみに苦悩するのです。



神聖意識に到達したインドの有名な聖者ラーマクリシュナは神の世界とこの私たちの世界を同時に体験できた稀有な人ですが、その聖者であっても「人の生が死によって絶たれるものではなく死後の無限の生があることを私は知っていてもこれ程悲しい。普通の人の悲しさはいかほどだろう。」と語っています。

死の法則は今世だけではなく過去世のカルマも働くようですから公式の様に決まりきったことではありませんが、良い生き方をしてきた人は穏やかで美しい最期を迎えます
一方、周りとの調和よりもエゴを満足させる人生やどろどろの修羅のような人生を送ってきた人の最期は激痛に苦しむことが多いようです。
すべて苦しんで亡くなる人がそうと言っているわけではありません。
例えば、聖女マザーテレサの最期は相当苦しいものだったと聞いてますが、それは彼女の生き方が間違っていたからではなく、世の苦しみを引き受けて逝ってくれているからなのです。

マハーサマーディーというヨーガの技法があります。
マハーサマーディーというのは、自分の意思で瞑想をしながらあの世に旅立つ技法です。
詳しくどうするものかは今の私は知りません。
レベルの高いヨギは死を超越することができるといいますので、相当に修行の進んだ聖者ができるもののようです。
スワミ・ヨガナンダはマハーサマーディーで最期旅立ったと「あるヨギの自叙伝」に書かれています。
お世話になった人達を大勢招いて最後にさよならの晩餐を開きそれから別室で静かに逝ったそうです。





仕事をしながら最期の力が尽き果てて死ぬのもかっこいいと思います。
「ドラえもん」の作者藤子不二雄さんは病身をおして「ドラえもん」を描き続け、最期はデスクの上で力尽き果てていたそうです。
実に見事な散り方と思います。



マハーサマーディーのように瞑想をしつつ、美しく静かに逝くのも良いでしょう。
私のレベルがそこまで達していればの話ですが、この人はまだ生かしておかなければならないと思う人の病を引き受けて「どうだ!」という感じで逝くのもまた粋なのではないかと思います。
いずれにしても、この世に残る人々の幸せを実現させるために最期の全身全霊の祈りをしながら逝けたらよいと思います。




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プロフィール

水野博友

Author:水野博友
気功家・ヒーラー・瞑想家
気功で人の病気や苦しみを癒すヒーラー

愛知県出身、早稲田大学商学部卒。
埼玉県さいたま市浦和区で気功治療院「外気功療法さいたま院」を開業、肉体の病~精神の病まで日夜 気功の施術を行っている。遠隔気功の実績も豊富。
満月時は日本の山に籠り密教修行を行う、また2011年より定期的にインド・ヒマラヤ、インドネシアに渡り様々な聖者の指導を受けて霊性修行に励んでいる。

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