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桜が開花しているのがあちこちで見られる様になりました。
ようやく長い冬が終り、春がやってきたなぁという感じです。
暦の上では立春(2月4日頃)から春ですが全然暖かくないですから、こうして桜が咲くとやっと春だと顔がほころびます。
毎年冬は長く感じます。

日本は四季があり、その季節毎の風情は生活に彩りを与えてくれます。
四季折々の風情が、情緒豊かな日本人のメンタリティを作っているものと思います。
フィリピンやインドネシアなど南国の国は年がら年中季節が夏です。
そのような国では食べるもの・着る物もいつも同じ様で風情に乏しく、メリハリがない様に感じます。

長い冬の厳しい寒さに耐えてこそ、春の暖かさやありがたさが身にしみてわかるものです。
気候のことのみならず、人生においてもしかりで、不遇の時こそ人間が鍛えられ、それを抜けた時に一回り大きな人間に成長しているものと思います。

たとえ人生が辛く恵まれていない様に感じられても、神はその人が乗り越えられない試練は与えないと言いますから、自分にとって必要なので起こっているのだと強い気持ちで乗り切りたいものです。

そこで思い出したのは、昭和天皇が戦後2年経った時に詠まれた御製です。
大東亜戦争という過酷な時期を経験した昭和天皇が発するメッセージは重みがあり、私達も頑張らなければならないと心が励まされます。

『 降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ 』


さて、私は人に話したことがありませんが、毎朝の行の際に禊(みそぎ)をする習慣があります。

禊とは何でしょうか?
初めて知る人のためにwikipediaの解説を抜粋します。

神道で自分自身の身に穢れのある時や重大な神事などに従う前、又は最中に、自分自身の身を氷水、滝、川や海で洗い清めること。類似した水垢離(みずごり)と呼ばれるものがある。

禊とは自分自身の穢れを冷水で祓って神事に臨むというものです。
私も毎朝施術の前に各種の行を行って準備をしていますが、その時に禊を行っています。
禊はインドネシアで修行をした時も行いました。
ですので、日本特有のものではありません。

冬の寒い日に滝に打たれるというのが、禊や滝行のイメージです。
インドネシアのバリ島でも特別な行を行うための一般人禁足の滝があって、そこで滝行を行ったことがあります。
インドネシアの行者からは「寒いぞ~」と言われていましたが、日本の冬場の冷水で鍛えていれば南国の滝行は思った程でもありませんでした。


さて、私はかねてから漢字の作りにはその言葉の本質を意味するものが含まれていると考えています。
例えば禊(みそぎ)という字には、左の「しめすへん」に契約の「契」と書きます。
「しめすへん」は神を表す部首であります。
つまり、禊という字を分解して意味を解釈すると、禊とは「神との契約」ではないかと思うのです。

よく願をかけて禊・水垢離を行うと成就するという話を聞きます。
理由はわかりませんが、禊の前に願掛けして執り行うと神が聞き入れてくれるのではないかと思ったりしています。

ですので、私は毎朝禊をする前に気合を入れて願掛けして、それからシャワーで冷水を浴びているのです。

気合を入れれば真冬の雪の日の冷水も決して凍えることはありませんが、気合を入れないと死にそうになります。

今でも禊をやる前は寒くて嫌だなぁ~と思ってしまいますが、禊を終えた後の爽快感は何事にも優るといつも実感します。
それは禊がただの水浴びではなく、やはりそれ相当の邪気払いになっているからなのでしょう。

私が禊の際にする願掛けはその日の施術がうまくいく様にという願いです。
遥々お客様が私の気功院に来て頂いて手ぶらでお帰り頂くのは本意ではありません。
いかなる病気の方であろうと、必ず結果を出すという決意で禊に臨むのです。

あと、やはり人には邪気があり、私もお客様から自覚しなくても受けてしまうものもありますので禊で冷水を浴びることでそれを祓うのです。
私の師匠は風邪など体調の悪いときには日に何回もシャワーを浴びます。
私の体調が良くない時にも、「水野君、シャワーを浴びなさい。」(※この場合は温水)といつもおっしゃいます。
水の浄化の力は火と同様に強いのです。

この記事を読んで関心がある方は是非自宅で実践されると良いと思います。
でも余り無理をしない様に。
私はかつてサラリーマンだった時にこれを起きがけにやって、ガンッと脳の血管が切れたんじゃないかと思ったことがありましたので・・・

毎朝の冷たい水もようやく温んできたなぁと肌で春の訪れを感じている今日この頃です。




2015_03_31


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先週の土曜日に1月から耳鳴りが止まらないというお客様(K様)が兵庫県よりバスでご来院になりました。
電話でご予約頂いた段階で兵庫県よりお見えになるということが分かっていましたので、私は遥々来ただけのものを持って帰ってほしいと考えていました。

K様は元々耳鼻が良くないということでしたが、地元の有名な気功院や鍼灸の治療院に通っても改善は見られなかったとのことでした。

物腰が柔らかく情熱的な印象のK様はヒーリングスティック療法をご希望になりました。
例によって私はこのヒーリングスティック療法は邪気の蓄積がある場合には強い痛みが出ることもありますと説明しました。(参考:ヒーリングスティック療法

「私は良くなるのであればどんなことにも耐えます。先生にすべてお任せします!」

とK様はおっしゃられました。
私も耳鳴りであればヒーリングスティック療法が適しているからK様のご期待に添えられる様最大限努めようとその時思いました。

頭や首、上肢~手指などを擦っていくと、「あっ、そこ痛いです!」と所々強めの痛みを感じている様でしたが、激烈な感じではなく我慢できる余地はまだある感じでした。

一通り施術が終わって、「少し良くなっています。」とご感想を述べられましたが、耳鳴りは完全になくなってはいませんでした。

経験的に目や耳の症状は少し時間が経ってから変化が出てくることがあるのを知っていますので、「もう少し様子を見て下さい。」とお伝えしておきました。

また、K様は耳鳴りの原因が霊障ではないかとひどく気にされていました。
以前、ある霊能者に女性の霊が憑いていると言われたことがありそれ以来気にしているということでした。

「先生、私は覚悟ができていますから何でも言って下さい!」

と迫ってきました。
確かに耳鳴りは霊障が原因であることはよくあります。
しかし、K様には「大丈夫です、安心して下さい。K様の耳鳴りは霊障によるものではありません。」とお答えしました。
その答えに大分ホッとしたご様子でした。

K様は当院のホームページを見て、「ここだ!」と直観的に思ったそうです。
それで兵庫から来るその行動力たるや大したものです。

でも、「辛くて辛くて仕方なく、何とかしたかったから。」と言っていました。

聞けばK様は不動明王を厚く信仰しているということです。
当院には不動明王もお祀りしていますが、同時にシヴァ神もお祀りしています。

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不動明王


不動明王は密教の神仏でありますが、その由来はインドのシヴァ神であると言われています。
2つの神仏がまったく同じかというと、そこは少し違いがあると感じます。

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シヴァ神

不動明王≒シヴァ神

という関係性でしょうか。

またK様は私のインド修行のことを色々と質問し聞いてきました。
私のインドでの修行に興味がある様です。
K様はインドで虎を祀っているところに参拝したいと言って質問をされました。

はて?私にはそれは良くわかりません。
しかし、虎に乗っている荒ぶる女神ドゥルガーはよく知っていますので、ドゥルガー女神について教えて差し上げました。

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ドゥルガー女神


K様が遥々兵庫より来られたのはご神仏によるご縁なのかもしれないとその時思いました。

当院には神仏のご縁により来られるお客様は多くいます。

先週もまったく別の3人のお客様が高幡不動についてお話していました。
「また高幡不動か」と少し驚きながら話を聞いていましたが、「これには何かあるのかな?」とも感じました。

K様は帰りのバスに乗るために店を出て電車に乗ったところで、「また耳鳴りが大きくし出した・・・」と電話をくれました。

私は「困ったなぁ」と思いましたが、その時は施術中でどうしようもなく「少し様子をみてほしい」と伝えました。
せっかく兵庫から来て頂いたのに帰りにはまた戻ってしまったことについて自分自身かなり悔しい思いがしたものです。



2日後の月曜日の夜、再びK様より入電がありました。

「先生、あの時耳鳴りがまたし始めたと電話しましたけど、翌朝耳鳴りがパッタリと止まったのです!今ももうありません。先生、本当にありがとうございます。先生また宜しくお願いします!ありがとうございます!」

とやや興奮した感じでご報告頂きました。

更にK様は「一度電車で悪くなった様に感じたのは気功の好転反応だったのでしょうか?」と質問されました。

私は「好転反応かどうか判断するのは難しいことです。」とお答えしましたが、ご神仏の縁で来たお客様はきっと良くなるものだと信じていました。
しかし、それはK様には伝えていません。

兵庫からではそう簡単に通院できる距離ではないため、何としても1回で結果を出してほしいという私の祈りが天に通じたのでしょうか・・・それは明確に答えがあるものではありませんが私はそうなのではないかと思っています。



2015_03_27

桜花

category: 歴史・大和魂  

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暑さ寒さも彼岸までと言います。
お彼岸を向かえ、これからいよいよ春本番というところでしょう。
関東では先週も20℃近くまで気温が上昇する日が数日あり穏やかな春の日和が過ごしやすかったです。

今日のニュースでは鹿児島で桜が咲いたと報道されていました。
これから関東でも桜の開花を迎えます。

今日は同じ桜の花でも違う桜の話をしたいと思います。
それは「桜花」という戦闘機の話です。

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一式陸攻の下部に吊られている桜花
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E8%8A%B1_%28%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%29

大東亜戦争の末期の1945年、桜花という新たな航空兵器が誕生しました。
桜花は神風特別攻撃隊の一人乗り戦闘用飛行機であり、ミサイルを積んで突撃するためだけに作られた飛行機です。
飛行機というよりミサイルに羽と人が乗るコックピットがある木製滑降機、もしくは人間ミサイルという表現の方が適切かもしれません。
全長6メートル、翼幅5メートル、重量2.1t、先端部には1200㎏の爆弾が積まれています。

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コックピットより前に積まれている1200㎏爆弾
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E8%8A%B1_%28%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%29

1200㎏の爆弾というと、当時通常の爆撃機が投下する爆弾が50㎏、特攻機が250㎏の爆弾を積んでいましたので、いかに強大な威力の爆弾かが分かります。

しかし、桜花はわずかな固形燃料しか積載しておらず、そのため自力で離陸することができませんでした。
そのため一式陸攻(飛行機の名前)の下部に吊られて敵の艦隊近くの空まで運搬し、高度6000メートルの空から急降下突撃をする方法を採りました。
飛行距離は30kmしか飛べません・・・というよりほとんど降下するだけです。
万一距離が届かない場合のために末尾部には3本のロケットが装着されており、それが9秒間分だけ噴射することができました。(たった9秒です!)

ミサイルに短い翼が付いている形状なので、零戦の様に器用に操縦することはできません。
ほとんど直線的に突っ込むだけでしたが、その最高時速は時速900kmにも達し如何なる敵も桜花を補足し撃墜することはできないとされていました。

アメリカではこの桜花を「BAKA」(馬鹿)というコードで呼んでいました。
特攻に恐れを抱きつつも狂気の沙汰としか思えなかったのかもしれません。

今日、3月21日はこの桜花が始めて実戦に投入され沖縄に侵攻するアメリカ軍に攻撃をしかけた日であります。

南方の諸島の制海権はアメリカに局地戦での敗戦を重ね奪われてしまい、既に沖縄本島目前まで迫っていました。
フィリピンでの戦闘の時から始まった連合艦隊の特攻は、戦闘機の搭乗員が生還の望むことができない死への片道切符でしたが、この戦術は予想外の成果を挙げていました。

日本軍は物資も窮しており、特攻は身の振り構わずとった最終手段でありました。
アメリカの航空母艦の甲板に突撃し、撃沈または大破させれば日本への攻撃を遅らせることができたのです。

実際に特攻攻撃に参加した兵士は20才~33才までの若者でした。
まだまだ年端もゆかない若者で、生きていたいという気持ちは強かったことでしょう。
そんな彼らの内面の気持ちは今に生きる私たちには到底想像もつきません。
その時代、その状況におかれている者でしか分からない特殊な心理状態にあったものと思います。
彼らは若くして命を捨てることになる自分の運命に深く苦悩しましたが、それを表に出すことなく士気は非常に旺盛でした。
必ずや敵空母を撃沈すると決意をして多くの若鷲が南方の海へと飛び立ちました。

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特攻待機中の若い搭乗員、この様な青年達が南海に散華した
背後には一式陸攻と懸吊された桜花が見える
http://s-yoshimoto.sakura.ne.jp/book/ISBN978-4-89295-911-0.html


作戦が成功し自分が死ぬことで日本への攻撃の手を遅らせることができるだけではなく、敵の士気を消沈させる効果もあります。
特攻兵は自分の命を捨てる恐怖よりも、日本を、天皇陛下を、両親・家族を、恋人を守りたいという気持ちが優っていたのでした。
アメリカが本土に上陸すれば、日本は蹂躙され婦女は辱めを受けると信じられていました。
それが戦争というものです。
実際、沖縄本島では民間人10万人が戦闘の犠牲になっています。

そうならないためにも特攻兵は自分達が御国の楯にならなければならないという揺るがない気持ちがありました。
それは至高至純の愛の形と私は思います。
私たち日本人の近い先祖はこの様な尊い境地にいたのです。
日本人はそれを誇りに思い、自身の血に流れる力を自覚し、明日からの生きる力につなげていくべきと思います。


桜花の攻撃力は大きなものでありました。
ハーバード大学のモリソン教授はその著書でこう記しています。

「(駆逐艦エイベルに)500ノット(時速926km)で『バカ』がやってきた。『バカ』は前部煙突下の左舷に突入し、第一ボイラー室に貫通し爆発した。艦の中央部セクションは破断し、艦主部と艦尾部は分離した。そして『エイベル』は急速に沈没し、5分後には残骸と生存者の他海上に何も残らなかった。」

桜花が命中するとこの様に強大な破壊力がありました。
アメリカのユージン・バレンシア海軍中尉は「その破壊力は、一般のカミカゼと比べて、比較にならない程大きく、それが効果的に使用された場合、米海軍に与えるであろう大きな損害は、ちょっと想像もできない位だった。」と桜花について述懐しています。

命中しない場合でも、周囲もろとも吹き飛ばす爆発を起こし、例えば掃海駆逐艦ジェファーズの場合、桜花が右舷50mの距離に落下し爆発を起こしたのですが、その衝撃で甲板が破損し補修基地に退却しなければならなくなりました。
50m離れていてもそれだけの衝撃があったのです。

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米空母エセックスに特攻機が命中したところ
http://s-yoshimoto.sakura.ne.jp/book/ISBN978-4-89295-911-0.html

しかし、この桜花での攻撃には大きな問題がありました。
先述した様に桜花は一式陸攻という大型飛行機の下に吊り下げて戦地まで運ばなければなりません。
ただでさえ一式陸攻は重く速力がない、いわば鈍牛の様な航空機でしたので更にそれに2tもの桜花を吊り下げていればいかに遅く身動きが取れないか想像がつきます。
そのため、戦地に到着する前にアメリカのレーダーで補足され敵機に撃墜されることが多かったのです。

初めて桜花の攻撃を指揮した721飛行隊長の野中五郎少佐は航空戦の経験が豊富でしたが、この作戦がいかに困難であったか立案段階から分かっていたそうです。
べらんめぇ調の口調で兵士からも人望が厚かった野中五郎少佐も昭和20年3月21日にアメリカの戦闘機グラマンに撃墜されました。
その様子はYoutubeにもアップされていています。
グラマンに後尾を付かれ一式陸攻が必死に逃げようとしている様子が分かります。
最後は右の翼が射撃によって折られ下方に墜落していきました。


野中五郎少佐率いる第721航空隊(神雷部隊)

自分の命を祖国のために特攻で捧げようと決意を固めた兵士達が戦地に向かう途中で撃墜されて自分の本来の死に場所を得られないその無念、悔しさはいかほどであったか察するに余りあります。

急降下突撃という特殊な戦法であったため、その訓練もまさに命がけでした。
訓練では高度3000mまで上昇したところから切り離され、無事に着陸しなければなりません。
ブレーキもなく時速200kmの高速で着陸するため、その訓練で命を落した兵士や一般人を巻き込んでしまった事故などもありました。
その特殊性から訓練は1回限りで、その訓練で無事着地成功した者は次は本番を迎えることになったのでした。

実際の戦闘では6000mの高所で、母機である一式陸攻の床の搭乗口を空け、下に吊り下げられている桜花に乗り込むのです。
桜花の風防を2・3回蹴っ飛ばし、乗り込んでも落ちないことを確認した上で強風の中で風防を開け上から乗り込みます。
桜花を吊り下げている懸吊機は自動で外れるものではなく、何かで破裂させて桜花を母機から切り離していた様です。

そうすると、桜花は重力で300m位自然落下します。
地面に吸い込まれる様にして落下している機内で搭乗員は内臓が浮き出しそうになりながらその状況の中で操縦を開始するという離れ技が必要でした。

6000mの飛行中の航空機から別の機に乗り移るなんていうのはハリウッド映画のスタントマン並みの胆力と運動神経が必要でしょう。

昭和20年3月21日から6月22日までに桜花の出撃は10回ありました。
桜花は75機、それを運搬する一式陸攻は78機、合計153機、その内帰還しなかったのは桜花56機、一式陸攻52機、合計108機でした。
戦死した搭乗員数は桜花隊が56人、陸攻隊が372人でした。

それに対して成果は文献によりまちまちで定かではありませんが、犠牲に見合う程の成果はほとんどなかったと言って良いようです。
それは実際に敵艦近くまで辿り着けなかったという理由が大きかったためです。

桜花での攻撃が開始された3月21日の5日後にアメリカは沖縄本島に上陸しました。
日本軍はそこから怒涛の如く特攻隊による攻撃を行い、アメリカ軍を震撼させました。
その様子はまた機会があればお伝えするかもしれません。

私はこうして近い先祖が戦ったことを風化させてはいけないという思いでこの記事を書いています。
今、社会では集団的自衛権の話が持ち上がっていますが、私は戦争を賛美している訳ではありません。
むしろ、一般の方々より平和を希求する思いは強いのではないかと思っていますし、日々平和を祈り続けています。

特攻で亡くなった兵士は日本を守りたい、日本を良い国にしたいという思いが強かったのです。
特攻の英霊達は「俺は死ぬけど、後は頼んだぞ。」という思いを抱き突撃していったはずです。

桜花での訓練を経験しながら、終戦を迎え出番がなかった松林重雄さん(90歳)はこう語っています。

「やっぱり、死んだ人に申し訳ない。うしろめたいですよ。今の日本を見ていると、特にそう思う。このざまは何だ、こんなはずじゃなかった、と。」

私も松林さんのお気持ちは少しは分かる様な気がします。
松林さんの様な生き証人ももうすぐ居なくなってしまう・・・今の日本に必要なのにとても残念なことです。

特攻で亡くなる死に方をよく「散華した」と言います。
桜の花の様に儚く(はかなく)南の海に散っていったからです。
そうした多くの若者達の献身的犠牲が礎になって現代の平和が存続していることを忘れてはならないと思います。


〔参考文献〕

「世界が語る神風特別攻撃隊」(吉本貞昭/ハート出版)


「太平洋戦争 最後の証言」(門田隆将/小学館)




2015_03_22


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何気なく生きていると日常的なことは当然の様に思っていて、ささいな事に対していちいち気にとめず日頃意識することは余りない。
しかし、よくよく考えてみるとその当然の様に起こっていることが実はあらゆる複雑な事が絡み合った上で成り立っていて、それ程単純なものではないことがわかる。

当たり前の様に思っていることは小さな奇跡がいくつも積み重なって起こっている。


朝、目が覚めること

自分がやるべき仕事があること

朝、小便が出ること

太陽が地平線から昇ってくること

電車が時刻通りに動いていること

電話で遠くの人と会話ができること

蛇口から温かいお湯が出ること

必要な物を買うお金があること

雨が降ること

立派な大便が出ること

晩御飯がいただけること

家族が同じ屋根の下にいること


そして、自分自身が今日も生きていること


ただただ今あることだけが有り難い・・・
有り難いとは「有る」ことが「難しい」こと。
あって当然、そうなって当然、できて当然と思い込んでいることは、実は難しいことであり、そうなっていること自体が奇跡なのである。
有り難さはなくなった時にわかる。

自分自身が生きていることも奇跡なのだ。
ただ感謝の思い一念であり、こうして今が続いていくことは奇跡が続いていることなのである。
神の恩寵とはそういうものだ。


2015_03_19


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まるちゃんの緑のたぬきです。
「あ~かいきつねと、みどりのたぬき」で御馴染みのCMで、武田鉄也さんが出ています。
何と武田鉄也さんは1978年からずっとこの商品のCMに出演し続けています。

緑のたぬきは全国一律であると思っている人が多いでしょうが、実は北海道版、東向け、関西版、西向けと地域によって4種類の生産されているのです。

さて、3月14日(土)の夜は私が主宰するヒーラーサットサンガが開催されました。
サットサンガとは聖なる集いという意味で、当店では私がスピリチュアル・ヒーラー養成塾でヒーリングを教えた受講生を対象に瞑想とヒーリング実習を月1回行っています。

 ヒーラーサットサンガ

サットサンガは7時から始まり大体9時半から10時の間に終了しますが、私は後片付けや自己浄化をして店を出ると夜中の12時位になります。
店を出ると浦和駅前でも歩いている人の数は少なく、我ながら土曜日の深夜までよく働くものだと思ったりもします。

私は自宅と店を自転車で通勤しています。
自宅はさいたま市から自転車で30分程南に行った戸田の辺りで、緑も少ない東京北区に隣接する住宅地です。
暑い日も寒い日も、雨の日も風の日もいつも自転車で通っており、これが自分にはよい運動になると考え、疲れている時も自転車のペダルを一生懸命漕いでいます。
たまには軽自動車の一台でもあったらと思わない時もなきにしもあらずですが、かなり寒い日でも店に着く頃には軽く汗をかき身体も熱くなっているので、これが健康に大きく寄与しているのだと思い軽自動車への思いを打ち消していたりします。

自転車で深夜走っていると思わぬものに遭遇したりします。
これまで10回近く遭遇したのが、写真にありますたぬきです。
たぬきと出会う時は決まって12時過ぎであり、バッタリ出会うとお互いにびっくりして見つめ合って固まります。

そして私は写真を撮ろうと急いでiphoneをゴソゴソと取り出そうとするのですが、いつもその間に消えてしまい悔しい思いをします。

下の画像は違うところから拝借したたぬきの画像で私が撮影したものではありません。

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こんな都会の住宅地にまだたぬきが生息しているのは本当に驚きです。
しかし、私の家族やご近所の知り合いも誰も見たことがなく、私が「たぬきがまだ生息しているのだ」と話をしても「へ~」という感じになってしまいます。
しかしようやく最近私の他に子供の友人の一人でたぬきを見たことがあるという人が出てきました。

15年位前にお会いした高田馬場の食堂のおばちゃんは戸田市の生まれ育ちで「昔は戸田は田んぼばっかりでたぬきがいたのよ。」と話していたのを思い出しました。
きっとその生き残りなのかもしれません。

私は正確に数えてはいませんがかれこれ10回位お目にかかっているものと思います。
深夜にたぬきが単独で住宅地をお散歩していたり、ペアでお散歩していたりします。
何で私はたぬきさんとよく会うのか不思議ですが、いつか写真に収めたいと思っています。

深夜に自転車で走っている時、これまでに下記の様な珍しい動物と遭遇したことがあります。

ハクビシン

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http://www.city.mitaka.tokyo.jp/c_service/011/011198.html

イタチ

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http://towadashiragami.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-20c9.html


都会の街の中でも人間が眠っている時には、こうして目立たず動物達の生き残りが活動しています。
その数も減る一方でもう風前の灯でしょう。
あと10年もすれば見ることはないのかもしれません。


※以前コラムで「秩父山中にニホンオオカミはいる!?」という記事を書きました。もし良かったらご覧下さい。


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リクルートの結婚情報誌「ゼクシィ」であります。
1993年の創刊から数年は「XY」というタイトルだったそうです。
これは男性(XX)と女性(XY)の性染色体に由来するのだそうです。(なるほどねえ・・・まぁ、結婚ですから)

小生も独身時代に「ゼクシィ」にはお世話になりました。
結婚が近くなりその頃毎月の様に購入していた記憶がありますが、どの号も内容はなんか似たり寄ったりだったという印象があります。
今は内容がどうなっているか知りません。(逆に知っていたらおかしいです。)
今やゼクシィは20の地域版と海外版(例えば北京版)まであり、更に2014年12月には総合婚活サービス「ゼクシィ縁結び」、その前段階の「ゼクシィ恋結び」をスタートさせ益々発展している様です。

さて、ゼクシィに象徴される様に結婚というのは若者にとって幸せのゴールに様に捉えられています。
ウェデングドレスを着ている時が最も綺麗で幸せな時であると、そして幸せなパートナーとのラブラブな新婚生活が始まると・・・特に花嫁は信じています。

新婚当初は確かにそうかもしれませんが、結婚生活というものは多くの人にとって我を出し合ってメグリ(カルマ)を落していく日常生活の中の修行であります。
人それぞれ程度は異なりますが、そういつまでも新婚当初のラブラブ気分が続くものではなく、こんなはずではなかったと後悔をしたという人も少なくはないことでしょう。

結婚というのは、お互いが好きになって結びつくだけのことではなく霊能のある人によれば背後霊のレベルでも色々と動いていてお互いが結ばれるように支援しているとのことです。
それだけの深い見えない結びつきがあってこそ、本来の自分をパートナーを通して自分の我を表面化することができ、それを自覚し、苦悩しながら成長していくのです。
深い結びつきが根底になければ簡単に夫婦関係は壊れてしまうことでしょう。

仕事仲間や友達との関係性の中では看過することができたものも、夫婦で共同生活をしていればそれをそのままやりすごすことは難しく、そこで価値観の衝突が起こります。
人によっては口論・喧嘩になり、それが度々起こる様になると新婚当初の関係とはいつしかまったく別物になったとある時気付きます。
その時々で感じる色々なネガティブな感情はその人の持つメグリ(カルマ)であり、たくさん衝突をし続けてそれを削ぎ落していくのです。
これは一つの魂の浄化といえるものです。
基本的に結婚生活が苦しいというのはこのような理由のためです。
(メグリ〔カルマ〕の少ない人、他の方面〔仕事など〕でメグリを落している人は結婚生活が苦しくありません。)

だからゼクシィは結婚が幸せのゴールであるという様に謳っていますが、若者には実はこれから過酷な修行が始まるのだよと教えてあげたい気持ちです。

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当店発行「結婚生活は苦っしいぜぇ~」創刊号
創刊号表紙は、スギちゃん!!

「くっしいゼェ」「くっしいゼェ」「くっしいゼェ」・・・と超高速で10回繰り返し唱えて下さい。
すると、あれっあれ~!? どこかで聞いた雑誌になったぞ~。



私の修行仲間を見ても、実に離婚経験者やシングルばかりでなかなか結婚生活がうまくいっている人を見ることはありません。
霊性修行をすると意識が変わってきます。
意識が変わるということは物事の捉え方、感じ方、それに伴う行動などが変わるのであり、それまでパートナーと同じ様に物事を捉え感じたりしていたものが段々と乖離してかみ合わなくなります。

例えば女性の霊性修行者に多いのは、自分は見えない存在・力、または神の存在をあるものと考えているのに、ご主人はまったく理解していないというパターンです。
それだけの違いでも、一緒に生活していると何かかみ合っていないなと感じることが多くなり、やがては離婚をして新しい人生を始める様になります。

結婚生活を改善するためには相手が変わらなければと思うところですが、自分が変わることでパートナーの意識も変わってくることもあります。
自分自身のメグリ(カルマ)がなくなってくると、夫婦関係も段々と対立することが少なくなり魂が一体化した良い関係に変わってきます。
それがある意味結婚生活のゴールであり、それまではメグリ(カルマ)が続き大変なのだと思います。

さて、私は度々「日月神示」から引用をしますが、今回も夫婦・家族について神がどのように啓示をしているか紹介していきます。
※「日月神示」は昭和初期に岡本天明氏に降りた神からの啓示です。この世界を創ったウシトラノコンジンからの直接の天啓と言われています。詳しくはこちらをご覧下さい。

「日月神示」

出足の港は夫婦の道からぢゃと申してあろう。真理と申してあろう。これが乱れると世が乱れるぞ。神界の乱れイロからぢゃと申してあろう。男女の道 正されん限り、世界はちっともよくはならんぞ。 (春の巻 第二十五帖)

妻にまかせきった夫、夫にまかせきった妻の姿となれよ。信仰の真の道ひらけるぞ。一皮むけるぞ。岩戸ひらけるぞ。富士(夫婦)晴れるぞ。 (黄金の巻 第九十九帖)

夫婦はお互いに信頼しきるのが真の姿ということです。相手の行動を細かく詮索したり、また相手を自分の思うように束縛するのはまだ真の姿とはほど遠い状態と言えます。

家の治まらんのは女が出るからぞ。夫立てると果報は女に来るぞ。 (黄金の巻 第七十二帖)

現代では、女性から文句も出そうなところですが、これは神が言っていることですので謙虚に聞く姿勢が必要です。

むやみに腹が立ったり、悲しくなったり、悔しくなったりするのは、まだめぐりあるからぢゃ。めぐりの霊界との因縁が切れて居らぬからぢゃ。愛は養はねばならん。夫婦はいのちがけで、お互にきづき合はねばならんぞ。夫婦愛はあるのではない。築き上げねばならんぞ。生み出すのぢゃ。つくり出すのぢゃ。そこに尊さあるぞ。喜びあるぞ。 (春の巻 第二十六帖)

「夫婦はいのちがけで、お互にきづき合はねばならんぞ。夫婦愛はあるのではない。築き上げねばならんぞ。生み出すのぢゃ。つくり出すのぢゃ。そこに尊さあるぞ。喜びあるぞ。」・・・ここが魂に特に響くところです。

夫婦けんかするでない。夫のみいかんのでない。妻のみ悪いのでないぞ。お互に己の姿を出し合ってゐるのぞ。よく会得せよ。 (月光の巻 第九帖)

親子、夫婦、兄弟姉妹と生まれても逆縁あるぞ。カタキ同志結ばれることあるぞ。それは神の大き恵みぞ。それに打ち克って、新しき生命生み出してつかえまつれ。(春の巻 第二十八帖)



2015_03_14

桜の季節

category: 未分類  



「桜の季節」いい曲ですね。
作詞・作曲はEXILEのATSUSHIさんです。(※マシコタツロウ氏との共作)
ATSUSHIさんは特に中学生の卒業生のためにこの曲を作りました。
この様な楽曲を提供できるATSUSHIさんは素晴らしいと思います。

今、全国の学校では卒業式を迎えています。
卒業生はきっと別れの寂しさや日頃気付かなかった感謝の思いを感じ涙するのでしょう。

私は卒業式の様な場では自分の事の様に涙腺が弱くなるので、ダメなのです。

若い人たちが勇気をもって不安を乗り越え、元気に新しい道を進んでほしいと思います。
また彼らの前途にたくさんの幸があることを祈らずにはいられません。



2015_03_10


この度弊店の物販サイト「気功治療家が勧める本物パワーアイテム」をオープンしました。
店舗内では7~8年前からパワーアイテムを斡旋してきましたが、それを弊店に直接来られない多くの方にもご利用頂けるよう物販サイトを立ち上げました。

まだまだアイテム数は少ないかもしれませんが、護身、パワーアップ、運気向上、邪気退散にお役に立つ自信作ばかりです。

特にパワーストーンプレスレットは皆様の願いが成就する様私自身が個別にご祈願するもので、封入する気(エネルギー)が皆様の願い実現を強力にサポートしてくれる貴重なものと自負しています。

一番のお勧めはヒーリングスティック(銅製)とヒーリングスティック(独鈷杵)です。
これらのパワーは色々な法具を知っている私の経験でも最たるものと思うところです。

これらのパワーアイテムが皆様の人生のお役に立ちますことをお祈りする次第です。


「気功治療家が勧める本物パワーアイテム」



2015_03_08


今日は茨城県よりリウマチのお客様(H様)がご来院になりました。
H様のリウマチは20年来のもので、指は変形していないものの第二関節が腫れています。
今回は痛みがひどく指も曲がらない、手足のむくみがひどいということで大変お辛そうでした。

「今日は来られないかと思いましたが、何とか来ることができました。」と言っていました。
茨城県からさいたま市までは随分時間がかかって大変だったことでしょう。
玄関から入って来た時の第一印象から具合が良くないことが一見してとれました。
大変だっただろうと私は心配しましたが、「行くところがあるというのは幸せなことです。」と気丈にお答えになりました。

H様のご希望はヒーリングスティック療法です。
ヒーリングスティック療法は金属の棒で皮膚を擦り邪気を取る療法で、物理的な圧は加えませんが邪気が蓄積している原因箇所に当たると痛みを生じます。
その邪気がひどい程痛みも激烈になってきます。

「治るのであればどんな痛みにも耐えます。」

と、H様は強い思いを述べられました。


201409 きよちゃん 0871
ヒーリングスティック療法の場面 擦るときは末尾で擦ります。


ベッドに仰向けに寝てもらうと、喉元から伝わってくる邪気が最も強い感じがありましたのでまずは前頸部(のど周囲)を擦っていきました。

左の首を擦っていた時も強い痛みを感じられていた様でしたが、右の首の痛みはそれ以上に強烈なものでした。

少しでもH様に安心して貰うため「決して強く圧して擦っている訳ではないですよ。」と言うと、「それはわかっています。だって全然痛くないところもありますから。」と、痛みが物理的な圧から来るものではないとご理解頂いていました。

ヒーリングスティックを擦り始めてすぐにH様の痛みは強烈な痛みであることが私にも分かりました。
H様はリウマチの強烈な痛みに20年も耐えて来たのでどんな痛みにも耐えられるという自負がありました。

しかし、このヒーリングスティックの痛みは予想以上だった様で、苦しみながらも「もう笑うしかありません。」と息絶え絶えになっていました。

私自身その痛みがいかに激烈なものか自分の体験で分かっていますから、痛みに耐えるH様の根性には脱帽の思いがしました。
少し休みを入れながらではありますが、ここは避けては通れない道と私もそう考えてこの時ばかりは心を鬼にして施術にあたります。

「ううっ~」と苦しそうにしているH様の首を私は容赦なく擦りました。(といっても物理的な力を加えている訳ではないのです。)

一通り喉の施術が終りH様は「こんな痛みがあるんですね。」と感想を述べられました。

「女性には出産という大変な痛みを経験しなければならない時もあるじゃないですか。でもそれはそれ程のものではないと思うのです。なぜならそれに耐えたら喜びがあるというのが分かっているから。人は喜びがあれば強い痛みにも耐えられます。」

「しかし、私が経験してきたリウマチの痛み(※骨が変形する痛み)はそんなものじゃありません。もうどうしようもなくって布団を頭に被って身を縮めているしかないんです。医者からも治らない、一生付き合っていくしかないと言われ、またネット等で情報を調べても指がぐにゃぐにゃに変形していたり、車椅子に乗っていたりする写真しか出て来なくて・・・私もやがてそうなる、段々と骨が変形し指が曲がっていくのが分かっているので、未来は真っ暗なんです。それ以上の痛みはないのです。」

「でも、このヒーリングスティックの痛みは、確かに凄く痛いけれどこの痛みは治る痛みであるというのがよく分かります。こんな痛みがあるとは初めて知りました。この様な痛みと出会えるなんて本当に嬉しいです。」

H様がおっしゃった様に、他のお客様も同じことを言われます。
凄く痛い思いをしたけれど、喜んで次の予約を入れて帰ります。
普通なら痛い思いをすれば、二度と嫌だと思って当院に来ることはないでしょう。
しかし、この痛みが病気の原因になっているものが出て行く時のものだということが直観的に分かるのだと思います。

H様は喉の施術をした後に指の痛みが楽になっていました。

また更に左手をヒーリングスティックで擦っていると、H様は仰向けで天井を見ながら涙を流していました。
涙が溢れてくるというのは癒しが行われたサインです。
H様のそれは病気の20年間の自分自身を肯定して受け入れることができた喜びの涙だったということでした。

「そうしなければならないと頭でわかっていてもできなかったことが、今日この場でできるようになりました。」と涙を流していました。

自分自身を肯定することは、自分を愛することです。

リウマチの痛みはどこから来ていたのかははっきりとわかりません。
でも自分自身を否定している思いも原因の一つだったのであれば・・・

自分自身を認めて愛してあげることは、身体が感じていた痛みにも良い変化をもたらすのではないでしょうか。

帰り際の一コマ、玄関で靴を履く時に「あっ、靴がちゃんと履ける!」とH様は声をあげました。
何でも家を出るときはむくみで靴もなかなか履けなかったそうです。
足のむくみもその時すっかり軽くなっていました。

2015_03_03


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プロフィール

水野博友

Author:水野博友
気功家・ヒーラー・瞑想家
気功で人の病気や苦しみを癒すヒーラー

愛知県出身、早稲田大学商学部卒。
埼玉県さいたま市浦和区で気功治療院「外気功療法さいたま院」を開業、肉体の病~精神の病まで日夜 気功の施術を行っている。遠隔気功の実績も豊富。
満月時は日本の山に籠り密教修行を行う、また2011年より定期的にインド・ヒマラヤ、インドネシアに渡り様々な聖者の指導を受けて霊性修行に励んでいる。

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