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今日の午前中は「スピリチュアル・ヒーリング講座」を受講されているAさんに伝授をする予定になっていました。
しかし、昨夜「風邪を引いて体調が悪い」と電話があり、予定が延期になりました。

私は「また、伝授前の浄化が起こったか・・・」と思いました。
伝授の前になると体調が悪くなり、予定が延期になることはよくあることです。
それはその生徒さんによってはとても良いことなのです。

私は午前中がぽっかり空いてしまいましたので、行をやったり、こうしてカフェでブログの原稿を書いたりして有効に活用させてもらっています。

以前、スピリチュアル・ヒーラー養成塾の「ヒーリングWEB講座」に「伝授前におこる浄化」についてかきました。
以下、一部加筆修正をして再掲します。





当サロンの「スピリチュアル・ヒーリング講座」「メディテーション&ヒーリング講座」の内容は全て自力ではなく、他力です。

自力?他力?・・・初めて聞く方もいることでしょう。

他力とは人間の力(気)を高めてヒーリングするものではなく、神仏との霊的なつながりを持ち、その力(気)を受け手に導くものです。

他力では特にご縁が重要となります。
ご縁とは、神仏とのご縁、師とのご縁です。

自力は一人一人の努力や才能が物を言う世界です。
他力は努力だけではどうにもならない世界であり、師によって神仏とのご縁を結んでもらわないとその力を頂くことはできません。
密教の世界では結縁灌頂(けちえんかんじょう)という儀式があります。
他力を頂くには神仏とのご縁や師とのご縁がなければたどり着けないものです。

ご縁というのはどのようにしてできるのでしょうか?
私も正直良く分かりません。
私は自分の意思というよりも流れで導かれるようにして、インド・ヒマラヤ・インドネシアで修行をしてきましたが、その都度「自分は一体なぜここにいるのだろうか?」と思わずにはいられませんでした。
何かのご縁という力が働いているとしか思えないのです。

しかし、自分がこれまで頂いたご縁がなぜ自分なのか・・・その答えは未だ見つかりません。
おそらくご縁というものは、過去世までに積んできた功徳や修行が大きく関係しているのではないかと思います。
もちろん現世でこれまでしてきたことも重要でしょうが、現世の数十年間の人生よりも幾世もの過去世で行ってきたことの方が遥かに比重は高いのでしょう。

つまり、過去世で何らかの神仏とのご縁を持つこと(神事)を行って来ており、今世ではそれを忘れているものの、修行をきっかけにしてそれを思い出すということになるのでしょう。

その考えによれば、神仏とのご縁は今世の修行前に既にある程度出来ていると見ることができます。
私も大分前に数人のチャネラーさんに背後関係をみて頂いたことがありますが、その当時は聞いたこともない神様の名前が出てきました。
それから分かることは、人は意識していなくても神は既に見ているということです。

当サロンのヒーリング講座にお申し込みをされた方の多くは、今世、再び人として生まれ娑婆の世界で神仏をさほど思うことなく過ごしてきたが、幾多の艱難辛苦を味わうことによってまた神仏に目が向くようになった方々と思うのです。

人生が順風満帆の人はそれで満たされてしまいますので、ご神仏に心が向くことは余りありません。
ご神仏への信仰に目覚める人のほとんどは大変な苦労を経験しています。
その様な苦労を通じて神に導かれている
のでしょう。
皆、自分の意思で受講の申し込みをしたものと思っているのでしょうが、実はそれは神仏の図らい・お導きであることが往々にしてあると思われます。

このAさんは初回の受講日に私が講義を進めている際に「ああっ~!!」と突然大きな声を出しました。
「何だろう??」と思うと、Aさんは私の後ろの神棚に飾られている赤い衣装を着た女神を指して「あの神様です!!」と言うではありませんか。

聞けば、受講を申し込む数日前、家の仏壇に手を合わせている時にその赤い衣装を着た女神が現れて「時は来た」と告げたそうです。
その時Aさんは何のことやらわかりませんでしたが、こうしてうちのサロンで女神と再会しその時言われた意味が分かったのでした。
これもまた不思議な話です。


さて、ヒーリング講座のお申し込みを頂いて伝授の日までは期間が少しありますが、その期間に体調を損なう人が少なからずいます。
胃腸の調子が悪くなり嘔吐をする、下痢をする、湿疹等の皮膚病になる、原因不明の高熱が出る、感情的にネガティブになる・・・等々、風邪に似ている症状で、それぞれが結構苦しいものだったりします。
これまで風邪など全然引かなかった人でもこの様に急に体調が悪くなることがあります。
一見悪い現象の様ですが実はこれは神による浄化作用なのです。

私も過去ヒマラヤに行く前の1週間にこれでもかというくらい便が出たことがあります。
前回のインド修行の時も、バリ島の修行の時も浄化が起こり、気分が悪いため丸1日ぶっ倒れていました。
修行仲間でもインドに着くと急に体調を崩し、辛い状態になることが珍しくありません。
私の修行仲間はそれが浄化であることがわかりますので、「頑張って、頑張って」と励ますことしかできません。
数日それを乗り越えると気分が爽快になり、浄化が起こる前段階より断然元気になります。

私の師もインドで何度も死ぬか生きるかの浄化を経験しています。
行のレベルが高くなる程浄化も激しくなるのでしょうか、師がその浄化を経験している時に連鎖的に日本にいた私までも浄化が起こり、苦しくて死ぬのではないかと思った時期がありました。
霊性修行をしていますとこのように不思議なことが起こったりします。

人間と神では存在する世界が波動的に大きく異なります。
神仏との霊的結びつきを持つにあたり、心身が穢れた状態では深いご縁は結べません。
ご縁を結ぶ前にその人の不浄な部分を出し切ってもらい、それから神仏が霊的背後につくのです。

お申し込みを頂いた後、私が何か遠隔でしているものでも、何かのエネルギー的設定をしている訳でもありません。
私は何もしていないのです。
しかし、人によって色々な浄化が起こります。
当人はさぞ辛いのでしょうが、浄化はまさに神の恩寵でありギフトと言えるものでしょう。

浄化は不浄なものを強制的に排出しますので肉体的・精神的にきついものですが、人はそれを経過してより清浄になっていきます。
不浄なものとは、これまで心身に蓄積してきた老廃物やネガティブな感情のエネルギーであったり、またはその人が持つカルマ(因縁・メグリ)であったりします。
私たちは何もしなければそのようなものを常に抱えており、神から見たらとても汚れている生き物と言えます。
霊性修行においては、人それぞれ適当なタイミングで神による浄化が起こることが珍しくありません。

と、言っても伝授前に浄化が起こらなかったからといって落胆する必要もありません。
また浄化を必要以上に恐れる必要もありません。


「日月神示」にもこの様に書いてあります。



この道に入ると損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくあるなれど、それは大難を小難にし、またメグリが一時に出て来て、その借銭済ましをさせられているのぢゃ。借りたものは返さねばならん道理ぢゃ。損もよい、病気もよいぞと申してあろうが。(月光の巻・第四十四帖)







もし、浄化が起こったら薬はできるだけ飲まずしんどいかもしれませんがその時期が終わるのを待つのが良いでしょう。
薬は基本的に症状を抑えてしまうのでせっかくの浄化の働きを削いでしまいます。
(絶対に飲んではいけないということではありません。)


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浄化を乗り越えるということは新たな段階に進むということです。
幾多の浄化を乗り越え、私たちはより清浄になっていきます。
霊性修行者はあたかも物質世界という泥中に咲く蓮の花のようでもあります。
浄化とは神の恩寵であり、とても有難いことなのです。



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伊勢神宮内宮 宇治橋の鳥居からの日の出


日本魂とは①に続いて出口王仁三郎の言を紹介します。

 日本魂とは①


昭和20年山川日出子氏が拝聴した出口王仁三郎の言葉です。





出口王仁三郎
「日本魂とはどんなものか知ってるか?」

山川氏
「武士道と違うんですか?」

出口王仁三郎
「アホやなぁ。王仁は日本魂は外国人とも唐人とも一緒に手をつないで仲良くすることと王仁はそう習うたけどなぁ。」






出典:「新月の光」(木庭次守/八幡書店)




私がブログで度々戦争のことや大和魂について書くと、右翼的な思想家であるとか軍国主義者であるとか思う人もいるかもしれません。

前にも書きましたが、私は自分自身を右翼でも軍国主義者でもないと思っています。
日本人の失われた精神が今を生きる人に必要と思い、日本の史実について紹介させてもらっているのです。
自分自身に権力もある訳でもなく、誰かが読んで一人でも多くの人の意識が変わってくれたらと思っているだけです。
一隅を照らすことができればと細々とやっているのです。

さて、日本魂というと日本人の固有の精神の在り様という印象があります。
しかし、出口王仁三郎が言う様に日本人だけが優れているとかいう選民思想ではないのです。
日本魂は偏狭な民族主義ではありません。
また他国に対しや無闇に感情的になったり、敵意を持ったりするものとは違います。
対応すべきことは国際法に則って対応しなければなりませんが、むしろ超然として相手を包み込む大きさが日本魂でしょう。

日本魂は精神の在り様であるため、民族・人種を問わず世界に普遍的なものと思います。




2015_04_26


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※以前「スピリチュアル・ヒーラー養成塾」のコラムに書いた内容に少し解説を加えます。



昭和の大宗教家・出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)にかかった艮の金神(ウシトラノコンジン)(=国常立尊〔くにとこたちのみこと〕)が告げたもの。
真の日本魂(やまとだましい)はかくあるべしという身魂が震える神勅である。

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出口王仁三郎(出典:wikipedia




日本魂とは/出口王仁三郎「伊都能売神諭」より



日本魂と申すものは、天地の先祖の神の精神と合わした心であるぞよ。
至善至愛(ぜん)の大精神にして、何事にも心を配り行き届き、兇事に逢うとも大山の如く、ビクとも致さず、物質欲を断ちて精神は最も安静な心であるぞよ。
天を相手とし、凡人と争わず、天地万有山野海川を我の所有となし、春夏秋冬も昼も夜も暗も雨も風も雷も霜も雪も我が言霊の自由に為し得る魂であるぞよ。

如何なる災禍に逢うも艱苦を嘗めるも意に介せず、幸運に向かうも油断せず、生死一如にして昼夜の往来する如く、世事一切を惟神(かんながら)の大道に任せ、好みもなく恨みも為さず、義を重んじて心裏常に安静なる魂が日本魂であるぞよ。

常に心中長閑(のどか)にして、川水の流るる如く、末に至る程深くなりつつ自然に四海に達し、我意を起こさず、才智を頼らず、天の時に応じて神意に随って天下公共の為に活動し、万難を弛まず屈せず、無事にして善を行うを日本魂と申すぞよ。

奇魂(くしみたま)能く活動する時は大人の行い備わり、真の智者となり、物を以って物を見極め、自己に等からん事を欲せずして身魂共に平静なり。
小人なるものは自己を本として物を見、自己に等からん事を欲するが故に、常に心中静かならず、之を体主霊従(あく)の精神と申すぞよ。今の世の中一般の心は皆この心であるぞよ。

誠の日本魂のある人民は、其の意志(こころ)平素(つね)に内にのみ向い、自己(おのれ)の独り知る所を慎み、自己の力量才覚を人に知られん事を求めず、天地神明の道に従い交わり、神の代表となりて善言美辞を用い、光風霽月(せいげつ)の如き人格を具えて自然に世に光輝を放つ身魂であるぞよ。

心神常に空虚にして、一転の私心無ければ、常永(とこしえ)に胸中に祖国あり、何事も優れ勝りたる行動を好み、善者を喜びて友となし、劣り汚れたるを憐れみ且つ恵む、富貴を欲せず羨まず、貧賤を厭わず侮らず、只々天下の為に至善を尽くす事のみに焦心す、是の至心至情は日本魂の発動であるぞよ。

天下修斎の大神業に参加するとも、決して慌てず騒がず、身魂常に洋々として大海の如く、天の空(むな)しうして鳥の飛ぶに任すが如く、海の広くして魚の踊るに従うが如き不動の神を常に養う、是れが神政成就の神業に奉仕する身魂の行動でなければならぬのであるぞよ。

凡人の見て善事と為すにても神の法に照らして悪しき事は是れを為さず、凡人の見て悪しきと為す事にても神の誠の道に照らして善き事は勇みて之を遂行すべし。
天意に従い大業を為さんとするものは、一疋の虫と雖も妄り(みだり)に之を傷害せず、至仁至愛にして万有を保護し、世の乱に乗じて望を興さぬ至粋至純の精神を保つ、是れが誠の日本魂であるぞよ。




出典:「出口王仁三郎 三千世界大改造の真相」(中矢伸一)KKベストセラーズ




艮の金神(=国常立尊)が出口王仁三郎に懸かって述べた神勅で、すなわちこれが神の言葉です。

少々読みづらいところもありますので、大事と思われる点をわかりやすく解釈してみます。



 日本魂(やまとだましい)というものは、自己の肉体内だけで完結するものではなく祖霊や神とつながっているものである。

 善を尽くし愛に生きる大精神である。

 どんなことにも心を配り行き届く様にする。すなわち思いやりが深い。

 どのような災難にあっても大山のごとくビクともしない強い心である。

 物質欲がなく、心はいつも穏やかで落ち着いている。

 つまらない人と争ったり関わったりせず、常に天(神)を行動の尺度にしている。

 ついている時・幸せな時であっても浮かれたりせず穏やかな心を維持する。

 生きるも死ぬも同じこと、世の中の一切のことを神の御心に任せ切る。

 好き嫌いもせず、人を恨んだりせず、義を重んじ、常に心中はのどかで穏やかである。

 我を起こさず、自分の才智に溺れず、神の意思に従って天下公共のために働く。

 物の価値を見極め、また自分の身の丈に合ったものを望み、その結果心はいつも平静である。

 しかし、今の世の中はほとんどが自己中心的で身の丈以上の物を欲する体主霊従(あく)の精神状態である。

 自分の才覚を売り出して有名になろうとは思わない。しかし、神の御心に従う生き方・自然と調和する生き方をし、善き言葉・美しい言葉のみを用いて神の手足となって活動する内、名誉欲を出さずとも自然とその人格は光を放ち世にあまねく影響を与える様になる。

 心は無私の状態であるが常に愛国心を持っている。

 善き人と積極的に交友を持つ。しかし、劣っている人や恵まれない人にも慈悲の心で施しを与える。

 金銭欲もなく金持ちを羨むこともない。貧乏も嫌がらない。只々世界や日本を良くするために善いことをし尽くすことばかりを考えている。

 普通の人が良いことと思ってやっていることであっても、神の法の下に照らして再考して悪いと判断されるものはこれを実行しない。

 逆のこともしかりで、普通の人が悪いと思っていることであっても、神の法の下で考慮し自分が良いと判断することは果敢に実行する。

 天意(神の意思)に従って大きな事を成し遂げようとする人は、たとえ一匹の虫といえどもみだりに傷つけたり殺したりしない。優しさや愛に溢れすべてのものを包み込む。

 世の中が乱れている場合でもその混乱に乗じて野望を表すことのない純粋な心を持っている。





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富士山


今日は出口王仁三郎の「月鏡」(昭和5年発行)より「日本人目覚めよ」についてご紹介します。

出口王仁三郎は宗教大本を創始した人物の一人です。
日本宗教史上、とても重要な人物でありますが、すっかり忘れ去られ今では知る人ぞ知る状態になっています。
非常にスケールが大きい人物で、簡単には語り尽くせないものがあります。

大本という宗教団体を知っている人は多くはないと思いますが、現代の宗教の多くはその源流が大本であります。

「日月神示」を降ろした岡本天明も大本の元信者で、出口王仁三郎とは親しい間柄でした。


また合気道も大本と関係があります。
合気道を創始した植芝盛平は大本での武道修行によって神通力を得ました。
武道の分野でも合気道から分派した多くの武道団体があります。

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植芝盛平(出典:wikipedia)

それを考えると表には出ていなくても、大本と出口王仁三郎の影響は日本人の生活に脈々と浸透し続いているといえます。
(ちなみに私は大本の信者ではありません。)


さて、その「月鏡」の「日本人目覚めよ」にはこう書かれています。
(読みやすくするために一部現代の仮名遣いに直しています)




オイツケンがどう言った、マルクスがこう言ったのと、個々の人々の抱いた思想について、深くこれを究める事は専門家の仕事であって、すべての人間が専門家同様の研究を重ねんとするのは無理である。

普通の吾々等は、各学者の学説を通観しただけで常識的の頭を作らねばならぬ、少なくとも一瞥(いちべつ)しただけでその取捨選択を誤らないだけの常識を持っていなければならぬ。

政治の経過においても政治的歴史から見ても、大抵わかることで西洋諸国には古来幾回かの人種の大移動を繰り返して来た。
前の人種を後の人種が全滅する、優等人種が出てこれに代わり、転滅戦に次ぐに全滅戦をもって今日に至ったので、残虐の継続が今日を築き上げたものとみられる。
そして西洋思想は実にここから生まれている。


地上の草木を知ろうとするなら、まずもってその土地を充分に調べてみなくてはならぬ。
しかるに日本人にして、日本を知らないものがある。
日本に生まれ、日本に育ちながら、日本の歴史、日本人の習慣性等については全くこれを知ろうとさえ努めるもののなき現代である。

日本人の言葉といえば浅薄なもの、西洋人のいう事なれば、必ずそれが真理であるように、早呑み込みするようになってしまっては始末に困る次第である。

日本の刀剣についてさえドイツに聞かなければわからぬなどは沙汰の限りである。

特に今日の青い連中の読物はすべて西洋のもの、語る所もまた西洋のもので、日本は昨日まで未開野蛮国であったのだ、西洋のおかげで文明国になったのだと思っている。
しかもこれらの連中は自他ともに知識階級と称して怪しまない。
こんな事では日本の神国も前途はなはだ寒心の至りである。


まずこの迷信を打破することに努め、日本人には日本固有の真の文明を知悉(ちしつ)せしむる事が刻下の急務である。





出典 : 『月鏡』(出口王仁三郎)



この文章は昭和3年~5年の間に書かれたものですが、内容的には現代の方がより当てはまると思います。
80年以上経っている訳ですが、事態はもっと深刻になっていると感じます。

日本人でありながら日本を知らないというのは自分自身が何者であるかわからないということであると言っても過言ではありません。
それは民族のアイデンティティの喪失であり、国家の人口は多くても舵取りもなされていない流浪の民の集団です。

民衆を導くはずの政治家であっても日本について知らない人が多い様です。

日本語もろくに話せないのに幼年期から英語を習っている幼児が多いと聞きます。
日本語には日本人独自の脳、精神を開発する鍵となる言霊が含まれているため、その時期こそ日本語に触れさせる時間を増やすべきです。
確か故・船井幸雄さんも幼児期から英語を学ばない方が良いということをかつて言っていた記憶があります。

医療についてもしかり、西洋医学だけが正当な医療であると信じて疑わない人ばかりです。
確かに西洋医学にも良い点はたくさんあります。
しかし、人間を魂・気・肉体の混成として身体全体を診てきた東洋医学の叡智は西洋医学以上に深く、また価値があり、人類の健康に寄与するものと私は思います。

病院に行けば治らない人ばかりで溢れ返っています。
西洋医学は目覚ましい発展を遂げてきているのに、病人の数は年々増えています。
病気と闘うというのが西洋医学の思想であり、薬を飲んで症状を抑え込んでしまえばそれで治ったといいます・・・それは正しいのでしょうか?
病気は戦う対象ではなく、癒し浄化していくものと私は思います。

賢い人は既に気付いて行動しています。
多くの人が信じていること、考えていることがすなわち正しいことでも真実でもありません。
自分の頭で考えて、常識やマスコミにとらわれず踊らされず、自分に役立つ情報や知識を取捨選択することです。
自分の身は自分で守らねばなりません。


日本の歴史について学び、日本のこと、日本人のことを考えていくことは信条や価値観を形成する上でとても重要と思います。
ここが生き方のベースとなるのです。

気功のブログのつもりでしたが、なぜか脱線しっぱなしです。
学校教育の歴史の勉強というと用語や年号の暗記ばかりで無味単調なものでしたが、その様な学びとは違います。

また折に触れて書いていきますので、読んで頂ければ感じて頂けるものもあるかと思います。





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私はよくこの様なご相談を奥様から受けることがあります。

それは、奥様がご神仏やスピリチュアルなことに関心があり、自分自身が見えない力によって支えられていると考えているのに対し、ご主人はそのようなことにまったく関心がない、それで夫婦の価値観が合わないというお悩みです。
(男性がスピリチュアル的で、女性がそれに無関心という逆パターンはほとんど聞いたことがありません)

この点に価値観の相違があると、特に奥様は夫婦の関係性を維持していくのに苦労をします。

多くの男性は会社勤めをしており、仕事上での成果達成に日々四苦八苦しています。
スピリチュアルとは、精神世界ということであり、霊的・神的、気(エネルギー)的な思想とも言えると思うのですが、サラリーマンの様に仕事で目の前の成果に追われていると、スピリチュアルなことへ意識が向かなくなりがちです。
その結果、どうしても物質的な価値観にとらわれがちになるのも致し方ありません。
そして、目に見えるもの、聞こえるものだけを信じ、世界観が形成されています。
科学的なことですべては説明できると信じている人も実に多いです。

その一方で、経営者・事業家は意外と目に見えない力によって生かされている・支えられているという信条を持っていて、スピリチュアルなことに関心が高い人が多い様に思います。
うちの店には男性の社長さんもよくご来院になります。

多くの男性が目に見えるもの、科学的なもの、物質的なものによって信条・価値観、世界観が形成されている中で、その人達は神仏に祈るというのは心が弱い人がするものであるという考えをお持ちの方もいます。

果たして神仏への信仰を持つことは心が弱いのでしょうか?

確かに、神仏に対して色々な祈りを捧げることは親に依存している様な関係に似ているとも言えます。

「宝くじが当選します様に」とか
「素敵な彼氏が現れます様に」とか
「お金がもっと増えます様に」とか
「Q子ちゃんが彼氏と別れます様に」とか

まぁ、色々と、時には人様の不幸をお願いすることもあるのでしょう。

この様なお願い事は我欲に基づくものなので、高尚なお願い事とは言えません。
「日月神示」ではその様な考え方を、自己中心的として「われよし」と言います。




この意識レベルで神仏と関わり方は確かに依存的でありますので、心の弱さが表れていると考えても間違いではないと思います。


しかし、意識のレベルが高い人、修行が進んでいる人は自分の幸せよりも他人の幸せを祈ります。
または、世界平和や社会が安泰であることを祈ります。
さらに、その実現のために自分自身を神の御手として使ってくれる様祈るのです。


神の御手とは一体どのようなことでしょうか?

それは、自分自身を神の意思の反映として、困っている人や苦しんでいる人を助けること、または社会や国家の発展に使って貰うのです。
その代表的な人がマザーテレサです。




神の御手として自身を使って貰うためには、よく「神にサレンダー(降伏)する」と言う表現をします。

人間の価値観と神の価値観は大きく異なっています。
人間の価値観はエゴ(我欲)に基づいていることが多いのです。
人を助けるという目的を掲げながら名誉欲とか金銭欲の方が動機の前面に現れている人もいます。
それでは、神は納得しませんし、神の力を十分得ることはできません。

「神にサレンダーする」ということは、自分がしたくないことでもしなければならないという場面もあります。

例えば、歴史上神懸かりになった人は壮絶な苦労をしています。

天理教を創始した中山みきの場合、天理王命(てんりおうのみこと)が懸かり、中山みきのご主人に対して『みきを「神のやしろ」として貰い受ける、承諾すれば世の人々を救済する役目をさせるが、拒めば中山家を滅ぼすぞ』と言ったのです。
断腸の思いでご主人がそれを承諾すると、次は「家財・財産を近隣の貧民に惜しみなく与えよ」という指示を受け、中山家は極貧の暮らしをすることになりました。


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出口王仁三郎(出典:wikipedia

また、宗教大本の創始者の一人である、出口王仁三郎は神の指示で国家弾圧を受ける様に挑発的行動を続け、第一次・第二次大本事件と言われる大規模な宗教弾圧を招きました。
それはとても深い深い意味があったのですが、その結果出口王仁三郎はじめ幹部信者は治安維持法違反・不敬罪で連行された上拷問を受けることになりました。
起訴61人中、16人が死亡したというその苛酷な拷問では出口王仁三郎自身は耐え抜きましたが、息子の出口日出麿は拷問により廃人同然となりました。
後継者として大事にしていた息子が拷問で精神を破壊されてしまうのも出口王仁三郎は耐えなければならなかったのです。
それは想像を絶する試練と思います。

例としてこの2名を挙げましたが、この2名だけではありません。
イエス・キリストもしかり、また私の修行仲間もそれぞれ大変な経験をしています。

神の御手として衆生救済を行う生き方というのは大変なもので、心が弱い人間がなし得ることではありません。
自分がしたくないことを果敢にやっていかなければならないこともあるでしょう。
辛い修行を忍んでやっていかなければならないこともあるでしょう。
それは鉄の様な強い意思と神への完璧なる信仰心を持っていなければできないものです。

それでも、神への信仰を持ちますか?衆生救済をしていきますか?と神に試されているということなのです。




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今日は天皇・皇后両陛下が戦没者慰霊のためパラオをご訪問されています。
パラオはペリリュー島やアンガウル島などの大東亜戦争激戦地があり、多くの日本兵が玉砕し亡くなった地です。
戦後70年のこの年に天皇陛下がパラオに慰霊に行かれるのは、心打たれます。
陛下は心臓が悪く飛行機は身体への負担が大きいはずなのに・・・
天皇陛下の慰霊の旅から先の戦争を風化させてはならないという強いお気持ちが伝わってきます。

パラオはかつて日本の委任統治下にあり、パラオの国民はその時代をよき時代ととても懐かしんでいます。
パラオは世界一の親日国とも言われます。
また、とても美しい島嶼(とうしょ)から成り、マリンスポーツも盛んです。
私もいつか行ってみたいと思っています。

パラオ政府観光局 

「パラオはなぜ世界一の親日国なのか」(井上和彦)



画像を見ると、こんな天国の様な美しい地で、日米が熾烈な殺し合いをしていたのだなぁと、何とも言えない気持ちになります。
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以下は天皇陛下が羽田空港にて発たれる前に語ったお言葉です。




本年は戦後七十年に当たります。先の戦争では、太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ、数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のことが深く偲(しの)ばれます。

 私どもはこの節目の年に当たり、戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ、パラオ共和国を訪問いたします。

 パラオ共和国は、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国と共に、第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが、戦後、ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により、我が国の委任統治の下に置かれました。そしてパラオには南洋庁が置かれ、我が国から多くの人々が移住し、昭和十年頃には、島民の数より多い五万人を超える人々が、これらの島々に住むようになりました。

 終戦の前年には、これらの地域で激しい戦闘が行われ、幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで、この戦いにおいて日本軍は約一万人、米軍は約千七百人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います。

 この度のパラオ共和国訪問が、両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の、更なる発展に寄与することを念願しています。私どもは、この機会に、この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに、パラオの国の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に、慰霊碑や墓地の清掃、遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し、大統領閣下始めパラオ国民に、心から謝意を表したいと思っております。

 この訪問に際し、ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり、パラオ国大統領御夫妻と共に、ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。

 終わりに、この訪問の実現に向け、関係者の尽力を得たことに対し、深く感謝の意を表します。




陛下が慰霊にご訪問されることで、多くの人の意識が変わってほしいと思います。
また、未だ彷徨っている英霊達が成仏し早く安住の地に辿り着いてほしいと願います。

私は昨年から度々先の戦争に関係する記事を書いていますが、別に軍事オタクでも、偏狭な民族主義者でも軍国主義者でもありません。

平和を心より希求しており、それには過去の正しい歴史認識が絶対に必要と思っているからです。

こちらも是非ご一読下さい。

「ねずさんのひとりごと」
パラオとペリリュー島の戦いのお話 


※戦艦大和の続きの記事はまた後日書きます。



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出典 matome.naver.jp

2015年3月2日に戦艦武蔵がフィリピンのシブヤン海1000メートルの深海で沈没しているところをマイクロソフトの共同創業者であるポール・アレン氏によって発見されました。
戦艦武蔵は沈没地点を調査しても見つからず、完全に沈まない状態で海中を漂っているのではないかという噂までありました。
戦後70年々の時を経て発見され、元乗組員は「運命的なものを感じる」と語ったとのことです。

戦艦武蔵の同型艦が戦艦大和です。
戦艦大和は70年前の今日、1945年4月7日に沖縄、坊ノ岬沖海戦で沈没しました。

この記事を読まれる前に前回寄稿した「現代日本人へのメッセージ①『人、虎孔裡 (じん、ここうり) に墜つ』」を読んでみて下さい。
その方が、この記事に深みが出ることでしょう。

戦艦大和は日本が国家の威信をかけて建造した戦艦で当時世界最強と言われていました。
その名は現代に至るまで有名で歴史に疎い人でも戦艦大和の名前は知っていると思います。

日本がいかに大和に力を注いで来たかは建造費からも一目瞭然です。
大和の建造費は当時の国家予算の3%に相当しました。
たった1艦で国家予算の3%とは・・・それにかける意気込みたるや凄いものです。
建造期間は7年、延べ169万人もの人が動員されたまさに国家プロジェクトと言っても過言ではありません。

当時の仮想敵国はアメリカであり、物量共に日本を上回る軍事力を持っており、それに対し日本は攻撃力・防御力共に史上最強となる質で対抗しようと考えました。

大和の概要は次の通りです。

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(出典 wikipedia

・全長263メートル(東京ドームの直径244m)
・高さ54メートル(13階建てビル相当)
・速力27ノット(時速50km)
・出力15万3553馬力(ジェット旅客機は約10万馬力)
・基準排水量64000t(それまでに造られた超弩級戦艦でも4万tクラス、その1.5倍もあった)

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人が小さく見えます (出典 matomenaver.jp

戦艦大和の前方甲板に装備された46cm主砲は戦艦大和の象徴とも言えるものです。
46㎝主砲は当時史上最大の大型径砲で主砲塔の重量だけで2700tもあり、それだけで駆逐艦の基準排水量に匹敵する程のものでした。
その主砲から繰り出される砲弾46cm砲弾は普通乗用車一台分もの重さがありましたが、それでも主砲の射程距離は42kmにも及びました。(東京タワーから鎌倉に届く位の距離!)
30㎞先にある40cmの装甲を貫通させる程の圧倒的パワーを誇りました。
この主砲は現代に至るまで世界最大の艦戴砲です。

防御力についていえば喫水線部で41cmの装甲を備え、当時としては高度な対空防御も装備されていました。
まさに日本の英知を結集した空前絶後の戦艦だったのです。


その大和ですが、実戦では幾つかの戦場に派遣されましたが、建造された背景とは裏腹に華々しい活躍はありませんでした。
なぜなら、大和が完成した頃には海戦の方法が戦艦同士の艦隊決戦ではなく、空母と戦闘機による空中戦に変化していたためです。

日本は1941年12月のマレー沖海戦でイギリス東洋艦隊の不沈艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋艦レパルスを陸上攻撃機85機であっという間に撃沈し、イギリスに大きな衝撃を与えたことがありました。
プリンス・オブ・ウェールズは皇太子の名を冠した戦艦で、イギリスの威信をかけて建造した戦艦です。
当時世界最強と言われていたこの戦艦が日本の航空機の攻撃によって沈没したため、チャーチルにして「あの戦争においてあれ程の衝撃を受けたことがない」と言わしめたのです。
それまでは作戦行動中の戦艦を航空機で沈めることはできないというのが常識でしたが、それを日本が覆したのです。

皮肉にも日本が艦隊同士の海戦という手法にピリオドを打たせたのにも関わらず、日本は大和という巨大戦艦を使わざるを得なかった訳です。

その様な背景があったため大和は有効に使われることなく時は経過し、活躍しないで浮かんでいたため「大和ホテル」と揶揄(やゆ)されたりしました。

しかし、大東亜戦争の戦況は次第に悪化の一途を辿り、日本連合艦隊は海戦での敗北を重ねたため制海権・制空権はアメリカの手に渡ってゆきました。
そして1945年4月1日にアメリカ軍は沖縄に上陸して来ました。
本来アメリカは沖縄上陸を3月1日に予定していましたが、硫黄島の栗林兵団の頑強な抵抗によって計画は一ヶ月遅延となっていました。
硫黄島の激戦の様子はクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」に詳しいです。



本格的な沖縄侵攻を確認した日本連合艦隊は3月26日に天一号作戦を発動しました。
それは陸海軍全兵力を挙げての特攻であり、その魁としてこれまで前線に出ることがなかった大和にも遂に出撃命令が降りたのでした。

4月1日から6月22日まで82日間に渡って繰り広げられた沖縄戦はイギリス首相のチャーチルが「軍事史上最も苛烈な戦い」と言った程の大激戦でした。(当事者である現代の日本人は知らない)

その口火を切ったのが大和の出撃となった菊水作戦であり、大和をはじめとした第二艦隊第一遊撃部隊(戦艦1、軽巡1、駆逐艦8)は沖縄に突入して敵艦隊を撃滅し、そのまま沖縄本土に座礁、浮き砲台として日本陸戦部隊を支援するというものでした。

しかし、この当時、制海権だけではなく制空権もなく、更にこの作戦には艦隊を護衛する日本軍機は付けられませんでした。
沖縄に向かえば途中でアメリカの戦闘機による攻撃を受けてすぐに沈没してしまうことは火を見るより明白でした。
従って、この作戦は明らかに無謀で勝ち目は全くなかったのです。
これは事実上の戦艦による特攻でありました。

この作戦の司令長官は伊藤整一(最終階級は大将)で、作戦を下命された時に反対をしたと伝わっています。
しかし、最後には承諾し大和と運命を共にしました。

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伊藤整一 (出典 wikipedia

伊藤整一は遊興好きが多い当時の海軍軍人にしては珍しく愛妻家で、残される妻に次の様な遺書を残していました。

『親愛なるお前様に後事を託して何事の憂いなきは此の上もなき仕合せと衷心より感謝致候 いとしき最愛のちとせ殿』

伊藤整一司令長官の息子叡(あきら)中尉は父が逝った後沖縄への神風特別攻撃隊として零戦で沖縄の海に散華しています。
家族2人を沖縄の海で亡くした伊藤整一司令長官の奥様のご心痛はいか程であったことでしょう。

さて、特攻ということを知った乗組員の様子は「wikipedia」にはこの様に書かれています。
「命令受領後の4月5日15時に乗組員が甲板に集められ、『本作戦は特攻作戦である』と初めて伝えられた。しばらくの沈黙のあと彼らは動揺することなく、『よしやってやろう』『武蔵の仇を討とう』と逆に士気を高めたという。ただし、戦局の逼迫により、次の出撃が事実上の特攻作戦になることは誰もが出航前に熟知していた。4月6日午前2時、少尉候補生や傷病兵が退艦。夕刻に君が代斉唱と万歳三唱を行い、それぞれの故郷に帽子を振った。」

これまでの通常の航空機による特攻は出撃前に当然ながら分かっていますが、この時は乗った船の上で特攻、つまり帰ることはないと告げられた訳です。

しかし、乗組員の士気は盛んな状況で、3332名が沖縄の海へと出航しました。


日本の第二艦隊第一遊撃部隊に対するアメリカは新鋭空母12隻、艦戴機800機の圧倒的な戦力で迎え撃ちました。

大和は鹿児島の大隅半島の先を越えて東シナ海に入ってすぐ(4月7日11:07)にアメリカのレーダーに捉えられました。
アメリカは大和を沈めるということの意味と日本に与えるインパクトを理解していました。
そして、大和を完全に沈めるべく、簡単に日本本土に引き返せないところまでおびき出そうとしていました。
そのため、大和をレーダーで捕捉していて潜水艦からの攻撃も可能だったにも関わらず、軽傷で引き帰られてはかなわぬと攻撃を控えていたのです。

大和に襲い掛かったのは第一次・第二次攻撃合わせて328機の航空部隊でした。
その日は厚い雲に覆われており、その隙間を縫って出現するアメリカ航空機に対し対空砲火の照準を合わせるのは困難な状況でした。

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アメリカの爆撃により炎上する大和 (出典 wikipedia

アメリカの作戦は左舷に魚雷を集中させることで、魚雷を被弾し続けた大和の艦内には大量の海水が浸水しました。
大和はバランスを保つために右舷の注水区画へ海水を流入させ転覆を堪えました。
大和は耐えに耐えましたが一方的な展開でした。
多勢に無勢、大和は応戦むなしく11以上とも言われる爆弾と、20以上と言われる魚雷を受け遂に航行不能になりました。

午後2時10分頃、動けなくなった大和にアメリカの攻撃機は決定的となる魚雷を左舷に打ち込みました。
それが致命傷となり、やがて艦の傾斜が35度を越えました。
そして、総員退艦命令が出た直後、弾薬庫に誘爆が起こり巨大な火柱が昇りました。

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大爆発する大和 (出典 matomenaver.jp

大和はその爆発で艦が二つに分断され、沖縄の海に沈んでいったのでした。

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大和の爆煙 (出典 wikipedia

大和の乗組員は3332名、その内生還したのはわずか276名でした。
それが70年前の今日の出来事です。

次回は、なぜ大和が航空機の援護もなく沖縄に特攻していったのか、その意味について思うところを書きます。

最後に・・・国を守るために沖縄の海に散華した多くの英霊に謹んで感謝と、ご冥福をお祈りする次第です。



(参考文献)
「戦艦大和のしくみ」(新星出版社)




2015_04_07


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金曜日から毎月恒例の山での修行に入り今日帰ってきました。
真冬は厳寒の地も今は春の陽気で大分暖かくなっていました。
関東に戻ると却って雨で寒く感じたくらいです。

修行では、主に山中で護摩行・瞑想行を行い癒しのパワー(宇宙エネルギー)を強化します。
また、自己浄化と解毒・毒出しをし、肉体・オーラ(エネルギー場)のクリーンにします。
不浄なエネルギーや毒素を浄化すればする程、神気・癒しのエネルギーは大量に身体に入ってくるため大きく駆使できる様になります。

一ヶ月間、病気の方の気功施術を行うと相当に受け手の邪気を貰います。
毎日気功の施術が終わると瞑想をしてそれを浄化をしていますが、それでも浄化しきれないものが残ります。
毎月の山の行でこれを浄化しますが、自分の身体に入っている邪気を出していくのは大変に苦しい作業となることも多いです。

その意味でこの気功の施術という仕事は身代わり行的なところがあり、重い病の方を施術する程大変なものがあります。
対面での気功治療のみならず、遠隔気功でもそれは同じです。
時には具合が悪くなって動けなくなることもあり、こんな思いはしたくないといつも思います。
しかし、ご依頼があればやらなければなりませんので、立ち向かっていくしかありません。

以前に比べれば気功の力は大分上がっていると自覚していますが、気功の力を付ければ付ける程重篤なお客様が不思議と増えてきます。
なかなか楽に仕事をさせては貰えません。

この仕事は私のお役目と思ってやっていますが、更なる上のレベルの気功家・ヒーラーとなるためには修行でもまだまだ壁が幾つもあり、それを果敢に乗り超えていかなければなりません。


さて、今回は出口王仁三郎について少し話をしたいと思います。
戦前から戦後にかけて生きた出口王仁三郎は宗教大本を創始した人物の一人です。
出口王仁三郎は大変スケールの大きな人間で、語り尽くせない感があります。

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出口王仁三郎(出典:wikipedia


私は2000年前のイエスキリストに匹敵する人物であるとそれ位に思っていますが、大本は国に弾圧された立場であって出口王仁三郎は正当な評価を得られていません。
出口王仁三郎も自身を「私が死んで100年経たないと私の事はわからない」と言っていました。

出口王仁三郎は神によって動かされていた人物で、70~80年前に大本という宗教団体を作りました。
大本は多くの信者を獲得し、その勢力は国家として無視できない程に拡大していきました。
出口王仁三郎についてはいずれ詳しく書かなければと思うのですが、簡単にはまとめられず時間がかかるので今回はそれはしません。

大本は二度国家の弾圧を受けました。
第一次大本事件と第二次大本事件です。
第二次大本事件(1936年3月13日)では大本は完膚なきまでに叩き壊され、亀岡の神殿はダイナマイトで破壊され、信者も多く検挙され、拷問を受け多くの人が亡くなりました。

教祖の出口王仁三郎も治安維持法と不敬罪で逮捕され、激しい拷問を受けました。
その後の大阪控訴院で高野綱雄裁判長と「人、虎孔裡(こうり)に堕つ」禅問答をしています。

話は判事が予審調書をねつ造したと、出口王仁三郎が内容をその否定する部分です。

出口王仁三郎
「裁判長、私の方から一寸お訊ねしたいのです。禅宗の間答に『人、虎孔裡 (じんここうり) に墜つ』というて、一人の人間が虎の棲んでいる穴へ誤って落ち込んだと仮定して、その時落ち込んだ人はどうしたらよいのかという問答があります。裁判長、あなたはこれをどうお考えになりますか。」

裁判長
「私は法律家で宗教家ではないから、そんなことは分らぬ。お前は宗教家だから分かっているだろうが、それはどういうことかね。」

出口王仁三郎
「人間より虎の方の力が強いから、逃げようと後を見せると、直ぐ跳びかかって来て噛み殺される。歯向かって行ったら喰えて振られたらモウそれきりです。ジッとしていても、そのうち虎が腹が減って来ると喰い殺されてしまう。どっちにしても助からないのです。」

裁判長
「それはそうだろうな。」

出口王仁三郎
「ところが、一つだけ生きる途(みち)があります。それは何かというと、喰われてはだめだ、こちらから喰わしてやらねばなりません。喰われたら、後に何も残らんが、自分の方から喰わしてやれば後に愛と誇りとが残る。その愛と誇りを残すのが、宗教家としての生きる道だ、というのがこの問題の狙いなのです。」


それを聞いて裁判長は「う~ん」と唸ってしまったという記録が残されています。
ここでは、虎のことを大本を弾圧した国家に例え、虎の穴に落ちた人を自分自身と大本に例えているのです。

この話はまた別の話につながります。
近日中に寄稿しますので覚えておいて下さい。



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プロフィール

水野博友

Author:水野博友
気功家・ヒーラー・瞑想家
気功で人の病気や苦しみを癒すヒーラー

愛知県出身、早稲田大学商学部卒。
埼玉県さいたま市浦和区で気功治療院「外気功療法さいたま院」を開業、肉体の病~精神の病まで日夜 気功の施術を行っている。遠隔気功の実績も豊富。
満月時は日本の山に籠り密教修行を行う、また2011年より定期的にインド・ヒマラヤ、インドネシアに渡り様々な聖者の指導を受けて霊性修行に励んでいる。

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