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三峯神社 入口の三ツ鳥居


8月はとかく邪気の強いお客様が続き疲労気味になっていました。
中には強烈なブラックなエネルギーを持っている人もいて、気功の施術中以外の時もダメージを感じていることが多くなる位でした。

そして、最近ある巫女さんからメールが来たのですが、彼女は私の状況がわかっていた様で、それには「三峯神社に行って守ってもらいなさい」というアドバイスが書いてありました。
私は霊地で自分自身のことを祈ることはありませんので、その様なことで行って良いのだろうかとしばらく迷いましたが、状況がそうも言っていられなくなり平日にお客様を入れない日を設け、早朝から埼玉県の秩父山中にある三峯神社に向かいました。


三峯神社は以前も別の巫女さんからなぜかパンフレットを貰ったり、最近も周りの人からその話題を振られることが多かったり、自分自身のブログでも書いたりしていましたので、ご縁もあったのかもしれません。

そこに行くには秩父鉄道の三峰口駅から急行バスで50分かかります。
バスは空いているかなと思っていましたが、意外にも若い女性が多くバスは混在していました。

私は晴れ男で旅行でも行った先で雨に降られることはまずないのですが、この日は小雨でかろうじて傘をささずに済む位の悪天候でした。


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随身門 神社でない様な色使いです
明治時代に神仏分離があるまでは寺もあったからなのでしょう。



三峯神社のホームページには次のような由緒が書かれています。




当社の由緒は古く、景行天皇が、国を平和になさろうと、皇子日本武尊を東国に遣わされた折、尊は甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中当山に登られました。
尊は当地の山川が清く美しい様子をご覧になり、その昔伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)が我が国をお生みになられたことをおしのびになって、当山にお宮を造営し二神をお祀りになり、この国が永遠に平和であることを祈られました。これが当社の創まりであります。

 
その後、天皇は日本武尊が巡ぐられた東国を巡幸された時、上総国(千葉)で、当山が三山高く美しく連らなることをお聴き遊ばされて「三峯山」と名付けられ、お社には「三峯宮」の称号をたまわりました。
降って聖武天皇の時、国中に悪病が流行しました。天皇は諸国の神社に病気の平癒を祈られ、三峯宮には勅使として葛城連好久公が遺わされ「大明神」の神号を奉られました。

又、文武天皇の時、修験の祖役の小角(おづぬ)が伊豆から三峯山に往来して修行したと伝えられています。この頃から当山に修験道が始まったものと思われます。

天平17年(745)には、国司の奏上により月桂僧都が山主に任じらました。更に淳和天皇の時には、勅命により弘法大師が十一面観音の像を刻み、三峯宮の脇に本堂を建て、天下泰平・国家安穏を祈ってお宮の本地堂としました。
こうして徐々に佛教色を増し、神佛習合のお社となり、神前奉仕も僧侶によることが明治維新まで続きました。








ご祭神は日本の国土をお造りになった伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)です。
そして、なんと伊豆に島流しになっていた修験道の祖である役小角(えんのおづぬ)が三峯山に往来して修行をしたと書いてあります。
往来と行ってもこれ、徒歩や馬ではありません、飛来して来たという伝説が残っているのです。

そして、この伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)のご眷属がオオカミなのです。
続いてホームページにこう書かれています。





三峯神社は、日本武尊がこの国の平和と人々の幸せを祈り、国生みの神、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)をお祀りしたのが始まりです。お使い(神様の霊力を受け、神様と同じ働きをするとして仰がれる動物)はオオカミです。日本武尊の道案内をされ、その勇猛、忠実さから、当社の使い神に定められたと伝えます。
またオオカミとは、三峯山の不思議な霊気を言うと古書にも見え、大口真神(親しみを込めてお犬様、ご神犬、御眷属様とも呼ばれる)は、あらゆるものを祓い清め、さまざまな災いを除くと言われます。
古くからこの御眷属様を御神札として一年間拝借し、地域の、或いは一家のご守護を祈る事が行われています。これを御眷属拝借と呼び、火盗除、病気除、諸難除の霊験あらたかです。






最近のブログの記事で「神獣の力によって除霊する、身を守る」と書きました。

 神獣の力によって除霊する、身を守る

けれど、このオオカミも神獣=お使い(神様の霊力を受け、神様と同じ働きをするとして仰がれる動物)で、「火盗除、病気除、諸難除の霊験あらたか」であるということです。
そのため、三峯神社の至るところにオオカミの像が立っています。

こんなのを見つけました。

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オオカミTシャツです。
着れば災厄から守られるかもしれません。
売店のおばちゃんは「今年の夏はこれがたくさん出て売り切れちゃったよ・・・」とぼやいていました。
Tシャツ以外にもオオカミグッズがたくさん売っていました。


拝殿でオオカミ神の大口真神(御眷属様とも呼ばれる)のお守りが売っていました。
お犬守と書いてありますが、これはオオカミです。

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「お犬様のお札一疋(いっぴき)で50軒をお守りする力があります。」とあります。
身上安全、諸難除に良いと書いてあります。
これは700円で販売されていました。
ほしい方もいるかもしれないと思って若干数を買ってきてあります。
大口真神のご加護を頂きたい方には弊店にて700円でお譲りします。
お希望の方はどうぞお申し出ください。
(行ける人は本当は参拝した方が良いです。)


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こちらが拝殿です。
ご祈祷をしてもらえます。
ここで結婚式もしてもらえるとのことです。
でも、別れたら後が怖そうです(笑)。

また三峯神社の最もお勧めは隣接した宿泊施設にある立ち寄り湯を利用できるというところです。
温泉大好きな私としては是非行きたかったのですが、帰りのバスの都合で行けませんでした。
写真から伝わってくるエネルギーだけで一級品の温泉とわかります。


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拝殿横のご神木です。
皆に抱きつかれていて大変そうだなぁと眺めていました。
でも、ご神木は疲れないので凄いものだと思います。
ご神木に抱きつく人はちゃんと感謝しないとダメです。

今日の記事はここまでにします。
これから奥の宮に向かいますがそれは次回の記事で。
本番はこれからというところです。



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2015_08_30


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皆さん、こんにちは。

すっかりご無沙汰をしていましたが、TrinityWeb にて記事がアップされました。
今回の記事は、

「気功治療家(スピリチュアル・ヒーラー)の仕事とは ~気功治療と邪気~」

です。

邪気の種類を軽く説明したり、気(エネルギー)がたくさん降りてくる人のタイプを分析したりしています。



記事冒頭で、私は人ごみが苦手で嫌いなのでそのことを書いているのですが、昨日の朝、信号を渡る多くの人を眺めていたら、何か愛おしく美しく見え、

「なんかこんなの初めてだなぁ」

と、ジ~ンとなっていました。

かつて、相田みつをさんの作品に、

「うつくしいものを美しいと思えるあなたの心がうつくしい」

と、いうのがありましたが少しは自分の心も美しくなったのでしょうか…

リンク先はこちらです。

「気功治療家(スピリチュアル・ヒーラー)の仕事とは ~気功治療と邪気~」

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2015_08_26


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ヒーリングスティック療法で黒ずみ(邪気)が浮き出た様子


世の中には出せば入るという法則があります。
出さなければ入ってこないということを幾つかの例を挙げてお話してみます。

まず気(エネルギー)についてです。
これは以前スピリチュアル・ヒーラー養成塾のインドネシア修行記で書いたことですが、かつてインドネシアのバリ島の山奥の小さな寺院で修行をしたことがありました。
そこではまず体内のブラックをとる行から始めます。

バリ島の聖者はよくブラックという言い方をします。
ブラックとは私がよく言う邪気であり、それには人のネガティブな思念や霊なども含まれます。
そこの寺院で行う荒行は体内の邪気をいわば強引にとるものです。
100歳を超える老聖者がいるその寺院では、術者に身体を触れられると自身の体内にブラックが潜んでいる場合は痛みを感じます。
そのブラックが強ければ強い程痛みを感じる度合いも強くなります。

私が体験したときも相当強いブラックがいたのでしょうか・・・術者に身体を圧されると激烈な痛みを身体に感じたのです。
その激烈ぶりに、やられた瞬間「ちょっと待て・・・ヤバイ!!」という痛みの強さでした。

余りの痛さに叫び声をあげるしかなく、私の声は寺院の外まで響いていたと思います。
そして、気を失う寸前まで行き、顔面が蒼白になったところで私の師匠がタオルを投げてくれて、その行は中断となりました。

それでも大分ブラックが出たのでしょう・・・その後の行から私自身に流れる気(エネルギー)の強さ・ボリュームはかなり上がっていたのです。
身体、特に腹にブラック(邪気)が潜んでいると、正気(神気)はなかなか入ってきません。
そのブラックがある限り、いくら行を重ねてもそれ以上神気を取り入れることはできないのです。

この例からも分かる様に、身体のブラックという不浄なエネルギーを出してこそ、神聖なエネルギーが一層入って来る様になったのです。



ヒーリングスティック銅製


これと同じ原理の施術(ヒーリング)が当院で行っているヒーリングスティック療法です。
ヒーリングスティック療法とは、密教的な技法によって神気を入魂した特殊な金属製の棒で皮膚を擦り邪気を掻き出す療法です。
病気の根本原因は邪気であるという考えに立ち気功の施術をしていますが、邪気を出してしまえば気の流れが正常になり、それに伴って血流やリンパの流れも復活します。

ヒーリングスティック療法は私が経験したバリ島の行ほどではないにしても、人によっては相当強い痛みを感じることがあります。
普通は痛みがある施術など人は嫌がるでしょう。
どこの施術院・気功院も「うちは無痛療法です」などと謳っています。
とんでもない痛みがある療法ですと謳っている施術院・気功院はめったにないでしょう。

しかし、ヒーリングスティック療法では邪気(=ブラック)を掻き出すことで、良い気の流れが戻り症状が改善されていくのです。
人によっては無茶苦茶痛いのにも関わらず、この痛みは悪いものが出て行っているのだと受けた人は皆感じるようで、自分から次の予約を入れてお帰りになります。

痛みの反応だけではなく、その他肉体的にも打撲した痣(あざ)の様な痕(あと)が浮き出てくる、血を吐く、下の穴から血が出てくる、下痢をする、臭いニオイが出るなど多様な反応があります。

写真 23
ヒーリングスティック療法で痣(あざ)の様な痕が内腿に出た様子(強く圧して擦ったものではありません)


それらは好転反応と考えられるもので、人は病気が良くなる過程で、不浄なもの、老廃物を体外に出そうと様々な反応を表します。
咳、汗、涙、めやに、鼻水、嘔吐、ゲップ、下痢、おならなどもそうです。

現代の西洋医学ではそれらを症状と捉え、それらを薬物で抑圧しようとします。
大半の人は薬を飲んで症状がなくなれば治ったと考えますが、人の身体のことがよく分かっている治療家や気功家はそうは思わず、せっかく身体が悪いものを出して良くなろうとしている機会を逸してしまったと考えます。

薬物で症状を抑圧することは、出さなければならなかったものをそのまま身体の中に抱え込んでしまうことになるので近い将来それとまた別の症状という形で向き合わなければならなくなると思います。

私自身めったなことでは薬を使用しませんが、それはこの様な理由からです。
薬を飲んでいると本当に治ったのかどうか自分自身でわからなくなってしまいます。

不浄なもの、老廃物、邪気を出し切る経過を辿ると、症状が無くなった時病気になる前以上に爽快で元気な身体を取り戻すことができるのです。





ヒーリングスティックをお求めの方は下記よりお求めください。

 「気功治療家が勧める本物パワーアイテム」 ヒーリングスティック


ヒーリングスティック療法を受けて見たい方は「外気功療法さいたま院」のホームページよりご予約ください。

   外気功療法さいたま院 ヒーリングスティック療法



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2015_08_23


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皆さん、こんにちは。

今年もお盆の期間が終わりました。
お盆休みを数日もらって心身をリフレッシュされた方も多いのではないでしょうか?


私は例年1日だけ休業日を頂き、実家の名古屋に帰り墓参りをする様にしています。
しかし、今年はなぜか行く気がせず、15日(土)の夜 仕事を終えてから家内の実家である長野県佐久市へ行きました。

佐久市は軽井沢の隣、標高は軽井沢より低いですが、風光明媚で夏は涼しく私はいつも地上の楽園ではないかと思うのです。


16日(日)は陽気もよく、息子と近くに散歩に行くことにしました。
近くには洞源湖という沼があり、昔からよく散歩に行くコースです。

息子に誘われ洞源湖までのんびり歩いていきました。
車も歩行者もなく、古びたバス停を見ては「1日2本しかバスが来ないんだね。」と言ったりしていました。
いつもは洞源湖の辺りでUターンして帰るところですが、洞源湖の前にお寺があり息子がそこに行きたいと言い始めました。

「え~、行くのかぁ」

と、言いながらまぁいいかと思い、息子について行ったのでした。

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そのお寺は貞祥寺という曹洞宗の寺院でした。
余り人気もない感じです。
2人で中に入っていくと、石の階段を登り切ったところに山門や伽藍があり、また地面一面が苔に覆われていてとても風情がありました。

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敷地の奥には三重塔もありました。
蝉しぐれや鳥の鳴き声だけがする静寂な寺院で、「ここで修行をできたらさぞ幸せだろうなぁ。」と思ったものです。



一通り見て回ったかなと思った時に、ちょっと上の方に行っていない一画があることに気付きました。
遠くからはよく見えませんでしたが、「なんだろう?あれは?」と近づいていくと、

「まさかぁ!!」

と、愕然としました。



何とそこには回天の慰霊碑があったのです。

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回天・・・今では知らない人の方が多いかもしれません。

回天とは大東亜戦争末期に開発された特攻兵器です。
特攻というと、飛行機での特攻を思い浮かべることでしょうが、回天は別名・人間魚雷と言われるもので、魚雷だか小型潜水艦だかわからない形態で、先端に爆薬を搭載してあり、兵士が操縦し敵艦に体当たりするものです。

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この回天は貞祥寺のものではありません (出典 : 回天


その兵器の形状は、魚雷を前後に切り離しその間に操縦する装置を付けたものと想像すると近いでしょう。
全長は14.75m、重量8.3t、直径はわずか1m、中に入ったら身動きができない狭さです。
最高速力は30ノット(時速56㎞)、結構早いでしょうか。
積載爆薬重量は1.55tで、通常の魚雷の3倍程度、巨大戦艦も一撃で撃沈させる力がありました。
耐圧深度は80m。これは余り深く潜れないということです。

考えるだけで酷い兵器ですが、その当時太平洋での戦局は悪化の一途を辿っており、このままではまずいと、起死回生の兵器を開発したのです。

回天慰霊碑の横の碑文にはこの様に書いてありました。
(読みづらいところもあり一部間違いもあるかもしれません)

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昭和十九年太平洋戦争年を重ねて苛烈となり、戦勢ようやく我に利あらざる時 憂国の至情に燃えし黒木博司少佐、仁科関夫少佐は第一特別基地隊に在りて前代未聞必死必殺の水中特攻兵器人間魚雷を完成もって劣勢の挽回を計らんと、「回天」と命名 徳山湾大津島に基地を定め日夜一人一艦必殺の戦法 操縦訓練に励む。
黒木少佐は訓練に殉死したるも同年十一月回天特別攻撃隊菊水隊の先陣に立ちし仁科少佐以下敵前進基地ウルシー・パラオ・コッスル水道・ホーランジア・グアム・アプラ港に また硫黄島 沖縄付近海域 中西部太平洋上に大津島 光 平生大神の各基地より出撃し敵艦に体当たり攻撃を敢行せり。
戦遂に利あらず昭和二十年八月兵を収むるまで戦没並びに殉職搭乗員の英霊百五十余柱 帰らざる潜水艦七隻その乗員八百十余柱を数う散華せし勇魂を仰慕し回天の偉業を後世に伝えんと創始者仁科少佐の出身佐久に永遠の世界平和を念じつつ長野県出身戦没並びに殉職搭乗員仁科関夫少佐 北村十二郎少尉 中島健太郎大尉 宮澤一信中尉の霊安からんことを祈念し戦友相寄り「回天之碑」これを建つ。






なんと佐久は回天の共同発案者である仁科少佐の出身地だったのです。
黒木少佐と仁科少佐は幾度も人間魚雷兵器の実現を提案しましたが、脱出装置もない必死の兵器開発を上層部は了解することはありませんでした。
しかし、両名はついに血書嘆願しこれを認めさせるに至り、回天が実現することになったのです。


この回天の最大の問題は操縦が困難を極めたということです。
潜水艦であるにも関わらずソナーもありませんので、要は目隠しされて暗闇の中を突っ走る様なものです。
操縦は各ゲージと海図縦舵機の針を頼りに行います。
つまり海図を見ながら計算しつつ操縦するのです。
通信機能はなく、一度切り離されると連絡手段はなくなりました。
一旦出撃すると、回天を降りることはできずまさに鉄の棺桶の様相を呈していました。

敵艦に近づいているのかとわからなくなれば、水面に浮上し潜望鏡を上げ周囲を確認します。
しかし、初めて行く海域で方位の確認、目標の探査は困難を極めたと思われます。
ましてや日暮れになれば何も見えません。
海面に近づけば、敵に発見される危険性も上がります。
うまく敵艦に突っ込めれば成果も大きかったでしょうが、目標を見つけられず無念のまま海中に没した搭乗員も多かったのではないでしょうか。

開発者の一人黒木博司少佐は、大津島で訓練中に海底に突っ込んでしまう事故に会い命を落とされました。
救助には時間を要し、10時間後に引き上げた時には黒木少佐は窒息死していました。
酸素が枯渇し暑さと苦しみで薄れゆく意識の中、黒木少佐が泰然と残した遺書は今も残されています。

もう一人の開発者である仁科少佐もウルシー停泊中の敵艦の攻撃に参加しました。
七生報国の鉢巻きを巻いて決死の覚悟の出撃でした。
七生報国とは、「七度人と生まれて、逆賊を滅ぼし、国に報いん」との意味で、1336年楠木正成が足利尊氏に敗れ死ぬ間際に誓った言葉であります。

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回天の攻撃を受けた米油漕艦「ミシシネワ」(出典 : wikipedia

仁科少佐は米油漕艦「ミシシネワ」へ特攻し戦死されたと言われています。
「ミシシネワ」は当時の最新鋭大型タンカーで、アメリカ側の戦死者は63名ということです。
黒木少佐は22歳、仁科少佐は21歳と、お二人とも人生これからという若さで散華したのでした。
回天による戦没者は145人で、平均年齢21歳という若さです。
戦後の日本は多くの若者たちの命を礎にして成っていることを忘れてはならないと思います。

回天について詳しいことは、佐藤秀峰さんの漫画「特攻の島」がお勧めです。
私も7巻まで買って読みました。
若者たちは親や家族、恋人、国を守るため死を恐れてはいませんでした。
しかし、犬死ではなく自分の命を懸けるだけの大義がほしいと苦悩する様子がリアルに描かれています。




その日、回天の慰霊碑の前でお祈りをしていると、身体が重くなってきました。

「あっ、誰か来たな」と思い、「戦後70年が経つが未だ成仏していない魂があるのだ」と切ない気持ちになりました。
多分、お盆で帰って来た魂ではないと感じました。

私は自分の身体に霊が掛かると重苦しくなってきます。
霊の苦しさが伝わってくることもよくあります。
私の場合は霊障について割と自覚していると思いますが、一般の方は霊障がわからないため体調不良や自律神経の問題と認識しがちです。

しばらくの間苦しい中でお祈りを続けました。
どれくらいの時間が経ったでしょうか、ふと


「平和な日本を実現してください。」


というメッセージが伝わってきたかと思うと、急に身体が軽くなりました。
おそらく、その時に上がってくれたのだと思います。


お盆の最終日・送り火をする日(終戦記念日の翌日でもある)にここに来たのは偶然ではないと私は思いました。
いつもは名古屋に行くのに、戦後70年の節目の年にここに来たのです。
今まで幾度も歩いた散歩道でありながら、立ち寄ったことのなかったこの慰霊碑に来たのは息子の誘いということもありますが、その背後で英霊のお誘いがあったのでしょう。

私の祈りが英霊たちの救いになっていればと思わずにはいられません。

日本だけではなく、世界の平和のための礎になってくれた英霊たちに心から感謝の意を捧げたいと思います。



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2015_08_18


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今日は8月15日、終戦記念日です。

アパホテルで有名なアパグループにはアパ日本再興財団があります。
アパ日本再興財団は「真の近代史観」懸賞論文として賞金総額500万円相当のコンテストを主催しています。
審査委員長は碩学の渡部昇一氏(上智大学名誉教授)で、確かな審査が行われているものと思います。
この栄えある第1回最優秀藤誠志賞を受賞したのが自衛隊第29代航空幕僚長だった田母神俊雄氏です。
田母神俊雄氏は論文が政府の見解と異なるという理由で要職を解かれ話題となりました。

2011年第4回の社会人部門で優秀賞を受賞したのが、発明家ドクター中松こと中松義郎博士です。
中松義郎博士は度々東京都知事に立候補したので、ご存じの方も多いと思います。

drnakamats.jpg
中松義郎博士(出典 : 中松義郎博士プロフィール

国内では、変わった発明をするオジサンという印象を持たれていますが、この人程国内外の評価が分かれている人はいないのではないかと思います。

氏のプロフィールを見ると、この様に書かれています。




 Igノーベル賞受賞(ノーベル省受賞者が選ぶノーベル賞)ハーバード大学とMITで受賞講義
 国際創造学者 東京大学卒業後 工学・法学・医学・科学・人文学博士
米国科学学会で「世界一の偉大な科学者」に選定される
 米国国会表彰受賞
 国連アースデー日本代表
 ブッシュ大統領招待晩餐会において米国発明最高賞「発明先駆者賞」受賞
 教授、上級教授として各大学で講義
ペンシルバニア大学ウォルトンスクール、コロンビア大学スタンフォード大学、セントルイス大学、ワシントン大学、シカゴ医科大学、南カリフォルニア大学、アリゾナ大学、ドレクセル大学、サンディエゴ大学、サンノゼ大学、フィラデルフィア大学、メキシコ・セディス大学、ニューオルリンズ大学、カーネギーメロン大学、ピッツバーグ大学、アナハイム大学、シラキュース大学、東京大学
 5歳で最初の発明をし灯油ポンプ(14歳)、フロッピーディスク(19歳)、カラオケ、ファクシミリ、カテーテル、無線消化器体内検査装置、人工心臓、燃料電池で発明件数3367件以上でエジソンの1093件を抜き世界第1位
 IBM社に16の特許をライセンスしている世界唯一の個人
 アトランタ「国際著名人名誉殿堂」殿堂入り第一号
 ロサンゼルス「発明ライフタイムアチーブメント賞」受賞
 ナレッジリーダー賞を日本人として初の受賞
 アメリカ・ヨーロッパ・ロシア・アジアで国際発明最高賞V45受賞、ブッシュ大統領親書、アメリカ大統領賞、米国発明議会最高賞、発明最高賞、米シラキュース市長より偉業認定書、米ニューヨーク市長より偉業認定書、香港生産性本部表彰、オルタネーティブ医学会からライフタイムアチーブメント賞、アルキメデス大賞(ロシア)、ロシア科学最高勲章、EAST-WEST EURO INTELLEグランプリ受賞(ブルガリア)、ノルウェー発明グランプリ受賞 アメリカ・マン・オブ・ザ・イヤー、マン・オブ・ザ・センチュリー受賞、日本科学技術庁長官賞受賞、元日本ペンクラブ国際委員
 米国政府シェリフに任命・アナハイム大学副学長・教授・ロシア国際裁判官に任命
 スウェーデン発明議会名誉議長
 アルフレッド・ノーベルカールスコーガー市大使
 ドクター中松創研創業社長
 第1回中国国際EXPO基調講演及び最高来賓ロシア工業所有者VIPとして招聘さる
米国各市州の名誉市民:アリゾナ・ピーマ、トゥーソン市、ニューオルリンズ市、セントルイス市、ピッツバーグ市、ラ・ミラダ市、フィラデルフィア市、メキシコ・ティワナ市、メキシコ・エンセナタ市、サンディエゴ市、モンロービル市、メリーランド州
米国各市州が法律で「ドクター中松記念日」を制定:デンバー市郡 3/25 トゥーソン市 4/13 シアトル市 4/21 ピッツバーグ市 4/26 ニューオルリンズ市 5/3 ミズーリ州 5/5 セントルイス市 5/5 ロサンゼルス市 6/26 サンディエゴ市 9/8 メリーランド州 11/13 ニューヨーク州 11/26 コロラド州マニトゥスプリング市 5/10
 アメリカ、ブルガリア、オーストラリア、マレーシア、台湾、香港で合弁会社設立し会長
 アメリカNHBA上級理事
 ハリウッド映画協会理事
 全米ネットTV「ライフスタイル・オブ・リッチ・アンド・フェイマス」「デイビットレターマン」で日本のナンバーワンとして紹介ABC、NBC,CNN、BBCTV「フランク・スキナーショー」デンマークTVオランダTV他多数出演
 アメリカ大リーグ・パイレーツの始球式を大統領に代わり行う
ニューズウィーク誌の「世界12傑」に日本から唯一選ばれ、その価値1時間1万ドルと評価
 ドキュメンタリー映画「The Invention of Dr.NakaMats」デンマーク人監督(世界各国公開予定)





アメリカの幾つかの市で「ドクター中松記念日」を制定している、ニューズウィーク誌が選んだ講演料の高い人物12人に選ばれている、発明件数がエジソンを抜いて世界第1・・・と凄すぎる経歴が並んでいます。

東京帝国大学から帝国海軍機関学校に進んでいる超エリートであります。


中松義郎博士が書いた論文は、日本は負けていない~超経験者しか知らない史実~です。
私は日本が戦争で負けたものと思っていましたが、これを拝読しこの様な見方もあるのかと史観が180度転換しました。






【日本は負けていない】~超経験者しか知らない史実~
出典 : アパグループ第4回「真の近現代史観」懸賞論文受賞者発表



昭和20年8月15日正午、その日は天文台によると33度で特に暑かった。

突然「第二種軍装(夏用麻製仕立)の正装にて至急整列すべし」との館内モールス信号で校庭に集合し、直立不動で汗を流しながら待つ我々帝国海軍機関学校最後の海機58期生(昭和20年に海軍兵学校と合併)は、最後の帝国海軍将校生徒として整列し、ラジオから流れる玉音放送を聞いた。

海軍機関学校の入学試験の体格検査で75センチだった胸囲が、入校後の猛訓練と猛鍛錬で僅か3ケ月で104センチになった巨大な胸が歴史上初めての玉音放送に大きく高鳴った。

しかしラジオの雑音が多く、よく聞き取れない。
「本土決戦が近いので頑張るようにとの天皇陛下御自らの激励のお言葉」と全員が受け取った。

当時の日本人は全国民が「歴史上敗れたことがない神国日本は最後には必ず勝つ」と信じており、全国民誰一人として日本が負けるなどと考える者はいなかった。特に軍は全軍士気旺盛だった。

現に私のいた舞鶴軍港は二十四時間軍艦を造るリベット音が絶えず、食糧、武器、弾薬が豊富で、いつでも敵を迎え撃つ準備が連日連夜進められていた。

原爆研究については陸軍が東京帝大の仁科博士と理研に開発を依頼した「二号研究」(海軍は京都帝大と「F研究」)として行い、濃縮ウランは海軍が潜水艦でドイツから運ぶ手配がされ、出来た原爆の第一弾をハワイに落とす作戦を杉山参謀総長は陛下に上奏したが、陛下は「原爆という非道なものは使うべきでない。 特にハワイには日本人が多いので却下する。」となり杉山参謀総長は解任され、東條首相が参謀総長を兼務することになった経過がある。

この様に非人道的爆弾と陛下が認識されていたものを日本に落とされたのだから、陛下の衝撃は大きく終戦する一つのきっかけになったと思われる。

しかし杉山参謀総長は、原爆開発を継続したのだ。
軍人は戦争に勝つために打てる手を全て打とうとする。

しかしそれは陛下の御意向に反しているので、原爆を造って勝っても、原爆を造らずに敵に原爆を使われて負けても、いずれの場合にも杉山参謀総長の責任なので切腹すると誓い終戦直後に切腹した。
元来日本は武士道を基に戦争を行ってきたのである。

陛下は米の原爆に対し非道だと禁じた原爆で応じたのなら「人類の文明が滅亡する」と終戦を御聖断された。

米が原爆を落とせば日本もこれに応じて米に原爆を落とす。
このことによって日米の多数の人が死に、この原爆戦争が世界に及び世界中の人が死ぬ。

これを防ぐために米が日本に原爆を落とした時点で終戦にされたのであって、日本が原爆を落とされたから、または負けたので終戦にしたのではない。
日本は負けていないのに終戦したのである。


これを文章にしたのが終戦の詔勅、
~~~~~~~
敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ
頻ニ無辜ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所
眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ
尚 交戦ヲ継続セムカ
終二我力民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス
延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯ノ如クムハ
朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ
皇祖皇宗ノ神霊二謝セムヤ
~~~~~~~
であって、終戦の理由は負けたからではない、という意味である事を読み取ってほしい。

翌日の八月十六日には、帝国海軍航空隊による米本土突撃大作戦が予定されており、その猛訓練が行われていたことを陛下はご存知なかっただろう。

この作戦が実行されていればドゥーリトルの東京空襲によりミッドウエイ海戦の日が繰り上がったのと同じに米軍は、十月予定の本土決戦を急濾九月に繰り上げた結果、天候の条件も加わり日本が勝利する展開になったのではないか。

いつどこに敵が上陸するか、日本陸軍参謀本部と海軍軍令部の想定は、時期は九月又は十月、上陸地点は九州南部(「陸軍作戦名「決号・第6号」海軍作戦名「天号」。さらに翌年関東の九十九里浜に上陸)。

この日本軍側推定は米軍上陸作戦計画(米軍名「オリンピック作戦」(九州)「コロネット作戦」(関東)の「ダウンフォール作戦」)とピッタリ一致して日本は見事米軍の動きを見透していた。

陛下は侍従武官を九十九里浜に遣わして防衛体制を調べさせたが、侍従が「防衛は全くされていません。」との報告をお聞きになったことが終戦を決断された一因と伝えられる。

この時九十九里浜で訓練していた三千人の「伏龍」隊は、シールドにかくれていて侍従武官に見えなかっただろうし、又、米軍は九州を先に攻めると想定されたので、日本軍の陣立は九州南部を先に固め、そのあと九十九里を固めようとしたのであるので、陛下に上奏された終戦を決定する情報の一部に重大な誤りがあったのは残念だ。

これは開戦時の宣戦布告をワシントン大使館の怠慢により米国務長官への提出が遅れ、日本の騙し討ちという口実を与えてしまったことと同じ位に大きなミスだ。

本土決戦の火蓋がきって落とされた後をシュミレーションする。

先ず米軍は上陸地点の南九州に原爆を落とすだろう。
しかし陸軍参謀本部堀少佐率いる特殊情報部が原爆コールサインを五時間前に傍受していたので、近くの海軍大村基地の紫電改が発進し、B29を太平洋上で撃墜。

ついで艦砲射撃するため日本に近づいた米軍の日本本土上陸作戦に対する日本軍の準備は、完成した三千機の特攻専用機「劍」が、上陸しようと集まった敵艦艇に突っ込み、多くの敵艦を撃沈撃破し、水中からは千隻の特殊潜航艦「蛟竜」(海軍兵学校校歌「江田島健児の歌」の「地に潜む「蛟竜」からとった名」から泡の航跡が全く残らない日本海軍の世界に先駆けた発明九三式酸素魚雷が発射されて、敵艦艇は次々に轟沈する。

この猛攻撃からしぶとく残った敵艦に対し、岩陰に隠れていた海軍兵学校六十九期満野功大尉率いる第六十七震洋隊江ノ浦(静岡三津浜)など三千隻の「震洋」爆突特攻艇が轟々と暁に発進し、残る敵艦や上陸用舟艇に勇猛果敢に体当たり。それでも残る敵艦艇からかろうじて発進した敵の上陸用舟艇に対しては波打ち際の水中に展開する五式撃雷を待って潜む予科練出身者や海軍陸戦隊古兵の精鋭から成る三千人の「伏龍」隊が上陸用舟艇を爆沈させて波打際に寄付けないようにする。

それでもかろうじて上陸した敵兵を、五重の陣地で固めた世界最強の本土決戦部隊が米戦車より強力な新開発五式重戦車と共に待ち構える。

敵戦車に対しては最新鋭の「ロタ砲」で、敵戦車M2を遠方から撃破し、更に敵が近づくと「櫻弾」で厚い装甲を撃ち破り、もっと近づくと決死隊がチビ(ガラス球に人った青酸がス)を戦車のスリット窓にぶつけて操縦者の目潰しをし、次にキャタピラ破壊扁平爆弾を敵戦車のキャタピラの下に挿入してキャタピラを破壊し、敵戦車を動けなくし、止まった戦車本体の下に戦車爆雷を挺身突撃隊が放り込んで擱座させる。

一方、上空の敵機には大東亜戦争決戦機として開発された世界最強(戦後アメリカの実験で時速最大六九〇kmを記録し最高傑作機と評価された。)の中島飛行機製二千馬力四式戦闘機「疾風」や、ゼロ戦の次世代戦闘機堀越二郎設計の三菱製「烈風」が敵グラマンF6F、ノースアメリカンP51を次々と撃ち落す。

更にB29キラーとして海軍空技廠設計九州飛行機先尾翼型機首と強力三十ミリ機関砲四門搭載の「震電」が時速七百粁以上という、米軍戦闘機、B29より早い世界最速スピードで敵戦闘機に追い付き、敵機を一撃で撃墜する。

又、B29の前方上空に廻り込んで四門の砲でアッという間にB29を撃墜する。

種子島海軍大佐が開発し石川島重工業製の世界初のジェットエンジン搭載の双発ジェット戦闘機「橘花」がB29を攻撃。

甲液「過酸化水素オキシノリン・ピオリン酸ソーダ」と乙液「水化ヒドラジン・メタノール・銅シアン化カリウム」を一〇〇対三六でミックスした脅威の推進力で、今迄達しなかった一万二千粁の成層圏まで従来型の飛行機では十数分かかったのを僅か三分五十秒で急上昇できる時速九百粁の画期的無尾翼型ロケット戦闘機「秋水」がその先頭部に搭載する強力三〇ミリ機関砲二門が火を吹きボーイングB29を一撃で次々と撃ち落すとして行く。
運よく残ったB29も新開発の二万米に達する新高高度高射砲で撃墜されて行く。

だがこれら最新戦闘機を動かす燃料はどうするのか?

そもそも大東亜戦争が始まったきっかけは軍艦や航空機に必要な石油を米英蘭三国が対日輸出禁止して日本経済を窒息させようとし、これに対してワシントンに交渉を行った甲案提示の野村海軍大将(大使)と東郷外相の秘策乙案を持った来栖大使が追いかけて米側と交渉。
ほぼアメリカが合意し日米和平が実現しようとしたのに対し、その翌日引っくり返り「日本の全権益放棄とシナ大陸からの日本陸軍の全面撤退」を要求する蒋介石の言い分を通した文章を共産主義者でソ達のスパイであったアメリカ国務次官補が草稿を書き、ハル国務長官がそれに署名した「ハル・ノート」の回答に、これでは日本は到底合意できないので日本が大東亜戦争を始めたというのが第一の理由だ。

この戦争を始める理由になった燃料については、私の先輩で百歳の長寿を全うした帝国海軍機関学校第四十期生木山正義機関中佐と、又、私の先輩東京帝国大学工学部桑田勉教授の研究により、南方からの油を頼る事なしにパイン・ルート・オイルから終戦直前十年分の燃料を創り出したのだ。

これに加えて更に「太陽と水と大地」があれば永久に生産出来るバイオ燃料を創り出す事に成功した。
しかも空襲に耐えるため蒸留工場を全国に分散して建設し、製造した。

この蒸留装置製造を実現できたのは海軍艦政本部が木山中佐の依頼に全面的に協力し蒸留装置を急速に造り全国に設置したからである。
これで日本は永久に戦える燃料を終戦前に用意できたのである。

本土決戦では日本は必ず勝つとすべての陸海軍参謀は確信していた。
一方、アメリカ軍上陸攻撃隊司令官は戦後日本軍の陣立てを見て驚嘆し「米軍は上陸に三回失敗しただろう。上陸に三回失敗すれば米軍の戦力はほとんど消耗し、戦争はベトナム戦と同様な状態となり、アメリカ国内で戦争反対の世論が起こりベトナム戦で米軍が負けたと同じく米軍は日本から敗退せざるを得ない。もはや戦えないので日本に和睦(降伏)を申し出るしかなかったであろう」と述べている。

ポツダム宣言を発した米国大統領トルーマンは、急死したルーズベルトから戦争を引き継いだとき、
日本の国土は九十%が山森であり、攻めるのが非常に困難な地形である。しかも廻りは海で近づきにくい「不沈空母」である。地形のみならず無傷の七百五十万の世界最強(マッカーサーが議会で証言)の日本陸軍が本土と東南アジアに展開し、この敵とどう戦いどうやって打破する事が出来るか見当もつかない。」と溜息して日記に書いている。

実は日本を空襲したB29から「アメリカは鉄が不足して船をコンクリートで造りはじめたり、男のパイロットが不足して女が飛行機に乗ったりしてアメリカは青息吐息だ。日本人よ、もう少しでアメリカが参るから、ガンバレ」というビラが撒かれた。恐らく乗っていた日系二世が日本上空から撒いたと思われる。

一方、昭和二十年五月にベルリンに居た藤村義朗海軍中佐がスイスでルーズベルトの代理人キャノンと交渉し、米側は「満州、朝鮮、樺太、千島列島(北方領土)は日本に残す。台湾は蒋介石と交渉してくれ。この条件で停戦しないか。和睦は急いでやりたい。」と驚くべき提案をして来たが海軍軍令部はこれを受けなかったと藤村中佐自身から私は聞いた。

これを継承したトルーマン大統領は、日本を降伏させるのは不可能で、どうにも打つ手が無く、手づまりだから「ポツダム宣言」というフェイントのような宣言を出した。
これは又、原爆投下をする言い逃れにもしたのである。

なぜフェイントのようかというと戦後、米、英、支のポツダム宣言の書類の実物を見ると、トルーマンしか署名していない事が判った。
イギリスもシナも署名していなかった。

これから見るとトルーマンの一人芝居だったことが史実として判明した。

そしてドイツ攻撃用に急いで実験的に作ったファットマンとリトルボーイの一つづつの二つしかない原爆を投下し、同時に数百個の原爆があるとウソの宣伝をして日本をおどした。

このフェイントのようなものに、まんまとお人よしの日本政府は引っ掛かってそのままのんでしまった。
これにはろくな返事も来ないだろうと思っていたトルーマン大統領自身もビックリした事だろう。

陸軍参謀総長、海軍軍令部総長という戦う陸海軍の責任者は前述のように本土決戦は勝つ見込みが充分あるから、天皇陛下の御前会議でもポツダム宣言受諾に絶対反対し戦争継続を主張したのであるが、天皇陛下が終戦の御聖断を下されたのである。

この会議室の入口で、特攻の海軍現場責任者の海軍軍令部次長の大西滝治郎中将が「あと特攻機が千機あれば勝てます(実際は既に三千機が用意されていた)。」と意見具申したが拒否されたので、大西中将はこれに抗議して切腹した。
切腹の介錯も頼まなかったのは怒りの表現であろう。

一方本土決戦の帝都の空の護りとして厚木にある無傷の帝国海軍航空本土防衛隊は、零戦設計者堀越二郎の新設計の四翼プロペラ延長回転軸式新型迎撃戦闘機「雷電」や川西航空機製「空戦フラップ」付の新鋭機「紫電改」などの一万機が厚木航空隊に温存され、強くて米軍から恐れられたラバウル海軍航空隊などから集められた歴戦のベテランパイロットが手ぐすねを引いて待っており、厚木海軍航空隊小園司令は終戦命令に絶対反対で最後まで降伏しなかった。

右の如く終戦時には「日本は負けていなかった」のは歴史的事実である。

そして「終戦」の実態は「負ける」どころか「血気にはやり、戦いたい」陸海軍や士気旺盛の国民に終戦を説得し抑えるのが大変だったというのが歴史的事実である。

しかしポツダム宣言に対して日本政府は「これは敵から申し出た和睦の条約」とまじめに甘く考えていてこれに乗ってしまったのである。

アメリカの新聞は大喜びで「日本は無条件降伏」と事実とちがう報道を行った。

アメリカの提示したポツダム宣言自体、八つの条件付であり、これに加えて日本政府は「国体護持」という条件付きで受諾したので、計九つの条件付和睦で「無条件降伏」は事実に反するのである。

又、ポツダム宣言にも日本の国としての無条件降伏とは一字も書いていない。
戦後の日本人が洗脳されて「敗戦」だとか「日本が無条件降伏した」と思っているのはまことに嘆かわしい。

さて日本は歴史上負けたことがなく、前例が無いので終戦のやり方が非常にまずかった。
通常どんな契約でも必ずネゴをして味方の条件を良くするものだ。

現に藤村中佐のスイス交渉では、ルーズベルト大統領が「満州、朝鮮、樺太、千島列島は日本に残す。台湾は蒋介石と交渉してくれ。」と言っているのだから、この線に戻すことは可能性大だったのだ。

だが今も昔も変わらぬ外国との交渉下手の日本政府はネゴをしなかった。
ところが和睦の条件の武装解除をして日本に武力を無くすると、アメリカは次のステップとして、日本の陸海軍を廃止させた。
これはポツダム宣言に入っていない。
更にアメリカはハーグ国際条約に反してアメリカ原案の憲法を日本政府に呑ませ、日本の政治家は一人として抵抗する「男」がいなかった。これは今日迄統いている。

又、進駐の翌朝から進駐軍は軍政を敷き、B円という占領軍貨幣を使わせ、日本経済をコントロールしようとしたが重光外務大臣と側近の岡崎氏の命を懸けた交渉でこれだけは阻止した。
軍政と通貨は、ポツダム和睦条件に入っていないのだ。

あたかも徳川家康が大阪冬の陣の和睦条件に外堀を埋めることとし人のよい豊臣方が呑んだら、内堀も埋められて、次に難癖をつけられ夏の陣で滅ぼされてしまったのと同じ手法だ。

先に述べたようにアメリカは国際法で禁じられている行為、占領軍による憲法制定を強引に日本政府に呑ませ、占頷下で手も足も出ない日本政府は屈服した。
軍人は切腹したのに政治家はこの不法行為に抵抗する「男」が誰もいなかった。

一方、ソ進は日本との不可侵条約が厳として存在しているのに、日本が終戦の仲介を依頼しているのを知りながらノラリクラリとこれを無視し続け、日本に宣戦布告をした。

樺太や千島列島の日本軍は上陸するソ進軍を撃退し、又、関東軍と朝鮮軍は旺盛な士気で朝鮮半島北部でソ連軍を待ち構えていた。

しかしソ進軍は、終戦後不法に北方領土を占領したのみならず支那大陸にいた六十万人もの純心な日本兵を「帰国させる」と偽って貨車に乗せ、シベリアに拉致し、重労働させた上、洗脳されないものは帰国させないと脅して共産主義教育を叩き込み、共産主義に洗脳された兵のみ帰国させ日本の教育界、マスコミ界、労働組合、演劇界にもぐり込ませた。

そしてGHQと共に日本を左傾させ、学生も勉学そっちのけで革マル、中核、赤軍派など学生運動を繰り広げてこの学生が今や成人して政治家となり偏向した現政府の幹部となって日本を動かしている。
そして産業も沈滞し道徳は乱れ、これらは現在日本が弱体化している基本的要素となった。

この「終戦」の実情、つまり「戦意旺盛の陸海軍や頑張っている全国民をいかに説得してやめさせるか」が終戦にするには大変な事で、「敗戦」どころの状態ではないのである。

この実態を知らない最近の日本人は「終戦」を「敗戦」と言い変えているのは史実に反する。
右に事実を説明したように実際に負けていない「終戦」と、負けたという「敗戦」は全く違うのだ。

昭和一桁初期以降に生まれた若い人は右に述べた本当の歴史を知らない。
だから日本政府の正式名称であり理論的に正しい「大東亜戦争」(太平洋だけでなく、ビルマ・インド等も含めた戦争)を米軍の言う「太平洋戦争」に言い換えたり、日本政府の正式名称「支那事変」を「日中戦争」と言い換えたり、国際間の正式国名の「チャイナ」又は「シナ」と言わず相手におもねって、又はお世辞で「中国(世界の中心の国)」と言っている。

「支那事変」は日本政府が正式に国家間での戦争と認めていないのだから、日本政府は「事変」と言っているのであり、この事実に反しているのを知らないで「戦争」というのは理論的にも誤っている。
又、「わが国」と言わず、他人の国のように「この国」と言っている人も洗脳されている人である。

占領軍は日本占領中新聞や手紙の検閲を行って「大東亜戦争」の使用を禁止し「太平洋戦争」を公文書に使うよう強制したが日本は独立している今もって間違った表現の「太平洋戦争」という名前を使って占領軍のトラウマに囚われているのだ。

さて終戦の詔勅の文章を協議する会議で詔勅原案の中に「戦勢日に非にして」という文章があり、某大臣から「日本は勝ったのか負けたのか?」と質問が出たのに対し阿南陸軍大臣は「勝ち負けの定義を「日本が支配している地域の大きさと兵の士気」とすれば、日本が戦争を始めたときの面積と現在(終戦時)の面積を比較すれば、現在(終戦時)の面積の方が大きい。
つまり日本はこの戦争で勝っていることになる。
しかも兵の士気は旺盛で日本は最後には必ず勝つと信じている。」と答え、詔勅原案「戦局日に非にして」は「戦局必ずしも好転せず」と訂正された。

阿南大将は「本土決戦をやれば日本は負けないので、本土決戦のあと講和を結ぶ」との陸軍の主張が聞き入れられず、御前会議で終戦が決定されたので、いさぎよく切腹した。
これは計画されていた大掛かりな陸軍のクーデターも抑える効果もあった。
介錯も断った見事な切腹だった。

この様な信念と責任感旺盛で主張が通らなければ、最後には自分の命を堂々と切腹して絶つという大臣は現在の日本の大臣に誰一人いないのは、日本人が終戦後いかに堕落してしまったかを示すものである。


右のように終戦時は日本軍に停戦を説得するのが大変で、まして敗戦ではないのが事実だ。
終戦の詔勅について私の小学校も大学も同じ迫水久常書記官長(現在の官房長官)と私は公私ともに非常に親しく迫水さんから終戦の御前会議の模様など色々重要な話しを直接迫水さん本人から問いた。

御前会議でおっしやった天皇陛下のお言葉をラジオで全国民に伝える正式な勅語の文章作成を迫水さんが任され、迫水さんが一高で教わった漢文の先生である漢学者川田瑞穂に文章作成を依頼され原案を作成した。

これを大東亜省顧問の陽明学者安岡正篤が手を加え、とくにこの詔勅の原文の中に「義命の存する所」という言葉が重要であった。

全大臣が終戦の詔勅の文章を協議する会議が十一日夜から十三日夜迄続き、訂正箇所が四十ケ所もあり、特に重要だった「義命」という言葉が某大臣から「辞書にないから「時運」にしよう」と提案があって書き直されてしまった。そして「義命の存する所」が「時運の赴く所」に変更され正式の終戦の詔勅になった。

私の名前は「義郎」だが、この「義」という意味は「道徳に基づく人として行うべき正しいこと」の意味で「義命」とは「信以て義を行い、義以て命を成す」意味であり 『「義命」の存する所』とは普通にいわれる大義名分よりもっと厳粛な意味を持っている。

国の命運は義によって造られて行かなければならない。
その義は列国との交誼においてもその治政においても信でなければならない。

その道義の至上命令に示す所によって終戦を選ぶのであり敗戦ではないという意味である。

簡単に言えば『日本はこれからは道徳に基づく正しい方向を行くべきだ』との意味であるが『「時運」の赴く所』は「時の流れのままに」という意味で、全く違う意味になってしまった。

だから今日でも日本は「時運の赴く所」つまり世に流されフラフラ流されてリーダーシップがなく国是も定まらない誇りのない国になってしまった。」と迫水さんが私に嘆いた。


又、終戦の御前会議で東郷外務大臣が陸軍が主張したソ連を仲介者にするという案に猛反対し、仲介者を入れるなら「蒋介石を仲介にしたらどうか」と提案があったが、近衛文麿が「蒋介石を相手にせず」という声明を出し「汪兆銘による南京政府」が日本によりつくられているので「蒋介石仲介はまずい」と横槍が入り、それではと不可侵条約を結んでいるソ連を仲介者にした。

結果はご存知の通り最悪で、ソ連は不可侵条約を結んでいる日本にかくれてヤルタで米英支と日本をやっつける会談(ヤルタ会談)にこっそり参加し、日本からの情報はソ連を通じ連合軍に筒抜けになっていた。

毛沢東の中共軍と戦っている蒋介石は、中共に勝つため日本に助けてもらいたいので日本に非常に有利な条件で仲介しようと考えていた。

戦後蒋介石は「なぜ自分に相談しなかったのか。自分に相談したならもっとよい条件で日本が終戦出来たのに」とくやしがったという。

先般あるテレビ番組で「中国戦線で敗走する日本兵」というコメントと映像が出た。
私の記憶では支那事変で日本が負けた戦線は知らない。

そこでその担当者を呼び「どこの戦線で日本が負けたのか」と質問したが、返事がなくごまかすので再度追求すると、結局「根拠がありませんでした」と白状し「おわび」が回答だった。

国の権威に関わる事実無根な「日本軍の敗走」を国民に誤報して、これを放送で訂正せず口頭の回答で「おわび」でお終いにしている無責任さ。
歴史を知らないのである。

元大蔵大臣の塩じいこと塩川さんも支那大陸に従軍し「支那戦線で武器を持っていなくても日本軍の軍服を着ているだけで支那兵は逃げた」と体験談を話している。


ところで私は最後の海軍将校生徒であり、又、最後の東京帝国大学生でもある。
戦時中の東大総長は世界に誇る一万トン重巡の設計者平賀造船中将だったし、東京都知事は陸軍教育総監の西尾寿造大将(その長男は現在ドクター中松創研の取締役営業部長)だったが、終戦時も日本のエリートは追放され、戦後の東大は、左翼の南原総長になり、占領軍によって、
「ゼロ戦」を作った東大航空工学科、世界一の戦艦「大和」を作った東大造船学科、戦後の米軍テストで米最新型グラマン戦闘機より命中精度が高かった事が証明されたゼロ戦の機関砲を追った西村教授の東大造兵学科など、日本を強く支えた研究の学科が強制的に廃止されただけではなく、東京帝国大学正門にあった「菊の御紋章」がはぎ取られ、名前も「東京大学」となり、「東京帝大」が「東大」になった。

名前だけではなくこの新制東京大学の学力レベルは、旧制東京帝国大学よりも四年以上下に学力レベルを下げてカリキュラムが組まれた。

麻布時代の成績が下の方の私の友人でも実際新制東京大学に人っている。
私達東京帝国大学学生十人に対して二十人の教授陣が取囲んで最高レベルの教育をし、最高の実験装置を持つ東京帝国大学は世界のトップレベルだったが、新制東京大学の世界ランキングは今年は世界二十四位までに落ちている惨状だ。
又、東大の学生自治会は完全に左だった。
私は中立の丁友会理事として学生の健全化に努めた。

日本は軍隊の強さも世界一(マッカーサーが議会で証言)だったが、戦後経済でもスイス、イギリス、ドイツを抜きGDPはアメリカに次ぐ二位となり、次にアメリカも抜く勢いで、アメリカでは日本を恐れて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本も出たくらいだ。

そして一九九三年には日本人の個人所得はアメリカ人を抜き世界一になった。
戦争にもビジネスにも強かったのは当事の日本人が青年時代に兵隊に行き、気力も体力も鍛えられ、又、まじめに高度な勉強をした昭和一桁初期の日本人(これを私は「超経験者」と言っている)による努力の結晶なのだ。

しかし占領軍による日本弱体化政策により戦後育ちは勉強も怠り、徴兵にも行かず、体力も気力も鍛錬されていないので、体力的にも気力的にも弱く知識経験も少なく、国際競争に勝てない。最近の日本の男はすぐ泣く。
山一證券倒産の時に社長が泣いたのはその象徴だ。

最近の若い男は草食系と言われ、やる気がなく泣き虫で、私が教えているハーバード大学やMITに日本人留学生がいない。
最近の日本人は留学するファイトもないのだ。
シナや韓国人が多数外国一流大学に留学しているというのに。

そして日本のGDPも二位から三位に後退し、日本人の個人所得もかつての世界一から現在二十七位に落ち込んでいる。
日本はこの状況から脱却せねばならぬ。

それには「超経験者」を指導者にして次世代若者を十五歳から全寮制で肉体と気力を鍛え、道徳修身を勉強させ更に世界より高いレベルの教育をしてゆく事が日本再生の基本なのである。

戦争中、私の家の玄関ドアに鍵をかけなくても泥棒が人らなかった。
しかし終戦後、同じ私の家で厳重な鍵をかけても何回も泥棒に入られたことでも判るように戦時中立派だった道徳心が高い日本人に比べ、修身を廃止した戦後の日本人の道徳の疲弊は驚くべきものがある


もう一度言う。
「日本は負けていなかった」

これを裏付ける賀川豊彦のマッカーサーヘの終戦直後の手紙の一部を添付する。

『マッカーサー総司令官閣下』
陛下の詔書の一分前まで全国民の戦意は燃えに燃え陸海空三軍の銃口が一様に貴官各位の胸に向けられていた事も事実なのです。
総司令官閣下
貴官は去る28日の厚木進駐の指揮者から進駐が平和的に日本側の満足すべき心づかいの中に先遣部隊の進駐を終了した報告を受けられたでしょう。

そして閣下は多数の日本人を眼前にされたでありましょう。
そしてまたその日本人が口をキッと結んでいる表情に気がつかれたことと思います。

日本人は最後まで戦うつもりでいました。
おそるべき原子爆弾がやがてわが身に落下するということを予想し覚悟しなかった者は只一人もありますまい。

またたとえ身は焼かれても粉砕されても戦争は陛下の指揮のあるまで続けてゆかなければならぬことを毛程も疑った日本人は一人もなかった事も事実ですが、それが、陛下の詔書によって戦争から平和へ完全に変向しました。

その決意の固さと新しい理想へ出発への努力が閣下の見られる日本人のキッと結ばれた口もとの表情なのです。
この様な民族が、国家が他に例を見ることができたでしょうか。』


最後に日本全国民が、もう一度「終戦の詔勅」を読むことを提案する。

そして負けていないのに終戦した無念さを思い起こし、そこに書かれている陛下が示されたこれからの日本の指針「総力を将来の建設に傾ける事」「正しい道を進みその心を堅持」「国体の真髄を発揚」「世界の流れに遅れを取らぬよう」を全国民が実行することが、我が国を立派だった古き良き日本に甦らせることなのである。

繰り返すが今迄「敗戦した」と殆どの人が思っている事は間違いであり、史実は「日本は負けていなかったのだ」という事を再認識し、これからの各人の行動を百八十度転換する事が日本再生の第一歩であることを確信し、日本が立ち直る起爆剤にするために本論文を発表したのである。








最近、近代史の書を読むと私が学校教育で習ってきた歴史と違うことが書いてあるものと遭遇する機会が多くなっています。
特に大東亜戦争のことについてはそれが顕著です。

特攻というもの1つとっても、特攻は無謀な自殺行為の攻撃でほとんど戦果がなかったと知らされてきましたが、実際はそうではなくアメリカは特攻によって大変なダメージを受けていました。
その威力を恐れアメリカは日本の本土進攻を躊躇していたのが実情です。
日本人が国のためにこの様な武勇を煥発しない様、日本人の精神の弱体化を図り間違った情報を植え付けたのです。

田母神俊雄氏は「大東亜戦争を知らない日本人へ」でこう書いています。



田母神俊雄ツイッター

「『日本は戦う武器も能力もなく、食べ物も不足しているのに、軍部が勝つ見込みのない戦いを国民に強いていた。』というのは、戦後のアメリカの情報戦による洗脳である。」と。

国内には陸軍の精鋭部隊である近衛師団がほぼ無傷のまま、更に200万人の軍人と6000機の特攻機が残されていました。
マッカーサーが世界一強い軍隊であると称した日本の軍隊はまだ戦おうとすればできたのに、敢えて平和を選択したのです。

今日は終戦記念日ですが、日本は戦争に負けたのではなく、積極的に武器を置いた日と認識し、失っていた日本人としての誇りを取り戻す機会にしたいものです。


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皆さん、こんにちは。
8月8日(土)のヒーラーサットサンガでは、神獣の力を借りて気功の施術(ヒーリング)や護身(プロテクト)をすることをお話ししました。


ヒーラーサットサンガ


折しも、参加者の1名は左肩に何かネガティブなエネルギーを憑けて来ましたので、それをタイガーのエネルギーでヒーリングしました。
彼女はアロマヒーリングを仕事にしていますので、おそらくクライアントから貰ったものでしょう。

「これが○○神のエネルギー」

「で、これがタイガーのエネルギー」

と、分けてやったらわかりやすかった様で、「タイガーが始まったらズーンと重くなった」と言っていました。
体感は人それぞれ異なりますが、神獣のパワーはブラックなエネルギーに対して効果を発揮します。
気功家(ヒーラー)にとって強力な味方を得た様なものです。


今回の参加者以外でも生徒さんやお客様でご関心がある方にはお伝えしますので、お気軽に聞いてください。



一般的に霊能者や気功家・ヒーラーの間では、動物霊というと低級霊として排除しなければならないものという考えがあります。
実際、人のエネルギー体(オーラ)にも犬・猫などの動物霊が入り込んだりします。
正直いい感じではありません。
除霊をしようとすると、受け手の人が「ニャーニャー」言ったり、「バウバウ」言ったりすることもあります。

そういう霊は除霊しなければならないし、それは結構逃げ回ったりするし、噛みついてきたりすることもあります。
こういう獣に相当する動物霊は確かに低級霊と言えます。


その一方、動物にも神格化しているもの、神の使いであるものもいます。
それらは神獣と言われています。

例えば、よく白蛇は神のお使いと言われます。
その様なお姿を拝見できるのは有難いことなのです。
浅はかな人は動物を見るとすぐ殺そうとします。
私の知人は昔白蛇に石を投げたら顎に当たって死んでしまったことがあるそうです。
そのしばらく後にその知人は2階から転落し顎から落ちて顎の骨を粉砕しました。
この様に神の使いに手を出すととんでもないことになるから要注意です。
ここの読者の中にはその様な方はいないでしょうが。
敬虔深い人は度々白蛇のお姿を目にする人がいます。


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1m以上の魚にも神格化するものがいます。
例えば、鯉です。
よく沼の主などと言われます。
巨大化した魚には神の分魂が入り込むのかもしれません。
その様なものは釣ったり食べたりしない方が良いでしょう。

よく海で巨大な魚を釣って、意気揚々と魚を釣り上げた写真を撮っている釣り人がいますが、食べるために殺生するのではなく趣味で殺生をする人達はその後大丈夫なのだろうかと思えてなりません。

肉食を議論する時、魚を食べてよいかどうかという論点があります。
インドの大聖者サティア・サイババがかつて日本人は肉類の内、小魚だけは食べても良いと言ったそうです。
「日月神示」には日本人は四足の類(牛・豚・鳥〔?〕)はNGと書いてあります。
だから魚は容認という判断もできます。
でも、大きな魚にはそれなりの魂が宿るからカルマになるのでしょう。

私は牛・豚・鳥を永く食べていません。
魚も自分から選んで食べることはなくお付き合いなどで出た場合だけ美味しく頂く様にしています。


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日本人はマグロを一本釣りする番組が好きなのでしょうか、時々ゴールデン枠でやっています。
マグロ漁は一攫千金的なところがあって、巨大なマグロを釣れば何百万円にもなるけれど、釣れない漁師は毎日ボウズで生活も苦しい…という番組です。
釣れる漁師はもちろん高度な技術や勘もあるでしょうが、それだけではないと思います。
よく釣る漁師は、血の滴る釣ったマグロの心臓を八大竜王に捧げ供養をしています。
その様に死んだ魚の魂を弔えば無益に殺生してしまう業(ごう)も幾らか軽減するのでしょうか。
そういう漁師にはまたマグロがかかるのです。


インドの神話にはマツヤという巨大魚が登場します。
マツヤはヒンズーの創造三神の一神であるヴィシュヌ神の化身(アバター)であり、神そのものなのです。
聖者マヌに対し7日後に壊滅的な大洪水が起こると予言し、7人の賢者とすべての種子を集め造った船に乗せる様に勧めました。
マヌはヒマラヤ山頂に残された陸地に辿り着いて一命を得、地上生命再生の祖となったと伝えられています。

345px-Matsya_painting.jpg
マツヤ ( 出典 : wikipedia

話が脱線しますがこの話はノアの大洪水の神話とよく似ています。
ノアの箱舟は大洪水の後にアルメニアの最高峰アララト山にたどり着いたとされています。
世界中に大洪水神話があり、私はその様な史実があったのではないかと思っています。

漢字は古の聖賢が作ったもので、本質的な意味が含まれているものです。
「船」という漢字は「舟」に「8つの口」と書きます。
ノアの箱舟の大洪水で生き残った人の数は8人です。
このヒンズーの神話もマヌと聖賢7人で、合計8人なのです。
「船」という漢字にはノア(マヌ?)の箱舟の意味が含まれていると考えられます。


映画「ノア 約束の舟」
この様な大洪水が来たら一たまりもないでしょう。

「日月神示」には預言的な内容が多く含まれており、未曾有の大災害が起こると書かれています。
しかし、それは確定しているものではなく、一人ひとりの身魂磨きの成果次第であると言われています。

 「日月神示



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2015_08_10


スピリチュアル・ヒーラー養成塾・ヒーリングクァンインでは月1回開催しているヒーラーサットサンガ(瞑想会)があります。

前半はスピリチュアル講話・説法と合同瞑想、後半はヒーリング実習という構成になっています。

次回のヒーラーサットサンガの講話は「日月神示」についてお話します。
「日月神示」に関する重要なことについてお話しようと思います。

今この時期にお話しする意味があるのかもしれません。

これまで、ヒーラーサットサンガはスピリチュアル・ヒーラー養成塾の講座受講生に限定していましたが、今回はヒーリングスティック購入者まで間口を広げて参加募集をします。

ご関心がある方は積極的に参加してください。
参加ご希望の方はスピリチュアル・ヒーラー養成塾お問い合わせフォームよりご一報ください。

 スピリチュアル・ヒーラー養成塾お問い合わせフォーム

8日(土)19時~21時30分
会費:3,000円
場所:外気功療法さいたま院/ヒーリングクァンイン



2015_08_08


rock climbing



「朝起きてから夜寝る前まで自分のしたいことだけをして生きているなら、その人は成功者だ。」(ボブ・デュラン〔ミュージシャン〕)



戦後の価値観は主に地位・名誉、金を持っているかどうかでその人が成功しているかどうかをみてきたが、成功しているかどうかは1つにはその人が幸せであるかどうかがポイントである。

現代の日本では70人に一人は資産1億円を持つ億万長者らしい。
しかし、お金を幾らもっていたからといってそれで幸せになれるわけではない。
私のクライアントで随分のお金持ちもいたが、自分のことを幸せではないと語っていた。

そしてボブ・デュランは成功についてかく語ったが、自分の好きなことだけをして生きるのは難しい。
先日、サラリーマン時代の古い親友と久しぶりにメールを交わしたが、「(うちの会社を)やりたいことで辞めて、ずっとやってる人、多分いない。」と言ってくれた。

好きなことだけすればいいと言っても仕事には義務としてやらなければならないものもあるだろうし、上から言われ嫌々やるものもあるだろう。
したいことだけして生きるには、自分のする事を好きになれば良いと思う
自分のする事を好きになれば、益々それをしたいと思うようになるだろう。
それを考えると成功とは心一つの置き所と言える。

かく言う私は、時には会うのに気が重くなるクライアントもいるが、ヒーリング(気功治療)であれ、修行であれ好きだからこそそれに打ち込み邁進することができている。
朝早起きして修行をするところから1日が始まり、修行が終わると気功の施術が始まり、日付が変わるころに帰宅し、深夜ブログなどの書き物をする生活を続けており、忙しいけれど好きなことばかりをやっている様に思う。
私の日々の行動をみれば人は努力をしているというだろうが、本人は好きだからやっているだけで努力をしているとは微塵も思わないものである。

私はお金持ちではないし、高級な車も持っていない、店の売上も企業と比較したら微々たるものだ。
何の立派な肩書も名誉も権力もない。
その様な人は私以外にもたくさんいる。
ボブ・デュランに言わせればその様な人は成功者なのだろう。


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2015_08_06


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山の修行を終えて里に降りてきたところです。
ターミナルのカフェで記事を書いています。

人間は業(カルマ・メグリ)だらけの存在です。
私も同じで、魂も肉体も穢れている存在です。
「私にはそのような邪気はないから」と言うご立派な方も時々聞きますが、穢れていない人間はこの地上世界に生を得ることはありませんから、大なり小なり汚れているものと思います。

私は何人も気功家やヒーラーさんを知っていますが、自分自身の邪気や受け手から貰った邪気で汚れている様に感じられます。
汚れているという感覚がないものは仕方ないです。
自覚はなくとも身体が疲れる・重いとか、頭が痛いとか、胃の働きが良くないとかの身体症状、またはネガティブな感情が頻繁に思考に入って来るなどのメンタルの問題で人生のアップダウンを味わっているものと思います。


人は何のために生まれてくるのでしょうか?
この地上世界でただ寝て食ってテレビを見て無駄に時間を消費するためでしょうか?
それともお金を貯めて金持ちになるためでしょうか?

人は幾つもの輪廻転生を繰り返し、魂を磨いている存在です。
そしていずれ六道輪廻の軛(くびき=束縛)から抜けて神界に向かうものと思います。
そのために魂を磨き、神の波動に近づいていくために修行をするのです。

汚れた身魂には、神の波動・光は入ってきません。

人間の魂の深奥には神の分魂が宿っています。
だから、誰でも本来は神聖を宿しているのです。
それは良心として垣間見れるのであって、何かの行動を取るときにやましい気持ちになるとか、または気持ちがワクワクするとか、それは良心に照らして行動の是非のサインを受け取っているものと思います。



かつてインドの大聖者サティア・サイババが生きていた時にある人が訪ねました。

「あなたは神ですか?」

すると、サティア・サイババは次のように答えました。

「私は神です。しかし、あなたも神なのです。」と。



しかし、ほとんどの人間は穢れが多く、生きている時に自分自身の神聖に気付くことはほとんどありません。
自分の魂の深奥に潜む神聖・光を太陽に例えると、穢れである業・因縁やカルマは厚く天を覆った雨雲であります。
雨が降っている時に、雨雲の上にまぶしい太陽があることがわからないのとよく似ています。


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霊性修行は、身魂を浄化していくことの繰り返しです。
身魂を浄化していくと、雨雲が晴れて光が差してくるのです。
その過程では時には辛い体験になることもあるでしょう。

風邪を引くと熱が出てうなされることがありますが、熱が出るその症状自体は浄化の働きであり、老廃物や邪気を浄化しきってしまうと、熱が下がり風邪が抜けた後に生まれ変わった様に身が軽く爽快になります。
しかし、西洋医学は熱が出たら「お熱を下げましょう」と解熱剤を処方してくれます。
どちらが正しいのでしょうか?分かる人にはすぐ分かるものと思います。


気功家、施術家、ヒーラー、セラピストなど癒しを行う人は人一倍浄化をしていかなければなりません。

① 受け手から貰ってしまった邪気を排出すること。
② 自分自身が持つ霊障や業・カルマを浄化すること。


これが極めて重要です。
これがある限りは良いエネルギーは入ってきませんし、チャネラーであれば自分では高級な存在とつながっていると思っていてもそうでない低級なものと通信しています。



今回の修行では密教の浄化法の続きをやりました。
密教のことなので詳しく書けませんが、ある動物の身体の一部を焼いてプージャ(護摩・火の儀式)する技法で、密教に伝わる強力な浄化法です。

写真+1+(2)_convert_20150428131918


その動物は0.5gで1万円位しますのでお金も随分かかります。
その動物の霊力を持って肉体に潜む邪霊を追い出すのです。
ここでも前回の記事で紹介した様に動物の力を借ります。


 気功家が「バケモノの子」を観るとこうなる


私も一時「もう勘弁して」と言う位苦しみました。
私の場合は、余程根深いのかまだまだという感じでしたが、修行仲間はそれなりに進歩していました。
ある巫女さんはいつも薄暗い表情をしていましたが、憑き物が落ちて周りから「かわいくなった」と言われて喜んでいました。
身体のエネルギーがボンボン出る様になって「どうしようもない」とか「止まらん」とか言っていました。
ネガティブなエネルギーが身体から抜けるとこの様に気(エネルギー)の量も質も大きく変わります。


浄化法は色々とありますので、自分の段階に応じたことをしていけば良いと思います。
私の場合は難病の人に気功をする仕事ですのでそれなりのことをしていかなければなりませんが、特に癒しを仕事にしていない人は肉食を止める・減らす等の食べ物を変えることから初めていけば、それに応じた果報をいただけることでしょう。
気功の施術やスピリチュアル・ヒーリングを受けるのも浄化になります。
その影響は最初の内は自分自身に留まるものですが、やがて波紋が湖面に広がる様に自分の周りの人まで及んでいくのです。

「日月神示」にはこう書いてあります。




一升桝持ってきて一斗(いっと)入れよと人民申しているが、神は一斗も二斗も入れてやりたいなれど、一升桝には一升しか入らん。大き桝持って来い。頂くには頂くだけの資格いるぞ。一歩ずつ進め。一歩ずつ絶えず進めよ。それより外に道はないのぢゃ。(春の巻・第十二帖)

着物脱いで裸体となることつらいであろうなれど、脱がねば新しい着物きられんぞ。裸になってぶつかれよ。神様も裸になってそなたを抱いて下さるぞよ。(春の巻・第十帖)





「日月神示」はこの世界の主宰神から降ろされた神典であり、読むだけでメグリ(カルマ・業)を減らすと書かれています。
「日月神示」を熟読するのも浄化にはかなり良いことです。

 日本における聖書は「日月神示」





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プロフィール

水野博友

Author:水野博友
気功家・ヒーラー・瞑想家
気功で人の病気や苦しみを癒すヒーラー

愛知県出身、早稲田大学商学部卒。
埼玉県さいたま市浦和区で気功治療院「外気功療法さいたま院」を開業、肉体の病~精神の病まで日夜 気功の施術を行っている。遠隔気功の実績も豊富。
満月時は日本の山に籠り密教修行を行う、また2011年より定期的にインド・ヒマラヤ、インドネシアに渡り様々な聖者の指導を受けて霊性修行に励んでいる。

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