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皆さん、こんにちは。

この社会で生きている多くの人は、大なり小なり人間関係に苦労しているものです。
なぜなら、この世界(地球)に生まれて来た目的が、魂を成長させるためであり、魂を成長させる(これを「身魂磨き」と言います)ためには人間関係から多く学ぶ様にできているからです。

そのため、私たちの周りにはどうしても好きになれない人、嫌いな人が配置されています。
その人とできれば一緒にいたくない、関わりたくないと思うのですが、なぜかそういう訳にいかない。
離れたくても、離れられない。
あるところまでいかないと離れられない様になっている。

それでストレスを感じ、ああでもない、こうでもないと心を悩ませ煩悶する訳です。
これはとても苦しいことです。




しかし、考えてみると自分の周りにイエスマンばかりいたらどうなのでしょうか?
自分の事を「すごいね!」とか「素敵!」「立派ですね!」とか、褒めてくれてばかりいたら・・・

それが毎日だったらどうなりますか?
ストレスもさほど感じず、気持ちよく楽しい日々が続いていきますが、果たしてそれで成長できるでしょうか?



企業のトップもイエスマンばかりで重役を固めると、その会社はやがて傾いていくと言われます。
意見の対立がないと、より良いものが出てこないし、間違った方向に向かっていてもそれに気付かなくなります。

社長であるならば、主君への諫言(かんげん)も辞さないという気持ちの強い家臣を置かなればなりません。
企業のトップであれば、周りの人はトップの顔色を伺って、いつも気に入ってもられる甘言ばかり言う人が集まってくることでしょう。


誰かが自分に厳しいことを言ってくれないと、人は自分の間違いに気づかないものです。
そういう人が周りにいなければ、のほほ~んと温泉気分で生きていけますが、それで人は成長するでしょうか?
そんな状態が続いていけば、ふやけきって馬鹿になってしまうに違いありません。



「身魂磨き」をするためには、大根おろしのおろし金ではありませんが、トゲがなければ磨くことはできないのです。
自分に厳しいことを言ってくれたり、嫌な事を言ってくれたりする人がいないと人は成長しないのです。


筋肉は加重という負荷がなければ強くなりません。
同様に、人間の心も、ある程度のストレスという負荷がなければ強くならないのです。


そういうことをわかっていないと、厳しいことを言ってくれる人に憎しみなどの悪感情を持って応対してしまいます。
自分自身の成長の要因を考えれば、その人のお陰で成長できるのです。
それを思えば、怒りや恨みなどの気持ちを抱くのではなく、真逆の感謝の気持ちを持たなければならないはずです。




なかなか人間関係の問題の渦中にいれば、頭でわかってもそう心を持って行くのは難しいかもしれません。

しかし、いつか感謝の気持ちに自然となれれば、既にその嫌な人の存在意義はなくなりますから、やがて自分の眼前からいなくなってしまうでしょう。
そうした時に、人生のステージがあがって、人間関係の問題に悩むのは卒業ということになるのです。



私もサラリーマン時代に上司に恵まれず長期間辛酸を舐めたことがありました。
理不尽なことばかり続いたり、小馬鹿にされたり、なんでこんな目に・・・と毎日上司を恨めしく思っていました。
上司はまったく尊敬に値しませんが、それでも上司の機嫌をとっていかなければならないところがサラリーマン社会の辛いところです。

その様な状況が何年も続き、ある日の夢にその上司が満面の笑みで現れました。
何を言っているかはわかりませんでした。
その様な温かみのある笑顔を実際に見たことはありませんが、私を褒めている様でした。

その笑顔は、映画「千と千尋の神隠し」で、腐れ神というドロドロとした悪臭を放つ神様が、千尋の接待で浄化され、本来の河の神になって、最後に「よきかな」と歓び上がっていく・・・そんな感じの笑顔だったのです。

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腐れ神

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「よきかな」




「なんだったのだろう・・・変な夢をみたな・・・」


と振り返りましたが、程なく上司は人事異動でいなくなりました。

今思えば、生まれて来る前の約束だったのでしょうか、今世で私を鍛えてくれるためにヒール(悪役)をかってくれていたのかもしれません。




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皆さん、こんにちは

私の生徒さんの一人(Oさん)が、家族が怪我をしないか心配をする余りに、それが起こってしまったというご報告がありました。

この事例を基に、心配をすることについて考察してみます。




人の性格は楽天的な性格と、悲観的な性格に分かれます。
私自身は、どちらでもなく中間位と自己分析していますが、悲観的でネガティブな思考パターンの人の中には非常に心配性の人がいます。

起こってもいないことを、「ああなったらどうしよう」「こうなったらどうしよう」と心配ばかりしているのです。

備えあれば患いなしと言われますから、備えを考えることはある程度必要と思います。
しかし、ネガティブな感情に引きずられる様に、「あれも心配」「これも心配」と頭の中が心配事で一杯になると、その思考パターンにエネルギーが消耗し、とても疲労します。

西洋の諺(ことわざ)に「心配は猫をも殺す」というものがあります。
猫は9つの命があり、なかなか死なないしぶとい動物と信じられています。
しかし、そんな猫でも、心配をしている内に、身に毒を溜めて死んでしまう。
それだけ心配をすることは身体によくないのだということが、洋の東西を問わず言われているのです。




人の心には、物事を現実に形作る現実化の力があります。
その創造性を人生の良い方面に役立てれば、自分の人生を思う様に進められますので、自信が付いてきて、人生も楽しくハッピーに展開します。


しかし、逆に現実化の力をネガティブな方向に向けたらどうなるでしょうか?

「Aさんに〇〇が起こったら心配だ」「大丈夫だろうか」と、あたかもそれが起こったかの様に先のことを考え続ける訳です。

そうなると現実化の力は、その心配事を形作ることに使われることになり、それが近い内に現出してしまうことになります。


Oさんの家族に、Oさんの心配事が起こってしまったというのも、おそらくOさんの現実化の力が作用したと推測できます。
Oさんは元々念が強いため、現実化の力も人より強力です。


少しケースは違いますが、映画「スターウォーズ エピソード3」に近いストーリーがあります。
主人公のアナキン・スカイウォーカーが、妻のパドメが死ぬという予知夢を見て、それが起こらない様に心配苦悩する余り、シスの暗黒卿(=ダークサイド)の手下に堕ちてしまい、結果的にアナキン自身の手で妻を死に追いやってしまうというストーリーです。
これなどはアナキンの心配しすぎで、自分の予知夢が現実化する方向に動いてしまったケースです。



私がインドに修行に行く場合でも、身内にあれこれと心配をしてくれる人がいます。
気を使ってくれることは大変ありがたいのですが、「あれは大丈夫なの?」「それは危なくないの?」などと、必要以上に心配をしてくれます。

それが積み重なって来ると、心配されたことが起こってくるのではないかと、こちらは甚だ迷惑に思えてきます。

残念ながら、その人の行為は心配をしている様で、実態は足を引っ張っているに過ぎません。
修行が上手くいく様、応援することと、心配をすることは違うのです。
心配をし過ぎるということは、失敗をする方向に引っ張っていることになります。




また、心配をするのは、心配をかきたてる様な現象が起こったことが原因になっていることもあります。

現実に起こっている事象の解釈は、自分自身の心が判定します。

例えば、いじめられた経験がある人は、例えばBさんに挨拶をしたのにBさんが挨拶を返さないということが起こると、「Bさんは私のことを嫌っているに違いない」という状況判断をする訳です。

でも、Bさんは挨拶をされた声がよく聞こえていなかったのかもしれませんし、また他事を考えて上の空だったかもしれません。

「あれ、Bさん今日は様子が変だな」とか「急いでいたのかな?」「体調が悪いのかな」と、その状況を判断すれば、Bさんとの関係に亀裂が生じることはありません。

しかし、Bさんが全然嫌っていないのも関わらず、「私は嫌われている」と心に決めつけてしまうとどうなるでしょう?

状況をネガティブに解釈することを、疑心暗鬼といいます。

心に疑心暗鬼が浮上すると、そのネガティブな思考パターンで相手のことを見る様になりますから、結果的にその相手との人間関係はギクシャクして上手くいかなくなる様になります。

それも自分自身のネガティブな心が作り出した現象で、実は相手にはほとんど原因がなかったと言えるのです。




心配事は考えない、心に出さない様にするのが一番良いです。
しかし、心配性の人は、それでも次から次へと色々な心配事が頭に去来します。

そういう場合は、心配事を思う最後に肯定的な表現を付け加えることをお勧めします。


例えば、「あの人が事故にあってしまったらどうしよう。」「あぁ、大変だぁ・・・

と、思うのではなく、

「あの人が事故にあってしまったらどうしよう。」「でも大丈夫、起きないだろ!」

という様な肯定的な形で締めるのです。



突き詰めて言及すれば、心配性というのは、幼い頃からの育てられ方の問題であったり、潜在意識に溜まっているネガティブなエネルギー(情報)が、心配事という形で浮上していたりするのかもしれません。


霊性修行者で、心配性である、またはネガティブなことをいつも考えているという人は、まだまだ修行が足りないと断定できます。

その様な思考がほとんど出て来なくなって、まるで穏やかな湖面の様な思考になってくるのが理想です。

そうなるためには、やはり瞑想を継続していくのが一番です。
思考パターンを変える、ネガティブな感情を浄化するには、瞑想が相当強力な助けとなるはずです。



心配なことを考えてばかりいる人と、楽しいことを考えてばかりいる人では、人生の彩りが違います。
灰色な世界で暗く過ごすのか、明るく陽の差す世界で過ごすのか、それを決めるのは誰でもなく自分自身であり、そうなる様に自分自身の心をコントロールしなければならないのです。



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心配するんじゃない。
幸せであれ!




2019_02_05


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水野氣功塾で「気功治療家養成講座」の開講はまだかまだかと督促を受けます。

8月開講の予定でしたがまだ作業中です。

開講が遅れ本当に申し訳ございません。

 

 

➡ 水野氣功塾「気功治療家養成講座」

 

 

3年前から準備をしていますが、なかなか完成に至りません。

太っといデキスト、内容盛りだくさんのものになります。

書いても書いてもこれも書き足さなければと、続きを書いていると完成しません。

どこかで形に仕上げなければならないとは思っていますが。

 

他所の類似の講座の内容は知りませんが、私は自身の魂を伝えるつもりでやっていますので、そう簡単にはできないのでしょう。

すべては神にお任せなので、出来上がった時がその時期と思ってはいますが、待ち遠しく思ってくださる方々には申し訳なく思います。

 

 

優先順位の付け方が悪いのでしょうか、とにかく時間がとれず、サットサンガ(真理の集い)の準備にも毎月膨大な時間がかかります。

サットサンガに参加してくれた方は、どれだけ私が準備をしているかお分かりと思います。

サットサンガなんて売上的には微々たるものなので、採算性で言えばやらない方が得策なのですが、そうは言っても、私の話を楽しみにしてくださっている方々がいますので、そのためにやっているのです。

「気功治療家養成講座」そっちのけで、サットサンガの準備ばかりしていては本末転倒かもしれませんが、それはそれで良いかとも思います。

おかげでブログを更新する時間も全然ありません (T_T)

 

 

そうは言っても、私の生活のメインはやはり気功治療です。

毎日毎日忙しくしています。

大変なお客様も多いので無茶疲れます。

 

店を出るのは、夜12時を過ぎることがほとんどです。

帰り道、近くの公園で懸垂をして帰ります。

一日の色々な思いを鉄棒にぶつけます。

深夜12時台に鉄棒とにらめっこしている男性がいたらそれは私です。(完全に変質者ですね)

 

10時台に店を出られれば、サラリーマンの半休をもらった気分になります。

お客様から寄せられるメールも多くてその往信にも意外と時間がかかります。

 

何か上手く仕事がはかどる方法があれば良いのですが、元来不器用なためスマートに事をこなせません。

 

今日も日曜日ですが、近くのカフェでパソコンにむかいサットサンガの準備です。

家族サービスなんてありません。

私の師匠も「霊性修行者の家族は可哀そうだ。」と言っていましたが、私もほとんど家にいませんからうちもそうです。

家族には言葉でなく、生き様で感じ取ってもらえたらと思っています。

生き様が最高の教材でしょう。

 

 

サットサンガ(真理の集い)の説法はテーマを決めてから内容を落とし込んでいきますので、結構苦しみます。

ああでもないこうでもないとギンギンに頭を使っていると、ふとした時にインスピレーションが降りてきます。

今回も素晴らしいインスピレーションが来ました。

 

インスピレーションとは、どこかの本に出ているものではなく、天の図書館にある知識をダウンロードする様なもので、それは叡智と呼ばれます。

これが得られるかどうかで内容が薄っぺらになるのか、相手の肚(はら)や魂に伝わるものになるのか大きな差が生じます。

確かに知識を伝えてはいるのですが、知識を超えた「思い」「エネルギー」を受け取ってほしいのです。

 

 

 

その様な状況ですので、講座開講はもうしばらくお待ちください。

私の生活を友人や仲間に話すと「全然寝てないよね」と言われます。

余り寝なくてもさほど疲労せず生きていけるのは、それも神の恩寵と思っています。

 

 

 

人それぞれ人生でやるべきことがあります。

それ(人生の使命)がわかっている人は、それに人生をかけてやり遂げたら良いと思います。

まだわからない人は、いずれそれが分かる時が来ますから、時間を大切にして色々勉強し力を蓄えてください。

 

女性の皆さん、子育ても重要な仕事です。

親の「人間」ができていないと立派な子は育ちません。

あなたが育てた子供が将来たくさんの人の役に立つ人物になる様、まずは親が自身の「人間」を作るのです。

 

皆さん、お互いに頑張りましょう。

今日やるべきことをやりましょう。

病気がある人は、まずは病気を治しましょう。

治してから自分の人生を一歩踏み出せばいいです。


人生は希望と愛に満ちています。

 

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皆さん、こんにちは。

私の髪を切ってくださっている理容師さん(女性・Kさん)はまだ30才と若く、しかもキャバ嬢風の雰囲気があります。
彼女は理容師の仕事が本当に好きで、毎日一生懸命お仕事をされています。
腕前も確かで、私なんかはいつも坊主頭なのですが、彼女が切るとスタイリッシュな髪型になります。

今日散髪中にKさんがふと漏らしました。

「私は中卒でこの理容師の世界に入ってずっと来ているから、先日異業種交流会の様な華やかな場に行ってひどく気遅れしてしまいました。遊びの世界を知らずに育ったから世間知らずなんです・・・」

異業種パーティーの様な華やかな場は独特ですから、そう感じるのも無理もありません。
私もサラリーマン時代には、社長に連れられ繁華街の華やかなお店に足を運んだこともあります。
ちょっと自信喪失気味なKさんに私はこう答えました。

職人の世界はね、技術を高めていく中で人間性を向上させて行くんです。また店の狭い空間に長くいたとしても、一人一人のお客様と深く付き合うことで、お客様を通して世界を知るのです。

「だから、世間知らずとか自分を劣っているとか思う必要はないですよ。」

普通の人にはちょっと重い話かもしれませんが、Kさんは向上心があってこの様な仕事論や人生論を語ると喜びます。



私もKさんと同じで、狭い店内で一日の大部分の時間を過ごしています。
仕事ばかりしているため、繁華街に出ることもありません。
サラリーマンと比べると人付き合いも多くありません。
私もKさんと同じ状況にある訳です。


しかし、自分自身を振り返ってみると、多忙なベンチャー企業の社員だった頃より、今の気功治療家の方が人間的に成長している気がします。
世の中を知るという点では、一所に長くいますので情報不足・刺激不足になっているかもしれません。
しかし、毎日数人のお客様と深くお付き合いをさせて頂く中で、お客様からとても多くのことを学んでいます。

弊店のお客様は、私にはもったいない位良いお客様がたくさん来られます。(客層がかなり良いのです!)
そのお客様と触れ合う1時間程の時間の中で、直接的なお話しを通して、またはちょっとした所作を通して、「この人は素晴らしいなぁ」と感じ、それが少しずつ自分の血肉となってきました。

また、お客様が病気で苦しんでいるのを目の前にして、「どうしてこの様なことになってしまったのだろう?」、「どうしたら早くこの苦しみから解放されるだろう?」と思索します。
たいてい答えはなかなかすぐには得られません。
そうして色々とない頭を使うことで、知識を本から得たり、直観的に本質を学んだりしできました。


人は自分の仕事を深めていくことで学び成長します。
仕事以外にも、子供たちが打ち込む部活動、主婦の子育てなども同じ様に成長します。
部活動に3年間一生懸命打ち込んだ学生と適当に遊んでいた学生では、前者の方が人間的に成長しているのは自明です。

一つの事を愚直に探究し続けることが、成長になるのです。
外界の多くの刺激は別に無くても何ともありません。
たくさんの友達を求める必要もありません。
たくさんの知り合いも、たくさんの名刺も必要ありません。

知識は書から得られる。知恵は観察から得られる

人間を涵養(かんよう)させるのは、知識よりも、知恵であり、更に叡智(えいち)でありましょう。
叡智とは、経験的な知覚においては与えられず、ただ思惟や直観によってのみ把握される超感覚的な認識のことです。

私自身、この言葉を胸に刻みこれからも歩んでいきます。
また分野は違えど、同じ職人の世界で生きている若き仲間達にもこの言葉を贈りたいと思います。



2017_08_06


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皆さん、こんにちは。

 

昨夜は毎月恒例のサットサンガを開催しました。

前半の説法では、「仕事」をテーマにスピリチュアルな視点も絡め1時間半お話しさせて頂きました。

 

その話の中で私は理想的な働き方として「職人的生き方」を提唱しました。

「職人的生き方」とは、自分にしかない専門性を活かし独立起業する生き方です。

非常にニッチな分野であっても、ネット社会ではそれを求める人が少なからずいますので、それを職業にしていける可能性があります。

 

只、単にブログを開設するだけでは、それを求める人に容易に結び付きませんからある程度のマーケティング能力も必要です。

それは、メディアリテラシーと言って近年は大学でも講座を設け指導しています。

20世紀のマスメディア中心の社会から、21世紀はインターネットが中心のパーソナルメディアの社会になっています。

あらゆる分野で個の能力が高ければ、それを求める人とのマッチングがされやすいのが時代の特性です。

 

この様なことは堀江貴文氏(ホリエモン)の著書に詳しいので参考にされたら良いでしょう。

 

「職人的生き方」のもう一つの利点は、自分で定年を決められるということです。

厚生労働省の調べによると、日本人の平均寿命は男性が80.75歳、女性が86.99になっています。

60才で定年を迎えると20年近くは定職のない生活を過ごすことになります。

 

男性は仕事を失うと、やることがなくなって急激に老け込んでしまいます。

張り合いのある趣味があるならまだしも、それもなければ刺激や緊張のない長い時間が続きます。

人間にはある程度のストレスは必要です。

そして、やがて連れ合いが先立ちます。

仕事もなく、伴侶もなく、永く誰とも話をしていないという人も都会では珍しくありません。

 

一方、元気なシニアを見てみると、自分の仕事を持って生き生きと働いている人が目立つ気がします。

自分の店をやっていたり、農業に従事し身体を動かしていたり、自分の専門分野を持って元気に働いているのです。

職人であれば、後進を育て、尊敬を集めながら熟練の技をふるい活躍しています。

そのような人達は、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」でプロ・仕事の達人として度々紹介されています。

その様な生き方は私の憧れるところで、自分も技量を高めて年を重ねていきたいと考え、理想的な働き方と提唱したのです。

 

生涯を80年として設計した場合、多くの人が目標としてきた大企業に勤めるというライフプランは、60才定年であるため人生の第4コーナーで失速する憂き目をみます。

 

 

この様な主旨の話をしたのですが、会社勤めをされている人達に話したところで分かってもらえるだろうか、反感を買うのではないか、意味があるのだろうか・・・と幾分危惧をしていました。

 

ところが、サットサンガを終えるとTさんがやってきて、

 

 

「実は転職をしようと考えていたので、今回の話はとても参考になりました。」

 

 

と、感想を述べてくださいました。

「ちょうど先生に個別に相談をさせてもらおうと思っていたところでしたが、お話を聞けて良かったです。」と言ってくれたので、私も安堵しました。

 

 

毎回思うことは、私が説法するテーマはどれ程聴き手に届いているかはわかりませんが、誰かそれをとても必要としている人がいるということです。

 

私はインスピレーションで説法のテーマを決めていますが、それを誰かが必要としているから話しなさいという天の指示かもしれません。

 

私の予約表は普通ではありえないシンクロニシティ(偶然の一致)の連続で、昨夜具体例を聞いた方はさぞ驚かれたことと思います。


参考 ➡ 同じ病気の人が集まる不思議

 

私はシンクロニシティとは神性の表れと理解しています。

それは気功治療の分野だけではなく、それはサットサンガという霊性修行の分野においても及んでいるということなのでしょう。

 

 

 

次回のサットサンガは

 

415日(土)19

 

 

の予定です。

 

説法のテーマは未定なので、決まり次第ご案内させて頂きます。

 

 


2017_03_26




人が数十年の人生を終えて、その後に残せるものは何でしょうか?
後に残っている人たちが心で感じられるもの、それはお金でも肩書や権力でもなく、人の思い・・・愛や情熱だけだろうと思います。
例え、一期一会であっても、あの人から「こんなことをしてもらった」「こんな言葉をかけてもらった」という愛のエネルギーの伝達・・・それしか後世に残るものはないかもしれません。

あなたは何を後世に残しますか?

私は一人一人の記憶の中に生きられる人に成れる様、熱いハートを持って修行を重ね、成長していきたいと思います。



愛だけを残せ 壊れない愛を
激流の様な時の中で
愛だけを残せ 名さえも残さず 
生命(いのち)の証(あかし)に 愛だけを残せ



まさに中島みゆきさんが歌うかの如く。


「愛だけを残せ」 中島みゆき





2017_03_09


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皆さん、あけましておめでとうございます。
埼玉は陽気で穏やかな天候に恵まれた正月を迎えています。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
旧年に引き続き、本年も宜しくお願い致します。


私は、常々自分はこれで良いのだろうかということを自問自答します。
やりたいこと、達成したいことが色々とあるのですが、仕事の忙しさに追われそれ以外の事がなかなかできません。
気功治療が私の仕事ですから、忙しいことは大変ありがたいことであり、それに没頭していれば良いのです。
しかし、自分の成長にとってそれがベストなことがというと必ずしもそうではないと思います。
より成長を加速させるためには広い視野・観点も併せ持つ必要があり、そのバランスに悩むことがあります。


サラリーマンとして会社勤めをしていた時は、上司から「ああしろ」「こうしろ」などと指導を受けたり、叱責を受けたりします。
その時は、心底嫌なものでしたが、独りで仕事をしている自営業者や会社の社長にはそれがないため、独善や自己満足に陥る危険性があります。
ある意味、ぬくぬくとやっていても誰も叱る人がいませんから、収入が安定的に得られていれば自分に合格点を出すという考えもあるでしょう。

しかし、私の場合、収入より気の力や意識レベルというところに自分の成長の基準(物差し)を置いています。
人はそれぞれ自分を測る物差し(スケール)を持っていますが、多くの人(特に男性)は年収や役職・肩書という社会的なスケールを持っています。
または、知識量や筋力という個人的な能力を成長のスケールにしている人もいるでしょう。
その点、私は気や意識がスケールになっていますので、そこは他の多くの方々とは違うところがあります。

では、自分の気(エネルギー)や意識の成長度をどう図るかというと、今のところ主観的な感覚しかなく、なかなか相対的に判断することができず難しいところです。

人は成長を志向する生き物ですが、その成長の度合い・進度は人それぞれ大きな差があります。
「自分は頑張っている」と言っても、実のところその頑張り度(努力)は差があるということです。
「私はすごく頑張っています」と言っても、相対的に見ればやっているレベルが低いこともあります。
一方、「私は余りやっている方ではありません」と言っても、その人は基準が高く自己満足していないために、相対的に見れば相当高いレベルで成長を続けている場合もあるでしょう。




この頑張り度は主に次のものから影響を受けていると思います。

一つが、教師(マスター)です。
もう一つが、団体・母集団、またはライバルです。

優秀な教師(マスター)が身近にいれば、その教師のレベルに早く到達したいと願うでしょうから、必然的に努力し成長が加速します。
教師が極めて有能であれば、自分も教師の指導を受け続ければいずれそのレベルに到達できるのではないかという希望も持てます。
一般的に見たら到達不可能と思えるレベルも、目標が身近にあれば心のリミット(=無理だ、できないと自分を制限すること)が外れやすくなるという大きなメリットがあります。

もう一つの母集団というのは、自分の身が置かれている環境のことです。
そのレベルが高ければ、周りにつられて自分も自然と努力をする様になりますし、また身近な人ができることであれば自分もできるだろうと心のリミットが外れやすくなります。
母集団のレベルが高いこと、または切磋琢磨できるライバルが存在するということは、成長のためにとても有益です。



冒頭で私が自分自身これで良いのだろうかと自問自答するのは、今の自分の努力が客観的に見てどうなのだろうかということを問うているのです。
恐ろしいのは、自分の努力に自己満足してしまい、成長が鈍化していることに気付かないということです。

この世界(物質世界)は、何かにつけ有限ですが、このゲームの中でできるだけ成長を遂げるために飽くなき努力・精進をしていかなければならない、その様なことを正月早々考えてみました。




2017_01_02


松田喜一1
松田喜一像


皆さん、こんにちは。

今回は熊本県の偉人、農業研究家の松田喜一翁についてお話しします。
松田喜一翁は「土の行者、今尊徳(いまそんとく)、昭和の農聖」と人びとの尊敬を集めた人物です。

松田喜一翁は明治20年12月1日下益城郡豊川村(現松橋町)松崎に生まれ、熊本農業学校に学びました。
その後、麦作法の改良に情熱を傾け「松田式麦作法」を考案・普及し、麦作の生産性向上に大きく寄与しました。
日本初の民間農業実習所を開設し後進を指導、直接教育を受けた生徒は約3600名、講演で講習を受けた者は延べ約40000名に及ぶといいます。

その実習所の凄いエピソードがwikipediaにこう書かれていました。




● 農友会実習所で春秋の年二回、三日間ずつを使って行われた定期講習会には、喜一の話を聞くため毎回数千人、多いときには6500人もの人々が各地から集まった。長蛇の列が国鉄千丁駅から農場まで数キロに渡って続いた[4]。
● 実習所での生活は過酷を極めた。午前5時の朝礼から農作業は三食を挟み、夜まで続いた。食事は視察者が「豚も食わん」と顔をしかめたほどの粗食であったが、喜一は「論より証拠」の精神から率先して腐った芋を食い、一日3~4時間の睡眠で労働や研究・執筆に励んだ。





昭和24年6月には天皇陛下の御巡幸の光栄に浴し、また昭和26年には高松宮殿下、27年には三笠宮殿下の御視察を頂き、その名声は日本中に響き渡りました。
生涯に渡って農民指導に勤め、日本農業の進歩と発展のために捧げた人生でした。


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その松田喜一翁は「百姓の五段階」を唱えました。
それは、次の様なものです。


一段目が、「生活のための百姓」
二段目が、「芸術化の百姓」
三段目が、「詩的情操化の百姓」
四段目が、「哲学化の百姓」
五段目が、「宗教化の百姓」




一段目が低いレベルで、五段目が最上級のレベルとなります。

では、具体的に私流の解説をしていきましょう。


「生活のための百姓」とは、生きるための職業として百姓をしているという段階です。
他にできることもないし、食べていくためには百姓をせにゃならん、そんな動機で働いているレベルです。
または、遊興・享楽のためのお金を稼ぐ手段が百姓であるというレベルです。


二段目の「芸術化の百姓」とは、百姓の仕事を通して十分な貯蓄もでき、無理に百姓をする必要はない。辞めようと思えばいつでも辞められるのですが、生活上の実利よりもむしろ農作物の美しさや趣きといった内的価値感によって心を動かされ働いているというレベルです。農作物が生育しやがて実がなり収穫となるその不思議さ・神秘に感動を覚え、それにつき動かされている段階とも言えます。


三段目の「詩的情操化の百姓」とは、四季折々の山水や農村の風情を味わうことに幸福感を感じ、そのために百姓をしているというレベルです。百姓という仕事が生の一部になってしまい、仕事をしているという感覚はほとんどないのでしょう。


四段目の「哲学化の百姓」とは、天地の声なき声を聞き百姓をしている、農業を通して真理を追究するレベルです。天候を自在に読みきったり、農作物と会話をしたりして、自然と一体化している賢者クラスでしょう。


五段目の「宗教化の百姓」とは、百姓の最高峰で、自分自身が農業に従事していることが神の手足となって働いているという自覚があるレベルです。百姓をしているということが神業奉仕であると肚(はら)で分かっている聖者クラスと言えるでしょう。



百姓は昔から低く見られがちであると思いますが、本物の百姓になるには天地自然と一体化しなければならないので、霊性が向上しやすい仕事です。
一見、百姓は野良着で汚らしく見えるかもしれませんが、魂レベルでいえば霊性が高い人が多いのではないかと思っています。
実際、宗教大本の巨人 出口王仁三郎も「これからは一番いいのが百姓だ」と言っています。(他の含みもあるかもしれませんが・・・)

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この松田喜一翁の分類は、百姓に限定されず他の様々な職業に当てはめることができると思います。
皆さんは自分自身を診断するとどの段階になりますか?

生活にあくせくして稼ぐことばかり考えている人はまだ一段目です。
治療家でもお客様を治すことより、やれマーケティングだ・経営だと集客のことばかり考えている人はこのレベルです。(世の中にたくさんいますよ。)
そういう人は、人から感謝されることが自分の喜びであるという境地まで早く進むといいかと思います。

私はイチローのことを「野球をする哲学者」と考えています。
イチローは野球を通して真理を追究する姿勢があり、そのために彼の発言は他の分野で活躍する人にとっても大いに啓発されるのです。
実際、イチローは若い時から、自分の高額な年俸の理由について「野球界に限定されず他の職種の多くの人に与える影響力に対する報酬である」と語っていました。
それからするとイチローはここでいう四段目になると思います。

私は農業をしている人を多く知りませんが、リンゴ栽培で有名な木村秋則さんは五段目の境地なのでしょう。
木村さん以外にも、あの人が作った作物はなぜか大きく実る・とりわけ美味しい、または地域全体が天候被害や害虫などの被害を受けても、あの人の畑だけはなぜか無傷だったという人がいたら、神のご加護が厚い五段目の百姓と言えるでしょう。



参考 :  なぜ木村さんのりんごは無農薬で育ったのか?

治療家で言えば、自分が人々を癒し救済することが神業奉仕である感覚的に分かっている段階と言えるでしょう。
その様な人は特別集客などと考えなくても、結果を出し続けていますのでお客様が途絶えることなく繁盛しています。
私はその様な治療家さんも数人知っていますし、自分もかくありたいと思い気功治療の仕事に従事しています。



2016_04_16


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皆さん、こんにちは。

私たちは頻繁に「ありがとう」と人に感謝を伝えます。
または、人から感謝を伝えられます。


「ありがとう」とは、漢字で書くと、

有り難う


と、なります。

この意味は「(そう)あることが難しい」「(そう)あることが困難である」ととることができます。

なのに・・・それなのに、やってくれたとは・・・

と、いう感謝の気持ちがその言葉の裏にある訳です。


つまり、

「そうあることがとても難しいのに、私のためにやってくれて・・・」

と、いう高まった気持ちが「ありがとう」です。


そうあることが難しいのに、それを私のためにやってくれることが日常で頻発しています。

モロヘイヤ
(出典: モロヘイヤ栽培 )

例えば、私は昼食に伊豆諸島産のモロヘイヤを食べました。
それだってそれが生育するまで農家の方(たぶん夫婦でしょうか?)が毎日面倒をみて、刈り取るまでの長期に渡って台風でダメになることもなく、トラック・飛行機などの物流に携わる多くの人の力を借りて、ある経営者が経営してくれているスーパーで、その社員さんが丁寧に陳列してくれて、私がお客様から頂いた施術料の一部と交換して、ようやく私の口に入ったのです。
より細かく検証したら、もっともっと多くの人が関わっていますよ。

この様にたった一つの事例をとっても多くの人の力が関わっています。

でも、普段はそんなこと考えませんよね。

しかし、私たちの日常はそんな多くの人の力が結実して成り立っているのです。
そんなことばかりです。
それはある意味、奇跡ではないでしょうか。
例に挙げたモロヘイヤだって300年、500年前では有り得ない(=そうあることはない)ことでしょう。



不満や怒りなど心がネガティブに振れていてはその様な日常の小さな奇跡に気付きません。

今の日本人は電車が3分遅れただけで激怒しキレてしまう人が多いのが実情です。



「ありがとう」とは奇跡が起こっていること。
何もない空中から物質を取り出すばかりが奇跡ではありません。


私たちの身体は60兆もの細胞から成っており、それが不思議な力で実に見事に有機的に動いています。
何も私たちは意識せずとも自動で身体は動いてくれています。
多少の不調はあるかもしれませんが、細菌が一杯、リスクが一杯のこの地球という星で故障もせず長く生きていられることは奇跡以外の何ものでもありません。

本当に「有ることが難しい」、ありがとうなのです。


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2016_01_18

2016年の抱負

category: 人生  

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皆さん、こんにちは。

年初に抱負を固めておくことは、1年を実りあるものにするために大切なことです。

松下幸之助氏は創業の頃より年末または年頭に新年の抱負とその年の経営方針を述べていました。
松下幸之助氏だけではなく経営者で同じ様にしている人は少なくないことでしょう。

そこで、私も例年の様に今年にやっていきたいこと、実現したいことをまとめてみます。
自分自身に向けて書いている一面もありますので「??」なところもあるかもしれませんが、それはそれでご覧頂ければと思います。



霊性修行に一層励んでいくこと、肉体と魂を鍛えていくこと

霊性修行をするということはいわば魂を鍛えていくことになるのですが、その点で現状より一段高いレベルを志向したいと思っています。
今年は霊性を加速度的に高めなければならないという緊張感をひしひしと感じます。
すべてにおいて最優先事項は修行となります。
それで成果を上げれば上げる程お客様に還元できるものが多くなります。
人生においてあることを集中的にしなければならない時期というものがあります。
それが私にとって今年の霊性修行であるということです。
山に入ることも多くなるでしょう。

また、物質世界を生きる上で肉体を疎かにすることはできないので、肉体的にもより強靭になる様鍛錬していきます。

食も今は牛・豚・鳥・魚の肉をとりませんが、より一層の食の節制をするかもしれません。
※魚はお付き合い上やむを得ない場合はとることもあります。


指導の一層の進化・充実を図る

スピリチュアル・ヒーラー養成塾の全カリキュラムを一新し、質・量ともに現状の進化向上を図ります。
治療の技量、人間性共に多くの患者さんに慕われる治療家を輩出していきます。


WEBメディアのコンテンツを充実させる

このブログの他、複数のサイトでの情報発信に力を入れていきます。
集客・広告という観点ではこれ以上する必要はないのですが、書くことは情報提供という点で読者の役に立ちます。
ブログについては、読者数を無闇に増やそうとするのではなくコアな読者に響く質の高い記事を書いていきます。



日々の本業である気功治療が多忙であるため、他のことについては時間の使い方が重要となります。
二十歳を過ぎれば脳細胞は日々死んでいくと言われますが、頭脳のメモリーが増量しないものかなぁと思う今日この頃です。

気功治療については例年通り、他所で良くならないクライアントさんを健康に導いて差し上げることに情熱を持って取り組んでいきます。

あとは、できるだけ腹を立てない、穏やかな笑顔でいることでしょう。



2016_01_13


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プロフィール

水野博友

Author:水野博友
気功家・ヒーラー・瞑想家
気功で人の病気や苦しみを癒すヒーラー

愛知県出身、早稲田大学商学部卒。
埼玉県さいたま市浦和区で気功治療院「外気功療法さいたま院」を開業、肉体の病~精神の病まで日夜 気功の施術を行っている。遠隔気功の実績も豊富。
満月時は日本の山に籠り密教修行を行う、また2011年より定期的にインド・ヒマラヤ、インドネシアに渡り様々な聖者の指導を受けて霊性修行に励んでいる。

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