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【水野氣功塾】ブログ更新しました。




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バランスは大事!その心に不純なものはないか?


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【水野気功療法院】ブログ更新しました







2020_07_22


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こんにちは。

 

現代に生きる人は、日々何かしら「頑張らなければならない」という観念を持って生きています。

 

子供がいれば、「勉強頑張りなさい!」と言いますよね。

また、朝ご主人様が家を出る時、「今日も頑張ってね!」と言いますね。(言われない人もいますが・・・汗)

 

多くの人は、人生に目標を持って、それを達成するために一生懸命に生きなければならないと考えています。

また、成功しなければならないと考えています。


特に男性はより大きな経済力や知名度・肩書・権力を求める傾向があり、それを人より多く得るために躍起になっています。

そして、それができない人を劣った人とみなします。

また、経済力がない人を経済弱者という表現する様に劣った人とみなします。

 

今はこの様な見方・考え方が常識になっています。

しかし、私は社会全体のこの様な考え方に何とも言えない違和感を覚えます。

 

 

 

 

もし、意識が高度に進んだ星があったとしたら、そこの住人(宇宙人)の社会ではおそらく「頑張る」という概念はないでしょう。

それと同時に「所有」という概念もないでしょう。

 

また、この地球上でも1000年後の社会が仮に存在した場合、ひょっとしたら同じように「頑張って生きる」という概念はないかもしれません。

 

そこでは父が娘に次の様な話をしているかもしれません。

「大昔はな、人々は『頑張って』生きてたんだぞ!」と。

 

娘が「マジ何それ~!!信じられない~」とか言っているかもしれません。

 

 

 

「頑張る」という言葉は、デジタル大辞泉にある様に「困難にめげないで我慢してやり抜く」という意味で積極的に用いられます。

しかし、それだけではなく言外に「自分の考え・意志をどこまでも通そうとする」という意味があります。

 

「頑張る」という言葉は分解すると、「我を張る」という意味になるのです。

「我を張る」というのは、自己中心的な考え方であって、無理を押し通しても自分の欲求を満たすことになります。

仮に、頑張った末に目標を達成しても、それはどこか不調和でいびつな結果になっている可能性が高いのです。

 

その様な結果は、遠からず歪みが大きくなってもろく崩れてしまうことでしょう。

企業でも無理を押して急成長したら、あっという間に急降下しいつの間にか市場から退場しています。

 

 

 

 

私は、早朝から店に入って10時開店まで瞑想等の鍛錬をし、夜はすべての気功治療が終わってからまた鍛錬をしたりする生活を永く続けています。

帰宅も12時を回ることが多いです。

休業日でも何かしら仕事に関係することをしています。

完全に仕事から切り離された時間を過ごすことは余りありません。

 

その様な生活を傍目に見れば、凄く頑張っていると言えるかもしれません。

しかし、自分自身はまったく頑張っている意識はなく、やらなければならないことを淡々とこなしているだけです。

そうしてこなしていくのが、ある種の快楽につながっています。

やらないと気持ちが悪いからやっているのです。

この様な例は「頑張っている」とは言いません。

 


もう一方の例として、電話セールスや飛び込み営業を挙げてみましょう。

私も3年間やり続けてとても辛い思いをした時代がありました。

毎日毎日「辞めたい」と思って出社していました。

 

基本的に、電話セールスや飛び込み営業は押し売りです。

ほとんどすべて断られます。

それはそうです。

電話や訪問を受けた人は、その時間他に何か取り組んで忙しくしていますから、そこに突然割り込んで要らない商品をセールスされては迷惑千万でしょう。

 

でも、会社員ですから、企業の利益のために本当はやりたくなくても心を殺して笑顔でセールスするのです。

1件の成約を得るために、99回の断りに耐え続けるのです。

 

なぜならノルマを達成しないと、上司から叱責を受けて心がズタズタになる様な怖い思いをするからです。

今月はノルマを到達したと一安心しても、すぐに翌月のノルマが降りかかってきて、その部署にいる限りは永遠にその恐怖のループから抜け出すことはありません。

 


極端な例ですが、この様な取り組みを「頑張る」というのです。

営業マンから購入した人は、実はそんなに必要としていた訳ではないけれど、断り切れなくて契約したのかもしれません。

無理にセールスをしなければ売れない商品やサービスは、そもそもこの世界に存在しなくても誰も困りません。

困るのは、その会社の社長くらいでしょう。

 

 

 

 

何か今自分は「頑張っている」と思える様なら、その生き方は間違っているとまでは言いませんが、ちょっと不自然であると考えた方が良いです。

そして、できれば見直して軌道修正すべきです。

 

もっと、気楽に楽しんで生きるのが人間本来の生き方です。

不自然な生き方をしていれば、いずれ病気として身体に現れてきますし、心が苦しくなって病んでしまうことでしょう。

 

自然な生き方をしていれば、調和を得て上手く回っていくものです。

その様に肩の力を抜いた生き方をした方が良いのです。

肩の力が抜けていれば肩こりになることもありません。

私の師匠は「肩こりになるのは生き方が間違っているからだ」と言います。

 

自分のエゴを充たすために、周りに無理をかけてはいけないのです。

つまり、「頑張る」ことは良くないのです。

調和を得た生き方をすれば、人の縁も、お金も、必要なだけ自分のところに巡ってきて、豊かな内面(心)で幸せに生きることができます。

 

 

 

「じゃ、何だね。何も頑張らなくてもいいのかい?」

「人々が頑張っているから社会が良くなっているのでしょう?」

 

と思われる人もいるかもしれません。

 

 

言葉の捉え方が違いますが、人はそもそも成長を志向する存在です。

今日よりは明日の方がより良い状態になっていることを潜在的に望みます。

なぜなら宇宙そのものが成長発展を志向しているからです。

 

だから、もし「頑張る」という言葉を適切に置き換えるとすれば、「進化する」「バージョンアップする」「グレードアップする」という言葉が良いかもしれません。

「精進する」という言葉は、それに精神性が加わって尚良い響きがあります。

 

「あ~、今日も頑張らなきゃ~」と心を奮い立たせて嫌々生きるのではなく、「今日も進化してるね!」と歓びに満たされて生きた方が良いとは思いませんか?

 

 

 

 


2019_11_28


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皆さん、こんにちは。

 

弊院には、自分の子供が引きこもりやうつになってしまって、その状況の改善を求めて親子で来院される方々が多くいます。

 

話を聞くと、「お母さんの押し付けが強いなぁ・・・」と感じることがよくあります。

もう少し具体的に言うと、しっかり勉強をして良い学校に進学して欲しいというプレッシャーが強いと感じます。

または、「○○でなければならない」「〇〇しなければならない」という頑なな制約でがんじがらめにしている様に感じます。

 

 

 

自分の子供が希望する学校で勉強したいことがあるならば、その学校を目標にしていくのは大いに素晴らしいことと思います。

 

しかし、子供が「〇〇の学校に進学したい」というのは、親のお仕着せの偽りの希望であって、実は子供よりも親御さんがそう望んでいるというケースも少なからずあります。

 

進学校でしっかり勉強したら、社会に出ていい会社に入って、豊かな生活ができるのと期待しているのでしょうか?

 

 

 

 

子供は親の愛情を得るために、いい子であることを振る舞い、親の期待に応えようと奮闘します。

子供にとって親と学校は世界のすべてであると言っても過言ではありません。

だから、親の関心を得るため、親の愛情を得るためなら辛いことでもそれが好きであるかのような顔をして頑張ります。(鈍感な親は気付きません。)

幸いにしてそれができれば良いのですが、それができない場合は苦しみます。

 

 

親の期待に応えられない場合には大いに苦しみ、「自分はダメな人間だー」と自己嫌悪に陥ります。

それが酷くなり一線を超えると、うつになったり、引きこもりになったり、重症化してしまうのです。

 

 

 

 

親の世代が育った世界と、今の子供たちの世界は相当違います。

まったく違う時代になっています。

 

親の時代にはインターネットもスマホもYouTubeもありませんでした。

これからは更にAIが伸びてきます。

 

社会を構成する様々な要素、価値観がものすごく大きく変わりつつあります。

平均寿命も大幅に伸びますから、人生設計もこれまでとは全然違ってきます。

その変化に一番対応できていないのは、世のお母さん方ではないかと思います。

 

お母さんが世の動きに鈍感で旧態依然の価値観を自分の子供に押し付けていたら、子供は歪んで潰れるか、反抗するか、どちらかです。

 

 

 

 

学校で学ぶ知識で社会に出てから活きるものは、実はそれほど多くありません。

 

私自身も大学では商学部に在籍し、ゼミで企業行動について研究していましたが、それですらビジネスの世界では全く使えない無用な知識でした。

 

学歴があれば出世し、人の上に立てるというのも全くの幻想です。

学歴があってもポンコツで役に立たない人間もいれば、学歴がなくても地頭がよく世間の尊崇を集め活躍している人も大勢います。

そんなことは、社会人として働いていればほとんどの人が分かっていることです。

 

 

 

本当に社会に出て必要となる能力は、勉強をして習得する「知識」ではありません。

それよりも、一言で言うと「生きる力」、こちらの方が重要なのです。

 

・感情がポジティブに安定し、物事を前向きに捉える能力

・自分の好きなことを見つける能力

・それを仕事に結びつけ、人の役に立つ様に活用する能力

・円滑な人間関係を築くコミュニケーション能力

・人に好かれる能力

・周りの人に力を与え、元気にしてあげられる能力

・人に希望を与えてあげられる能力

・新しいことを発想し、形にしていく能力

・危険を察知する能力

 

 

・・・この様なものの集大成が「生きる力」と言えるでしょう。

 

その他の知識は、読み書きそろばんができれば本当は十分と言えます。

社会に出て微分積分やπや√を使う機会がある人、または「墾田永年私財法」が何年に成立したかという情報を使う機会がある人は滅多にいないはずです。

 

そう考えると、子供が進学する学校に拘ったり、成績に一喜一憂したりするのは意味がない様に思えます。

 

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もし、私の子供が「勉強したくない」「学校の勉強は嫌い」と言うなら、

 

「おぉ、分かったよ。何か勉強に変わる好きなものを見つけられたらいいよね。」「これから好きなことをたくさんやっていこうよ。」と答えます。

 

 

または、「勉強が嫌いだから、進学したくないんだ」と言うなら、

 

「学校の勉強ができるかどうかは全然人の価値と関係がないんだよ。大丈夫。卒業したら働ける良い仕事(または専門学校)を一緒に見つけようか。」と答えます。

 

 

または、「学校の仲間達とうまくいっていないんだ。」「いじめられるんだ」と言うなら、

 

「そうか、そうか。今までよく頑張ったな。そんなに苦しむ必要はないぞ。転校できる違う学校を探そうか。」と答えます。

そして、「次の学校では、今よりもっと楽しい仲間が待っているよ。」と一緒にワクワクしているのではないかと思います。

いじめが収束しないなら、我慢しないでサッサと違う学校に転校することでしょう。

 

 

 

 

私は多分普通の人より「こうでなければならない」というこだわりや執着が少ないと自覚しています。

だから、その分心が自由で軽い感じです。

 

この学校でなければならないとか全くありません。

どこの学校に行っても、楽しい仲間はいますし、そこから素晴らしい進路は拓けています。

 

お金をたくさん稼がなくてはならないという強迫観念の様なものもありません。

稼いだお金の中で楽しく生活したら良いでしょう。

 

 

 

 

私と価値観が異なる押し付けの強いお母さんを見ると、「あぁ、お子さんが可哀想だな」と心が痛みます。

でも、そこで教育談義はできませんから、私はほとんど何も言うことができません。

 

そういうお母さん方はお子様の成長を期待している様に、ご自身も成長を志向しているのかと疑問に思います。

 

 

・お母さんご自身が成長のために何か取り組んでいるものはありますか?

・月に何冊本を読んでいますか?情報をアップデートしていますか?精神を磨いていますか?

・自分を高められる尊敬できる人と会っていますか?

 

 

自分ができていないのに、お子様だけに勉強を強いるのはおかしいのではないでしょうか?

だらしない生活を送って、誰かの悪口や愚痴ばかりこぼしていたら、お子様もその様に育っていきます。

 

親の背中を見て子供は育つと言います。

親が生き生きとやりがいを持って楽しく毎日を過ごし、日々成長して輝いていたら、お子様は何も言わずとも親を尊敬し「自分もかくありたい」と思うものです。

そして、自分もやろうと力強く生きようと思うものです。






 

 

 

「生きる力」の強い子を育てる~人生を切り拓く「たくましさ」を伸ばすために~

(天外伺朗/飛鳥新社)


執筆後に出て来ました!こういう本も読まれるといいでしょう。

著者の天外伺朗氏は元ソニーの上席役員ですが、「一流大学を優秀な成績で卒業してきても、勉強ばかりして遊んでこなかった子は企業ではほとんど役に立たないことを断言できる。」と述べています。

社会を変革してきた人の多くは、子供の頃たくさん遊んできた人なのです。

 

(目次より)

・エリートシステムの崩壊

・「与える」教育ではなく「引き出す」教育を

・文字や計算の早期教育は不要

・育児の教育は間違いだらけ

・しつけは子供への不信の裏返し

・「お勉強」では健全な知性は発達しない





2019_08_11


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皆さん、こんにちは。

この社会で生きている多くの人は、大なり小なり人間関係に苦労しているものです。
なぜなら、この世界(地球)に生まれて来た目的が、魂を成長させるためであり、魂を成長させる(これを「身魂磨き」と言います)ためには人間関係から多く学ぶ様にできているからです。

そのため、私たちの周りにはどうしても好きになれない人、嫌いな人が配置されています。
その人とできれば一緒にいたくない、関わりたくないと思うのですが、なぜかそういう訳にいかない。
離れたくても、離れられない。
あるところまでいかないと離れられない様になっている。

それでストレスを感じ、ああでもない、こうでもないと心を悩ませ煩悶する訳です。
これはとても苦しいことです。




しかし、考えてみると自分の周りにイエスマンばかりいたらどうなのでしょうか?
自分の事を「すごいね!」とか「素敵!」「立派ですね!」とか、褒めてくれてばかりいたら・・・

それが毎日だったらどうなりますか?
ストレスもさほど感じず、気持ちよく楽しい日々が続いていきますが、果たしてそれで成長できるでしょうか?



企業のトップもイエスマンばかりで重役を固めると、その会社はやがて傾いていくと言われます。
意見の対立がないと、より良いものが出てこないし、間違った方向に向かっていてもそれに気付かなくなります。

社長であるならば、主君への諫言(かんげん)も辞さないという気持ちの強い家臣を置かなればなりません。
企業のトップであれば、周りの人はトップの顔色を伺って、いつも気に入ってもられる甘言ばかり言う人が集まってくることでしょう。


誰かが自分に厳しいことを言ってくれないと、人は自分の間違いに気づかないものです。
そういう人が周りにいなければ、のほほ~んと温泉気分で生きていけますが、それで人は成長するでしょうか?
そんな状態が続いていけば、ふやけきって馬鹿になってしまうに違いありません。



「身魂磨き」をするためには、大根おろしのおろし金ではありませんが、トゲがなければ磨くことはできないのです。
自分に厳しいことを言ってくれたり、嫌な事を言ってくれたりする人がいないと人は成長しないのです。


筋肉は加重という負荷がなければ強くなりません。
同様に、人間の心も、ある程度のストレスという負荷がなければ強くならないのです。


そういうことをわかっていないと、厳しいことを言ってくれる人に憎しみなどの悪感情を持って応対してしまいます。
自分自身の成長の要因を考えれば、その人のお陰で成長できるのです。
それを思えば、怒りや恨みなどの気持ちを抱くのではなく、真逆の感謝の気持ちを持たなければならないはずです。




なかなか人間関係の問題の渦中にいれば、頭でわかってもそう心を持って行くのは難しいかもしれません。

しかし、いつか感謝の気持ちに自然となれれば、既にその嫌な人の存在意義はなくなりますから、やがて自分の眼前からいなくなってしまうでしょう。
そうした時に、人生のステージがあがって、人間関係の問題に悩むのは卒業ということになるのです。



私もサラリーマン時代に上司に恵まれず長期間辛酸を舐めたことがありました。
理不尽なことばかり続いたり、小馬鹿にされたり、なんでこんな目に・・・と毎日上司を恨めしく思っていました。
上司はまったく尊敬に値しませんが、それでも上司の機嫌をとっていかなければならないところがサラリーマン社会の辛いところです。

その様な状況が何年も続き、ある日の夢にその上司が満面の笑みで現れました。
何を言っているかはわかりませんでした。
その様な温かみのある笑顔を実際に見たことはありませんが、私を褒めている様でした。

その笑顔は、映画「千と千尋の神隠し」で、腐れ神というドロドロとした悪臭を放つ神様が、千尋の接待で浄化され、本来の河の神になって、最後に「よきかな」と歓び上がっていく・・・そんな感じの笑顔だったのです。

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腐れ神

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「よきかな」




「なんだったのだろう・・・変な夢をみたな・・・」


と振り返りましたが、程なく上司は人事異動でいなくなりました。

今思えば、生まれて来る前の約束だったのでしょうか、今世で私を鍛えてくれるためにヒール(悪役)をかってくれていたのかもしれません。




2019_04_05


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皆さん、こんにちは

私の生徒さんの一人(Oさん)が、家族が怪我をしないか心配をする余りに、それが起こってしまったというご報告がありました。

この事例を基に、心配をすることについて考察してみます。




人の性格は楽天的な性格と、悲観的な性格に分かれます。
私自身は、どちらでもなく中間位と自己分析していますが、悲観的でネガティブな思考パターンの人の中には非常に心配性の人がいます。

起こってもいないことを、「ああなったらどうしよう」「こうなったらどうしよう」と心配ばかりしているのです。

備えあれば患いなしと言われますから、備えを考えることはある程度必要と思います。
しかし、ネガティブな感情に引きずられる様に、「あれも心配」「これも心配」と頭の中が心配事で一杯になると、その思考パターンにエネルギーが消耗し、とても疲労します。

西洋の諺(ことわざ)に「心配は猫をも殺す」というものがあります。
猫は9つの命があり、なかなか死なないしぶとい動物と信じられています。
しかし、そんな猫でも、心配をしている内に、身に毒を溜めて死んでしまう。
それだけ心配をすることは身体によくないのだということが、洋の東西を問わず言われているのです。




人の心には、物事を現実に形作る現実化の力があります。
その創造性を人生の良い方面に役立てれば、自分の人生を思う様に進められますので、自信が付いてきて、人生も楽しくハッピーに展開します。


しかし、逆に現実化の力をネガティブな方向に向けたらどうなるでしょうか?

「Aさんに〇〇が起こったら心配だ」「大丈夫だろうか」と、あたかもそれが起こったかの様に先のことを考え続ける訳です。

そうなると現実化の力は、その心配事を形作ることに使われることになり、それが近い内に現出してしまうことになります。


Oさんの家族に、Oさんの心配事が起こってしまったというのも、おそらくOさんの現実化の力が作用したと推測できます。
Oさんは元々念が強いため、現実化の力も人より強力です。


少しケースは違いますが、映画「スターウォーズ エピソード3」に近いストーリーがあります。
主人公のアナキン・スカイウォーカーが、妻のパドメが死ぬという予知夢を見て、それが起こらない様に心配苦悩する余り、シスの暗黒卿(=ダークサイド)の手下に堕ちてしまい、結果的にアナキン自身の手で妻を死に追いやってしまうというストーリーです。
これなどはアナキンの心配しすぎで、自分の予知夢が現実化する方向に動いてしまったケースです。



私がインドに修行に行く場合でも、身内にあれこれと心配をしてくれる人がいます。
気を使ってくれることは大変ありがたいのですが、「あれは大丈夫なの?」「それは危なくないの?」などと、必要以上に心配をしてくれます。

それが積み重なって来ると、心配されたことが起こってくるのではないかと、こちらは甚だ迷惑に思えてきます。

残念ながら、その人の行為は心配をしている様で、実態は足を引っ張っているに過ぎません。
修行が上手くいく様、応援することと、心配をすることは違うのです。
心配をし過ぎるということは、失敗をする方向に引っ張っていることになります。




また、心配をするのは、心配をかきたてる様な現象が起こったことが原因になっていることもあります。

現実に起こっている事象の解釈は、自分自身の心が判定します。

例えば、いじめられた経験がある人は、例えばBさんに挨拶をしたのにBさんが挨拶を返さないということが起こると、「Bさんは私のことを嫌っているに違いない」という状況判断をする訳です。

でも、Bさんは挨拶をされた声がよく聞こえていなかったのかもしれませんし、また他事を考えて上の空だったかもしれません。

「あれ、Bさん今日は様子が変だな」とか「急いでいたのかな?」「体調が悪いのかな」と、その状況を判断すれば、Bさんとの関係に亀裂が生じることはありません。

しかし、Bさんが全然嫌っていないのも関わらず、「私は嫌われている」と心に決めつけてしまうとどうなるでしょう?

状況をネガティブに解釈することを、疑心暗鬼といいます。

心に疑心暗鬼が浮上すると、そのネガティブな思考パターンで相手のことを見る様になりますから、結果的にその相手との人間関係はギクシャクして上手くいかなくなる様になります。

それも自分自身のネガティブな心が作り出した現象で、実は相手にはほとんど原因がなかったと言えるのです。




心配事は考えない、心に出さない様にするのが一番良いです。
しかし、心配性の人は、それでも次から次へと色々な心配事が頭に去来します。

そういう場合は、心配事を思う最後に肯定的な表現を付け加えることをお勧めします。


例えば、「あの人が事故にあってしまったらどうしよう。」「あぁ、大変だぁ・・・

と、思うのではなく、

「あの人が事故にあってしまったらどうしよう。」「でも大丈夫、起きないだろ!」

という様な肯定的な形で締めるのです。



突き詰めて言及すれば、心配性というのは、幼い頃からの育てられ方の問題であったり、潜在意識に溜まっているネガティブなエネルギー(情報)が、心配事という形で浮上していたりするのかもしれません。


霊性修行者で、心配性である、またはネガティブなことをいつも考えているという人は、まだまだ修行が足りないと断定できます。

その様な思考がほとんど出て来なくなって、まるで穏やかな湖面の様な思考になってくるのが理想です。

そうなるためには、やはり瞑想を継続していくのが一番です。
思考パターンを変える、ネガティブな感情を浄化するには、瞑想が相当強力な助けとなるはずです。



心配なことを考えてばかりいる人と、楽しいことを考えてばかりいる人では、人生の彩りが違います。
灰色な世界で暗く過ごすのか、明るく陽の差す世界で過ごすのか、それを決めるのは誰でもなく自分自身であり、そうなる様に自分自身の心をコントロールしなければならないのです。



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心配するんじゃない。
幸せであれ!




2019_02_05


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水野氣功塾で「気功治療家養成講座」の開講はまだかまだかと督促を受けます。

8月開講の予定でしたがまだ作業中です。

開講が遅れ本当に申し訳ございません。

 

 

➡ 水野氣功塾「気功治療家養成講座」

 

 

3年前から準備をしていますが、なかなか完成に至りません。

太っといデキスト、内容盛りだくさんのものになります。

書いても書いてもこれも書き足さなければと、続きを書いていると完成しません。

どこかで形に仕上げなければならないとは思っていますが。

 

他所の類似の講座の内容は知りませんが、私は自身の魂を伝えるつもりでやっていますので、そう簡単にはできないのでしょう。

すべては神にお任せなので、出来上がった時がその時期と思ってはいますが、待ち遠しく思ってくださる方々には申し訳なく思います。

 

 

優先順位の付け方が悪いのでしょうか、とにかく時間がとれず、サットサンガ(真理の集い)の準備にも毎月膨大な時間がかかります。

サットサンガに参加してくれた方は、どれだけ私が準備をしているかお分かりと思います。

サットサンガなんて売上的には微々たるものなので、採算性で言えばやらない方が得策なのですが、そうは言っても、私の話を楽しみにしてくださっている方々がいますので、そのためにやっているのです。

「気功治療家養成講座」そっちのけで、サットサンガの準備ばかりしていては本末転倒かもしれませんが、それはそれで良いかとも思います。

おかげでブログを更新する時間も全然ありません (T_T)

 

 

そうは言っても、私の生活のメインはやはり気功治療です。

毎日毎日忙しくしています。

大変なお客様も多いので無茶疲れます。

 

店を出るのは、夜12時を過ぎることがほとんどです。

帰り道、近くの公園で懸垂をして帰ります。

一日の色々な思いを鉄棒にぶつけます。

深夜12時台に鉄棒とにらめっこしている男性がいたらそれは私です。(完全に変質者ですね)

 

10時台に店を出られれば、サラリーマンの半休をもらった気分になります。

お客様から寄せられるメールも多くてその往信にも意外と時間がかかります。

 

何か上手く仕事がはかどる方法があれば良いのですが、元来不器用なためスマートに事をこなせません。

 

今日も日曜日ですが、近くのカフェでパソコンにむかいサットサンガの準備です。

家族サービスなんてありません。

私の師匠も「霊性修行者の家族は可哀そうだ。」と言っていましたが、私もほとんど家にいませんからうちもそうです。

家族には言葉でなく、生き様で感じ取ってもらえたらと思っています。

生き様が最高の教材でしょう。

 

 

サットサンガ(真理の集い)の説法はテーマを決めてから内容を落とし込んでいきますので、結構苦しみます。

ああでもないこうでもないとギンギンに頭を使っていると、ふとした時にインスピレーションが降りてきます。

今回も素晴らしいインスピレーションが来ました。

 

インスピレーションとは、どこかの本に出ているものではなく、天の図書館にある知識をダウンロードする様なもので、それは叡智と呼ばれます。

これが得られるかどうかで内容が薄っぺらになるのか、相手の肚(はら)や魂に伝わるものになるのか大きな差が生じます。

確かに知識を伝えてはいるのですが、知識を超えた「思い」「エネルギー」を受け取ってほしいのです。

 

 

 

その様な状況ですので、講座開講はもうしばらくお待ちください。

私の生活を友人や仲間に話すと「全然寝てないよね」と言われます。

余り寝なくてもさほど疲労せず生きていけるのは、それも神の恩寵と思っています。

 

 

 

人それぞれ人生でやるべきことがあります。

それ(人生の使命)がわかっている人は、それに人生をかけてやり遂げたら良いと思います。

まだわからない人は、いずれそれが分かる時が来ますから、時間を大切にして色々勉強し力を蓄えてください。

 

女性の皆さん、子育ても重要な仕事です。

親の「人間」ができていないと立派な子は育ちません。

あなたが育てた子供が将来たくさんの人の役に立つ人物になる様、まずは親が自身の「人間」を作るのです。

 

皆さん、お互いに頑張りましょう。

今日やるべきことをやりましょう。

病気がある人は、まずは病気を治しましょう。

治してから自分の人生を一歩踏み出せばいいです。


人生は希望と愛に満ちています。

 

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皆さん、こんにちは。

私の髪を切ってくださっている理容師さん(女性・Kさん)はまだ30才と若く、しかもキャバ嬢風の雰囲気があります。
彼女は理容師の仕事が本当に好きで、毎日一生懸命お仕事をされています。
腕前も確かで、私なんかはいつも坊主頭なのですが、彼女が切るとスタイリッシュな髪型になります。

今日散髪中にKさんがふと漏らしました。

「私は中卒でこの理容師の世界に入ってずっと来ているから、先日異業種交流会の様な華やかな場に行ってひどく気遅れしてしまいました。遊びの世界を知らずに育ったから世間知らずなんです・・・」

異業種パーティーの様な華やかな場は独特ですから、そう感じるのも無理もありません。
私もサラリーマン時代には、社長に連れられ繁華街の華やかなお店に足を運んだこともあります。
ちょっと自信喪失気味なKさんに私はこう答えました。

職人の世界はね、技術を高めていく中で人間性を向上させて行くんです。また店の狭い空間に長くいたとしても、一人一人のお客様と深く付き合うことで、お客様を通して世界を知るのです。

「だから、世間知らずとか自分を劣っているとか思う必要はないですよ。」

普通の人にはちょっと重い話かもしれませんが、Kさんは向上心があってこの様な仕事論や人生論を語ると喜びます。



私もKさんと同じで、狭い店内で一日の大部分の時間を過ごしています。
仕事ばかりしているため、繁華街に出ることもありません。
サラリーマンと比べると人付き合いも多くありません。
私もKさんと同じ状況にある訳です。


しかし、自分自身を振り返ってみると、多忙なベンチャー企業の社員だった頃より、今の気功治療家の方が人間的に成長している気がします。
世の中を知るという点では、一所に長くいますので情報不足・刺激不足になっているかもしれません。
しかし、毎日数人のお客様と深くお付き合いをさせて頂く中で、お客様からとても多くのことを学んでいます。

弊店のお客様は、私にはもったいない位良いお客様がたくさん来られます。(客層がかなり良いのです!)
そのお客様と触れ合う1時間程の時間の中で、直接的なお話しを通して、またはちょっとした所作を通して、「この人は素晴らしいなぁ」と感じ、それが少しずつ自分の血肉となってきました。

また、お客様が病気で苦しんでいるのを目の前にして、「どうしてこの様なことになってしまったのだろう?」、「どうしたら早くこの苦しみから解放されるだろう?」と思索します。
たいてい答えはなかなかすぐには得られません。
そうして色々とない頭を使うことで、知識を本から得たり、直観的に本質を学んだりしできました。


人は自分の仕事を深めていくことで学び成長します。
仕事以外にも、子供たちが打ち込む部活動、主婦の子育てなども同じ様に成長します。
部活動に3年間一生懸命打ち込んだ学生と適当に遊んでいた学生では、前者の方が人間的に成長しているのは自明です。

一つの事を愚直に探究し続けることが、成長になるのです。
外界の多くの刺激は別に無くても何ともありません。
たくさんの友達を求める必要もありません。
たくさんの知り合いも、たくさんの名刺も必要ありません。

知識は書から得られる。知恵は観察から得られる

人間を涵養(かんよう)させるのは、知識よりも、知恵であり、更に叡智(えいち)でありましょう。
叡智とは、経験的な知覚においては与えられず、ただ思惟や直観によってのみ把握される超感覚的な認識のことです。

私自身、この言葉を胸に刻みこれからも歩んでいきます。
また分野は違えど、同じ職人の世界で生きている若き仲間達にもこの言葉を贈りたいと思います。



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プロフィール

水野博友

Author:水野博友
気功家・ヒーラー・瞑想家
気功で人の病気や苦しみを癒すヒーラー

愛知県出身、早稲田大学商学部卒。
埼玉県さいたま市浦和区で気功治療院「水野気功療法院」を開業、肉体の病~精神の病まで日夜 気功の施術を行っている。遠隔気功の実績も豊富。
満月時は日本の山に籠り密教修行を行う、また2011年より定期的にインド・ヒマラヤ、インドネシアに渡り様々な聖者の指導を受けて霊性修行に励んでいる。

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