【水野氣功塾】「生きる目的、仕事をする目的」をアップしました。
成功の定義 ~あなたの成功とは何?~
幸せを望み過ぎると歪みが出る法則
頑張らない方が上手くいく~頑張らない生き方のススメ~

こんにちは。
現代に生きる人は、日々何かしら「頑張らなければならない」という観念を持って生きています。
子供がいれば、「勉強頑張りなさい!」と言いますよね。
また、朝ご主人様が家を出る時、「今日も頑張ってね!」と言いますね。(言われない人もいますが・・・汗)
多くの人は、人生に目標を持って、それを達成するために一生懸命に生きなければならないと考えています。
また、成功しなければならないと考えています。
特に男性はより大きな経済力や知名度・肩書・権力を求める傾向があり、それを人より多く得るために躍起になっています。
そして、それができない人を劣った人とみなします。
また、経済力がない人を経済弱者という表現する様に劣った人とみなします。
今はこの様な見方・考え方が常識になっています。
しかし、私は社会全体のこの様な考え方に何とも言えない違和感を覚えます。
もし、意識が高度に進んだ星があったとしたら、そこの住人(宇宙人)の社会ではおそらく「頑張る」という概念はないでしょう。
それと同時に「所有」という概念もないでしょう。
また、この地球上でも1000年後の社会が仮に存在した場合、ひょっとしたら同じように「頑張って生きる」という概念はないかもしれません。
そこでは父が娘に次の様な話をしているかもしれません。
「大昔はな、人々は『頑張って』生きてたんだぞ!」と。
娘が「マジ何それ~!!信じられない~」とか言っているかもしれません。
「頑張る」という言葉は、デジタル大辞泉にある様に「困難にめげないで我慢してやり抜く」という意味で積極的に用いられます。
しかし、それだけではなく言外に「自分の考え・意志をどこまでも通そうとする」という意味があります。
「頑張る」という言葉は分解すると、「我を張る」という意味になるのです。
「我を張る」というのは、自己中心的な考え方であって、無理を押し通しても自分の欲求を満たすことになります。
仮に、頑張った末に目標を達成しても、それはどこか不調和でいびつな結果になっている可能性が高いのです。
その様な結果は、遠からず歪みが大きくなってもろく崩れてしまうことでしょう。
企業でも無理を押して急成長したら、あっという間に急降下しいつの間にか市場から退場しています。
私は、早朝から店に入って10時開店まで瞑想等の鍛錬をし、夜はすべての気功治療が終わってからまた鍛錬をしたりする生活を永く続けています。
帰宅も12時を回ることが多いです。
休業日でも何かしら仕事に関係することをしています。
完全に仕事から切り離された時間を過ごすことは余りありません。
その様な生活を傍目に見れば、凄く頑張っていると言えるかもしれません。
しかし、自分自身はまったく頑張っている意識はなく、やらなければならないことを淡々とこなしているだけです。
そうしてこなしていくのが、ある種の快楽につながっています。
やらないと気持ちが悪いからやっているのです。
この様な例は「頑張っている」とは言いません。
もう一方の例として、電話セールスや飛び込み営業を挙げてみましょう。
私も3年間やり続けてとても辛い思いをした時代がありました。
毎日毎日「辞めたい」と思って出社していました。
基本的に、電話セールスや飛び込み営業は押し売りです。
ほとんどすべて断られます。
それはそうです。
電話や訪問を受けた人は、その時間他に何か取り組んで忙しくしていますから、そこに突然割り込んで要らない商品をセールスされては迷惑千万でしょう。
でも、会社員ですから、企業の利益のために本当はやりたくなくても心を殺して笑顔でセールスするのです。
1件の成約を得るために、99回の断りに耐え続けるのです。
なぜならノルマを達成しないと、上司から叱責を受けて心がズタズタになる様な怖い思いをするからです。
今月はノルマを到達したと一安心しても、すぐに翌月のノルマが降りかかってきて、その部署にいる限りは永遠にその恐怖のループから抜け出すことはありません。
極端な例ですが、この様な取り組みを「頑張る」というのです。
営業マンから購入した人は、実はそんなに必要としていた訳ではないけれど、断り切れなくて契約したのかもしれません。
無理にセールスをしなければ売れない商品やサービスは、そもそもこの世界に存在しなくても誰も困りません。
困るのは、その会社の社長くらいでしょう。
何か今自分は「頑張っている」と思える様なら、その生き方は間違っているとまでは言いませんが、ちょっと不自然であると考えた方が良いです。
そして、できれば見直して軌道修正すべきです。
もっと、気楽に楽しんで生きるのが人間本来の生き方です。
不自然な生き方をしていれば、いずれ病気として身体に現れてきますし、心が苦しくなって病んでしまうことでしょう。
自然な生き方をしていれば、調和を得て上手く回っていくものです。
その様に肩の力を抜いた生き方をした方が良いのです。
肩の力が抜けていれば肩こりになることもありません。
私の師匠は「肩こりになるのは生き方が間違っているからだ」と言います。
自分のエゴを充たすために、周りに無理をかけてはいけないのです。
つまり、「頑張る」ことは良くないのです。
調和を得た生き方をすれば、人の縁も、お金も、必要なだけ自分のところに巡ってきて、豊かな内面(心)で幸せに生きることができます。
「じゃ、何だね。何も頑張らなくてもいいのかい?」
「人々が頑張っているから社会が良くなっているのでしょう?」
と思われる人もいるかもしれません。
言葉の捉え方が違いますが、人はそもそも成長を志向する存在です。
今日よりは明日の方がより良い状態になっていることを潜在的に望みます。
なぜなら宇宙そのものが成長発展を志向しているからです。
だから、もし「頑張る」という言葉を適切に置き換えるとすれば、「進化する」「バージョンアップする」「グレードアップする」という言葉が良いかもしれません。
「精進する」という言葉は、それに精神性が加わって尚良い響きがあります。
「あ~、今日も頑張らなきゃ~」と心を奮い立たせて嫌々生きるのではなく、「今日も進化してるね!」と歓びに満たされて生きた方が良いとは思いませんか?
子供の「生きる力」を伸ばしていく

皆さん、こんにちは。
弊院には、自分の子供が引きこもりやうつになってしまって、その状況の改善を求めて親子で来院される方々が多くいます。
話を聞くと、「お母さんの押し付けが強いなぁ・・・」と感じることがよくあります。
もう少し具体的に言うと、しっかり勉強をして良い学校に進学して欲しいというプレッシャーが強いと感じます。
または、「○○でなければならない」「〇〇しなければならない」という頑なな制約でがんじがらめにしている様に感じます。
自分の子供が希望する学校で勉強したいことがあるならば、その学校を目標にしていくのは大いに素晴らしいことと思います。
しかし、子供が「〇〇の学校に進学したい」というのは、親のお仕着せの偽りの希望であって、実は子供よりも親御さんがそう望んでいるというケースも少なからずあります。
進学校でしっかり勉強したら、社会に出ていい会社に入って、豊かな生活ができるのと期待しているのでしょうか?
子供は親の愛情を得るために、いい子であることを振る舞い、親の期待に応えようと奮闘します。
子供にとって親と学校は世界のすべてであると言っても過言ではありません。
だから、親の関心を得るため、親の愛情を得るためなら辛いことでもそれが好きであるかのような顔をして頑張ります。(鈍感な親は気付きません。)
幸いにしてそれができれば良いのですが、それができない場合は苦しみます。
親の期待に応えられない場合には大いに苦しみ、「自分はダメな人間だー」と自己嫌悪に陥ります。
それが酷くなり一線を超えると、うつになったり、引きこもりになったり、重症化してしまうのです。
親の世代が育った世界と、今の子供たちの世界は相当違います。
まったく違う時代になっています。
親の時代にはインターネットもスマホもYouTubeもありませんでした。
これからは更にAIが伸びてきます。
社会を構成する様々な要素、価値観がものすごく大きく変わりつつあります。
平均寿命も大幅に伸びますから、人生設計もこれまでとは全然違ってきます。
その変化に一番対応できていないのは、世のお母さん方ではないかと思います。
お母さんが世の動きに鈍感で旧態依然の価値観を自分の子供に押し付けていたら、子供は歪んで潰れるか、反抗するか、どちらかです。
学校で学ぶ知識で社会に出てから活きるものは、実はそれほど多くありません。
私自身も大学では商学部に在籍し、ゼミで企業行動について研究していましたが、それですらビジネスの世界では全く使えない無用な知識でした。
学歴があれば出世し、人の上に立てるというのも全くの幻想です。
学歴があってもポンコツで役に立たない人間もいれば、学歴がなくても地頭がよく世間の尊崇を集め活躍している人も大勢います。
そんなことは、社会人として働いていればほとんどの人が分かっていることです。
本当に社会に出て必要となる能力は、勉強をして習得する「知識」ではありません。
それよりも、一言で言うと「生きる力」、こちらの方が重要なのです。
・感情がポジティブに安定し、物事を前向きに捉える能力
・自分の好きなことを見つける能力
・それを仕事に結びつけ、人の役に立つ様に活用する能力
・円滑な人間関係を築くコミュニケーション能力
・人に好かれる能力
・周りの人に力を与え、元気にしてあげられる能力
・人に希望を与えてあげられる能力
・新しいことを発想し、形にしていく能力
・危険を察知する能力
・・・この様なものの集大成が「生きる力」と言えるでしょう。
その他の知識は、読み書きそろばんができれば本当は十分と言えます。
社会に出て微分積分やπや√を使う機会がある人、または「墾田永年私財法」が何年に成立したかという情報を使う機会がある人は滅多にいないはずです。
そう考えると、子供が進学する学校に拘ったり、成績に一喜一憂したりするのは意味がない様に思えます。
もし、私の子供が「勉強したくない」「学校の勉強は嫌い」と言うなら、
「おぉ、分かったよ。何か勉強に変わる好きなものを見つけられたらいいよね。」「これから好きなことをたくさんやっていこうよ。」と答えます。
または、「勉強が嫌いだから、進学したくないんだ」と言うなら、
「学校の勉強ができるかどうかは全然人の価値と関係がないんだよ。大丈夫。卒業したら働ける良い仕事(または専門学校)を一緒に見つけようか。」と答えます。
または、「学校の仲間達とうまくいっていないんだ。」「いじめられるんだ」と言うなら、
「そうか、そうか。今までよく頑張ったな。そんなに苦しむ必要はないぞ。転校できる違う学校を探そうか。」と答えます。
そして、「次の学校では、今よりもっと楽しい仲間が待っているよ。」と一緒にワクワクしているのではないかと思います。
いじめが収束しないなら、我慢しないでサッサと違う学校に転校することでしょう。
私は多分普通の人より「こうでなければならない」というこだわりや執着が少ないと自覚しています。
だから、その分心が自由で軽い感じです。
この学校でなければならないとか全くありません。
どこの学校に行っても、楽しい仲間はいますし、そこから素晴らしい進路は拓けています。
お金をたくさん稼がなくてはならないという強迫観念の様なものもありません。
稼いだお金の中で楽しく生活したら良いでしょう。
私と価値観が異なる押し付けの強いお母さんを見ると、「あぁ、お子さんが可哀想だな」と心が痛みます。
でも、そこで教育談義はできませんから、私はほとんど何も言うことができません。
そういうお母さん方はお子様の成長を期待している様に、ご自身も成長を志向しているのかと疑問に思います。
・お母さんご自身が成長のために何か取り組んでいるものはありますか?
・月に何冊本を読んでいますか?情報をアップデートしていますか?精神を磨いていますか?
・自分を高められる尊敬できる人と会っていますか?
自分ができていないのに、お子様だけに勉強を強いるのはおかしいのではないでしょうか?
だらしない生活を送って、誰かの悪口や愚痴ばかりこぼしていたら、お子様もその様に育っていきます。
親の背中を見て子供は育つと言います。
親が生き生きとやりがいを持って楽しく毎日を過ごし、日々成長して輝いていたら、お子様は何も言わずとも親を尊敬し「自分もかくありたい」と思うものです。
そして、自分もやろうと力強く生きようと思うものです。
「生きる力」の強い子を育てる~人生を切り拓く「たくましさ」を伸ばすために~
(天外伺朗/飛鳥新社)
執筆後に出て来ました!こういう本も読まれるといいでしょう。
著者の天外伺朗氏は元ソニーの上席役員ですが、「一流大学を優秀な成績で卒業してきても、勉強ばかりして遊んでこなかった子は企業ではほとんど役に立たないことを断言できる。」と述べています。
社会を変革してきた人の多くは、子供の頃たくさん遊んできた人なのです。
(目次より)
・エリートシステムの崩壊
・「与える」教育ではなく「引き出す」教育を
・文字や計算の早期教育は不要
・育児の教育は間違いだらけ
・しつけは子供への不信の裏返し
・「お勉強」では健全な知性は発達しない
嫌いな人のおかげで磨かれる

心配は、すればする程実現する

気功治療家養成講座の開講遅延について

水野氣功塾で「気功治療家養成講座」の開講はまだかまだかと督促を受けます。
8月開講の予定でしたがまだ作業中です。
開講が遅れ本当に申し訳ございません。
3年前から準備をしていますが、なかなか完成に至りません。
太っといデキスト、内容盛りだくさんのものになります。
書いても書いてもこれも書き足さなければと、続きを書いていると完成しません。
どこかで形に仕上げなければならないとは思っていますが。
他所の類似の講座の内容は知りませんが、私は自身の魂を伝えるつもりでやっていますので、そう簡単にはできないのでしょう。
すべては神にお任せなので、出来上がった時がその時期と思ってはいますが、待ち遠しく思ってくださる方々には申し訳なく思います。
優先順位の付け方が悪いのでしょうか、とにかく時間がとれず、サットサンガ(真理の集い)の準備にも毎月膨大な時間がかかります。
サットサンガに参加してくれた方は、どれだけ私が準備をしているかお分かりと思います。
サットサンガなんて売上的には微々たるものなので、採算性で言えばやらない方が得策なのですが、そうは言っても、私の話を楽しみにしてくださっている方々がいますので、そのためにやっているのです。
「気功治療家養成講座」そっちのけで、サットサンガの準備ばかりしていては本末転倒かもしれませんが、それはそれで良いかとも思います。
おかげでブログを更新する時間も全然ありません
そうは言っても、私の生活のメインはやはり気功治療です。
毎日毎日忙しくしています。
大変なお客様も多いので無茶疲れます。
店を出るのは、夜12時を過ぎることがほとんどです。
帰り道、近くの公園で懸垂をして帰ります。
一日の色々な思いを鉄棒にぶつけます。
深夜12時台に鉄棒とにらめっこしている男性がいたらそれは私です。(完全に変質者ですね)
10時台に店を出られれば、サラリーマンの半休をもらった気分になります。
お客様から寄せられるメールも多くてその往信にも意外と時間がかかります。
何か上手く仕事がはかどる方法があれば良いのですが、元来不器用なためスマートに事をこなせません。
今日も日曜日ですが、近くのカフェでパソコンにむかいサットサンガの準備です。
家族サービスなんてありません。
私の師匠も「霊性修行者の家族は可哀そうだ。」と言っていましたが、私もほとんど家にいませんからうちもそうです。
家族には言葉でなく、生き様で感じ取ってもらえたらと思っています。
生き様が最高の教材でしょう。
サットサンガ(真理の集い)の説法はテーマを決めてから内容を落とし込んでいきますので、結構苦しみます。
ああでもないこうでもないとギンギンに頭を使っていると、ふとした時にインスピレーションが降りてきます。
今回も素晴らしいインスピレーションが来ました。
インスピレーションとは、どこかの本に出ているものではなく、天の図書館にある知識をダウンロードする様なもので、それは叡智と呼ばれます。
これが得られるかどうかで内容が薄っぺらになるのか、相手の肚(はら)や魂に伝わるものになるのか大きな差が生じます。
確かに知識を伝えてはいるのですが、知識を超えた「思い」「エネルギー」を受け取ってほしいのです。
その様な状況ですので、講座開講はもうしばらくお待ちください。
私の生活を友人や仲間に話すと「全然寝てないよね」と言われます。
余り寝なくてもさほど疲労せず生きていけるのは、それも神の恩寵と思っています。
人それぞれ人生でやるべきことがあります。
それ(人生の使命)がわかっている人は、それに人生をかけてやり遂げたら良いと思います。
まだわからない人は、いずれそれが分かる時が来ますから、時間を大切にして色々勉強し力を蓄えてください。
女性の皆さん、子育ても重要な仕事です。
親の「人間」ができていないと立派な子は育ちません。
あなたが育てた子供が将来たくさんの人の役に立つ人物になる様、まずは親が自身の「人間」を作るのです。
皆さん、お互いに頑張りましょう。
今日やるべきことをやりましょう。
病気がある人は、まずは病気を治しましょう。
治してから自分の人生を一歩踏み出せばいいです。
人生は希望と愛に満ちています。
仕事を通して世界を知る
