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こんにちは。

 

今日はお客様から聞いた話をご紹介します。

 

そのお客様(Wさん・女性)は、幼い頃からスピリチュアルな感覚に富み、精神世界への強い関心を持っていました。

感覚が通常の人と違っていたため、幼い頃から「宇宙人」とからかわれて育ちました。

 

 

 

今回は、その彼女のお爺さんの話です。

 

そのお爺さんは、とある有名な教団に属し、その信心が大変篤かったそうです。

教団内では立場も上がりそれで良かったのでしょうが、教団の教義を家庭や近所付き合いに持ち込んでしまっていたため、家族や親戚はその考え方や行動について行けず反感を抱いていました。

 

家族を省みることなく、宗教活動に邁進していたので、家族の心も次第に離れ、誰からも相手にされなくなるのも時間の問題でした。

地域の人に誰それ構わず布教活動をするため、迷惑がられ、孫たちはそのためにいじめの対象になったのです。

 

Wさんもそんなお爺さんを「快く思っていなかった」と述懐します。

 

 

 

 

そのお爺さんが他界する間際の話です。

 

何と、そのお爺さんはお世話になった人達のところに暇乞いに現れたのです。

驚くべきことは、同時に複数の場に存在していたことが、その後の関係者の話で判明しました。

 

インドの聖者でもその様なことができる人がいるという話は耳にします。

シルディ・サイババやサティア・サイババもその様なことができたそうです。

 

しかし、日本の一介の爺様がそれをやって見せたというのは、驚くべき技であると言うことできます。

同時に複数の場に存在するというのは、修行が進めば可能な技であると私は考えていますが、なかなか容易な技ではありません。。

 

 

 

そして、幼かったWさんのところにもお爺さんは現れました。

果たして一体、何が起きたのでしょうか?

 

Wさんの話を忠実にお伝えしましょう。

 

彼女が横になっていると、天井にモクモクと雲が発生し始め、それが次第にWさんの顔の近くまで降りてきたというのです!

そして、その中からお爺さんの手がヌーと伸びて来ました!

お爺さんはWさんに向かって「さあ、行くぞ!」と誘ったのでした。


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幼かったWさんも、さすがに付いて行っては生きてはいられないだろうと直感し、

 

「やだ!まだわたしは行きたいくない!」

 

と、断りました。

 

そうして断るとお爺さんは消えていったそうです。

「行く!」と付いて行ったら死んでしまっていたのでしょうか?

そこで断ったから、今もWさんは生きているのですが・・・

 

Wさんも不思議な感覚を持っていた少女だったので、修行が進んだお爺さんはそれがわかって連れていこうとしたのかもしれません。

 

 

 

 

そんな不思議な能力を持っていたお爺さんに対し、Wさんは、「いくら修行をしても、誰からも愛されることない生き方をしていては本末転倒です」「お爺さんは幸せではなかったでしょう」と、その生き方を肯定してはいませんでした。

お爺さんは幸せな人生だったのでしょうか?それはご本人しかわかりません。

 

修行が進んだお爺さんは、とても素晴らしい能力を他にも持っていた可能性があります。

しかし、それを上手く活用することができず、結局愛されることが少ない人生を過ごされたそうです。

神の教えを良い方向に使えなかったところは残念なところです。

 

 

霊性修行が進めば、霊能や神通力が副次的に発現することは珍しくありません。

教えの中では、その力はエゴを充たすために使うのではなく、困っている人・苦しんでいる人を助けるために使わなければならないと言われます。

それが菩薩行なのです。

 

菩薩行を重ねていく内に、周りの人からの感謝を集め、自然に愛される様になるのではないかと思います。

お爺さんが周囲の理解を得ることなく、貫き通したもの、また達成したものは一体何だったのでしょうか?

 

霊性修行は大事なことではありますが、「やはり、バランスが大切でしょうね」と、Wさんと共通認識を確認するに至りました。

 

 

 

 

 



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こんにちは。

今回は読者からの上記のご質問について回答します。

 

 


 

 

人はこの世界に生を受け、その文化・社会の影響を受けて大人に成長します。

一人一人の物の見方・考え方というものは、親やその社会や学校のものがインプットされていると言えます。

人は、インプットされた様々なルールや道徳に基づいて行動を決定しています。

 

 

その様なものの見方・考え方というものは、大なり小なりこの社会における「人間的な視点」であり、往々にして自分自身や自分の身の回りの人や組織の物質的繁栄を志向しています。

それは、端的に言えば、肉体的な快楽と安心を求めていると言えます。

 

 

 

一方で、霊性とは、肉体ではなく魂をベースとするものです。

肉体は数十年のこの世界での生の後にやがて滅びてしまいますが、肉体の中核である魂はエネルギー体であるため死を超えて存続します。

そして、またこの物質世界に違う肉体をまとって誕生します。

 

魂がなぜ何度も肉体をまとい生まれ変わっている(=輪廻)かと言えば、魂を浄めエネルギーの純化を図るためです。

そして、魂はそのゴールとして神との合一を志向しています

 

しかし、人間の魂はエネルギー的汚れ(カルマ・メグリ)があり、そのために清浄なエネルギーである神と合一ができないのです。

 

魂の浄化が進み波動が精妙になっていけば、やがて神の波動と同調し合一することができるようになります。

そのために、生きている間にすべきことが修行であり、主に瞑想であります。

 

 

 

 

瞑想にもいろいろと種類がありますが、弊塾で指導をしているマントラ瞑想は、マントラというマジックワードを心中で唱え続けることで神のエネルギーを導き採り入れることができます。

それは教師の伝授を受けてできるようになるものです。

 

 

 

では、マントラ瞑想をして神のエネルギーを取り込むとどうなるのでしょうか?

その成果は、自身の肉体・エネルギー体に取り込んだ気(エネルギー)によって魂が浄化されるのです。

 

これは、墨汁で一杯のコップに一滴一滴水を落とし、透明にしていく作業に似ています。

カルマに覆われた不浄な魂は、コップ一杯の墨汁の黒い水です。

そして、一滴一滴落とされる透明な水滴が、マントラ瞑想によって取り入れられる神のエネルギーです。

 

 

11日マントラ瞑想を続けていくことで穢れが多い魂が浄化され光が差していきます。

魂が浄化されていくことが、霊性が向上するということであり、その成果として物事の見方・考え方に変化が現れます。

 

自分中心に生きている人が多いこの世の中で、自分のことと同じく他者も大事に考えることができる様になります。

執着が少なくなり、愛をコアにして自由に生きられる様になります。

これはエゴ的な視点から、利他的な視点へのシフトと言えます。

それが進めば進む程、「神の視点」に近づいて行っていると言えます。

そして、最終的には愛そのものとなるのです。

 

 

 

→ 水野氣功塾

 




 


2019_09_11


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皆さん、こんにちは。

 

713日(土)はご神木プージャ(火の祈祷)が執り行われましたが、プージャに先立ち、師匠の説法がありました。

今回はカルマ(因縁・業・メグリ)について解説されました。

 

 

 

 

人はこの世界で数十年生きて、その後この世界を去ります。

肉体から魂が離れる時、この世で大事にしてきた物は何も持って行くことはできないのは自明の理です。

 

人は特にお金やプライド(肩書・名誉)などを後生大事にしますが、それらは死んであの世に持って行けるものではありません。

お金を幾ら持っていても、死を免れることはありませんし、却って臨終の病室で心配げにお見舞いに来る親族が虎視眈々と遺産を狙っているのが分かると言われます。

 

 

 

人間界でどのような人生を送るかは、一つには何に重きを置くか、その価値観によって大きく変わります。

たいていの人は、目に見えるものだけを信じていますから、物質的な物に価値を置く生き方を選択します。

 

しかし、この世界はカルマという因果応報の法則があり、魂を成長させるために何事も反作用が働く目に見えない仕組みがあります

 

そのため、目に見える物だけを大事にし、それを求める生き方をすれば、往々にして負のカルマを作ることにもなりかねず、いつまで経っても幸せや平穏な日々が訪れることはないということになります。

 

いつもいつも不幸が続き、幸福を感じる機会が乏しい、人生は苦しみに彩られている・・・という人は、カルマの負のエネルギーの影響を多大に受けていると言えます。

 

 

このような話をすれば、迷信だの、そう信じているだけだの、と思われるかもしれません。

気(エネルギー)がわかる人が滅多にいないため、カルマを想像上の産物や一つの考え方と捉えてしまうのです。

しかし、カルマが実感として分かる人にとっては、虚構のものではなく実在のものなのです。

 

 

カルマには徳というプラスの側面と、因縁・業(ごう)という負の側面とあります。

その量のバランスで、幸せが多い人生か、苦しみが多い人生かが分かれます。

 

この人間界には、魂レベルで未熟な人が多いですから、苦しみが絶えない人生を送っている人がまだまだ多くいます。。

意識が変わり、魂が成熟してくると、その様な苦しみは希薄になっていき、「嬉し嬉し」の人生に変わっていきます。

 

 

 

では、負のカルマを清算するにはどの様にすればよいでしょうか?

 

一つには、人から感謝されることを日々実践することです。

人から感謝されるには、奉仕や人助けをすることが大事です。

自分の時間やお金を使って、損得勘定を抜きで人に貢献するのが一番の清算になります。

 

そうした行為の結果として還ってくる感謝や愛のエネルギーは、カルマの負のエネルギーを消していきます。

 

 

 

もう一つ、役に立つこととしてお勧めしたいのが、トイレ掃除をすることです。

トイレの状態は、住む人の心の状態を表していると言えます。

 

ずっと掃除していない汚い便器は、その人の心です。

一方、手で触っても大丈夫な位にピカピカとして香りの良い便器も、その人の心です。

 

このように、トイレはその人の心を表していると見ることができます。

 

心を磨くと言っても、心を取り出して洗剤で洗うことはできないでしょう。

では、どうするかというと、自分の心や魂を磨くつもりで便器を磨くのです。

 

 

 

トイレ掃除を実践することを社是としている企業があります。

それはイエローハットという会社で、社長の鍵山秀三郎氏が率先して素手で便所掃除をしています。

有名と言えば有名なので知っている人もいるでしょう。

 

このような人徳のある社長がトップにいるから、社員も成長し、社業も発展するのです。

そして、鍵山社長の「掃除道」は世界に広まっていっているのです。

 

 

 

今月の修行に初参加した新人のMさんは、奇しくもイエローハットの元社員さんでした。

凄い偶然ですよね。

彼女が言うには、まさに世間の評判の通りで、社長から社員までが総出で隅々まで便器を掃除するのだそうです。

それも、玉ねぎが入っている網網の袋の様な物を手にはめて便器を磨くのだそうです。

なかなか常人にできる技ではありません。

 

 

トイレ掃除を日々実践すると次の様な効用があり、人として成長するのだそうです。

 

5つの効果
1、謙虚な人になれる
2、気づく人に成れる
3、感動の心を育む
4、感謝の心が芽生える
5、心を磨く

 

詳しいことはこの記事を読んだ後に、下記のリンク先の記事をご覧ください。

 

➡ 81歳創業者は、なぜトイレを素手で磨くのか

 

 

 

 

数年前、植村花菜さんの「トイレの神様」という歌がヒットしました。

トイレには神様がいて、トイレを綺麗にすれば美人になるのだという歌詞だった記憶があります。

 

確かにトイレには神様がいます。

その神様は烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)という神様です。

烏枢沙摩明王は五大明王の一尊で、極めて強い浄化の力を持つと言われている仏様です。

心を込めてトイレ掃除を日々実践すれば、烏枢沙摩明王の功徳で負のカルマを消していってもらえます。


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烏枢沙摩明王(宝山寺)(出典:wikipedia

 

私もそのことは前々から知っていましたが、今回師匠から改めて説教していただけましたので、今後は自らトイレをピカピカにしてきたいと思います。

 

そうブログに書いてしまうと、店のトイレが汚い状態では済ませられませんから、本当に実践していかなければなりません。

 

 

カルマを消して、魂を磨いていきたいと思われた人は、ご一緒にトイレ掃除を継続していきましょう。

 

 



2019_07_15


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皆さん、こんにちは。

3月の山での修行から帰るリムジンバスの車中で書いています。

今月から私はカーリープロセスに入りました。
カーリープロセスというのは、カーリー女神との結びつきを深める特別なコースです。
行を授ける側も、受ける側も必死の思いで挑まなければならない難行であります。

おそらく、この行を満行すれば、また一層気功治療の効果は上がることでしょう。


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カーリー女神

まるで悪魔の如く異様な容姿のカーリーは、麗しく美しい女神パールヴァティの忿怒相(ふんぬそう)です。
悪の軍勢を一掃し、勝利のダンスを夫・シヴァの腹上で踊ったという神話があります。
それだけ強力なパワーを持ちますが、それだけに修行も一層厳しいものになります。




木曜の夜、修行場の3階の狭苦しい部屋に籠り、行が始まったのですが、開始早々で自分自身の中に無意識で抑え込んでいたネガティブな感情が噴出し、修行仲間も含めて行が中断する異常事態になりました。


外見で穏やかそうに見える人でも、中身はそうとは限りません。
人は外見で判断できないのです。
いつも笑顔を絶やさない人でも、その笑顔が現れるまでに艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えてきて、ようやくその境地に辿り着いていることもあります。

私の見えない心の内にも、いつの頃からかわからない溜めこんだ醜い感情のエネルギーが潜んでいて、心のフタが開いてそれが顔を覗かせました。

真っ黒のコールタール状のドス黒さで、長い年月の恐れや憎しみや悲しみ、不信や孤独感などネガティブなエネルギーが圧縮し腐敗しているかの様です。
思いがけず、それと急に向き合って味わわなければならなくなったので、精神が崩壊しそうになります。


「まだ自身の中にそんな醜いものが潜んでいたのか・・・」


エゴの抵抗が最終局面を迎えているかの様です。

また、同時に、生霊などの霊障、お客様の身代わりに被った攻撃的な悪念も絡んでいて、ネガティブなエネルギー、ブラックなエネルギーのオンパレード・・・超巨大台風に飲み込まれ翻弄されているかの様相を呈していました。



霊性修行とはこの様なもので、どこまでいっても浄化、また浄化・・・
自分自身という器からネガティブなエネルギーを空に近づけないと、神聖なエネルギーが入るスペースがありません。

大局的に見ればこの様な段階なのでしょうが、こういう苦しみというのは、直面している当人しかわからないものです。
一歩間違えば、精神が崩壊し、分裂病になってしまいそうな、そんなギリギリの瀬戸際を歩いている感じがします。

うつや心の病の人を健常者が見ると、「心が弱いんだな」と思うかもしれませんが、そういうことではないのです。
健康な人でもいつ何時その様な状態になるかわからないというのは知っておいた方が良いです。




人の心の中には、光と闇が50対50で同居していると言われます。
この世界もやはり光と闇、善と悪が50対50で構成されています。
腸内細菌も、善玉菌と悪玉菌がだいたい同じくらいの割合で構成されています。
より一層の光を放つ存在になるには、そのネガティブな部分を直視し、それを浄化するしかありません。



行の最中、私はなんとか正気を保っていましたが、師匠からは何度も「大丈夫か?大丈夫か?」と心配をされました。
おそらく、目がおかしかったのでしょう。

夜中の1時半頃、私が地下洞窟で独り睡眠中、ふと目を覚ますと師匠が私のヒーリングをしていたこともありました。


「ありがたいなぁ・・・(涙)


ハリケーンの様に荒れ狂った胸中に、温かい感謝の思いがこみ上げました。

まだこの文章を書いている今も、やや安定感を欠いている感じがありますが、師匠からは

「8日間だ。8日目になったら楽しみだ」

と、何がそう言わせているのかわかりませんが、そう告げられました。




最近の修行では肉体的な辛さが続いていましたが、今回は精神の大浄化が始まった感じです。
実はこれまでにも同様の経験をしており、その時も思い出したくない位大変でした。
その時もやはりカーリーだったのです。




書いている内に気が落ち着いてきました。
まぁ、私は今回も何とか耐え忍んで凌ぐことができるでしょう。

思えばシルディ・サイババも時に狂人の様に見えたという逸話が残っています。
それは、シルディ・サイババ自身の闇というよりも、おそらく救わなければならない熱烈な信者の闇や業(ごう)を引き受けてのたうち回っていたのかもしれません。




修行場から帰るバスの車内で「日月神示」を開きました。
すると、黒鉄の巻第三帖が開き、そこにはこの様に載っていました。



理屈は一方的のものぞ
どんな理屈でも成り立つが
理屈ほど頼りないもの、力にならんものないぞ
理が⦿(カミ)の御働きぞ
よく見極めねば間違うぞ、囚われるなよ
他の為に苦労することは喜びであるぞ
全体のために働くことは喜びぞ、光の生命ぞ
誰でも重荷負わせてあるのじゃ
重荷あるからこそ、風にも倒れんのざ
この道理、涙で笑って汗で喜べよ
それとも重荷外してほしいのか
重い重荷もあるぞ、軽い重荷もあるぞ
今播いた種、今日や明日には実らんのざ
早く花が見たく、実が欲しいから焦るのじゃ
人間の近欲と申すもの
神の大道に生きて実りの秋(とき)待てよ
播いた種じゃ、必ず実る、誰も横取りはせんぞ
万倍になってそなたに返ると申してあろう
未来に燃えつつ現在に燃えよ、神相手に悠々と天地に歩め



この神示を読み、勇気を得ました。

私がぐらついてしまったのは、頭でっかちで理詰めで考える様になっていたからかもしれません。
または、苦しんでいるお客様から離れてしまっていたからかもしれません。
気功治療家として実に情けないことです。

苦しみの闇の中、出口が見えないトンネルの中にいるお客様のことを思えば、これしきは何ということないはずです。
病気のお客様のためにも、ここは敢然と乗り切らなければなりません。


行者とは、行の中に生き、行の中に死ぬ者のことを言います。
また、行者とは、行の苦しみよりも、他人を救う歓びを貴ぶ(たっとぶ)者を言います。
私は自身が行者であることを再認識し、これからの修行に邁進していきます。


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※修行明け数日、精神が不安定な状況が続いていましたが、8日を過ぎると嵐が過ぎたかの様に穏やかな心持ちになりました。まるで台風一過の様です。今日は愉快なお客様が来て、お陰様でたくさん腹の底から笑うことができました。




2019_04_03


由布岳
私の師匠の修行場がある山


皆さん、こんにちは。

 

「山の行より里の行」という言葉があります。

今回はこの言葉の意味から、私たちの生き方を考えてみたいと思います。

 

 

 

山というのは、文字通り山という意味です。

古来、修行と言えば深山幽谷に入り、心身を浄め鍛えるというのが通例です。

山は、特に霊山は、エネルギーが高く、そこで瞑想などをすると意識の変容が起こりやすくなります。

その様な場所には、寺社仏閣が建っていることもあります。

気(エネルギー)が高いため、今でもやはり山で修行をしている人はいます。

 

私も月に1回、木曜日~日曜日まで、臨時休業をいただいて人里から離れた山中で神仏や自分自身と向き合う行をしています。

 

 

 

一方、里というのは、今でいう街の意味です。

街は、多くの人が生活をしています。

学校や会社などの様々な共同体に帰属し、その中で共通目的の遂行のために人々が切磋琢磨しています。

ピンからキリまで色々な人が混在する世界であり、霊性の高い人もいれば、物欲にまみれた俗物もいます。

 

 

 

山に入って一定期間過ごせば、浄化が進み、気(エネルギー)が満ちてパワーを増強できます。

感覚は研ぎ澄まされ、霊能や超感覚に磨きがかかってきます。

 

里の人間(じんかん)にいると、色々な気(エネルギー)を受けて自身のエネルギー体(オーラ)が汚れてきますが、山でそれをきれいさっぱり浄化すれば、感度も高まり、神仏をより感じやすくなります。

また、都会とは違う厳しい寒暑風雪の環境にいると、精神も鍛えられます。

 

山の修行にはこのような利点があります。

お気楽にできる修行ではないため、山で修行をしているというと、厳しい修行をしているという見方をされることもあります。

 

 

 

 

この様に、確かに山の修行は得るものも多いし、大いに鍛えられるところもあります。

しかし、それでいて「山の行より里の行」と言われるのはなぜでしょうか?

 

 

一つには、山で修行をして鍛え上げられた心身や法力を持って里に帰り、そこで困っている人・弱っている人のために尽力しなければならないという考えがあります。

 

凄い力を持っていても、それを人のために役立てることをしなければ宝の持ち腐れになります。(私の師匠の様に、里で活動する人を育成する役目の人も例外的に存在します)

だから、山で修行をした後は、里に帰ってその力を活かしてこそ初めて修行が活きる意味で、それが「山の行より里の行」という訳です。

 

山で修行をしている様な人達は、往々にして自己顕示欲も希薄ですので、目立つこともありません。

里で縁ある人だけが知り合える隠れた存在となっています。

 

 

 

 

また、もう一つには、山の行の厳しさもさることながら、里の行の厳しさは尚一層であるという考えがあります。

 

山の行は、確かに厳しいところもありますが、基本的に自分、または自分と神仏との関係の中で完結しています。

しかし、人間として本当に鍛えられるには、たくさんの人との関わりの中で揉まれることです。

 

世間には色々な人がいますから、自分がどうしても好きになれない、非常にストレスを感じる人もいるわけです。

そうした人との関わりの中で、自身の中に想起する様々な醜い思いと否応(いやおう)なく直面することになります。

 

 

 

思いが叶わず我慢しなければならないことがあります。


摩擦があって、悪口を言われることがあります。


プライドを傷つけられたり、馬鹿にされたりすることがあります。


好きな人から嫌われることがあります。


愛する人との別れがあります。


理不尽な思いをすることがあります。


わかってほしいのにわかってもらえないことがあります。


暴力を受けることもあります。


経済的に困窮し、ひもじい思いをすることがあります。


先の見えない病気になって絶望の中で生きなければならないことがあります。


大切な人が病気になって、我事の様に苦しむことがあります。



 

 

 

この様に、苦しみ・痛い思いをしたり、傷つけられてボロボロになったりして、精神がやっとのことで保っているという限界ギリギリの思いをすることも時にはあるでしょう。

 

怒りや嫉妬、哀しみ、不安・心配・・・ネガティブな感情を嫌という程体験し、やがて人はそれを乗り越えていきます。

その様な感情にどっぷり浸かっている時は、まるで嵐の中にいるというか、先の見えないトンネルに入って暗中模索しているかのようで、煩悶し非常に苦しみます。

 

苦しんで苦しんで、「どうして、一体・・・」と涙ながらに天を仰ぐこともあるでしょう。

 

 

その様な感情を味わうことになるのは、相手がいてこそということになるのです。

しかし、突き詰めて考えれば、本質的には自分自身の問題であり、相手に責任転嫁するのはスピリチュアル的な見方をすればお門違いと言えます。

自分自身の中に、その問題が起こる種があるから、苦しみが起こって来るのです。

 

 

人との関わりの中で、学ぶことはとても深遠です。

一個一個乗り越えていくことで成長し、やがて石の角が取れて丸くなるかの様に磨かれ、高尚な人格が形成されていきます。

 

これは一種の過酷な修行でしょう。

誰もがやっている厳しい厳しい修行です。

人がいてこそできる「里の行」。

これこそが、「山の行より里の行」と言われる所以(ゆえん)です。

 

 

私も、定期的に山で修行する身ですが、もっとどっぷり山で修行をしたいという思いを抱くことが時々あります。

昔、過去世を見られる人から、「もうあなたはさんざん山の行をしてきたから、今生は里の行ですね」ということを言われたことを思い出しました。

ですので、余り山の修行に憧れを持つことなく、今いる里でできることを淡々とやっていけばいいのだと思っています。

 

 

「あれができたらいいなぁ」と隣の芝が青く見えることもあるかもしれません。

しかし、人それぞれ修行の場や内容は違うはずです。

 

現実逃避の様に、他所を夢見ないで、今の場で精一杯生き切ることが、何よりの修行と言えるでしょう。

置かれた場所で、花が咲く様努めていけばいいのです。

やがて、そこでの修行の課程がクリアできれば、違うステージが用意されています。

 

 

私は気功治療という仕事を自分の修行と思い、今日も朝早くから励んでいます。

お互い一歩一歩成長をしていきましょう。





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皆さん、こんにちは。

 

私は29日が仕事納めでした。

毎年仕事納めの日を迎えると、1年を無事に乗り切って来れたことに感謝の思いがこみ上げます。

 

 

 

2018年は心身の疲労感を強く感じる年でした。

仕事のやりすぎと睡眠不足が、その主たる理由と思います。

それだけではなく、今年はヒーリング力も大きく変化があったので、効果を以前より出せる様になった分、反動で疲労してしまったこともあると思います。

 

 

 

どこまで行っても発展途上ですが、今年はエネルギーの大きな変化が2度ありました。

1度ならず、2度もあったので、ありがたいとしか言いようがありません。

 

なぜなら、エネルギーの変化は自力的というより、他力的な要因のものだからです。

他力的とは、神の恩寵ということです。

 

やるべきことを弛まずコツコツとやっていると、ある時期にその時を迎えます。

コツコツやっているトンネルの時期は、トンネルを抜けた後の世界がわかりません。

トンネルを抜けると、それまでの世界とは一変した世界に住むことになります。

 

このような段階的な変化は、霊性修行者に起こる進化です。

変わり目の時は、得てして活動的ではなくなり、心身も辛いと感じることが多くなります。

虫が変態する様に、人間も大きく変わる時があるのです。

 

その様な話は1月26日(土)と29日(火)のサットサンガ(真理の集い)で「人間本来の進化」と題し詳しくお話しましょう。

 

➡ サットサンガ

 

 

 

 

2018年のサットサンガも多くの方々にご参加いただきました。

遠方から遥々ご参加くださる方もいて、参加者の皆様には深く感謝申し上げます。

 

 

2018年のサットサンガは次の様なテーマで皆様と一緒に勉強してきました。

 

1月  カルマ考「陰徳陽報

2月  永遠の愛 ~めぐり逢う魂ソウルメイトに関する考察~

3月  教育論 ~どう育てるか、どう生きるか~

4月  龍

5月  インド・ヒマラヤ修行記

6月  執着を手放す ~マスターヨーダと学ぶ「執着」~

7月  死の哲学 ~メメント・モリ〈死を想え〉~

8月  日本人のアイデンティティとは何か

9月  微生物と霊性

10月 結婚について

11月 邪気の自己浄化法

12月 喧嘩の流儀 ~人間関係の問題の乗り越え方~

 

 

 

こうして振り返ると、様々なテーマについてよく語ったものだと思います。

分厚いレジュメをまとめるのは、毎月しんどい作業ではありますが、やりながらもたくさんのインスピレーションを受けられるので、それが一つのモティベーションになっています。

 

また、サットサンガの後、「話を聞けて良かった」「面白かった」などのご感想をいただくことも多く、それで更に良いものを仕上げなければと奮起しているのです。

 

2019年のサットサンガもユニークな切り口で「真理」を探究していきます。

どうぞ楽しみにしていてください。

 

 

 

 

今年の最後に・・・

 

今年は例年になく人とのご縁に恵まれ、たくさんの方々に助けられた年でもありました。

私は自分の受けた恩に感謝すると共に、受けたご恩は倍返しするつもりで、仕事に修行に励んでいきたいと思っています。

 

 

また来年も皆様とご一緒に人生を歩んでいけることを愉しみにしています。

来年が皆様にとって素晴らしい時になりますことを祈念し、今年の筆を置かせていただきます。

 

1年間、ありがとうございました。




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パシフィック・リム



皆さん、こんにちは。

 

今日は愛についてお話しましょう。

新入社員の頃、入社の抱負で「背中で愛を語る」(笑)と言ったのは私ですが、果たしてできていたのかどうか・・・?

今回ようやく重い腰をあげて愛について語ってみることにしました。

 

 

 

 

では、最初に、愛とは何でしょうか?

 

 

私的に言いますと、愛とは「パシフィック・リム」であります。

 

へっ!?パシフィック・リム??

 

どういうこと~??・・・・・・頭がウニになったと思います。

 

 

 

パシフィック・リムとは、巨大ロボットが怪獣と闘う映画です。

内容は何もないようです(笑)

 

 

が!ロボットのその胸をご覧ください!!

胸には大きな穴が開いていて、原子炉の様に動いています。

 

実は・・・・これが愛なのです。

 

 

 

 

愛とは何かと定義をすれば、優しさとか、無償の奉仕であるとか、男女の愛とか、色々表現することができます。

 

私は・・・愛とは神のエネルギーそのものであると実感しています。

 

 

胸にあるチャクラはハートチャクラ(4番チャクラ)です。

このハートチャクラは普段はほとんど活動をしてませんが、神につながると大きく動き出します。

 

 

大きくとは、どれくらいでしょうか?

それは、あたかも胸の中心に原子炉ができたという位の巨大なエネルギーになります。

パシフィック・リムのロボットの胸の様に、力強く輝いているものです。

 

 

 

 

霊性修行をしていくと、神との繋がりが濃くなってきて、次第にチャクラが覚醒していきます。

太く濃くなった神とのパイプを通じて、自身のエネルギー体に巨大なエネルギーが流れる様になります。

その際、まずハートチャクラ(4番チャクラ)が始動します。

ハートチャクラは愛のチャクラです。

そこで発電された巨大なエネルギーは、身体を巡り他のチャクラを点火していくことになります。

 

ハートチャクラがパシフィック・リム状態になると、神そのものと一体になった感じを受けます。

巨大な力がハートの中央で爆発し、その後それが原子炉の様に力強く活動し始め、「何だこれは!」と驚愕します。

 

 

 

「あぁ、これが愛なんだ・・・(涙)」

 

 

 

そして、涙が滂沱(ぼうだ)と流れ、ただただありがたい・・・と無限の感謝と幸せを感じます。

自分自身が愛そのものとなった境地が訪れるのです。

 

 

自分自身が愛そのものであるため、人に与えたり、貰ったりということは不要です。

本当はすべての存在が愛そのものなのです。

 

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ですが、この第三密度(三次元)の世界では、残念ながらなかなかその境地に至ることはできません。

泥の沼の様な俗世で私たちは生活していますので、そこで蓮の花を咲かすのは実に難しい。

汚物が溜まった泥水、汚染された大気の中で、蓮が大輪の花を咲かせるのは、人が悟りを啓くのと同様に難しいのです。

花が咲いたとしても、すぐに枯れてしまいます。

本当は私たち自身が蓮の花であり、泥の表面に浮かんでいるつぼみの状態です。

花が咲けば愛そのものになれるのを知らず、濁世の中で終生つぼみのままでいるのです。

 

 

自分自身が愛そのものであることを自覚していないため、人との触れ合いの中で愛を与え、または貰いそれを味わっています。

それがこの世界での人間の愛についての表現であり感覚です。

 

 

 

 

本当に悟りを啓いた高級な聖者はこのハートチャクラが全開の状態で、愛(=神)と一体になっています。

それが長く持続すればするほど境地の高い聖者です。

 

そうした聖者と交流すると、なぜだか自然と涙が溢れ「ありがたいなぁ」「うれしいなぁ」という気持ちが込みあげて来るのです。

 

聖者が何か感動することを口にしたという訳ではありません。

何か優しいことをしてくれた訳ではありません。

 

  • ただ傍にいるだけで、その愛のエネルギーに触れて、ただただありがたく嬉しいのです。

こらえようもなく身体の奥底から涙が溢れて来る様です。



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ラマナ・マハリシ

 

神でも聖者でも、それを思うと何とも言えず、ただただありがたくて涙が溢れて止まらない・・・それが愛に触れた状態であり、あなた自身が愛の一部になっているのです。

 

だから、愛とは、何かをしてもらったから、何か教えてもらったから、または「好き」とか「愛している」とか言われたから感じるものではなく、何もしていなくてもただ在るだけで愛なのです

 

それが純粋な愛そのもの。

 

優しさとか「愛している」という男女の愛は、それの地球的な表現形態と言いましょうか。

 

 

 

 

「在るだけで愛」・・・そうした愛の表現者として私は在りたいと思っています。

修行をすれば誰でも近づける道です。

その愛の炎を、志を同じくする者のハートに一個一個と点火していきたいのです。

そして、愛の表現者をたくさん増やしたいと思います。

 

 

愛とは、そういうもの。

素敵でしょう。

 

 

泥の沼に咲く蓮華の様に美しく、愛の甘美な芳香を放つ存在になれる様、共に歩んでいきましょう。

そして、たくさんの人を笑顔にしていきましょう。



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皆さん、こんにちは。

 

私は毎月師匠の山の庵で修行をしていますが、修行の目的は一つには霊性を高めることであり、もう一つは1か月の気功治療で被ったあらゆる邪気の浄化です。

 

治療家は短命と言われますが、それは患者の邪気を受けるからです。

治療家だけではなく、医師もそうですし、マッサージ師もそうです。

およそ人の身体に触れて癒しを行う職業の人は、多かれ少なかれ相手の邪気を受けます。

 

私の店に訪れるお客様はおそらく他院より重病・重症の方が多いと思います。

私はその方々の気功治療を日々行う中で、お客様の邪気を受けてしまいます。

1日の気功治療が終わった夜、毎日約2時間以上かけて邪気を浄化しますが、それでも残るものがあります。

それを師匠の修行場で浄化するのです。

 

 

 

今回、師匠とお会いして開口一番、「酷いね」「酷く疲れているね。」と言われました。

ご指摘の通りで、私の身体はボロボロで非常にしんどい状態でした。

 

そういう状態の時は、死の影を身近に感じます。

その様なことを繰り返していますので、どこかいつも虚無感があり、何とか2年先のことまでは考えられても3年先を考えることはできません。

そろそろ博愛社かセレモニーで終活するかと真面目に思います。

私はその様な感覚でこの10年を過ごしています。

 

 

 

修行で邪気を浄化するというのも楽ではありません。

邪気は身体から排出されるのに抵抗するので苦しみます。

頭痛や重だるさ、身体各所の痛み、腹痛などに耐えなければなりません。

 

邪気が身体に入り込んで私の生命エネルギーを奪いますので、精気がカラカラです。

精気というのは、生まれ持った生命力で、先天の気とも言います。

先天の気は、生後補充できるものではなく、年を取るにつれ段々と少なくなり、無くなってしまえば寿命が尽きると言われています。

 

私の場合は先天の気は枯渇していても、神気をたくさん取り込める様になっていますので、補充に次ぐ補充で何とか生きているという状態です。

 

 

 

今回の邪気はきつかったので、私は疲労困憊でした。

お客様の中には、他人の悪念(怨念)を受けていたり、家系に伝承される負のエネルギー(因縁)を持っていたりする人がいます。

私は気(エネルギー)の感覚でだいたい判別がつきます。

これらの邪気は特に強烈です。

 

苦しんでいる本人が自業自得であれば致し方無いところもありますが、中には本人が何も悪くないのに苦しんでいるケースもあります。

そのような人の中には人間性の優れている方もいます。

他所でどうにもならないので、私のところに巡ってきたのでしょう。

 

そういう方を何とかして助けてあげたいと思って立ち向かいますが、強大な邪気で私はダメージを負ってしまうことが少なくないのです。

負けてたまるかと気持ちを奮い立たせて気功治療に向かいますが、命の瀬戸際に立っている感覚で、一歩間違えばどうなるかわからないと思うことはよくあります。

 

 

 

そのような邪気に接するにつれ、

 

「なぜこんな惨めで悲しいエネルギーが存在するのだろう。」

「なぜ愛一辺倒で生きられないのだろう。この人間界は辛いな。」

 

と切なくなります。

 


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シルディ・サイババ

 

シルディ・サイババはなぜ苦虫を嚙み潰した様な、悲し気な表情をしているのでしょうか。

ある人が言いました。

 

「それは、ババが人の苦しみを取り除いてあげていて、それを感じているからでしょう。ババは慈悲(愛)で人を包んでいるのです。」

 

 

それを聞いて、シルディ・サイババと同じではないにせよ、人の苦しみを取ることで苦しんでいるのは自分だけではなかったのだと目が覚める思いがし、気持ちが奮い立ちました。

 

 

 

私は生に執着しない意識で、いつ逝っても覚悟はできているという気持ちで生きています。

ダメかと思ったら武士の様に潔く最期を迎えようと常々考えています。

私の生徒さんやお客様にも同様の考え方の人は少なからずいます。

私はそのような姿勢が霊性の高さの現れの一つであると考えてきました。

 

しかし、今回瞑想の中で、シルディ・サイババから「どこまでも生き抜くことが大事なのだ」と教えられた気がしました。

 

これまで2年先までの人生設計しかしてきませんでしたが、今一度100年生きるつもりで人生を組み立て直してみるつもりです。

結果的に、何歳でこの人生に幕を下ろすことになるかはわかりませんが、「ダメなら終わってもいい」という気持ちで生きるのと、「生き抜く」という気持ちで生きるのでは人生に大きな違いが出るに違いありません。

 

 

 

 

とは言え、今回負ったダメージは甚大で、身体が辛くて「今度ばかりはダメかなぁ」と悲観的に思う場面もありました。

しかし、私の負ったダメージを修復すべく、姉弟子が土曜日の28時(つまり日曜日の午前4時)までヒーリングでケアしてくれました。

 

「すっきり爽快とさせてあげたかったけど、ゴメンね」

 

と終わり際に姉弟子が詫びてくれましたが、そこまでしてくれて感謝の言葉もありません。

姉弟子の疲労もピークに達していることはよくわかりました。

姉弟子は日曜日の朝7時に発つ所用があったのですが、私の為にほとんど眠る時間がなくなってしまいました。

 

 

確かにスッキリ爽快とまでは行かなかったけれど、お陰様で十分気功治療ができるレベルまで回復しました。

多分、ズタボロになって落ち込んだところから回復する度にスーパーサイヤ人の如く強くなっているのでしょう。

 

                                                              

この様に師匠や姉弟子は私が存分に働ける様、また力を最大に伸ばせる様、いつも応援してくれています。

また、多くの見えない神霊も私のために力を与えてくれています。

気功治療の現場では私一人が頑張っているのではなく、多くのサポートを受けながらやっているのです。

 

回復した癒しの力でまた月曜日から獅子奮迅の働きを見せるつもりです。

日曜日、ゆっくりと休息はありませんが、月曜日から全力で立ち向かわなければならないお客様が待っています。





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皆さん、こんにちは。

 

私が度々密教瞑想講座サットサンガ(真理の集い)でお話することに「霊性修行はSlowly Slowlyという言葉があります。

これはインドの聖者が語った言葉で、「霊性修行の歩みはゆっくり進むものだよ」という意味です。

 

霊性修行に励む者は、それぞれに目標があります。

悟りを啓きたい、法力や霊能力を得たい、問題を解決したい・・・等々様々ですが、それを早く手に入れたいと躍起になっている方が多いです。

 

その様な姿勢に対して、聖者はゆっくりしか進まないし、時間がかかるものですと伝えたのです。

特に正法においてはそれが顕著です。

 

 

 

しかし、一方ブラックな力(邪法)は短期間で得られます。

ブラックな力とは、闇の力・ダークサイドとも言えます。

スターウォーズで言うと「シス」ですね。


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その様な修行は、夜中に墓場に忍び込み、人肉を採集して食べたりする等おぞましいことを修行の一環としてすると聞いたことがありますが、私も詳しくは知りません。

こうしたブラックな力は、短期で得られるのみならず、パワーも強力です。

しかし、それには相当の見返りがあり、その代償をいずれ払わなければなりませんから、近づかない方が賢明です。

 

正法を求める者は、弛まず地道に修行に励まねばなりません。

ですので、忍耐力の涵養(かんよう)が重要となる訳です。

 

 

 

しかし、霊性修行は「Slowly Slowly」といった意味をはき違えている人も散見します。

どの様に勘違いしているのかというと、修行する量が少しで良いと捉えているのです。

 

私が言う意味はその様なものではなく、成果がゆっくり現れるという意味です。

練習・鍛錬の量が少なくて良いという意味ではないのです。

瞑想を120分する人と、13時間する人とではその伸長に差が生じるのは当然です。

 

瞑想も他の技術同様に一定量の練習・鍛錬が必要となります。

他の技術や勉学もそうですが、ある程度の練習ボリュームをこなさなければ上達しません。

他人と同じことをやっていては、せいぜい並みで終わります。

 

野球選手で超一流の長嶋茂雄さんや落合博満さんはかつて現役だった頃、深夜でも自室でバットの素振りをしていたと聞きます。

才能豊かな人が狂ったように練習をしているのだから、素晴らしい結果が残るのは至極当然です。

野球選手が春季キャンプに参加して、それだけで「練習したな~」と開放感を得ている様でしたら、ユニフォームを強制的に脱がされる日も遠くはないでしょう。

勉強もそうですが、他の生徒と一緒に授業を聞いているだけで独習しなければ、他人より良い成績をとることはできません。

 

 

 

瞑想もそれと同じです。

世界には稀にさほど修行の経験もなく悟りの境地に至る者もいますけれど、その様な人は特別で、過去世でそこまでの準備(=修行)をしてきたものと考えられます。

自分が凡才と思えば、人以上にやらなければ人並みにも届きません。

私は自分自身を凡才と認識していますから、いつも頭の中は治療や修行のことを考えています。

それでも人並み程度にしかなりません。

 

霊性修行で到達したい目標があるならば、それ相当の努力を要するというのは覚悟した方が良いです。

いくら伝法で力を伝えても、のほほーんとしていてはその芽はあまり大きく育つことはないでしょう。

 

「天は自ら助くる者を助く」と言います。

それはできるだけの努力をした者だけがその果実を得られるという意味です。

私は自分自身が上から「やれ!やれ!」と強いられるのを好みませんので、他人に対してもその様に行動を強いることは日常しません。

それに安住していてはダメだということです。

仏陀でさえ肉体の現界まで自分を追い込んで修行していますから、それを考えたら自分が為すべきことは自明です。

 

 

量をこなして頑張っているつもりでもなかなか自分の成長している実感が得られないという時もあるでしょう。

そんな時でも、地面の下では種が発芽し大きくなっています。

登山では、山に入ってしばらくは森が鬱蒼(うっそう)としている山道を登りますから、どれだけ高所に登っているか見当がつきません。

しかし、ある一定のところまで登り視界が開けた時、「わっ!!こんなに高いところまで来ていたのだ!」と認識できるのです。

 

霊性修行においても同じで、ある時自分の成長をはっきり認識できる時が必ず来ます。

それを信じて弛まず歩んでいきましょう。






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皆さん、こんにちは。

 

214日(水)はマハー・シヴァラートリーの祭日です。
この日はシヴァを祀る一年で最高の日とされており、シヴァ神に帰依する者はこの日に断食をしたり、またマントラ瞑想をしたりしてシヴァ神を崇拝します。

シヴァ神というとヒンズーの神であり、日本では名前は知られていても信仰する人は多くない様に思います。
しかし、シヴァ神は仏教の中に取り込まれ不動明王・千手観音菩薩・大黒天として日本では信仰されています。
シヴァ神について私の主宰する「スピリチュアル・ヒーラー養成塾」のサイトでも紹介しています。


➡ シヴァ神

今年はマハー・シヴァラートリーの夜に合同瞑想会を開催します。

この日に集い、皆でご一緒にシヴァの瞑想をしましょう。

 

 

マハー・シヴァラートリーの瞑想会 ; 214日(水)18時~20


インド雑貨通販のシータラーマさんのブログにマハー・シヴァラートリーが詳しく掲載されていますので、下記にご紹介させて頂きます。



 

2018214日は、マハー・シヴァラートリーの祭日です(インドでは13日となります)。


シヴァラートリーとは「シヴァの夜(ラートリー)または吉兆の夜」という意味です。シヴァラートリーは、毎月、満月から13日夜/14日目にあたります。しかし、特にパールグナ月(マーガ月となる地域もあります。2月〜3月)のシヴァラートリーは、マハー・シヴァラートリーと呼ばれ、一年の内でもっとも神聖な夜として知られています。


この夜、シヴァ神の信者たちは、断食をし、睡眠を絶ち霊性修行に励みます。シヴァラートリーは、月が満月から新月へと変化する境目です。充ち満ちた欲望(月)がやがて消滅していくように、満月から新月へと変化するシヴァラートリーの日に霊性修行に励むことで、欲望を滅し、解脱へと至る精神力が獲得できると信じられてきました。


シヴァラートリーの日は、シヴァ神を崇めるもっとも神聖な日です。この日には、シヴァリンガムを崇めたり、あるいは、シヴァ神の御名やルドラムを唱えたり、バジャンを歌ったり、瞑想を行うことがすすめられています。またルドラークシャを身に着けるのにもっとも適した日であるとも言われています。シヴァ・パンチャクシャラ・マントラ(オーム・ナマ・シヴァーヤ)も、この日に唱えることで、大きな功徳をもたらすといわれます。


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シヴァラートリーの日には、さまざまな言い伝えが残されています。

この日、シヴァ神はパールヴァティー女神と結婚をしたと言われています。シヴァとシャクティとの永遠の合一である非常に吉兆な日です。シヴァ神はエネルギーの原始であり、シャクティと共に創造者として、そしてマハーカーラとしては破壊者でもあります。

またシヴァ神が保護と維持、そして破壊のダンス「タンダヴァの踊り」を舞い、宇宙を創造したのも、この日であると言われています。

猛毒ハーラーハラが世界を焼き尽くそうとしたとき、神々の願いに応え、シヴァ神はハーラーハラの猛毒を飲みほし、世界を救いました。ハーラーハラは、シヴァ神にとっても強大な猛毒であったため、シヴァ神の首が猛毒で青くなり、このためにシヴァ神は、ニーラカンタ(ニーラ[]カンタ[])と呼ばれるようになった話は有名です。


シヴァ神にはさまざまな特性があり、マハーヨーギーとして、チャンドラシェーカラとして、ガンジス河の始まりとして、そして彼こそがこの宇宙のタントラ(テクニック)を理解する唯一のアゴーラ(シヴァの別名)でもあるとして知られています。彼は、マハーデーヴァなのです。


深い献身と共に、このマハー・シヴァラートリーの夜にマハーデーヴァを崇拝する信者たちに、シヴァ神はその至福から信者たちが望む結果を与えます。従って、あらゆる面での障害や苦難を取り除くため、この吉兆な夜に、人々は信心深くシヴァ神を崇拝するべきだと言われています。


多くの人々はこの日、早朝に体を清め、シヴァ神に心を定め一日を過ごします。断食を行う人々も少なくありません。未婚の女性たちはシヴァ神のような夫を授けられるよう、また既婚の女性たちは夫の健康と至福を願い、断食を行います。人々は夜にはシヴァ神を祀る寺院を訪れ、夜通しで賛歌を捧げ、祈り、シヴァ神を讃え瞑想します。家庭においても、夜には家族が集まりシヴァ神を讃えるプージャーが執り行われます。

この最も吉兆な夜が、皆さまにとっても祝福に満ちたものとなりますようお祈りしております。

 

 


 

 

では、マハー・シヴァラートリーの瞑想会の要綱です。

 

〔参加資格〕

 

スピリチュアル・ヒーラー養成塾の下記の講座受講者(受講中でも可)

・スピリチュアル・ヒーリング講座

・メディテーション&ヒーリング講座(密教瞑想講座)

・レイキ講座

 

●当院から下記をご購入された方

・ヒーリングスティック(銅製)

・ヒーリングスティック(独鈷杵)

・五鈷杵

・神獣の爪牙ネックレス 

・魔除けの缶 

(➡ 「邪気祓い開運堂」

 

●外気功療法さいたま院で水野博友の気功治療を受けたことがある方

 

〔参加費〕

3,000円(中学生以下のお子様は無料で参加できます)

 

 

 

瞑想初心者でも大丈夫です。

初めての方も奮ってご参加ください。

合同瞑想に参加して、たくさんシヴァのパワーを受け取って、たくさん浄化して帰ってください!

 

瞑想をしますので、腹一杯の状態で来ない様に。

できるだけ空腹の方が良いですね。(水分はOK。強制ではありません。)

 

 

参加ご希望の方は事前準備がありますので、メールフォームかメールよりご一報ください。

 

➡  「お問い合わせ」メールフォーム

 

それでは、多くの人とお会いできるのを楽しみにしています。


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プロフィール

水野博友

Author:水野博友
気功家・ヒーラー・瞑想家
気功で人の病気や苦しみを癒すヒーラー

愛知県出身、早稲田大学商学部卒。
埼玉県さいたま市浦和区で気功治療院「外気功療法さいたま院」を開業、肉体の病~精神の病まで日夜 気功の施術を行っている。遠隔気功の実績も豊富。
満月時は日本の山に籠り密教修行を行う、また2011年より定期的にインド・ヒマラヤ、インドネシアに渡り様々な聖者の指導を受けて霊性修行に励んでいる。

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