病気の因果関係・・・病気の真因に潜むもの
令和版「風邪の効用」~脱皮をする人間~

先の記事では、野口晴哉が唱えた「風邪の効用」について解説しました。
これはネガティブに捉えられる風邪を、身体が健康になるための良い機会としてポジティブに活用していくというものでした。
私が実践している霊性修行においても同様の考えが伝わっています。
それは、「脱皮行」という思想です。
私の師は、約千年続く裏密教の法を継承しています。
私も、師からそのエッセンスを毎月の山ごもりの修行でご指導いただいています。
裏密教の話はそれだけでとても長くなりますので、今回はその内容は省きます。
「脱皮行」というのはその裏密教の思想です。
修行の段階が上がっていく過程で、ある時期に集中的な浄化の現象が起こるというものです。
その浄化は4日から7日間位続き、その時期は重度の風邪症状的な苦しみで動くこともままならない・・・という厳しい行です。
(参考)
「脱皮行」は、蛇などの動物・虫が脱皮をして成長する様に、人間も脱皮をするというもの。
当然ながら、人間が皮を脱ぐことはないのですが、この脱皮というのはエネルギー的な意味の脱皮です。
肉体的には奥底に溜まった毒素や老廃物を強制的に排泄し、エネルギー的には抑圧したネガティブなエネルギー、家系に伝わる因縁などのネガティブなエネルギーなどを表面化し浄化する。
そして、これまでの周波数帯から次の周波数帯に上がっていく・・・この様なものです。
それを誘発するために、伝承の仙薬を服用します。
しかし、飲めば必ず脱皮が起こるというものではなく、神が必要な時期に必要な人にそれを起こすと考えられています。
「エネルギー当たり」という言葉がありますが、これは強い気(エネルギー)に当たると、好転反応で体調の具合が一時的に悪化するというものです。
「脱皮行」はそのキツイ表れ方という見方もできます。
とにかく、その「脱皮行」の時期を迎えると、苦しくて辛くて仕方がないという時間を過ごさなければなりません。
食べ物を食べることもできませんし、ただ横になってウンウンもだえ苦しみ、苦しみの中で意識朦朧となりながら時間が経つのを待つしかありません。
私も辛い脱皮行を何度か経験しましたが、意識が遠のく様な苦しさの中で過ごすのは望んでやりたいものではありません。
そして、面白いのは、その脱皮が完了すると気(エネルギー)がこれまでと一変するのです。
気の出方や感じ方もそれまでと違って、ステージアップしたと自覚できます。
心身も軽く爽快になり、頭の働きも冴えてきます。
「脱皮行」は生まれ変わりの行と言われます。
死ぬ思いをして新たな生を得る・・・そんな辛いものが「脱皮行」で、水野氣功塾の「密教瞑想講座」でも奥伝以上の高等者がそれをやります。
赤ちゃんが子宮から参道を抜ける・・・死ぬ思いをしてやっとのことで出て来て安堵し「ほぎゃー」と泣く。
そんな感じが、生まれ変わりの「脱皮行」です。
修行者に起こる脱皮とは違いますが、病気に罹るというのも浄化であり、ある種の脱皮です。
インフルエンザやコロナウイルスでも同じです。
師は、「インフルエンザも浄化だ」と言います。
私もかつてインフルエンザに罹ったことがあります。
只、私は病院に行きませんので、症状の具合からインフルエンザと判断しているに過ぎませんが。
インフルエンザを薬も飲まずに、ひたすら寝て治す・・・私は風邪を経過する時その様に過ごします。
その時期はもう「遺書を書こうか」という位、辛いのです。
大袈裟な様に聞こえますが、男性は女性より弱いから、ちょっとのダメージで「もうダメ」となりがちです。
女性は痛みや苦しさによく耐えますが、それは出産という一大事に臨める身体に成っているためです。。
薬も飲まずにひたすら寝て風邪を「経過する」と、これが「脱皮行」をした後の様に心身が爽快になり、元気が溢れます。
気の出方も感じ方も一変します。
だから、いわゆる風邪に罹るというのは、実にありがたい機会だと思います。
生まれ変わったかの様に身体が軽く心身爽快で気持ちよくなるのですから。
これが何かの薬を飲んでしまえばそうはなりません。
例えば、インフルエンザの特効薬のタミフルは、細胞内で分裂・増殖したウイルスのDNAが細胞外に出ない様閉じ込めておく薬です。
つまりは閉じ込めてあるだけで治っていない・・・。
治ったと錯覚させているだけです。
ヒトは古来よりウイルスを取り込んで進化をしてきました。
ヒトのゲノム(遺伝子)総数の半分はウイルス由来のものです。
ウイルス由来のDNAは、ヒトの先祖がウイルスを取り込もうと闘病した跡であり、その積み重ねでウイルスを仲間にしてきました。
ウイルスを取り込んで様々な形質や機能を獲得し、ヒトは現在のところまで進化してきました。
一見、悪者に見えるウイルスも、取り込んでしまえば仲間になります。
マンガ「ドラゴンボール」では、様々な敵が現れてきますが、敵との死闘を経験するとやがてその敵は仲間になって、次なる強敵と闘う時に協力するというのが話のパターンです。
天津飯、ピッコロ、ベジータはみんな過去の敵でした。
ウイルスを仲間にして同化するというのは、この様なものだと言えます。
風邪を経過し、免疫を獲得するというのは、敵に見えるウイルスを味方にする作業です。
インフルエンザでも、新型コロナウイルスでもそうです。
それを自然に経過すれば、ある種の進化、変化が起こります。
新型コロナウイルスでも同じことが起こると思います。
新型コロナウイルスの場合は、なかなか検査をしてもらえないので正確にそれかはわかりませんが、新型コロナウイルスに罹ったと自覚した人は、それを自然に経過したところ、それまでのアレルギー症状がパタッと出なくなったと喜んでいました。
治ったと思ったらしばらくしてまたぶり返すことがあり、「なかなか抜けきらなかった」と言います。
また、意識の点でも変化があり、「山田花子」(例)という個体についている名前の「自己」が拡大し、地球(ガイア)を「自己」の一部として認識できる様になったと言います。
もし、これが新型コロナウイルスの果報だとすればスゴイことです。
皆が同様の成果があるとは限りませんが、新型コロナウイルスも他の風邪と同じく、自然に「経過」すればある種の変化や進化があるものと確信します。
「風邪を経過する」「脱皮する」ことにおいて、薬を飲むのはご法度です。
薬は風邪が経過する過程で起こる浄化を抑えてしまうためです。
薬を飲むか飲まないか、そこは自己責任で判断して行ってください。
自然界の脱皮でも、一定の割合で脱皮がうまくいかず、皮が脱げずに死ぬ個体があります。
脱皮は自然界の動物にとっても命懸けの行程です。
薬を飲まないからといって、インフルエンザや新型コロナウイルスに罹ることが、たいしたことないと舐めている訳ではありません。
病気の経過では、相当きつい思いをするのは避けられないでしょう。
下手すれば重症化するリスクもあります。
ウイルスを取り込んで進化をしていくのは簡単なことではありません。
「脱皮」できるかどうかは、自分自身の力、神仏の見えない加護を心底信頼しないとできません。
勇猛果敢な精神が備わっている必要があります。
私はそれを無理に勧めている訳ではありませんし、誰もができるものでもないと考えています。
「コロナに罹ってしまった」・・・
「どうしよう」「不安だ」「死ぬかもしれない」・・・
その様に恐怖の感情にとらわれている人は、免疫力が低下するでしょうから、治癒も難航し時間を要します。
しかし、ウイルスに罹って、
「ようやく待ちに待った浄化のチャンスが来た!」
「身体の悪い物を出し切るぞ」
「邪気を根こそぎ浄化して生まれ変わるぞ」
と、ポジティブに捉え、感謝と愛でウイルスを迎え入れることができれば・・・おそらく困る様な事態にはらならないでしょう。
短期間で経過し、同化した暁には何らかの果報があることでしょう。
マスコミが新型コロナウイルスの恐怖を煽っていますから、この様に「嬉し嬉し」の精神で病気を経過する人はまずいないはずです。
神典「日月神示」には下記の様な件があります。
その解釈は、ここで私が唱えた思想で読み解くこともできます。
富士の巻 第04帖
「五六七(みろく)の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ、獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ、今度は万劫末代のことぞ」
「五六七(コロナ)の仕組」と書いて、「弥勒(みろく)の仕組」と読みます。
獣と臣民が二分されるのは、精神が恐怖や不安で一杯になる獣と、感謝と愛で歓び迎え入れることができる臣民に分かれるという意味にもとれます。
コロナを通して進化した人は、弥勒菩薩の境地に移る・・・それがコロナの仕組=弥勒の仕組である。
秋の巻 第1帖
「大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせてゐるのであるぞ。抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが。」
ウイルスが悪であり敵であるというのは、世の中の常識です。
しかし、それを愛で抱き受け容れることができれば、肉体も意識も進化して、不動の天国の境地に到達することができる。
それは大神様の境地であり、大歓喜、嬉し嬉しの境地である・・・と読むことができます。
新型コロナにわざと罹患する必要はありませんが、もし自身の症状が「これは!」と思えたら、「あぁ、ありがたいなぁ」という温かい気持ちで受け入れる様にしたら、ウイルスも歓んで同化してくれるものと思います。
天才治療家 野口晴哉が唱えた「風邪の効用」



ウイルスは敵ではない

ヒトは存在そのものが細菌・ウイルスの集合体、微生物の塊です。
そして、身体の消化・代謝や免疫に関係するたくさんの機能を、微生物にアウトソーシングしています。
2003年にヒトノゲム(遺伝子情報)がすべて解読されました。
遺伝子情報というのはDNAで人間の設計図です。
これを解読できれば、病気の原因などもすべてわかるようになるだろうと期待されていました。
しかし、実際は予想に反し、そうはなりませんでした。
なぜでしょうか?
ヒトノゲムが解読されて、ヒトの遺伝子の総数は21000個あることが判明しました。
この数字、多いのか?少ないのか?
これはとても少ない数なのです。
小さい小さいミジンコでも31000個の遺伝子があります。
そして、植物の稲はヒトの約2倍の遺伝子を持っています。
ヒトの遺伝子数はミジンコ以下。
ヒトは身体が大きく、知能も高く、万物の霊長という割にDNAはとても少なかったのです。
そして、わかったことは、ヒトは100兆を超えるヒト常在細菌叢〔ヒューマンマイクロバイオータ〕と共生しており、その細菌叢の遺伝子の総数が440万にも上るということです。
つまり、ヒトの遺伝子の総数が21000、共生するヒト常在細菌叢〔ヒューマンマイクロバイオータ〕の遺伝子の総数が4400000。
遺伝子の数で比べれば、わたし達のヒトの部分は0.5%過ぎません。
遺伝子的に言えば、わたし達は少なくとも
99%は微生物なのです。
これから分かることは、ヒトは遺伝子の数は少ないけれど、免疫や代謝などの機能の大部分をヒト常在細菌叢〔ヒューマンマイクロバイオータ〕に委託し、彼らの力を借りて生きているということです。
わたし達はほとんどヒトではなく、ヒト常在細菌叢〔ヒューマンマイクロバイオータ〕の容器だったとみることもできます。
ヒトの身体はからっぽ、だから「からだ(空だ)」というのかもしれません。
ここまでは細菌の話です。
さらにウイルスは細菌の数よりも多く存在します。
ウイルスは増殖する時、ヒトの細胞に自身のDNAを注入し、DNAを攪拌し、コピーを増やして増殖します。
ウイルスはそれ自身が細胞分裂する様にできていません。
そのため、宿主(しゅくしゅ)の細胞に取り込み、その細胞の力を使うのです。
人類は大昔から非常に多くの種類のウイルスに感染してきました。
それで、無数の人が命を落としました。
その一方で、免疫を獲得した一部の人たちが生き残りました。
今、私たちを含め生きている人は、かつてそうして生き残ってきた先祖の末裔ということになります。
ここで重要なのが、人類はウイルスと共に進化してきたということです。
感染をする中で、ヒトはウイルスのDNAを自らの身体に取り込み、進化をしてきたのです。
進化のことでいえば、ダーウィンの進化論が有名です。
ダーウィンの進化論では、環境に適応できたものが生き残ったと言われています。
生物は形状や機能を変化・向上させて進化していますが、その進化という部分では細胞分裂のミスコピーという偶然が重なって種の進化がなされたと考えられてきました。
しかし、近年それは間違っていたことがはっきりしました。
種の進化はDNAのミスコピーの連続で進んできたものではなく、ウイルスのDNAを取り込んで機能を高め進化してきたということがわかったのです。
つまり、すべての生物はウイルスの力を借りて種の進化をしてきたのです。
ヒトのDNAをすべて解析した結果、約半分はウイルス由来のDNAでした。
私たちの身体の半分はウイルスから来ているものです。
たくさんの機能がウイルスのお陰で獲得できました。
例えば、哺乳類は胎生をしますが、子宮の中で胎児を育て大きく成長してから出産をするという機能はウイルスのDNAを取り込むことで獲得したものです。
そして、ウイルスの力を借りて進化をするということは現在も進行中です。
「ウイルスは悪者」「ウイルスは敵だ」「殺菌しろ、殺せ!」というのが社会の共通認識です。
しかし、ほとんどのウイルスは敵ではありません。
私たちを有害な外敵から守り、進化を促す有力なパートナーです。
「ウイルスは悪者」「ウイルスは敵だ」「殺菌しろ、殺せ!」「ウイルスに勝つ」という意識が社会全体に蔓延していますが、その意識で対応して果たしてそれで良いのでしょうか?
微生物がヒトを生かしている

ヒトは身体に何兆もの細菌・ウイルスを棲みつかせ、それらと共同で人体を運営しています。
「ただ寄生虫みたいに付いているだけではないの?」
「えっ、不潔だから付いてるんじゃないの?」
違います。
ヒトはウイルスや細菌と共同で人体を生かしています。
それは、本当にたくさんの働きがあります。
例えば、腸では微生物がヒトに必要な栄養素を合成し、それをヒトは腸壁から吸収しています。
腸内で栄養素が作られているということに驚いた方もいるでしょう。
ヒトは栄養を経口摂取の食べ物だけから摂っているものではありません。
腸内細菌叢で栄養素が作られるのです。
ニワトリにカルシウムの含まれていない餌を与えていても、卵を産み続けます。
生物が栄養素を経口摂取の食べ物からだけ摂取していると考えると、合点が行きません。
それはなぜかというと、ニワトリの腸内細菌がカリウムという元素をカルシウムに元素転換しているために、卵を産むのができるのです。
だから、少食(中には不食も!)の人でも健康に生きていられるのです。(腸内細菌叢が良好であればですが)
つまり、現代の栄養学は経口摂取の栄養分しかみていないので、その点で欠陥があります。
また、体質を決定しているのも微生物の働きです。
太っているか、痩せているか・・・女性は特に気になるところでしょう。
それを決めているのも腸内細菌です。
「あの人はあんなにたくさん食べているのに、なんでスマートなのかしら?私は食べたいものも我慢しているのに・・・」
と、女性の恨み節が聞こえて来そうですが、体型を決めるのは腸内細菌叢の構成によります。
細菌学の先進分野では、「肥満は感染症の可能性がある」と考えている専門家もいます!
つまり、肥満を決定づける腸内細菌叢になると太ってしまうということなのです。
体質だけではなく、性格を決定しているのも微生物であると言われています。
陽気な性格、暗い性格。
内向的な性格、社交的な性格。
それも腸内細菌叢の構成が大きく影響しています。
そして男女の異性の好み・・・それすらも腸内細菌の指令によって行われているのです。
信じられない話ですが、好きなタイプの異性というのは、腸内細菌叢が自分たちにない細菌群を持つ異性を選択させます。
腸内細菌叢が「あの細菌群を取り込みたい」と思うと、脳に指令を出してその人に恋をさせてしまう・・・この様な仕組みです。
そして、セックスの時、キスしたり、舐めたりして体液を吸うのは、皮膚や粘膜に付着している細菌群を交換するためであります。
つまり、自分(?)の意思で好きな相手を選んでいたと思っていたのは、腸内細菌からの指示でそう思わされ行動していたというのが本当のようです。
「あたしの彼はブサイクで、性格もイマイチなのに、どうしてか好きなのよね・・・」
と、理屈でなく男に惚れてしまうのは、腸内細菌に動かされているだけかもしれません。
それを聞くと、ときめくロマンスも味気なく思え、がっかりしてしまいます。
この様に、ヒトは微生物と共生し、一つのチームとして動いています。
そして、人が主で、微生物が従、と考えられていたのは、実は逆で、微生物が主で、人が従であったのです。
そうなると、「自分」というものは一体何なのでしょう?
自分の意思がどこから出て来て、どの様に選択・決定されるのか?
人間というのは不思議で謎が多い存在です。
まだまだわかっていないことがたくさんあります。
また、一般常識として認識されていることが実は間違っていたということも少なくありません。
その様なことに関心がありましたら、霊性修行に取り組んでみてください。
自分とは何か?
神とは何か?
その様なテーマを体験から答えを見出していくのが霊性修行です。
私の主宰する「水野氣功塾」では「密教瞑想講座」で学べます。
➡ 「密教瞑想講座」
ウイルスは敵か味方か? ~ウイルスを排除しようとする現代人~

パンデミック騒動に隠された思惑とは?

世の中全体が「怖い怖い病」
