見えるものが存在しない、見えないものが存在する・・・存在の不確かさについて
「レイナの霊視鑑定」のご感想

こんにちは。
弊店の新規メニュー「レイナの霊視鑑定」のご感想をご紹介致します。
今日は霊視をして頂きありがとうございました。
未来については、やはり自分自身が自分を信じていくことが改めて大切なんだと気付きました。
不安や孤独、焦りで毎日モヤモヤしていましたが自分の気持ちを確認するいいきっかけになりました。
亡くなった父からのあたたかい言葉に感動しました。
ありがとうございました!
あちらの世界のお父様から温かいメッセージが届いたとのこと、貴重な体験ができて良かったですね。
生前は家族間でギクシャクしていても、亡くなってしまうと嫌だった部分は風化し、愛の思い出が残るものです。
お父様から背中を押してもらって、前向きに進んでいく気持ちになったのではないでしょうか。
見えない世界と繋がり、今必要なメッセージをお伝えします。
➡ レイナの霊視鑑定
時間の不思議、空間の罠

こんにちは。
この世界の成り立ちについて思う所を書き記してみます。
ほとんどの人は疑問すら感じていないかもしれませんが、かなり不思議なのが時空の問題です。
特に時間についてはかなり謎であります。
時間の流れというものがあって、過去から未来に向かって一直線に進んでいるというのが一般的な理解です。
それは、この社会で成功している人やインフルエンサーをはじめ、ほとんどすべての人がそう認識していることでしょう。
しかし、この感覚はこの3次元という物質世界における感じ方です。
つまり、本当はそうではないけれど、この地球という場にいるとそう感じられてしまうということです。
直線的に進んでいないというと、時間というのはどういうものなのでしょうか?
それを説明するために、輪廻転生について考えてみましょう。
輪廻転生とは、生まれ変わりです。
果たしてそれが本当にあるのかないのか?
輪廻転生なんてないだろうという人とは、ここでは議論するつもりもないですが、人間は幾度も輪廻転生をしている生き物だと私は考えています。
私にとってはコーラを飲んだらゲップが出る位当たり前のことで、死んでからもこの世界に留まっている霊体と日々対峙していますので、この点については至極当然という立場でいます。
でも、仏教の影響が大きい日本人は、比較的この輪廻転生という考え方には同調できるのではないでしょうか。
この輪廻転生も過去から未来に向かって、死んでは生まれるサイクルを繰り返しているというのが一般的な考えです。
しかし、私は時間が直線的に過去から未来に進んでいるものではないと認識しているため、死んだ後に昔の時代に生まれることもあるのではないかと考えています。
そして、人生というものはある程度起こることが決まっているという考えを持っています。
人生は完全にフィックスされているものではなく、その人の意識が大きく変わると起こる現象が変わるということはあります。
しかし、肉体のみを自分とみなし、常に五感の感覚に晒されて、それに反応し続けていると大きく意識が変わるということは一生の間でほとんどないでしょう。
霊性修行をして、魂レベルというものを認識している場合、人生で起こる様々な現象に対する反応を大胆に変えることで、決められた路線からシフトしていくことができると思います。
そして、ある程度決まっているというのは、細かいところで言えば〇月〇日は特に〇×という感情が勢力的になるというところまで決まっているのではないかと考えています。
具体的に言えば、10月2日は怒りのエネルギーが強く起こって来るという感じです。
そのために、例えば職場でライバルのA氏というある意味の俳優が出て来て、意見の衝突があるというストーリーが展開されます。
この辺は緩やかな設定で、A氏という俳優がセッティングされていなければ、交際しているB子という女優が出て来て、B子の言動に腹を立てるという様な別のストーリーが起こることになります。
怒りが出て来るというストーリーはともかく、10月2日という時間のポイントで怒りという波動(エネルギー)が大きくなるというのは決まっている様なのです。
それがおぼろげながらもわかってしまうと、A氏であれ、B子であれ、本当はその両氏が怒りの原因になっているのではなく、怒りのエネルギーが勢力的になるために、それを演じてくれる俳優が準備されているということになります。
つまり、怒りというエネルギーが最初にありきなのです。
その不快な感情を味わうために、そのための俳優がそうなる状況を演じてくれる。
だから、そもそも相手が如何に悪いのか、どうしたら奴らを叩きのめすことができるのかを思案するのは、見当違いということになります。
現実世界ではA氏やB子の言動が如何に問題かを追求し、反駁(はんばく)するポイントを思案するのは当たり前の思考プロセスです。
ですが、本質的には彼らは俳優であって、怒りを味わわせてくれるために演じてくれているので、そこに問題の本質、根本原因はありません。
A氏もB子もセッティングできなければ、C太郎が出て来ることになるでしょう。
では、どう対処するのがベターなのかというと、怒りに反応するとこの仮想現実の世界(マトリックス)の術中にはまりますので、怒りという嵐が過ぎるまで穏やかに静観するのが賢い選択です。
この世界で生きていれば、様々な感情の波が心を揺さぶります。
特にネガティブな感情・・・怒り、不安、心配、悲しみ、嫉妬、恨み、後悔などがどうして尽きないかというと、それはプログラムだからです。
プログラムというのは、あらかじめ決められている既定路線です。
プログラムというのは、アプリが起動しているのと同じで、プログラムの内容に心が反応しアップダウンすることになります。
しかし、プログラムはあくまでプログラムで、「自分」ではありません。
ところが、この世界に生きているとプログラムを自分であると認識してしまいます。
それがこの世界のトリックである部分です。
プログラムが起動して心を揺さぶるネガティブな感情にいちいち反応してしまうと、大変なエネルギーを浪費することになります。
それがマトリックスのエネルギー、つまり餌になるのです。
だから、私たちは五感の刺激に過剰反応することなく、淡々と世界を眺めながら生きていれば良いのです。
その仮想現実(マトリックス)の抜けるのが、仏教でいう解脱ということになります。

みなさん、こんにちは。
今回はお客様から寄せられたメールをご紹介します。
Kさんが遠隔療法を受ける準備をしていたところ不思議なことが起きたという話です。
遠隔療法の施術時間に合わせてしようする、私自身の体勢準備は、ごくごく簡単なものなのですが。。。
本日10時からということで、最終的な体勢を整えるためにヒーリングスティックと水晶を身体のすぐ前にとりあえず置き、ほんの少しモゾモゾ動きました。
その時、丁度10時だったのですが、水晶とヒーリングスティックが軽くぶつかり少しカチンと音を立てました。
そして私はすぐに、その2つを手に取ろうとしました。
が、なんと、(音までして)そこに有るはずのヒーリングスティックが忽然と消えているのです!水晶だけがあるのです…。
びっくりして、一旦立ち上がってまで探し、離れたところまで探しましたが無く・・・。
しかし、この探し物行為をしていてせっかくの遠隔療法の貴重な40分間が過ぎてしまうのは良くないとすぐに思い、今だけはヒーリングスティックが無いままなことを諦めよう
とまたすぐに座り直しをしましたら、なんと、忽然と、元通りにそこに現れているのです!!
たった1分程の間だったのですが、本当に消えていたのです!
神の力が入っている法具が忽然と消えるという話は時々聞く話です。
私も何度か経験がありますし、お客様からも度々伺います。
どこに行ってしまうのかわかりませんが、神界に行っているのでしょうか?
「邪気祓い開運堂」で扱っているものは、神気を封入してあるためこの様な現象が起こる可能性があります。
その都度、ブログに書いていませんが、パワーストーンブレスレットとか結構この手の話があるのです。
消えてしまった物は、持ち主を守るために何か悪いエネルギーを吸い取っていて、その浄化のために消えていたのか・・・謎は深まるばかりです。
物だけではなく、ヒトも消えることがあります。
死ぬ時に、遺体が消えてなくなるのを尸解(しかい)といいます。
修行を積んだ仙人がこの世を去る時に尸解という方法を採ります。
マスターヨーダ
映画スターウォーズシリーズでも、一部のジェダイの騎士は尸解で亡くなっています。
マスターヨーダもそうですし、オビワン・ケノービもそうです。
最新作の中ではルーク・スカイウォーカーが瞑想をしながら亡くなるシーンがあります。
つまり、尸解というのは仙人だけが為せる専売特許的なものではなく、洋の東西において霊性が進化した人類が為せる技であるということを、スターウォーズの歴代のシナリオライターは知っていたということなのです。
もっとも尸解を為すには、肉を食べている不浄な肉体では不可能でしょうから、木喰行(もくじきぎょう)などを敢行し、肉体の浄化を極めないとならないのかもしれません。
そして私の師匠の師匠であるインドの聖者は、尸解で亡くなったと伝えられています。
身近?にも、この様な高等な技を使った人がいるというのは、何とも夢が膨らむというものです。
過去記事
私たちの人生に影響する見えない因縁

「永遠のヨギー ヨガをめぐる奇跡の旅」を観てきました!

ザ・ビートルズやスティーブ・ジョブズら多くの著名人に影響を与えたとされる、ヨガの伝道師パラマハンサ・ヨガナンダの生涯に迫ったドキュメンタリー「永遠のヨギー ヨガをめぐる奇跡の旅」予告編。
4/30よりユーロスペースにて公開。
『永遠のヨギー ヨガをめぐる奇跡の旅』は、現在世界で3億人もの人々が愛好する<ヨガ>を諸国に広めた「西洋ヨガの父」として知られる偉大なヨギー(ヨガをする者)=パラマハンサ・ヨガナンダの生涯を辿る作品です。
なぜ、文化も習慣も違う遠い異国の地・インドに生まれたヨガが、東西を問わず今日までこれほど多くの人々に受け入れられているのか?それは、ヨガナンダの功績を抜きにしては語れません。
人種差別が横行する1920年代のアメリカで、ヨガがもたらす“調和”と“愛”を説くヨガナンダに、人びとは惹き付けられていきます。
それは時代を超え、ザ・ビートルズのジョージ・ハリスンをしてヨガナンダの著書「あるヨギの自叙伝」に出会ってなかったら今の人生はないと言わしめ(ヨガナンダはザ・ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットにも登場)、アップル社創業者のスティーブ・ジョブズは、「あるヨギの自叙伝」を唯一自分のiPadにダウンロードし、繰り返し読んでいたといいます。
また本作中ではヨガナンダとインド独立の父・ガンジーとの交友も描かれ、その生き方と精神は、現在もたくさんの人々に受け継がれています。
作中では、ヨガナンダの貴重な映像と、ジョージ・ハリスンやスティーブ・ジョブズなど多数の著名人の証言や逸話を通して、アカデミー賞ノミネート歴のあるパオラ・ディ・フローリオとサンダンス受賞歴のあるリサ・リーマンが、彼の生涯と教えに迫ります。
アメリカ、オーストラリア、ブラジル、ドイツ、イタリア、フランス他、全世界でロングラン上映中の本作が、ついに日本上陸です!
(出典 : ユーロスペース)
この映画は聖者パラマハンサ・ヨガナンダの人生を描いたノンフィクション映画です。
パラマハンサ・ヨガナンダと言えばあの「あるヨギの自叙伝」の著者です。
「あるヨギの自叙伝」はスピリチュアルに関心がある人の間では昔から注目されている本で、故・船井幸雄氏も人生で最も影響を受けた2冊の本の1冊としてこの本を挙げています。
私も大分前に読みましたが、その頃はインドの聖者とはどの様な者か全く知りませんでした。
そんな時分にこれを読んで随分衝撃を受けたことを覚えています。
インドの聖者の情報は今でこそ大分入りやすくなりましたが、当時は余り情報もありませんでした。
後になって自分が幾度もインドやヒマラヤに行くことになるとは皆目思いもよらぬことでした。
「あるヨギの自叙伝」にはビックリする様な話がたくさん載っています。
その本にはヨガナンダの写真は幾つも出ていますが、その動画が見られるというのはとてもありがたく貴重な機会です。
なぜなら画像からはその人の気(エネルギー)が伝わってくるからです。
ヨガナンダの波動を、その映像と声から受けることができるのです。
この様なチャンスはめったにありません。
また、ヨガナンダの師であるスリ・ユクテスワやガンジーも登場します。
私は両氏の気(エネルギー)もまた凄いものだと思いました。
霊性修行における師弟関係は今生だけのつながりではなく、遠く過去世からのつがなりがあります。
ヨガナンダと師・スリ・ユクテスワもそうでした。
永く霊性修行の師弟として愛で結ばれた2人の関係は見どころの一つと思います。
20世紀の初頭にインドから遥々アメリカに移住してそこで布教をするというのは並大抵のことではなかったはずです。
障害も数えきれない位多かったでしょうし、また多くのネガティブなエネルギーを受けていたことでしょう。
ヨガナンダが多くのアメリカ人を啓蒙した功績は確かに偉大ではあるけれど、それが使命だったとはいえ、本当に大変な人生を送られたと思わずにはいられませんでした。
私はこの映画にとても満足しました。
インドの聖者とはどの様なものか、また霊性修行とはどの様なものか、それに関心がある方には是非ともお勧めの映画です。
首都圏では渋谷のユーロスペースで上映しています。
人ごみが嫌いな私は何年かぶりに渋谷のど真ん中にいきました。
ユーロスペースはラブホテル街のど真ん中、人ごみをかき分けて頑張って行ってきました。
帰ってきてへとへとになりましたが、聖なるエネルギーもたくさんいただけましたよ。
4月30日公開ですが、ユーロスペースではいつまで上映しているかよくわからないのでご確認の上観たい方はお早めに行ってみてください。

年末年始、自分自身の邪気を大掃除し開運しよう

皆さん、こんにちは。
いつの間にか12月も中旬に入り、今年も残すところ半月のみとなりました。
12月は自宅や職場の大掃除をして一年の汚れを落とします。
掃除をすることは、邪気祓いの基本です。
病気、特にうつなどのメンタルの病気、自律神経失調症を抱えている人の中には自宅や部屋の片づけが全然できていなく、物が散乱している傾向があります。
特に重度のうつ病の場合では、掃除もせず、カーテンを閉め切って窓も開けない状態が続き、室内の気(エネルギー)が汚れている人をたくさん見てきています。
この様な病気を良くしていくために掃除をして普段いる場の邪気を祓うことも大事です。
企業でも繁盛しているところは、掃除を徹底的にやっています。
また、社長自ら率先して掃除を行っている会社もあります。
飲食店では、「餃子の王将」の創業者の故・大東隆行氏は早朝の5時30分から会社の掃除を行っていました。
また、「イエローハット」の創業者 鍵山秀三郎氏も社長自ら素手でトイレ掃除をすることで有名です。
この様な会社は人々に愛され発展している様に見えます。
一年間お世話になった家や会社を感謝の思いで掃除すれば、汚れや邪気が祓われて来年の開運につながります。
私も掃除をすると部屋が綺麗になるだけでなく、やっている内に自分の心も綺麗になっている様な感じがします。
掃除をし終わった後は、気持ちがとてもスッキリしています。
自宅や会社の掃除と合わせて大事なものが実はあるのです。
それは、
「自分自身の掃除」
です。
自分自身の掃除って何でしょうか?

「見えない身体」(オーラ/気場/エネルギー体)
それは、自分の「見えない身体」(エネルギー体/気場)の邪気を祓うことです。
自分のエネルギー体(気場)が汚れているということはなかなか自覚できることではないかもしれません。
私の場合はだいたい把握していますが、瞑想をすると顕著に分かります。
余り汚れていないと自覚している場合でも、瞑想をすると邪気がたくさん感じられることも珍しくありません。
私は今でこそ邪気を認識する感覚がありますが、生まれつきその感覚が備わっていた訳ではありません。
日々の気功治療と修行の成果で感覚を伸ばしてきたのです。
かつて私の感覚が大分鈍かった時、その当時教わっていた先生に、
「人のエネルギー体は思う以上に汚れているものです。」
と言われました。
私はそれが感覚としてわからなかったので、「そんなもんなのかな」と当時思った記憶があります。
今では、それが体感としてよくわかりますので、先生がおっしゃっていたことが間違っていなかったと認識しているのです。

「あ~あ (*゚Q゚*)」
人が人生において引き寄せるものは、自分自身の気(エネルギー)と共鳴・同調することによって同質の現象が起こるのです。
邪気で汚れきっているエネルギー体(気場)ではどのようなことになるのかご存知でしょうか?
それは、
① 災難やトラブルが多発する
② 何かと物事の足を引っ張られている様に感じられる。
③ 病気になる、不快な症状に悩まされる
④ 感情がネガティブになることが多くなる。
ざっと、挙げてみても面倒なことばかりです。
ですので、自己啓発本を読んだり風水を実践したりするのも良いですが、自分自身のエネルギー体(気場)が汚れていては思う程効果が出るものではありません。
邪気を祓うのに一番良いのはきちんと気(エネルギー)が分かる気功治療家やスピリチュアル・ヒーラーにやってもらうことです。
そうすれば不要な身体の邪気は取り祓われて心身ともに非常にスッキリした気分で新年を迎えることができるはずです。
また、身近に気功治療家やスピリチュアル・ヒーラーがいないという人のために、自分自身で邪気を浄化する方法の特集を「外気功療法さいたま院」のサイトで組んでいますのでそちらも参照頂ければお役に立つと思います。

今年の残り少ない日を大切に使って、今年の汚れを取っていきましょう。
「今年の汚れ、今年の内に」です。
ちなみに「外気功療法さいたま院」では年末まだ若干数空きがございますので、ご活用頂ければ幸いです。

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撮影 水野博友 2015年9月9日
9月初旬というのに、梅雨の様にずっと雨が続いています。
台風が接近していてここ浦和でも今日は大雨だったのですが、その一瞬の間隙に綺麗な虹が出ていました。
折しもお客様がちょうど帰った時で、虹と遭遇できたのは幸運でした。
今回の虹は私がこれまでに見た虹で一番綺麗なものでした。
前回虹を見たのは2011年4月24日のことです。
その頃はまだ店舗が北浦和にありました。
なぜ日にちまではっきり覚えているかというとその日はサティア・サイババが他界した日と同じだったからです。

サティア・サイババ
サティア・サイババ(1926年~2011年)は有名なインドの聖者で日本でも信仰している人はたくさんいます。
サティア・サイババはご自身を神の化身(アヴァター)であると言っています。
ここでいう神とは、シヴァ神とパールヴァティ女神であり、姿形は人間ですが中身は人間ではなく神ということです。
インドでは姿形のない神が人間の肉体をまとって降臨することが度々あり、サティア・サイババもその一人です。
人間の形をしていても中身は神ですから、過去・現在・未来まですべてお見通しであり、また数々の物質化現象を起こしたことでも話題となりました。
サティア・サイババは95才まで生きると宣言していましたが、実際は84才で他界しました。
心無い人々は、それ見たことか!神が自分自身の死ぬ時を当てられないとはインチキ聖者の証拠だと言いふらしました。
皆覚えているでしょうが、2011年3月11日は東日本大震災が起こり、津波と原発事故で放射能汚染が広がった日です。
奇しくも3月下旬にサティア・サイババは呼吸器の不調で入院し、翌月の24日に亡くなっています。
私が前に虹を見たのがちょうどその日で、空にかかった綺麗な虹を見て、私はサティア・サイババが汚染の毒を引き受けて持って行ってくれたのではないかと直観しました。
東日本大震災が起こり、その後も小規模な余震が続く中、師匠と私、そして霊性修行をしている仲間たちはそれが鎮まる様毎日祈りを捧げていました。
私たちのみならず、ヒーラーや宗教関係者など日本人の多くが祈っていたはずです。
師の場合は、地震を収める地のマントラを夜を徹して唱えていらっしゃいました。
私は毎日シヴァに祈っていました。

シヴァ神
シヴァ神には千の別名があり、その中にニーラカンタ(青黒い首を持つ者)という名があります。
シヴァ神はイラストでは青い身体で描かれます。
その理由は、悪魔がこの世を滅ぼそうとまき散らした毒をシヴァ神が飲み込んで被害を収束したという神話があり、その毒でシヴァ神の身体は青い色になってしまったということなのです。
2011年3月には放射能汚染の被害状況が一向に伝わって来ず、私はここさいたまに住み続けていくことができるのだろうかと不安になりながらネットで情報を探っていたことを思い出します。
その頃、私はシヴァ(ニーラカンタ)に毒(放射能)が拡散しない様助けてくださいと祈っていました。
福島では一部の方々が移住を余儀なくされましたが、関東ではそこまでの被害にはなりませんでした。
ところがちょうどその頃インドではシヴァ神の化身サティア・サイババが呼吸器を壊し入院することになっていました。
普通の人から見たら只の偶然と考えるに違いありません。
サティア・サイババはそのまま回復することなく、翌月24日に他界してしまいました。
本当は95才まで生きられる予定だったのを、日本の毒を引き受けて逝ってしまわれたのではないだろうか・・・私はその様に考えています。
私は特別サティア・サイババを信仰していた訳ではありませんが、サティア・サイババが他界した報道を聞いて只何となく寂しい思いがしました。
その日外を見ると空に虹がかかっていました。
その虹を見て私は、「もう大丈夫だ」と言われている気がしました。
それで私は前に虹を見た日を正確に覚えていたのです。

撮影 水野博友 2015年9月9日

撮影 水野博友 2015年9月9日
今回虹を見て、「虹って龍なんだ」と初めてわかりました。
本当かどうか調べてみると、やはりその様な考え方があるということでした。
虹は龍神の表れであり、また神との契約という意味もある様です。
今回の虹の出現にどのような意味があるのかは私自身はっきりしません。
しかし、今日は朝から何か素晴らしいことが起こるのではないかとワクワクしていて、何だろう何だろうと思っていました。
こういうことは私には珍しいことなのです。
それが虹の出現でした。
虹の出現は何かの吉祥と思います。
ちなみに、シヴァ神のシヴァとは吉祥という意味です。
いつもご愛読頂きありがとうございます。
読者の皆様の健康と幸せを今日も祈念致します。
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出せば入るという法則・2 ~知識・アイデア、お金の話~

前回では、私のバリ島での荒行体験やヒーリングスティック療法を例に挙げて、良くない物を出すことではじめて良い物が入ってくることをお話しました。

今回は身体のこととは別のことでお話しましょう。
私は師匠と共にインド・ヒマラヤやインドネシアで修行をしてきました。
また、師匠の国内の寺院で毎月修行を行い、密教を学んでいます。
密教と言うのは文字通り「秘密の教え」であり、それは公開せずに内々に伝えていくだけの理由と価値があります。
漫画「北斗の拳」で必殺の拳法「北斗神拳」が一子相伝という話でしたが、それと似たようなものです。
私はスピリチュアル・ヒーラー養成塾の講座でその一部をお伝えしています。

時には、自分が苦労して得た貴重な智識・教えを人に伝えるのは何かもったいないなと思う時もあります。
霊性修行をしている人は自分自身が得た経験や智識をとかく秘密にして他人に教えたがりません。
私もその気持ちはわからないでもないのですが、この教えという分野でも出せば入るという法則が当てはまるのです。
この貴重な教えは伝えたくないなとか、または貴重な法具を人に譲りたくないなと思ってもそれを敢えてすることで、私にはより貴重な教えや法具が入る様になるのです。
これはこれまで私が何度も経験してきていることなので間違いはありません。
私は密教的な智識や法具について例を挙げましたが、その様なものでなくても、例えば自分がひらめいたとっておきのアイデアなど人に話すとパクられるのではないかと危惧するかもしれません。
近年は著作権や商標権など権利関係が厳密になってきている様に思います。
私はさほど大したことは書いていないと思っているものの、自分が外気功療法さいたま院のサイトで書いてある文章が他のサイトにほとんどそのまま転載されていたり(リンクもない状態)すると、一瞬「ひどいことするな」と思ってしまいます。
しかし、すぐに「まぁ、いいか」と思い直し、また自分には別のアイデアや知識が入って来ることだろうと開き直ってしまいます。
所詮二番煎じは二番煎じでしかありません。
同じことを書いていても、私が書いている文章と、他人が転載した文章では読み手への伝わり方は違うものです。
発明家で工学博士の故・政木和三さんは神人の様な方と私は思っていますが、政木和三さんの凄いところは生涯で4000件以上の発明をされたのですが、その内3000件近くは特許申請をせずそれを放棄したところにあります。

参考 : 政木ワールドへようこそ
その訳は、何でもインスピレーションを得て1~2秒の超短時間で発明したものだからというのです。
皆が知っている発明品では、うそ発見器 エレキギター 自動ドア 電波測定用オシログラフ 自動炊飯器 格安テレビの考案・試作 熱線風速計 水深計測器 魚群探知機 超音波コンクリート測定器 低周波美顔器 瞬間湯沸かし器 などがあります。
特に自動炊飯器の特許料は4~5千億円になると推定され、それがなかったためにメーカーの販売価格が安くなり普及が早くなったそうです。
世のため人のためになるという利他の精神が利己の精神よりずっと優っていたためその様にされたのだと思いますが、その結果多くの人がその恩恵を受けられることになったのです。
政木和三さんがインスピレーションを得たというのは言い方を変えれば、神様からアイデアをダウンロードしたとも言えます。
もし、政木和三さんがそれを自分のものだと固執し特許権にうるさかったとしたら、この様に次々とアイデアが湧き出てくることが果たしてあったのでしょうか?
この様な例から分かるように大事なアイデアも人に伝えてどんどん使って貰うことで、自分にはまた別のもっとすごいアイデアが湧いて出てくるのです。
お金もそうです。
お金持ちではない私が言っても余り説得力はないかもしれませんが、貯金残高が増えるのを楽しみにするより、お金は有効に使えばまた必要な分のお金が入ってくるものです。
ここでいう有効にお金を使うというのは、自分自身のエゴを満たすための消費ではなく、自分自身を人や社会に役に立てる様にする自己投資であったり、または神事に使うお金で、いわば他人や神のために使う生きたお金のことです。
私は余り物欲がないのですが、神事や自分自身の修行には惜しみなくお金をかける習慣があります。
修行や法具は私にとってとてもお金がかかると感じるものです。
例えば法具一つ例にとってもみても、私が気功の施術や瞑想の時に使っている法具は結構な値段がするものです。
店の神棚に置かせて頂いている数々のご神像も非常に高価です。
いつもこんなに使って大丈夫かと思わない時もないではありませんが、不思議と使った分以上のお金がすぐに入ってきます。
それはホントに不思議と思います。
私の修行仲間も「神事(かみごと)に使ったお金はもっと増えて返ってくる」といつも言っている人がいます。(その人は本当にお金持ちです。)
それは私もまったく同感です。
インドの大聖者シルディ・サイババ(~1918年)は、神事に使ったお金は7倍にして返すと言っています。

シルディ・サイババ
神事(かみごと)というのは、神社・寺院への喜捨(きしゃ)・浄財・お布施もそうですし、また神と繋がるための修行・学びに使うお金もそうです。
後者のことで言えば、例えば私が主宰しているスピリチュアル・ヒーラー養成塾の講座を受講することや法具を買い求めることもそれに該当します。
神事に使うお金も生きたお金の使い方でありますが、同様に素晴らしいのが陰徳を積む行為です。
陰徳とは、人知れず人のためになる慈善をすることであり、お金のことで言えばどこかの慈善団体に人知れず寄付をしたりすることです。
人のために役立つお金の使い方でも、人知れず行うというのが陰徳を積む上で大事なことなのです。
ちょっと前に、タイガーマスクに扮した正体不明の男が孤児院などにランドセルをプレゼントしたというニュースがありましたが、タイガーマスクはそれによって感謝されることがあっても売名行為ではないためそれは陰徳を積むことになるのです。
例えば私が『孤児院の子にランドセルをプレゼントしました!』とブログに書いたとすると、後から「いや~水野さんは立派だねぇ」とか「水野さんは素晴らしい!」とか言われる可能性があります。
ランドセルをプレゼントする行為はしないよりは余程立派であり、生きたお金の使い方ではありますが、後から人に賞賛されることを期待する下心があれば陰徳を積むことにはなりません。
要は行為には動機が大事であって、お金が7倍になって帰ってくるなら定期預金より利率がいいから喜捨・浄財をしようとか、○○をしたら人から褒められて尊敬されるだろうという動機が第一に来ているようではダメなのです。
あくまでも人を助けたい・人のためになりたいという思いが第一に来るのでなければなりません。
出せば入って来る法則・・・このことは「日月神示」にも書かれています。
自分が生んだもの、自分から湧き出るものは、いくら他に与えてもなくならんぞ。与えよ、与えよ、与えてなくなるものは自分のものではないと申してあろう。無くなると思うのは形のみ見ているからぢゃ。カラのみ見るからぢゃぞ。本質は無限に拡がるぞ。与えるほどよりよく、神から与えられるぞ。井戸の水のようなもんぢゃ。汲めば汲むほどよくなる仕組。(秋の巻 第十五帖)
捧げるもの、与えるものは、いくらでも無限にあるではないか、捧げよ捧げよ、与えよ与えよ、言(ことば)こそは誰もが持てる其(そ)の捧げものであるぞ、与えても与えても無くならんマコトの宝であるぞ
(碧玉の巻 第十二帖)
利子は後からでよいと申すが、先に払うこともあるぞ(五葉之巻 第四帖)
もの与えることなかなかぢゃ、心してよきに与えねばならんぞ。与えることは頂くことと知らしてあろうが、与えさせて頂く感謝の心がなくてはならん、強く押すと強く、弱く押すと弱くはね返ってくるぞ。自分のものというもの何一つもないぞ、このことわかれば新しき一つの道がわかるぞ(五葉之巻 第五帖)

多くの人はその様なことを知りませんが、おばあちゃんの世代にはそれを知っている人はたくさんいるものと思います。
核家族化が進み、我よし(自己中心的)な人が増えて、様々な大事な教えが子や孫の世代に伝わらなくなってしまったのでしょう。
いつもご愛読頂きありがとうございます。
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