神の言葉 ~夫婦・家族について~
category: 魂に響く言葉
私の師が受けた神からの啓示です。
短い言葉の中に含蓄あり、魂に響くものです。
・汝の家族は仲良くせねばならぬ。一家は妻が大切なり
・夫婦は仲良くせよ夫婦は万物創造の源なるが故である。
・妻は夫に仕えるに神に仕える如くせよ、神を信ずるが如くに汝の主人を信ぜよ、さすれば汝の主人は必ず偉大となり妻の夢を叶える
・主人は汝の妻子を神の子として大事にせよ
・子に神の存在を教えよ
・汝の親を大事にせよ、汝の親に対するに神に仕える如くせよ、さすればいかなる親も立派な親となろう。
・家族定まってのち自己の幸福に安住してはならない。自己の幸福のみを求めるものに真実の幸はない。
・不幸の隣人を助けよ、不幸に沈むものに愛の手を差し延べよ、神の救いを教え更に現実に救わなくてはならぬ。
・汝の出来る限りの事をせよ。さすれば善因となり、魔は決して汝に近付く事は出来ない。
神は家族・夫婦をどうとらえているか、それがこれらの言葉から分かります。
また後日別の神示も紐解いてお伝えしましょう。
霊性修行で高い境地に至る人は両親をとても大切にしています。
家族・両親は肉体は別個でも魂の根っこがつながっています。
親を嫌ったり、恨んだり、憎んだりすればすなわちそれは自分自身をそう思うことであり、天につば吐き自分にかかることに他なりません。
家族は皆仲が良いかというとそういうところは少なく、家族を通して我を出して因縁(メグリ・カルマ)を落していくのです。
だから苦しい家族関係が多いのです。
霊性修行はマントラを唱え瞑想をすればそれで良いものではなく、家族の不調和を乗り越えるのも大きな修行となります。
いくらマントラを唱えて瞑想しても、家族への悪感情をいつまでも抱いていては余り進まないのです。
短い言葉の中に含蓄あり、魂に響くものです。
・汝の家族は仲良くせねばならぬ。一家は妻が大切なり
・夫婦は仲良くせよ夫婦は万物創造の源なるが故である。
・妻は夫に仕えるに神に仕える如くせよ、神を信ずるが如くに汝の主人を信ぜよ、さすれば汝の主人は必ず偉大となり妻の夢を叶える
・主人は汝の妻子を神の子として大事にせよ
・子に神の存在を教えよ
・汝の親を大事にせよ、汝の親に対するに神に仕える如くせよ、さすればいかなる親も立派な親となろう。
・家族定まってのち自己の幸福に安住してはならない。自己の幸福のみを求めるものに真実の幸はない。
・不幸の隣人を助けよ、不幸に沈むものに愛の手を差し延べよ、神の救いを教え更に現実に救わなくてはならぬ。
・汝の出来る限りの事をせよ。さすれば善因となり、魔は決して汝に近付く事は出来ない。
神は家族・夫婦をどうとらえているか、それがこれらの言葉から分かります。
また後日別の神示も紐解いてお伝えしましょう。
霊性修行で高い境地に至る人は両親をとても大切にしています。
家族・両親は肉体は別個でも魂の根っこがつながっています。
親を嫌ったり、恨んだり、憎んだりすればすなわちそれは自分自身をそう思うことであり、天につば吐き自分にかかることに他なりません。
家族は皆仲が良いかというとそういうところは少なく、家族を通して我を出して因縁(メグリ・カルマ)を落していくのです。
だから苦しい家族関係が多いのです。
霊性修行はマントラを唱え瞑想をすればそれで良いものではなく、家族の不調和を乗り越えるのも大きな修行となります。
いくらマントラを唱えて瞑想しても、家族への悪感情をいつまでも抱いていては余り進まないのです。
私たちがアイデンティティを正しく持つ上で、日本という国がどのような国であるかを正しく認識することは極めて重要です。
それには特に正しい歴史認識が欠かせません。
現代の日本人の姿を見ると、私はどうにも本来の日本人からは遠くかけ離れた状態になっていると思えてしまいます。
それは一つには正しい歴史認識・歴史教育がされていないからでありましょう。
通常私たちは教育やマスコミを通して歴史を学びますが、それが正確な歴史観であるかというと私は日本人を間違った方向に導くべく歪められたものであると考えています。
特に近代史と先史は事実とは到底思えないお仕着せの歴史になっています。
先史とは縄文時代以前の時代、超古代史であり、常識的な歴史観では日本には縄文時代は高度な文明はなく、腰に毛皮を巻いて石器で狩猟生活をしている原始的なイメージです。
一方、近代史では先の大東亜戦争の認識が根本的に間違っており、多くの日本人はアジアに植民地支配のための侵略戦争をしたと捉えています。
ひどいところでは、アメリカと戦争をしたことを知らない若者も増えているといいます。
この前もこの様なことがありました。
小学校の教育では大東亜戦争をどう教えているのかと思い、知人の6年生の子に「どうして日本は戦争をしたのだと思う?」と聞いてみました。
すると、「え~、それは日露戦争で日本は勝って調子に乗って侵略したので、やられたんだよ。」と答えました。
「やはりそう来たか・・・」と思う反面悲しくなりました。
その子は読む本はおよそ漫画くらいと聞いていますから、その答えの元となる情報は学校教育にあるといっても間違いではないでしょう。
日本が大東亜戦争で戦争を決断したのは、アメリカを中心とするABCD対日包囲陣(米英中蘭)による経済制裁で進退窮まったからであり、戦争を望んでいたのはアメリカで、アメリカの戦略によって日本は戦争に向かわざるを得ない状況になったからです。
先に戦争をしかけたのは、日本がアメリカ領ハワイ諸島の真珠湾を奇襲攻撃したからだろうと思われるかも知れませんが、アメリカという国は歴史的にもいつも戦争を欲しており、しかも相手が手を挙げざるを得ないところまで追い込み最初にやられたふりをして国民世論を喚起し戦争を開始するのです。
その手法は現代も変わりません。
それについて、戦後日本を占領した連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー自身がこう述べています。
「日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫(すず)がない、ゴムがない。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域に存在していたのです。もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。従って彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。」
1941年11月26日、戦争直前の日米交渉においてアメリカから日本に提示されたハルノートというものがあります。
内容についてはここでは省略しますが、その苛烈かつ非情な内容によって日本は戦争を断腸の思いで決意したのです。
そのハルノートの内容について東京裁判のパール判事(インド)は「真珠湾攻撃の直前にアメリカ政府が日本政府に送ったものと同じ通牒を受け取った場合、モナコ公国、ルクセンブルグ大公国でさえも、アメリカに対して武器をとって立ち上がったであろう。」と述べています。
つまり、アメリカの挑発があって日本は戦争に向かっていくしかなかった訳です。
日本の軍隊は古より強いのでありますが、決して好戦的ということではありません。
当時アメリカのルーズベルト政権で国務次官を務めたサムナー・ウェルズは「ハル国務長官は、対日休戦や和解の考えを放棄し、十か条よりなる最後形式の提案・・・ハル覚書・・・を日本に手渡した。大統領も彼もこの提案を日本が拒否することを知っていた。そこに妥協や融和の考えは毛頭無かった。」と回想しています。
同じく、ハワイ太平洋艦隊駆逐艦司令官シオボールド海軍少将も「ハルノートは日本を鉄棒で殴りつけた挑発であった」とその著書で述べています。
またそれと併せて、当時のアジアはほぼ全域に渡って西欧諸国の植民地であり、それも原住民が搾取される隷属的でいびつな関係を強いられていました。
日本はアジアの植民地を西欧諸国から解放するという動機もありました。
しかし、日本が西欧諸国に変わってアジアを植民地支配し搾取していこうという意思はありませんでした。
戦後日本を占領したGHQは日本人が団結をして再び歯向かわない様に侵略戦争をしたという贖罪意識を持たせるべく洗脳教育を実施しました。
それは「戦争犯罪情報計画」」(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)というもので、その悪影響は現在まで続いています。
「戦争犯罪情報計画」」(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)は日本人の魂を骨抜きにするためのものであって、日本人は本来持っているであろうアイデンティティ・大和魂を喪失しました。
その結果、金・金・金・・・と拝金主義の人間が大量に増え、人のために奉仕するのではなく自分自身のことしか考えない、自分大事、自分のことで精一杯の人間が蔓延(はびこ)っています。
それは「日月神示」にも「悪の仕組は、日本魂を根こそぎ抜いてしもうて、日本を外国同様にしておいて、一呑みにする計画であるぞ。日本の臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれていても、まだ気付かんか」という件(くだり)によって指摘されています。
「今度は魂が抜けているからグニャグニャぞ」という件は現代の日本人の魂の有様を現しているものと考えられます。
気功の施術院のブログで歴史を扱うのは関係がないと思われるかもしれませんが、日本人として自己のアイデンティティを確立することは、どのような考えを持ってどのような人生を送るかという生き方にも通じるものと思います。
継続される心の有様が病気を作る大きな原因であり、どのような心の状態で日々を過ごすかということは自分が何者であるか正しいベース・認識を持つことが重要です。
例えば、「うちは代々水呑み百姓の家系でご先祖さんが悪いことをしたから今の様な貧しい暮らしを送っているのよ。土地なんか持つ資格もないの・・・」と育てられるのと、「うちの家系は天皇陛下の落し胤であったご先祖様に由来するものであって実は高貴な出である。たとえ貧しくても誇りを持って生きなさい。」と育てられるのとでは、形成される人生観もまるで違って、送る人生も天地の差が生まれるものと思います。
最後に言いますが、私は戦争を礼賛しているのではなく日本と世界が平和である様強く望む者の一人です。
ただ、間違った史観を強いられ日本人が戦争をしかけた、植民地支配をしようとしていたと言われることについては我慢ならず、先の戦争で命を捧げてくれた多くの英霊に申し訳なく思うところが大きいのです。
また現在中国・韓国では反日感情が高まっています。
それについては国レベルでは嫌悪感を感じるものの、個々人の中国人・韓国人に対して反感を持っている訳ではありません。
中国人・韓国人の中にも意識の高い人物は多くいるでしょうし、私の親しい友人にも韓国人はいます。
自国の愛国心を持つことと、他国を悪く思うことはまったく関係がない別物と思います。
というわけで、この様なテーマで時々寄稿しようと思っています。
何分本業が多忙で先週も23時前に帰宅した日はなく、1泊店に泊まる日もありました。
そのような状況のため、筆は遅々として進まないと予想されますが一稿一稿熱い思いで書きますのでご愛読頂けましたら幸いです。
【参考文献】
「世界が語る大東亜戦争と東京裁判」(吉本貞昭)
それには特に正しい歴史認識が欠かせません。
現代の日本人の姿を見ると、私はどうにも本来の日本人からは遠くかけ離れた状態になっていると思えてしまいます。
それは一つには正しい歴史認識・歴史教育がされていないからでありましょう。
通常私たちは教育やマスコミを通して歴史を学びますが、それが正確な歴史観であるかというと私は日本人を間違った方向に導くべく歪められたものであると考えています。
特に近代史と先史は事実とは到底思えないお仕着せの歴史になっています。
先史とは縄文時代以前の時代、超古代史であり、常識的な歴史観では日本には縄文時代は高度な文明はなく、腰に毛皮を巻いて石器で狩猟生活をしている原始的なイメージです。
一方、近代史では先の大東亜戦争の認識が根本的に間違っており、多くの日本人はアジアに植民地支配のための侵略戦争をしたと捉えています。
ひどいところでは、アメリカと戦争をしたことを知らない若者も増えているといいます。
この前もこの様なことがありました。
小学校の教育では大東亜戦争をどう教えているのかと思い、知人の6年生の子に「どうして日本は戦争をしたのだと思う?」と聞いてみました。
すると、「え~、それは日露戦争で日本は勝って調子に乗って侵略したので、やられたんだよ。」と答えました。
「やはりそう来たか・・・」と思う反面悲しくなりました。
その子は読む本はおよそ漫画くらいと聞いていますから、その答えの元となる情報は学校教育にあるといっても間違いではないでしょう。
日本が大東亜戦争で戦争を決断したのは、アメリカを中心とするABCD対日包囲陣(米英中蘭)による経済制裁で進退窮まったからであり、戦争を望んでいたのはアメリカで、アメリカの戦略によって日本は戦争に向かわざるを得ない状況になったからです。
先に戦争をしかけたのは、日本がアメリカ領ハワイ諸島の真珠湾を奇襲攻撃したからだろうと思われるかも知れませんが、アメリカという国は歴史的にもいつも戦争を欲しており、しかも相手が手を挙げざるを得ないところまで追い込み最初にやられたふりをして国民世論を喚起し戦争を開始するのです。
その手法は現代も変わりません。
それについて、戦後日本を占領した連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー自身がこう述べています。
「日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫(すず)がない、ゴムがない。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域に存在していたのです。もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。従って彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。」
1941年11月26日、戦争直前の日米交渉においてアメリカから日本に提示されたハルノートというものがあります。
内容についてはここでは省略しますが、その苛烈かつ非情な内容によって日本は戦争を断腸の思いで決意したのです。
そのハルノートの内容について東京裁判のパール判事(インド)は「真珠湾攻撃の直前にアメリカ政府が日本政府に送ったものと同じ通牒を受け取った場合、モナコ公国、ルクセンブルグ大公国でさえも、アメリカに対して武器をとって立ち上がったであろう。」と述べています。
つまり、アメリカの挑発があって日本は戦争に向かっていくしかなかった訳です。
日本の軍隊は古より強いのでありますが、決して好戦的ということではありません。
当時アメリカのルーズベルト政権で国務次官を務めたサムナー・ウェルズは「ハル国務長官は、対日休戦や和解の考えを放棄し、十か条よりなる最後形式の提案・・・ハル覚書・・・を日本に手渡した。大統領も彼もこの提案を日本が拒否することを知っていた。そこに妥協や融和の考えは毛頭無かった。」と回想しています。
同じく、ハワイ太平洋艦隊駆逐艦司令官シオボールド海軍少将も「ハルノートは日本を鉄棒で殴りつけた挑発であった」とその著書で述べています。
またそれと併せて、当時のアジアはほぼ全域に渡って西欧諸国の植民地であり、それも原住民が搾取される隷属的でいびつな関係を強いられていました。
日本はアジアの植民地を西欧諸国から解放するという動機もありました。
しかし、日本が西欧諸国に変わってアジアを植民地支配し搾取していこうという意思はありませんでした。
戦後日本を占領したGHQは日本人が団結をして再び歯向かわない様に侵略戦争をしたという贖罪意識を持たせるべく洗脳教育を実施しました。
それは「戦争犯罪情報計画」」(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)というもので、その悪影響は現在まで続いています。
「戦争犯罪情報計画」」(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)は日本人の魂を骨抜きにするためのものであって、日本人は本来持っているであろうアイデンティティ・大和魂を喪失しました。
その結果、金・金・金・・・と拝金主義の人間が大量に増え、人のために奉仕するのではなく自分自身のことしか考えない、自分大事、自分のことで精一杯の人間が蔓延(はびこ)っています。
それは「日月神示」にも「悪の仕組は、日本魂を根こそぎ抜いてしもうて、日本を外国同様にしておいて、一呑みにする計画であるぞ。日本の臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれていても、まだ気付かんか」という件(くだり)によって指摘されています。
「今度は魂が抜けているからグニャグニャぞ」という件は現代の日本人の魂の有様を現しているものと考えられます。
気功の施術院のブログで歴史を扱うのは関係がないと思われるかもしれませんが、日本人として自己のアイデンティティを確立することは、どのような考えを持ってどのような人生を送るかという生き方にも通じるものと思います。
継続される心の有様が病気を作る大きな原因であり、どのような心の状態で日々を過ごすかということは自分が何者であるか正しいベース・認識を持つことが重要です。
例えば、「うちは代々水呑み百姓の家系でご先祖さんが悪いことをしたから今の様な貧しい暮らしを送っているのよ。土地なんか持つ資格もないの・・・」と育てられるのと、「うちの家系は天皇陛下の落し胤であったご先祖様に由来するものであって実は高貴な出である。たとえ貧しくても誇りを持って生きなさい。」と育てられるのとでは、形成される人生観もまるで違って、送る人生も天地の差が生まれるものと思います。
最後に言いますが、私は戦争を礼賛しているのではなく日本と世界が平和である様強く望む者の一人です。
ただ、間違った史観を強いられ日本人が戦争をしかけた、植民地支配をしようとしていたと言われることについては我慢ならず、先の戦争で命を捧げてくれた多くの英霊に申し訳なく思うところが大きいのです。
また現在中国・韓国では反日感情が高まっています。
それについては国レベルでは嫌悪感を感じるものの、個々人の中国人・韓国人に対して反感を持っている訳ではありません。
中国人・韓国人の中にも意識の高い人物は多くいるでしょうし、私の親しい友人にも韓国人はいます。
自国の愛国心を持つことと、他国を悪く思うことはまったく関係がない別物と思います。
というわけで、この様なテーマで時々寄稿しようと思っています。
何分本業が多忙で先週も23時前に帰宅した日はなく、1泊店に泊まる日もありました。
そのような状況のため、筆は遅々として進まないと予想されますが一稿一稿熱い思いで書きますのでご愛読頂けましたら幸いです。
【参考文献】
「世界が語る大東亜戦争と東京裁判」(吉本貞昭)
埼玉県の浦和駅から徒歩10分程のところに調神社(つきじんじゃ)があります。
調神社は別名「つきのみや」とも呼ばれ、地元の方が多く訪れています。
この神社は私の店からも近いため度々訪れて参拝します。
しかし、いつも何だかよくわからないという気持ちになるのがこの神社です。
まず「調」と書いて「つき」と呼びます。
このような呼び方をまずしないでしょう、私は他に知りません。
また「つき」というところから月待信仰と結び付き、そこかしこに兎がいます。
写真の様に狛犬ならぬ狛兎が入口に構えています。
狛兎というのは実に珍しい。
狛犬は通常片方が口を開けて、もう片方が口を閉じています。
それには理由があるのですが、この狛兎は両方とも口が閉じています。

また同じく写真をご覧いただくとお分かりの様に、この神社には鳥居がありません。
その理由として、古の時代この神社への貢物を納める倉を作り、その運搬・搬入に際し鳥居が邪魔になるために作らなかったとの言い伝えが由緒書にあります。

調とは租庸調の調で貢物という意味です。
う~ん?
何かこれもしっくりこないですね。
そんな鳥居が邪魔になる程のたくさんの貢物が運ばれたのでしょうか?
まぁ、本当にその様なことがあったのかもしれませんが、それをしなくなって後に鳥居を作っても良いところをあえて作っていないのには裏の意味がある様に思えてなりません。
調神社といいますが、何か本当は「月神社」であるところを伏せているのではないかと推理していますが、はっきり理由が分からずそれで釈然としない訳です。
祭神は天照大御神 (あまてらすおおみかみ)、豊宇気姫命 (とようけびめのみこと)、素盞嗚尊 (すさのおのみこと)の3柱です。
大衆向けにはつき神社だからここでお参りをするとつきが得られると幸運の神社として一部に知られています。
地元浦和レッズもここで御祈願をしています。
それで浦和レッズは強いのでしょうかね。
月は普段私たちが目にしていて道端の石ころの様にあることが当たり前になってしまっていますが、実は謎が多くとても不思議な天体なのです。
月の謎というのは本当に深く、またタブーの様になっています。
今回はそこまで書きません。
ロマンが好きな私は何かこの神社にも深い奥義の様な伝承があるのではと訪れる度に想像しているのです。
調神社は別名「つきのみや」とも呼ばれ、地元の方が多く訪れています。
この神社は私の店からも近いため度々訪れて参拝します。
しかし、いつも何だかよくわからないという気持ちになるのがこの神社です。
まず「調」と書いて「つき」と呼びます。
このような呼び方をまずしないでしょう、私は他に知りません。
また「つき」というところから月待信仰と結び付き、そこかしこに兎がいます。
写真の様に狛犬ならぬ狛兎が入口に構えています。
狛兎というのは実に珍しい。
狛犬は通常片方が口を開けて、もう片方が口を閉じています。
それには理由があるのですが、この狛兎は両方とも口が閉じています。

また同じく写真をご覧いただくとお分かりの様に、この神社には鳥居がありません。
その理由として、古の時代この神社への貢物を納める倉を作り、その運搬・搬入に際し鳥居が邪魔になるために作らなかったとの言い伝えが由緒書にあります。

調とは租庸調の調で貢物という意味です。
う~ん?
何かこれもしっくりこないですね。
そんな鳥居が邪魔になる程のたくさんの貢物が運ばれたのでしょうか?
まぁ、本当にその様なことがあったのかもしれませんが、それをしなくなって後に鳥居を作っても良いところをあえて作っていないのには裏の意味がある様に思えてなりません。
調神社といいますが、何か本当は「月神社」であるところを伏せているのではないかと推理していますが、はっきり理由が分からずそれで釈然としない訳です。
祭神は天照大御神 (あまてらすおおみかみ)、豊宇気姫命 (とようけびめのみこと)、素盞嗚尊 (すさのおのみこと)の3柱です。
大衆向けにはつき神社だからここでお参りをするとつきが得られると幸運の神社として一部に知られています。
地元浦和レッズもここで御祈願をしています。
それで浦和レッズは強いのでしょうかね。
月は普段私たちが目にしていて道端の石ころの様にあることが当たり前になってしまっていますが、実は謎が多くとても不思議な天体なのです。
月の謎というのは本当に深く、またタブーの様になっています。
今回はそこまで書きません。
ロマンが好きな私は何かこの神社にも深い奥義の様な伝承があるのではと訪れる度に想像しているのです。
マハー・シヴァラートリー
category: 霊性修行

シヴァ神
今日2月17日はマハー・シヴァラートリーの祭日です。
この日はシヴァを祀る一年で最高の日とされており、シヴァ神に帰依する者はこの日に断食をしたり、またマントラ瞑想をしたりしてシヴァ神を想うのです。
シヴァ神というとヒンズーの神であり、日本では名前は知られていても信仰する人は多くない様に思います。
しかし、シヴァ神は仏教の中に取り込まれ不動明王・千手観音菩薩・大黒天として日本では信仰されています。
シヴァ神について私の主宰する「スピリチュアル・ヒーラー養成塾」のサイトでも解説しています。

昨年のマハー・シヴァラートリーの日は合同瞑想を行いましたが、今年は実施しません。
シヴァ神とつながりたい人はご自宅でご自身の願意が成就する様お祈りをした後に下記のマントラを唱え瞑想してみることをお勧めします。
オーム ナ マ シヴァ ヤ
インド雑貨通販のシータラーマさんのブログにマハーシヴァラートリーが詳しく掲載されていますので、下記にご紹介させて頂きます。
シヴァラートリーとは「シヴァの夜(ラートリー)または吉兆の夜」という意味です。
シヴァラートリーは、毎月、満月から13日夜/14日目にあたります。
しかし、特にパールグナ月(マーガ月となる地域もあります。2月~3月)のシヴァラートリーは、マハー・シヴァラートリーと呼ばれ、一年の内でもっとも神聖な夜として知られています。
この夜、シヴァ神の信者たちは、断食をし、睡眠を絶ち霊性修行に励みます。
シヴァラートリーは、月が満月から新月へと変化する境目です。
充ち満ちた欲望(月)がやがて消滅していくように、満月から新月へと変化するシヴァラートリーの日に霊性修行に励むことで、欲望を滅し、解脱へと至る精神力が獲得できると信じられてきました。
シヴァラートリーの日は、シヴァ神を崇めるもっとも神聖な日です。
この日には、シヴァリンガムを崇めたり、あるいは、シヴァ神の御名やルドラムを唱えたり、バジャンを歌ったり、瞑想を行うことがすすめられています。
またルドラークシャを身に着けるのにもっとも適した日であるとも言われています。シヴァ・パンチャクシャラ・マントラ(オーム・ナマ・シヴァーヤ)も、この日に唱えることで、大きな功徳をもたらすといわれます。
シヴァラートリーの日には、さまざまな言い伝えが残されています。
この日、シヴァ神はパールヴァティー女神と結婚をしたと言われています。
シヴァとシャクティとの永遠の合一である非常に吉兆な日です。
シヴァ神はエネルギーの原始であり、シャクティと共に創造者として、そしてマハーカーラとしては破壊者でもあります。
またシヴァ神が保護と維持、そして破壊のダンス「タンダヴァの踊り」を舞い、宇宙を創造したのも、この日であると言われています。
猛毒ハーラーハラが世界を焼き尽くそうとしたとき、神々の願いに応え、シヴァ神はハーラーハラの猛毒を飲みほし、世界を救いました。
ハーラーハラは、シヴァ神にとっても強大な猛毒であったため、シヴァ神の首が猛毒で青くなり、このためにシヴァ神は、ニーラカンタ(ニーラ[青]カンタ[首])と呼ばれるようになった話は有名です。
シヴァ神にはさまざまな特性があり、マハーヨーギーとして、チャンドラシェーカラとして、ガンジス河の始まりとして、そして彼こそがこの宇宙のタントラ(テクニック)を理解する唯一のアゴーラ(シヴァの別名)でもあるとして知られています。彼は、マハーデーヴァなのです。
深い献身と共に、このマハー・シヴァラートリーの夜にマハーデーヴァを崇拝する信者たちに、シヴァ神はその至福から信者たちが望む結果を与えます。従って、あらゆる面での障害や苦難を取り除くため、この吉兆な夜に、人々は信心深くシヴァ神を崇拝するべきだと言われています。
多くの人々はこの日、早朝に体を清め、シヴァ神に心を定め一日を過ごします。
断食を行う人々も少なくありません。
未婚の女性たちはシヴァ神のような夫を授けられるよう、また既婚の女性たちは夫の健康と至福を願い、断食を行います。
人々は夜にはシヴァ神を祀る寺院を訪れ、夜通しで賛歌を捧げ、祈り、シヴァ神を讃え瞑想します。
家庭においても、夜には家族が集まりシヴァ神を讃えるプージャーが執り行われます。
この最も吉兆な夜が、皆さまにとっても祝福に満ちたものとなりますようお祈りしております。
(スピリチュアルインド雑貨専門店 シータラーマ)
本物の霊性教師と出会うこと
category: 霊性修行
霊性修行や正道のヒーリングの道を歩もうと志す人にとってその教師の存在は何者にも代えがたい程重要です。
なぜなら、これらのものは気(エネルギー)を伝えるものですので、間違った教師について正道の気(エネルギー)を得られるものではありません。
師の様になりたいと憧れそこで修行するわけなので、師のことを「なんとなく違うよなぁ」とか「とりあえず今はまぁいいか」などと思いながらでは師から吸収できるものも限定されます。
古来より武道や諸芸の世界では、師に弟子入りし内弟子となり生活の世話など無償奉仕をする中で師の気や心を自分に移し自然と技を体得していったものです。
これは霊性修行やヒーリングにおいても同じであり、一般的に師とできるだけ時間と空間を共有した方がより師に近づくことができます。
霊性修行やヒーリングでは直接的に師から弟子(生徒)に気を移す伝授という手法が用いられますので、武道や諸芸の世界以上に師を選ぶことは重要となります。
では、どのように探すかというと現代ではホームページが多いのではないではないかと思います。
または、ご縁があって直接会う中でビビッと来るものがあったとか、ヒーリングを受けて感動したとか、本を読んでその著者に会ってみるとか・・・その様なところでしょうか。
私の場合は今では人の気(エネルギー)が分かります。
ですので直接その人と会ったりまたはホームページを見ればそこから感じる気でその人の本質やレベルというものがおよそ分かります。
今はどんなに虚言を弄されても、まぁめったに騙されることはないと思っています。
しかし、多くの人は直接的にエネルギーを感じそれを判断する能力が落ちていますので、師の成りや発言から判断するしかありません。
悲しいことに世の中には多くのブラックな力を使うものがいるので気をつけなければなりません。
したがって、師を選ぶ際には、石橋を叩いて渡る位慎重に選ぶべきです。
ビジネスの取引相手を探す時には信用会社の情報を買ったりして慎重に相手を判断すると思いますが、そこまでしなくてもそれと同じ位慎重さが必要です。
霊性修行やヒーリングの道はいわば神仏に近づく道であり、魂を浄化し磨いていく作業の繰り返しです。
魂と肉体とは対極のものですので、肉体的な欲求が強い師はちょっと違う方向に進んでいるとみて良いと思います。
肉体的な欲求とは食欲・性欲・睡眠欲であり、またそれに付随し金銭欲・名誉欲も絡んできます。
金襴緞子(きんらんどんす)に飾られた派手な生活をしている人は例え世間的に著名であっても、この道においてはいかがなものかと思うところです。
一般的に人は著名な人・肩書きを持つ人・マスコミで紹介されている人には弱く、それだけで凄いと思ってしまうところがあります。
インドの聖者やサドゥ(遊行僧)を見たら分かりますが、彼らは所有欲自体を極限まで放擲(ほうてき)し、あたかも乞食同然の生活をしています。
私はこの姿が本物の証左と思うのです。
日本ではそこまではなかなかできるものではないけれど、本物はシンプルで質素な生活を送っています。
そして、自分をいつも人のために役立てようと生きています。
また、師が自分自身の能力を自慢したりひけらかすのもいかがなものかと思います。
一般的には師がその能力の高さを表さなければそのレベルが分からないではないかと思うでしょう。
普通の師はそう、確かにそうするかもしれません。
自分は神の声が聞こえるとか、何か普通の人が見えないものが見えるとか・・・
そして、弟子がよそへ行かないよう精神的に拘束をします。
本物の師というものは自分が何ができるかをひけらかすことは余りありません。
長い月日を共に過ごしようやくその一端を覗かせる位です。
霊性修行の世界では高みに行けば行くほど、師も弟子も互いのエネルギーが分かります。
本物の師は弟子にあまり事細かに「何ができますか?」とか「最近どうですか?」と問わなくても弟子のことは手に取るように分かるものです。
ですから師に嘘を付いても無駄なのです。(もっとも平気で嘘をつけるような人物は魂のレベルが低いから本物の師まで辿り着けません)
例えば、弟子がベジタリアンを気取りながら陰で肉を食べていたらそれは分かってしまいます。
また、弟子入りを希望するものがいてもその弟子のエネルギーをみて相応しくないと思えば面会も拒絶されてしまう厳しい世界です。
師は弟子によって自分のエネルギーを汚されてしまうのをひどく嫌います。
弟子をとるということは師は弟子のカルマも引き受けることになりますから、本物の師は弟子を多く育てることをしません。
この道に入って間もない人はわからないかもしれませんが、師と弟子の関係は魂の響き合いです。
今世の短い数十年の時を共に過ごすだけではなく、おそらく過去世でもっと長い時を共に歩んでいる可能性があります。
本物の師に出会うのは実に難しい・・・そう思います。
ほとんどの人はそれが叶うことはないでしょう。
幸いにしてそれが叶った人は過去世や先祖の徳(グッドカルマ)の力が働いた幸せ者と言えるでしょう。
師との出会いは、論理的判断を超越し直観でビビッと来るものです。
よく女の子が将来のだんなさんと出会ったとき「ビビッと来ました~」と言うがそれと同じです。
いや、この例えはかえって意味合いが軽くなってしまったかもしれません・・・それよりもずっと重いものです。
伴侶よりも師の方が幾世も長く一緒にいるのかもしれないのです。
師のまたその師、それを幾つかをさかのぼれば高級な聖者につながるかもしれません。
また更にはこの人類を救済しようとするアセンデッドマスターにつながるかもしれません。
師との魂の結びつきはそのような高みから滔々(とうとう)と流れるエネルギーを受け取ることに他なりません。
そして、自分の霊性も師のエネルギーに影響され高みに導かれていくのです。
なぜなら、これらのものは気(エネルギー)を伝えるものですので、間違った教師について正道の気(エネルギー)を得られるものではありません。
師の様になりたいと憧れそこで修行するわけなので、師のことを「なんとなく違うよなぁ」とか「とりあえず今はまぁいいか」などと思いながらでは師から吸収できるものも限定されます。
古来より武道や諸芸の世界では、師に弟子入りし内弟子となり生活の世話など無償奉仕をする中で師の気や心を自分に移し自然と技を体得していったものです。
これは霊性修行やヒーリングにおいても同じであり、一般的に師とできるだけ時間と空間を共有した方がより師に近づくことができます。
霊性修行やヒーリングでは直接的に師から弟子(生徒)に気を移す伝授という手法が用いられますので、武道や諸芸の世界以上に師を選ぶことは重要となります。
では、どのように探すかというと現代ではホームページが多いのではないではないかと思います。
または、ご縁があって直接会う中でビビッと来るものがあったとか、ヒーリングを受けて感動したとか、本を読んでその著者に会ってみるとか・・・その様なところでしょうか。
私の場合は今では人の気(エネルギー)が分かります。
ですので直接その人と会ったりまたはホームページを見ればそこから感じる気でその人の本質やレベルというものがおよそ分かります。
今はどんなに虚言を弄されても、まぁめったに騙されることはないと思っています。
しかし、多くの人は直接的にエネルギーを感じそれを判断する能力が落ちていますので、師の成りや発言から判断するしかありません。
悲しいことに世の中には多くのブラックな力を使うものがいるので気をつけなければなりません。
したがって、師を選ぶ際には、石橋を叩いて渡る位慎重に選ぶべきです。
ビジネスの取引相手を探す時には信用会社の情報を買ったりして慎重に相手を判断すると思いますが、そこまでしなくてもそれと同じ位慎重さが必要です。
霊性修行やヒーリングの道はいわば神仏に近づく道であり、魂を浄化し磨いていく作業の繰り返しです。
魂と肉体とは対極のものですので、肉体的な欲求が強い師はちょっと違う方向に進んでいるとみて良いと思います。
肉体的な欲求とは食欲・性欲・睡眠欲であり、またそれに付随し金銭欲・名誉欲も絡んできます。
金襴緞子(きんらんどんす)に飾られた派手な生活をしている人は例え世間的に著名であっても、この道においてはいかがなものかと思うところです。
一般的に人は著名な人・肩書きを持つ人・マスコミで紹介されている人には弱く、それだけで凄いと思ってしまうところがあります。
インドの聖者やサドゥ(遊行僧)を見たら分かりますが、彼らは所有欲自体を極限まで放擲(ほうてき)し、あたかも乞食同然の生活をしています。
私はこの姿が本物の証左と思うのです。
日本ではそこまではなかなかできるものではないけれど、本物はシンプルで質素な生活を送っています。
そして、自分をいつも人のために役立てようと生きています。
また、師が自分自身の能力を自慢したりひけらかすのもいかがなものかと思います。
一般的には師がその能力の高さを表さなければそのレベルが分からないではないかと思うでしょう。
普通の師はそう、確かにそうするかもしれません。
自分は神の声が聞こえるとか、何か普通の人が見えないものが見えるとか・・・
そして、弟子がよそへ行かないよう精神的に拘束をします。
本物の師というものは自分が何ができるかをひけらかすことは余りありません。
長い月日を共に過ごしようやくその一端を覗かせる位です。
霊性修行の世界では高みに行けば行くほど、師も弟子も互いのエネルギーが分かります。
本物の師は弟子にあまり事細かに「何ができますか?」とか「最近どうですか?」と問わなくても弟子のことは手に取るように分かるものです。
ですから師に嘘を付いても無駄なのです。(もっとも平気で嘘をつけるような人物は魂のレベルが低いから本物の師まで辿り着けません)
例えば、弟子がベジタリアンを気取りながら陰で肉を食べていたらそれは分かってしまいます。
また、弟子入りを希望するものがいてもその弟子のエネルギーをみて相応しくないと思えば面会も拒絶されてしまう厳しい世界です。
師は弟子によって自分のエネルギーを汚されてしまうのをひどく嫌います。
弟子をとるということは師は弟子のカルマも引き受けることになりますから、本物の師は弟子を多く育てることをしません。
この道に入って間もない人はわからないかもしれませんが、師と弟子の関係は魂の響き合いです。
今世の短い数十年の時を共に過ごすだけではなく、おそらく過去世でもっと長い時を共に歩んでいる可能性があります。
本物の師に出会うのは実に難しい・・・そう思います。
ほとんどの人はそれが叶うことはないでしょう。
幸いにしてそれが叶った人は過去世や先祖の徳(グッドカルマ)の力が働いた幸せ者と言えるでしょう。
師との出会いは、論理的判断を超越し直観でビビッと来るものです。
よく女の子が将来のだんなさんと出会ったとき「ビビッと来ました~」と言うがそれと同じです。
いや、この例えはかえって意味合いが軽くなってしまったかもしれません・・・それよりもずっと重いものです。
伴侶よりも師の方が幾世も長く一緒にいるのかもしれないのです。
師のまたその師、それを幾つかをさかのぼれば高級な聖者につながるかもしれません。
また更にはこの人類を救済しようとするアセンデッドマスターにつながるかもしれません。
師との魂の結びつきはそのような高みから滔々(とうとう)と流れるエネルギーを受け取ることに他なりません。
そして、自分の霊性も師のエネルギーに影響され高みに導かれていくのです。
人に必要とされることは大切・2
category: 未分類
私は脳梗塞で寝たきりになった83歳のお婆さん(ノリさん)の出張療法をしていたことがありました。
その家ではノリさんのお世話をできる家族はおらず、何人かの介護ヘルパーさんがノリさんのお世話をしていました。
ヘルパーさんはいたものの、一日の内の一部の時間に入っていたに過ぎず、その他の時間はIさんというおそらく70歳後半位の年齢のお婆さんがノリさんのお世話を甲斐甲斐しくしていました。
小さくずんぐりした体型のIさんはいつもはにかむ様な笑顔を絶やさず、ぼそぼそとではありますが歯切れのよい話し方をされます。
長くノリさんの出張療法をしていましたが、Iさんとお話する機会は余りありませんでした。
私の気功の施術が終わると、Iさんはノリさんのベッドにとことこと歩いて行き、「よかったね」と言い身体をマッサージしてあげたり、世間話をされていました。
ノリさんは寝たきりで自分から動けません、寝返りも打てません。
ノリさんの寝ている部屋はテレビもラジオもなく、静か過ぎる位静かな部屋です。
Iさんのたわいない日常の世間話がノリさんにとってとてもありがたかったことと思います。
ある日のこと、ノリさんは私に次の様なことを漏らしました。
「Iさんは話ができなかったの・・・」
普通に会話をしているIさんの姿を目にしていますから、「えっ?」と私は耳を疑いました。
そして、ノリさんはIさんと知り合ったきっかけについてゆっくり話し始めました。
寝たきりのノリさんがまだ元気に動けていた時のこと。
ノリさんは犬を飼っていたそうです。
ノリさんは犬の散歩に近くの別所沼公園まで朝夕出かけていたそうです。

別所沼公園(出典:wikipedia)
犬の散歩をしていた時、いつも別所沼の畔のベンチに座っているお婆さんの姿を目にしました。
ノリさんはいつも散歩をするとそのお婆さんが独り寂しそうにベンチに座っているので気になっていたそうです。
朝の散歩の時も、夕方の散歩の時もそのお婆さんは独りでぽつんとベンチに座っていました。
その寂しげなお婆さんこそ、Iさんでした。
ある日のこと、ノリさんは思い切って声をかけてみましたが、Iさんは頷いたり首を振ったり、ジェスチャーで応答するだけで声を出しませんでした。
何か事情があると思ったのでしょう、心優しいノリさんはIさんを自宅に呼んであげておもてなしをして差し上げたそうです。
それからも何度もIさんはノリさんのご自宅にお呼ばれする様になり、段々と仲良くなっていきました。
声の出ないIさんはそれから幾度もノリさんの自宅で楽しく過ごす内に、なんと、ぽつぽつと言葉を発する様になったのです。
それは、最初はホンの一言、二言だった様です。
しかし、特に治療をする訳でもなく、ノリさんと邂逅しお互いが打ち解けていく内にIさんは長く閉ざしていた心を開いていったのでしょう、徐々に長く会話ができる様になっていったそうです。
ノリさんはIさんの生い立ちについてご本人から聞いたことを私に教えてくれました。
Iさんは生まれてからずっと声が出なかったそうです。
母親のお腹にいた時の問題か、生後の問題かはわかりません。
ひょっとしたら幼児の時に何かとてもお辛い育てられ方をしたのかもしれません。
人と交流を持とうという気持ちを断つ程の何か出来事があったのかもしれません。
それだけではありません。
声が出ないのであれば筆記で意思伝達をするところ、Iさんは文字の読み書きがまったくできませんでした。
親から教わらなかったのか、学校に行かなかったのか・・・今時日本で読み書きができないというのは尋常ではありません。
やがて妙齢になり、Iさんはお見合いをして結婚をしました。
しかし、婿殿はIさんが声を出せないのを知らずに結婚したそうで、それに気付いたのは結婚後一週間後だったそうです。
ノリさんからそれを聞いて、「何それ!!」とびっくりしました。
一体、どんなお見合いだったのか想像力をかき立てられます。
婿殿は何も話をしないIさんを物静かな大和撫子と思ったのでしょうか?
お見合いして結婚後、自分の妻は声が出ないと知ったら、まぁそれはいか程の驚きだったことでしょう。
私だったらきっとクーリングオフ(!)してしまうのではないかと思います。
しかし、ご立派だったことに、その婿殿はそれを結婚したものは仕方がないと観念しIさんとの結婚生活を続けたのでした。
声が出ない、話ができないということは重大なことですから、お見合いの段階でIさんの家もそれを伝えなければならないと思います。
おそらくそれを伝えない程複雑なご家庭だったのかもしれません。
しかし、結婚生活はうまく行かず、またIさんは友人もおらず独り寂しい人生を過ごしていたそうです。
そうして70歳を過ぎて、独り寂しく別所沼の畔で湖面を見つめて時間を過ごしていたのでした。
誰からも相手にされず、心を通わせる相手もなく、必要ともされず、長い長い時間を湖面を見つめ過ごしていたIさんの心の内は他人が窺い知ることができない深い深い闇であったと思います。
しかし、ノリさんの温かい気持ちから始まった交友はIさんの心の闇に光を当てていきました。
ノリさんは70歳過ぎの老女に文字を教えてあげたそうで、そのうちに簡単な読み書きができる様になりました。
料理もまったくできなかったので、ノリさんは料理も教えてあげました。
そして、固く閉ざされていた心が徐々にほぐれて開いていった時、70年以上に渡って声が出なかったIさんの喉から声が発せられたのでした。
今、Iさんを見てその様な過酷な生い立ちがあったと想像する人はおそらくいないでしょう。
やがて時は経ち、ノリさんが脳梗塞に倒れ自力で動くことができなくなりました。
ノリさんを世話する家族はなく、散歩に一緒に行っていた犬もおらず、ノリさんも本当なら寂しい寝たきり老人になるところ、その隣にいつも一緒にいるのはIさんでした。
Iさんは別に介護ヘルパーの資格を持っている訳ではありませんので特別な介護ができる訳ではありません。
しかし、おつかいをしたり、掃除をしたり、食事を作って食べさせてあげたり、別に報酬を貰っているわけではないでしょうが、毎日毎日ノリさんの家に通ってお世話をしています。
Iさんは自分を必要としてくれたノリさんの傍にいるのが幸せなのだと思います。
「もうすぐ雪が降るね」とか「雨が降ってきたね」とか、たわいないことをボソボソと話をしています。
そんな会話の中に、お二人の深い愛情が感じられます。
人に必要とされることは、Iさんの様に長く長く凍りついていた心も溶かし、奇跡とも思える変化をももたらす力があるということです。
その家ではノリさんのお世話をできる家族はおらず、何人かの介護ヘルパーさんがノリさんのお世話をしていました。
ヘルパーさんはいたものの、一日の内の一部の時間に入っていたに過ぎず、その他の時間はIさんというおそらく70歳後半位の年齢のお婆さんがノリさんのお世話を甲斐甲斐しくしていました。
小さくずんぐりした体型のIさんはいつもはにかむ様な笑顔を絶やさず、ぼそぼそとではありますが歯切れのよい話し方をされます。
長くノリさんの出張療法をしていましたが、Iさんとお話する機会は余りありませんでした。
私の気功の施術が終わると、Iさんはノリさんのベッドにとことこと歩いて行き、「よかったね」と言い身体をマッサージしてあげたり、世間話をされていました。
ノリさんは寝たきりで自分から動けません、寝返りも打てません。
ノリさんの寝ている部屋はテレビもラジオもなく、静か過ぎる位静かな部屋です。
Iさんのたわいない日常の世間話がノリさんにとってとてもありがたかったことと思います。
ある日のこと、ノリさんは私に次の様なことを漏らしました。
「Iさんは話ができなかったの・・・」
普通に会話をしているIさんの姿を目にしていますから、「えっ?」と私は耳を疑いました。
そして、ノリさんはIさんと知り合ったきっかけについてゆっくり話し始めました。
寝たきりのノリさんがまだ元気に動けていた時のこと。
ノリさんは犬を飼っていたそうです。
ノリさんは犬の散歩に近くの別所沼公園まで朝夕出かけていたそうです。

別所沼公園(出典:wikipedia)
犬の散歩をしていた時、いつも別所沼の畔のベンチに座っているお婆さんの姿を目にしました。
ノリさんはいつも散歩をするとそのお婆さんが独り寂しそうにベンチに座っているので気になっていたそうです。
朝の散歩の時も、夕方の散歩の時もそのお婆さんは独りでぽつんとベンチに座っていました。
その寂しげなお婆さんこそ、Iさんでした。
ある日のこと、ノリさんは思い切って声をかけてみましたが、Iさんは頷いたり首を振ったり、ジェスチャーで応答するだけで声を出しませんでした。
何か事情があると思ったのでしょう、心優しいノリさんはIさんを自宅に呼んであげておもてなしをして差し上げたそうです。
それからも何度もIさんはノリさんのご自宅にお呼ばれする様になり、段々と仲良くなっていきました。
声の出ないIさんはそれから幾度もノリさんの自宅で楽しく過ごす内に、なんと、ぽつぽつと言葉を発する様になったのです。
それは、最初はホンの一言、二言だった様です。
しかし、特に治療をする訳でもなく、ノリさんと邂逅しお互いが打ち解けていく内にIさんは長く閉ざしていた心を開いていったのでしょう、徐々に長く会話ができる様になっていったそうです。
ノリさんはIさんの生い立ちについてご本人から聞いたことを私に教えてくれました。
Iさんは生まれてからずっと声が出なかったそうです。
母親のお腹にいた時の問題か、生後の問題かはわかりません。
ひょっとしたら幼児の時に何かとてもお辛い育てられ方をしたのかもしれません。
人と交流を持とうという気持ちを断つ程の何か出来事があったのかもしれません。
それだけではありません。
声が出ないのであれば筆記で意思伝達をするところ、Iさんは文字の読み書きがまったくできませんでした。
親から教わらなかったのか、学校に行かなかったのか・・・今時日本で読み書きができないというのは尋常ではありません。
やがて妙齢になり、Iさんはお見合いをして結婚をしました。
しかし、婿殿はIさんが声を出せないのを知らずに結婚したそうで、それに気付いたのは結婚後一週間後だったそうです。
ノリさんからそれを聞いて、「何それ!!」とびっくりしました。
一体、どんなお見合いだったのか想像力をかき立てられます。
婿殿は何も話をしないIさんを物静かな大和撫子と思ったのでしょうか?
お見合いして結婚後、自分の妻は声が出ないと知ったら、まぁそれはいか程の驚きだったことでしょう。
私だったらきっとクーリングオフ(!)してしまうのではないかと思います。
しかし、ご立派だったことに、その婿殿はそれを結婚したものは仕方がないと観念しIさんとの結婚生活を続けたのでした。
声が出ない、話ができないということは重大なことですから、お見合いの段階でIさんの家もそれを伝えなければならないと思います。
おそらくそれを伝えない程複雑なご家庭だったのかもしれません。
しかし、結婚生活はうまく行かず、またIさんは友人もおらず独り寂しい人生を過ごしていたそうです。
そうして70歳を過ぎて、独り寂しく別所沼の畔で湖面を見つめて時間を過ごしていたのでした。
誰からも相手にされず、心を通わせる相手もなく、必要ともされず、長い長い時間を湖面を見つめ過ごしていたIさんの心の内は他人が窺い知ることができない深い深い闇であったと思います。
しかし、ノリさんの温かい気持ちから始まった交友はIさんの心の闇に光を当てていきました。
ノリさんは70歳過ぎの老女に文字を教えてあげたそうで、そのうちに簡単な読み書きができる様になりました。
料理もまったくできなかったので、ノリさんは料理も教えてあげました。
そして、固く閉ざされていた心が徐々にほぐれて開いていった時、70年以上に渡って声が出なかったIさんの喉から声が発せられたのでした。
今、Iさんを見てその様な過酷な生い立ちがあったと想像する人はおそらくいないでしょう。
やがて時は経ち、ノリさんが脳梗塞に倒れ自力で動くことができなくなりました。
ノリさんを世話する家族はなく、散歩に一緒に行っていた犬もおらず、ノリさんも本当なら寂しい寝たきり老人になるところ、その隣にいつも一緒にいるのはIさんでした。
Iさんは別に介護ヘルパーの資格を持っている訳ではありませんので特別な介護ができる訳ではありません。
しかし、おつかいをしたり、掃除をしたり、食事を作って食べさせてあげたり、別に報酬を貰っているわけではないでしょうが、毎日毎日ノリさんの家に通ってお世話をしています。
Iさんは自分を必要としてくれたノリさんの傍にいるのが幸せなのだと思います。
「もうすぐ雪が降るね」とか「雨が降ってきたね」とか、たわいないことをボソボソと話をしています。
そんな会話の中に、お二人の深い愛情が感じられます。
人に必要とされることは、Iさんの様に長く長く凍りついていた心も溶かし、奇跡とも思える変化をももたらす力があるということです。
人に必要とされることは大切・1
category: 未分類
先日、メジャーリーガーのイチロー選手がマーリンズに移籍することが決定し、入団記者会見が行われました。
私はイチロー選手をプロ野球をしている哲学者と考えています。
イチロー選手が常日頃考えていることは多くのプロフェッショナルにとって啓発されるものがあり、私も以前からイチロー選手の高い境地を達成した人物が持つ独特な発想・思考法に刺激を受けてきました。
実際、イチロー選手は自分が他の業界・業種で仕事をする人よりも高額な報酬を得ていることに対し、「自分の考え方が同じ野球という分野に限定されず、他の分野で仕事に従事する人にも感化をする意味で自分は高額な報酬を貰えているものと思う。」という様なことを言っていました。
記録に残る活躍をしたイチロー選手もヤンキースでのここ2年はかなり不遇で辛かったものと思います。
マーリンズの記者会見で自分が必要とされていることを感じ、「ただただ恐縮しております」と言い、恐ろしいほど闘志がメラメラと燃えているのが伝わってきました。
今年のイチロー選手は恐い存在になるのではないでしょうか。
昨年に巨人から中日に移籍したガッツこと小笠原道大選手も巨人で目覚しい活躍をした選手でしたが、巨人での最後の数年はレギュラーになれず不遇の身でした。
ガッツの雰囲気は孤高の侍という感じで男気という言葉がマッチする選手で、バッターボックスでバッドを構える姿はまるで刀を持つ侍に見えます。
また小笠原選手は人一倍練習をする選手としても有名です。
巨人から中日に移籍することが決まりその経緯を入団発表で話していましたが、中日の落合博満GMから一言「必要だから来てくれ。」とたったそれだけを電話で言われ即断即決したということでした。
イチロー選手も小笠原選手も有名なプロ野球選手で一般人の私たちとは立場も報酬も違いますが、私たちも生きる上でも誰かに必要とされていないと心が折れそうになります。
家庭内でも、職場でも、立場があったり仕事が与えられたりするということは少なからず必要とされているということです。
定年退職をした方々で、定年後めっきり老け込んで枯れた老人の様になってしまうのは社会で必要とされなくなるという寂しさ・孤独感から来るものでしょう。
私はお陰様で朝から晩まで忙しく過ごさせて貰っており、ゆっくりお茶をしたりブログやホームページの原稿を書く時間もなかなかとれません。
先週今週で12時過ぎの帰宅が6回以上あります。(でも朝は早い)
仕事が忙しいのは大変ありがたいことで、忙しいことの疲労には耐えられるのです。
かくいう私も開業して半年はほとんどお客様が来なくて、このまま廃業するのではないかという不安と闘っていました。
施術院の中で一人で仕事をしていましたので話をする人もいません。
「暇疲れ」と言いますが、お客様が来なくて暇なのは一日終わってぐったり疲労困憊します。
その時は仕方なくホームページを作ってしました。
今思えばそれも私がしなければならない仕事だったのだと思います。
しかし、午後の日差しだけが温かく室内に差し込んで穏やかでのどかな時間を独り誰からも必要とされず過ごすのは耐えらませんでした。
帰りの通勤電車の中で今日も誰とも会わなかった・・・と振り返る日も何度もありました。
貯金残高は日に日に少なくなっていきました。
私はその不安と空虚感に耐えかね知人のチャネラーを訪ね、転職をしたけれどこのままやっていけるのだろうかと相談しました。
すると、「3月からお客様が入るようになり、それからは大丈夫です。」と言われました。
すると実際3月になったら、その様になり何が起こったのかわからなかったけれどそれからお客様が途絶えることはなくなりました。
だから日々私はお客様と接し、ありがたい思いを一杯持って施術に当たっています。
(ちなみにそのチャネラーさんは数年前に東京は危険だからと山梨の方へ引越されました。)
私は暇でのんびりした時間を過ごすより、目が回る忙しさの中で病気のお客様を相手に戦国無双のゲームの様にこれでもかこれでもかと施術しまくる・・・そんな奮闘している生き方が自分には合っていると思います。
私もお客様が来ない時期を経験したことから、人はどんな形でも他人に必要とされて初めて生きていけるのだと思う様になりました。
また、別の言い方をすれば人はどんなことでも他人に奉仕しなければ生きていけない特性を備えているのだといえます。
人に奉仕し、それに対し感謝の気持ちを頂くことが生きる原動力・エネルギーになっていくのでしょう。
私はイチロー選手をプロ野球をしている哲学者と考えています。
イチロー選手が常日頃考えていることは多くのプロフェッショナルにとって啓発されるものがあり、私も以前からイチロー選手の高い境地を達成した人物が持つ独特な発想・思考法に刺激を受けてきました。
実際、イチロー選手は自分が他の業界・業種で仕事をする人よりも高額な報酬を得ていることに対し、「自分の考え方が同じ野球という分野に限定されず、他の分野で仕事に従事する人にも感化をする意味で自分は高額な報酬を貰えているものと思う。」という様なことを言っていました。
記録に残る活躍をしたイチロー選手もヤンキースでのここ2年はかなり不遇で辛かったものと思います。
マーリンズの記者会見で自分が必要とされていることを感じ、「ただただ恐縮しております」と言い、恐ろしいほど闘志がメラメラと燃えているのが伝わってきました。
今年のイチロー選手は恐い存在になるのではないでしょうか。
昨年に巨人から中日に移籍したガッツこと小笠原道大選手も巨人で目覚しい活躍をした選手でしたが、巨人での最後の数年はレギュラーになれず不遇の身でした。
ガッツの雰囲気は孤高の侍という感じで男気という言葉がマッチする選手で、バッターボックスでバッドを構える姿はまるで刀を持つ侍に見えます。
また小笠原選手は人一倍練習をする選手としても有名です。
巨人から中日に移籍することが決まりその経緯を入団発表で話していましたが、中日の落合博満GMから一言「必要だから来てくれ。」とたったそれだけを電話で言われ即断即決したということでした。
イチロー選手も小笠原選手も有名なプロ野球選手で一般人の私たちとは立場も報酬も違いますが、私たちも生きる上でも誰かに必要とされていないと心が折れそうになります。
家庭内でも、職場でも、立場があったり仕事が与えられたりするということは少なからず必要とされているということです。
定年退職をした方々で、定年後めっきり老け込んで枯れた老人の様になってしまうのは社会で必要とされなくなるという寂しさ・孤独感から来るものでしょう。
私はお陰様で朝から晩まで忙しく過ごさせて貰っており、ゆっくりお茶をしたりブログやホームページの原稿を書く時間もなかなかとれません。
先週今週で12時過ぎの帰宅が6回以上あります。(でも朝は早い)
仕事が忙しいのは大変ありがたいことで、忙しいことの疲労には耐えられるのです。
かくいう私も開業して半年はほとんどお客様が来なくて、このまま廃業するのではないかという不安と闘っていました。
施術院の中で一人で仕事をしていましたので話をする人もいません。
「暇疲れ」と言いますが、お客様が来なくて暇なのは一日終わってぐったり疲労困憊します。
その時は仕方なくホームページを作ってしました。
今思えばそれも私がしなければならない仕事だったのだと思います。
しかし、午後の日差しだけが温かく室内に差し込んで穏やかでのどかな時間を独り誰からも必要とされず過ごすのは耐えらませんでした。
帰りの通勤電車の中で今日も誰とも会わなかった・・・と振り返る日も何度もありました。
貯金残高は日に日に少なくなっていきました。
私はその不安と空虚感に耐えかね知人のチャネラーを訪ね、転職をしたけれどこのままやっていけるのだろうかと相談しました。
すると、「3月からお客様が入るようになり、それからは大丈夫です。」と言われました。
すると実際3月になったら、その様になり何が起こったのかわからなかったけれどそれからお客様が途絶えることはなくなりました。
だから日々私はお客様と接し、ありがたい思いを一杯持って施術に当たっています。
(ちなみにそのチャネラーさんは数年前に東京は危険だからと山梨の方へ引越されました。)
私は暇でのんびりした時間を過ごすより、目が回る忙しさの中で病気のお客様を相手に戦国無双のゲームの様にこれでもかこれでもかと施術しまくる・・・そんな奮闘している生き方が自分には合っていると思います。
私もお客様が来ない時期を経験したことから、人はどんな形でも他人に必要とされて初めて生きていけるのだと思う様になりました。
また、別の言い方をすれば人はどんなことでも他人に奉仕しなければ生きていけない特性を備えているのだといえます。
人に奉仕し、それに対し感謝の気持ちを頂くことが生きる原動力・エネルギーになっていくのでしょう。
今日お見えになった保育園の園長先生との会話です。
「どうですか?インフルエンザは流行っていますか?」と聞くと、「子供たちの中では流行っていますよ。」とのこと。
「色々と大変です。」と園長先生はいつもこぼされます。
例えば、離乳食を園児に食べさせる時のこと。
園長先生(男)は母性に近い愛情から熱い離乳食に息をフーフーして冷ましてあげようとすると、「何食べ物に息吹きかけているんだ!」となるそうです。
息に混じる唾液からウイルスが移るということなのでしょう。
今は食事の温度を測る温度計があるそうで、それをもって温度を測り園児に食事を与える様にという厚生省のお達しとのことです。
園長先生はインフルエンザにかかっても寝ていれば治るという考えの持ち主です。
私もその点はまったく同じです。
風邪もインフルエンザもほとんど同じで、水分を摂って寝ていればじきに治ります。
ですが、今は病院に行くとタミフルを処方されるそうです。
タミフルは強い薬で、園長先生は園児がタミフルを服用することを危惧しています。
その薬を飲むと、心が荒々しくなるのが見てとれるそうで普段大人しい子もドアの開け閉めがバタンと荒くなったり、ドスドスと音を立てて歩くようになる子もいると言います。
また、体臭も薬品の臭いがして、それは「まだ熟していない青いパパイヤの臭い」でくさいのだそうです。(その例えは私はわかりません)
実は日本ではメジャーとなっているタミフルもアメリカでは不要という見解です。
それはアメリカで権威があるCDC(アメリカ疾病対策センター)の公式発表です。
そこの博士は「新型インフルエンザに感染しても、子供も大人もタミフルやリレンザなどの抗ウイルス薬は必要ない。自宅で休養していれば自然に完治する。」と言っています。
日本だけがタミフルを多用している様で、タミフルの世界の売上に占める75%は日本です。
タミフルは向精神薬の一種の様なので異常行動が起こります。
過去にもタミフル服用後の事故がいくつか報道された記憶があります。
異常行動だけではなく、睡眠中に突然死した事例もあります。
園長先生は、定期的に私の気功による邪気払いを受けに来ているのですが、それだけではなくインドのアーユルヴェーダも詳しく知っています。
若い時には故・野口晴哉先生の整体協会にも顔を出していたそうです。(野口晴哉先生といえば天才治療家として有名、ある有名な西洋医学の医師が「自分も受けにいきたいが立場上それができない」と嘆いていた話もある。)
また、園長先生は私と同じで普段肉類を一切摂りません。
このことからも西洋医学よりも身体により優しく自然な療法を志向しています。
園長先生は幼児がタミフルを処方されるのを見るといたたまれないと言います。
「私は、お母さんが膝に子供を抱いて寝かしてあげていれば治りますよと言いたいのです。」
「しかし、私は医者でもありませんからその様なことは言えません。」
私は、「世の中の多くの人は病院や医師を絶対視しているし、CMやテレビで報道しているものが正しいと信じきっているから、そんなことを言っても伝わらないでしょうね。」とコメントしました。
また、園長先生は「医師は自分の子供にはタミフルを飲ませないそうですよ。」と教えてくれました。
私も同じ様な話は幾つか知っています。
農業をやっている人が市場に出す用の野菜には農薬をしっかり使い、自分用には使わない様に、医師も患者には施療・投薬するけれど身内にはしないという話は結構あるものです。
「インフルエンザの予防接種もまったく効かないのに子供たちが受けていてかわいそうになります。」と園長先生は言っています。
インフルエンザの予防接種が効かないということは私もよく知っています。
ウイルス研究の分野で有名な母里啓子(もりひろこ)さんは「インフルエンザワクチンは打たないで」という本を出しています。
なぜならまったく効かないからです。
母里啓子(もりひろこ)さんは元国立公衆衛生院疫学部感染症室長であり、伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)でウイルス学を修めた人物です。
「インフルエンザワクチンは打たないで」
インフルエンザウイルスは絶えず変化しており、ワクチンがおっつかないのだそうです。
エボラだか、鳥インフルエンザだか、パンデミックだか、何だか良くわからないけどとりあえず打っとけという感じで病院に行き接種してもらっている人も多いのではないでしょうか。
しかし、インフルエンザワクチンを接種してもインフルエンザにはかかりますし、インフルエンザの重症化を防ぐ効果も残念ながらありません。
それなのに副作用だけはしっかりあります。
「幼児には熱を出したり、紅斑(こうはん)が出たり体調がおかしくなる子もいますよ。」と園長先生は言います。
実際、肝機能障害・発疹・アレルギーショック・発熱・けいれん・ギランバレー症候群などの副作用があり、中には重い後遺症が残るものもあるとメーカーは報告しています。
「私はそういう正しい情報を伝えていきたいけれどできないのです。」と園長先生が言っていましたので今回私が代わりに書きました。
私も普段は薬についての情報は人間関係ができたお客様にしか話しません。
治療家の同業者の中には一切薬については触れないという人も多くいます。
お母さんが賢くならないと子供は守れません。
昔のお母さんは今のお母さんよりももっと自分の直観で本質的なものを見抜く力があった様に私は思います。
今はすっかりそれも鈍ってしまっている様に感じます。
(参考文献)
「クスリは飲んではいけない」(船瀬俊介/徳間書店)
私は医師でも薬剤師でもありません。
そのため薬についての専門的知識を持っておりません。
ここでは、実際にあった話や参考文献で自ら調べたものをご紹介していますが、その情報の活用については一切責任を負いません。
ここの情報についての真偽は自らお調べ下さい。
情報提供者に依存するのではなく、自らの頭で考え自己責任で行動することが大切と思います。
「どうですか?インフルエンザは流行っていますか?」と聞くと、「子供たちの中では流行っていますよ。」とのこと。
「色々と大変です。」と園長先生はいつもこぼされます。
例えば、離乳食を園児に食べさせる時のこと。
園長先生(男)は母性に近い愛情から熱い離乳食に息をフーフーして冷ましてあげようとすると、「何食べ物に息吹きかけているんだ!」となるそうです。
息に混じる唾液からウイルスが移るということなのでしょう。
今は食事の温度を測る温度計があるそうで、それをもって温度を測り園児に食事を与える様にという厚生省のお達しとのことです。
園長先生はインフルエンザにかかっても寝ていれば治るという考えの持ち主です。
私もその点はまったく同じです。
風邪もインフルエンザもほとんど同じで、水分を摂って寝ていればじきに治ります。
ですが、今は病院に行くとタミフルを処方されるそうです。
タミフルは強い薬で、園長先生は園児がタミフルを服用することを危惧しています。
その薬を飲むと、心が荒々しくなるのが見てとれるそうで普段大人しい子もドアの開け閉めがバタンと荒くなったり、ドスドスと音を立てて歩くようになる子もいると言います。
また、体臭も薬品の臭いがして、それは「まだ熟していない青いパパイヤの臭い」でくさいのだそうです。(その例えは私はわかりません)
実は日本ではメジャーとなっているタミフルもアメリカでは不要という見解です。
それはアメリカで権威があるCDC(アメリカ疾病対策センター)の公式発表です。
そこの博士は「新型インフルエンザに感染しても、子供も大人もタミフルやリレンザなどの抗ウイルス薬は必要ない。自宅で休養していれば自然に完治する。」と言っています。
日本だけがタミフルを多用している様で、タミフルの世界の売上に占める75%は日本です。
タミフルは向精神薬の一種の様なので異常行動が起こります。
過去にもタミフル服用後の事故がいくつか報道された記憶があります。
異常行動だけではなく、睡眠中に突然死した事例もあります。
園長先生は、定期的に私の気功による邪気払いを受けに来ているのですが、それだけではなくインドのアーユルヴェーダも詳しく知っています。
若い時には故・野口晴哉先生の整体協会にも顔を出していたそうです。(野口晴哉先生といえば天才治療家として有名、ある有名な西洋医学の医師が「自分も受けにいきたいが立場上それができない」と嘆いていた話もある。)
また、園長先生は私と同じで普段肉類を一切摂りません。
このことからも西洋医学よりも身体により優しく自然な療法を志向しています。
園長先生は幼児がタミフルを処方されるのを見るといたたまれないと言います。
「私は、お母さんが膝に子供を抱いて寝かしてあげていれば治りますよと言いたいのです。」
「しかし、私は医者でもありませんからその様なことは言えません。」
私は、「世の中の多くの人は病院や医師を絶対視しているし、CMやテレビで報道しているものが正しいと信じきっているから、そんなことを言っても伝わらないでしょうね。」とコメントしました。
また、園長先生は「医師は自分の子供にはタミフルを飲ませないそうですよ。」と教えてくれました。
私も同じ様な話は幾つか知っています。
農業をやっている人が市場に出す用の野菜には農薬をしっかり使い、自分用には使わない様に、医師も患者には施療・投薬するけれど身内にはしないという話は結構あるものです。
「インフルエンザの予防接種もまったく効かないのに子供たちが受けていてかわいそうになります。」と園長先生は言っています。
インフルエンザの予防接種が効かないということは私もよく知っています。
ウイルス研究の分野で有名な母里啓子(もりひろこ)さんは「インフルエンザワクチンは打たないで」という本を出しています。
なぜならまったく効かないからです。
母里啓子(もりひろこ)さんは元国立公衆衛生院疫学部感染症室長であり、伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)でウイルス学を修めた人物です。

インフルエンザウイルスは絶えず変化しており、ワクチンがおっつかないのだそうです。
エボラだか、鳥インフルエンザだか、パンデミックだか、何だか良くわからないけどとりあえず打っとけという感じで病院に行き接種してもらっている人も多いのではないでしょうか。
しかし、インフルエンザワクチンを接種してもインフルエンザにはかかりますし、インフルエンザの重症化を防ぐ効果も残念ながらありません。
それなのに副作用だけはしっかりあります。
「幼児には熱を出したり、紅斑(こうはん)が出たり体調がおかしくなる子もいますよ。」と園長先生は言います。
実際、肝機能障害・発疹・アレルギーショック・発熱・けいれん・ギランバレー症候群などの副作用があり、中には重い後遺症が残るものもあるとメーカーは報告しています。
「私はそういう正しい情報を伝えていきたいけれどできないのです。」と園長先生が言っていましたので今回私が代わりに書きました。
私も普段は薬についての情報は人間関係ができたお客様にしか話しません。
治療家の同業者の中には一切薬については触れないという人も多くいます。
お母さんが賢くならないと子供は守れません。
昔のお母さんは今のお母さんよりももっと自分の直観で本質的なものを見抜く力があった様に私は思います。
今はすっかりそれも鈍ってしまっている様に感じます。
(参考文献)
「クスリは飲んではいけない」(船瀬俊介/徳間書店)

そのため薬についての専門的知識を持っておりません。
ここでは、実際にあった話や参考文献で自ら調べたものをご紹介していますが、その情報の活用については一切責任を負いません。
ここの情報についての真偽は自らお調べ下さい。
情報提供者に依存するのではなく、自らの頭で考え自己責任で行動することが大切と思います。