川島なお美さんの訃報に際し思う
category: 人生

24日女優の川島なお美さんが胆管がんでお亡くなりになりました。
私は芸能情報に詳しくないので、正直川島なお美さんのことはよく存じ上げませんが、死の1週間前まで舞台に出てご活躍されていたとのこと。
女優としての人生を貫き、死の直前まで女優の仕事を続けていたというのは尋常ではないプロ意識です。
かねてから「舞台の上で死にたい」と言っていた様で、その人生を全う(まっとう)されました。
私はその一点で川島なお美さんは見事であったというしかありません。
川島さんは美貌も美しいですが、最期の人生の散り方もまた美しいものだったと思います。
舞台を降板する際に悔しさで大いに泣いていたとご主人が語っていましたが、舞台の降板と地球での人生の降板を重ねてお考えであったのかもしれません。
ワインが大好物とのことですので、早く天国に行ってお好きなワインを存分に楽しんでほしいものです。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
私も川島なお美さんの様に最期まで自分の仕事を全うし、自分の気功院で死ねたら幸せだろうと思います。
2012年3月30日に「避けられない死をどう迎えるか」という記事を書きましたので一部修正して再掲します。
私はこれまで多くの方の死の間際に立ち会ってきました。
施術家・気功家という職業についている人の中でも多い方だと思います。
人の死に立ち会う度に「助けられなかった…」という自身の無力さを味わいます。
もっとも、人の生死は神のみぞ知る領域。凡人の力の及ぶところではないのですが。
人が死ぬ際に思うことは、年配の方だと「あぁ、長い間お疲れ様でした。」と心の中でお伝えします。
寂しい思いがするものの、物事には順番がありますからそれを踏んで逝かれるのは次の生に向けての新たなるスタートなのでどこか良かったという思いもあります。
しかし、見るに耐えないのは自分より若い人やお子様を生んだばかりの若いご婦人の場合は、まだ若すぎてなぜこの人は今逝かなければならないのだろうと心が締め付けられる思いがします。
良い人だと周囲で思われている人も神様が早く召してしまうのでしょうか、時として早く逝ってしまう様です。
私はがんのお客様をよく気功で施術するため、その人の邪気を受けすぎて自分の身体に同じような症状が出てしまうことがあります。
その度に、「こりゃまずいことになったかもしれない。」と思うのですが、今のところしばらくするとそれが無くなってしまっています。
何かそのような体験を幾つも踏んでいると、死は遠い将来にあるというものではなく、すぐ身近にあるようなものと思う様になりました。
細い一本道を歩いていて、少し道を踏み外すと死の谷に真っ逆さまというような感覚です。
未だに死を迎えず永らえているのは神の恩寵というべきでしょう。
気功治療でも死に際した人を救うことはできません。
死は神が支配しているので一介の人間がどうこうできるものではないのです。
しかし、神人と言われるレベルの人は死人をも生き返らせたことがあると伝えられています。
日本では黒住宗忠であり、インドではサティア・サイババがそれをやったことがあるそうです。
2000年前にはイエスキリストがそれをやりました。
だからといって、次から次に死人を生き返らせたというものではなく、生きるに値すると神が認めた人が2度目の生を頂けただけです。
神の意思は人間の見識をはるかに超越していますから、一時の生を延長させることよりも次の生を早く進ませるということもあるでしょう。
また、現世での活躍より、あの世での活躍を求められていることもあるでしょう。
しかし、私たち人間は存在が小さいので神の意思を図りかねます、だから死の理由が分からず悲しみに苦悩するのです。
神聖意識に到達したインドの有名な聖者ラーマクリシュナは神の世界とこの私たちの世界を同時に体験できた稀有な人ですが、その聖者であっても「人の生が死によって絶たれるものではなく死後の無限の生があることを私は知っていてもこれ程悲しい。普通の人の悲しさはいかほどだろう。」と語っています。
死の法則は今世だけではなく過去世のカルマも働くようですから公式の様に決まりきったことではありませんが、良い生き方をしてきた人は穏やかで美しい最期を迎えます。
一方、周りとの調和よりもエゴを満足させる人生やどろどろの修羅のような人生を送ってきた人の最期は激痛に苦しむことが多いようです。
すべて苦しんで亡くなる人がそうと言っているわけではありません。
例えば、聖女マザーテレサの最期は相当苦しいものだったと聞いてますが、それは彼女の生き方が間違っていたからではなく、世の苦しみを引き受けて逝ってくれているからなのです。
マハーサマーディーというヨーガの技法があります。
マハーサマーディーというのは、自分の意思で瞑想をしながらあの世に旅立つ技法です。
詳しくどうするものかは今の私は知りません。
レベルの高いヨギは死を超越することができるといいますので、相当に修行の進んだ聖者ができるもののようです。
スワミ・ヨガナンダはマハーサマーディーで最期旅立ったと「あるヨギの自叙伝」に書かれています。
お世話になった人達を大勢招いて最後にさよならの晩餐を開きそれから別室で静かに逝ったそうです。
仕事をしながら最期の力が尽き果てて死ぬのもかっこいいと思います。
「ドラえもん」の作者藤子不二雄さんは病身をおして「ドラえもん」を描き続け、最期はデスクの上で力尽き果てていたそうです。
実に見事な散り方と思います。
マハーサマーディーのように瞑想をしつつ、美しく静かに逝くのも良いでしょう。
私のレベルがそこまで達していればの話ですが、この人はまだ生かしておかなければならないと思う人の病を引き受けて「どうだ!」という感じで逝くのもまた粋なのではないかと思います。
いずれにしても、この世に残る人々の幸せを実現させるために最期の全身全霊の祈りをしながら逝けたらよいと思います。
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何でもかんでも気(エネルギー)が出ている
category: 気(エネルギー)、気功

護摩行(ファイヤープージャ)の炎、龍の様に見えます
皆さん、こんにちは。
私の「外気功療法さいたま院」、「スピリチュアル・ヒーラー養成塾」のサイトのトップページには護摩の火の画像を載せています。
これは皆様の浄化、瞑想、症状改善、ストレス解消などにご活用頂ければと思って掲載しているものです。

では、「護摩の火の画像から気(エネルギー)が出ているの?」と疑問があるかもしれません。
答えはもちろん出ているのです。
すべての写真・画像はそのものの気(エネルギー)が転写されているからです。
私は遠隔気功でお客様の写真を用いますが、それはなぜかというとその写真にお客様の気(エネルギー)が転写されており、対面で気功の施術をする時と同様に良くない部位などの情報が写真からわかるからです。
掲載した護摩の火もある程度気を感じられる方であればとても強い浄化の気(エネルギー)が出ていることが分かることでしょう。
写真だけではありません。
極論言えば万物は気(エネルギー)が出ているのです。
でも、特に写真は分かりやすい方です。
インターネットのホームページもそうです。
気功師・ヒーラーのホームページを見れば(感じれば)その人の気(エネルギー)が分かり、その力量もわかります。
かっこいいデザインで難しそうな(偉そうな?)内容が書かれていたとしても気のレベルはそうではないこともあります。
気(エネルギー)は正直にその人を表しますのでごまかしが効きません。
内容が貧弱で、デザインもださいホームページでも強烈な気(エネルギー)を発していることがあります。
気(エネルギー)がよく分からない方は内容を見て謙虚な気功家・ヒーラーを選ぶと外れは少ないでしょう。
謙虚さと霊性は比例します、また傲慢さと霊性は反比例します。
気功家・ヒーラーもレベルが上がってくると、ホームページの内容ではなく気(エネルギー)で他者を判断することができるようになります。
鳥山明氏の漫画「ドラゴンボール」では、悟空やクリリンなど地球の戦士たちが他の星から来た侵略者(フリーザ)などと闘うシーンで、地球の戦士は感覚で相手の気のレベルを計ることができるのですが、他の星の悪い奴らはそれができずスカウターという装置をはめていました。
その地球の戦士たちと似ていると言えます。

「売ってんだ・・・」(バンダイ)
写真やホームページだけではなく、テレビ・DVDなどの映像ももちろん気(エネルギー)が出ています。
ですから、ホラー映画など気持ちがネガティブになるような内容の番組を見ていると、そのような気(エネルギー)を浴びているということになります。
最近は連日の様に殺人事件があり、犯人の顔写真をテレビで大きく映し出してくれますが、「やめてくれよ!」と正直思います。
病気の方は見るもの、聞くもの、口にするものに気をつけなければなりません。
特にうつなどの心の病の場合は、気持ちが左右されやすいですからテレビ番組や映画などでネガティブな気持ちになりそうな内容は見ない方が良いでしょう。
その他、本も書き手の気(エネルギー)が出ています。
私がよく勧めている中村天風氏の「運命を拓く」は強いエネルギーが出ています。

中村天風氏

中村天風氏、若いころは超イケメン
中村天風氏はヒマラヤの第3の高峰カンチェンジュンガ山麓の村でカリアッパ大師に就いて修行し悟りを啓いた稀有な人物です。
中村天風氏が語る言葉には強い言霊が宿り、中村天風氏が語った言葉を記した「運命を拓く」はその気(エネルギー)が転写されているのです。
持ち歩いているだけでも運気がアップするかもしれません。
私は10年に渡って座右の書として常にカバンに携帯し、自分の心がネガティブにブレそうになる時にいつもこの本を開き心を立て直していました。
大変素晴らしい本です。レビュー凄いです。
近年私が持ち歩いている座右の書は「完訳 日月神示」(ヒカルランド)です。
「日月神示」とはこの世界の主宰神が岡本天明氏に降ろした神典であり、これもまた大変エネルギーが高いのです。
邪気で具合が良くない時に読めば、「日月神示」の気(エネルギー)で自分の邪気は浄化され気分が軽快になったことは数知れません。(この様な動機で読むのは本来のものではないのですが・・・)
また、読めば読む程、メグリ(=カルマ・業)が取れ、意識が変わっていく感じがします。
写真・ホームページ、テレビや本だけでなく、絵画や音楽も同じく気を発しています。
人の感動を呼ぶのはその作品が放つ気(エネルギー)にあるのです。
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シルバーウィーク前に思う ~仕事と休暇について~
category: 霊性修行

働くぞ~!!
皆さん、こんにちは。
土曜日からシルバーウィーク、大型連休の開始です。
多分、繁華街や観光地、高速道路や鉄道などどこに行っても混みあっているのでしょう。
まだ船井幸雄さんがご存命でいた時、船井さんが書いていたコラム「いま一番知らせたいこと、言いたいこと」でこの様な記事を書いていました。(2011年10月3日)
船井幸雄さんは船井総研の創業者であり、経営コンサルタントとして経営の神様と言われた人です。
また、スピリチュアルなことにも造詣(ぞうけい)が深く、日本のスピリチュアルな世界のリーダーでもありました。
※赤字は水野の加筆。
私が最近、つくづく考えることがあります。その第一は、まず、休日が多すぎることです。並外れて多すぎると思います。
戦争中は「月月火水木金金」と言って、休みは皆無でした。
戦後も日本人は、ほとんど休まずに働いて、日本を復興させたのです。
ところが最近の日本は土日は休みです。それにプラスして、9月にも3連休が2回ありました。17(土)、18(日)、19(敬老の日)日と、23(秋分の日)、24(土)、25(日)日です。
10月も8(土)、9(日)、10(体育の日)日と3連休がありますし、会社や官庁づとめなら、有給休暇、正月休暇、お盆休みなどもありますから、1年で半分くらいは休みでしょう。こんなに休んだら、景気が悪くなり、収入が減り、就職先が減るのは当り前です。
しかも汗水流して働くことよりも、お金や株式、為替などで儲けようとするゼロサムゲームばやりで、われわれ戦前や戦中派人間にとっては、なげかわしい世の中になったものだといえます。
だれが、こんなに休日を増やし、遊ぶことを奨めるようになったか……はよく分りますが、社員に給料を払い、会社も利益を出さねばならない経営者の立場になれば、多くの中小企業のトップは「泣きたい思い」をしているはずです。
人は働かねばならない。しかも稼がねばならないのです。そうでないと喰べられません。自立もできません。経営者としては何とかして、まともには従業員を人並み以上に働かせる以外、うつ手がありません。
しかし、汗水流して「まともに働かない人」は急速に生活できなくなるようになってきました。人間失格です。
よい例がギリシャの経済危機です。もはや、どうにもならないでしょう。イタリアやスペイン、ポルトガルも大変です。これら南欧諸国の人々は、シエスタが大好きです。昼寝を楽しみ、できるだけ働かない方がよいと考えているようにすら思えます。
彼らにお金を貸した国、貸した銀行などもとも倒れしそうです。ゼロサムゲームや金融などはまともな汗水流して働く働き方ではないですから、とうとう具合が悪くなってきたのです。
多分、資本主義は、もうすぐ崩れるでしょう。
このような大事なことは、やはり人間として正しい理由を知って対処しなければなりません。
連休を心待ちにしている人に休み過ぎだというと反感を買うでしょうが、私も船井さん同様に日本人は休み過ぎと思います。
国際的には日本人は働き過ぎと言われています。
私はインドやインドネシアで幾度か修行をした経験があり、それらの国の男性の様子を見ると確かに昼間に家の前の道端で井戸端会議をしている人がやたらと多かったり、トランプなどに興じていたりして全然働いていないではないかという印象を持ったことがあります。
その様な国の人に言わせると「日本人は働き過ぎだ」と言います。
果たしてそうでしょうか?
生産性などの観点から考えると、他の国の方が労働時間は短くても総合的に生産性が高いところもあるでしょう。
そこで調べてみると、日本生産性本部の調べ(2013年版)では「就業1時間当たりでみた日本の労働生産性は40.1ドル(4,250円)、OECD 加盟34カ国の中では第20位となった。」と書いてありました。
日本人は全然生産性が高くないのです。
ちなみに、1位がノルウェー、2位がルクセンブルク、3位がアイルランド、4位がアメリカ・・・という順位になっていました。
船井幸雄さんのコラムの言は多くの人にとって耳に痛いところもあったかもしれません。
船井幸雄さんは経営者であり、経営者の感覚と被雇用者の感覚は真逆を行っているのだと思います。
被雇用者であれば休日は少しでも多い方が良いと思うに決まっています。
また、一方経営者は少しでも売り上げをあげ社業を発展させなければなりません。
そうしなければ会社の存続も危ぶまれますし、従業員に給料を払えなくなりますから、休日は少なく働いて貰った方が良いのです。
社会経済的な観点からすると、確かに休日が多い方が観光産業とその周辺の産業、地域にお金が落ちてそこは栄えますので、その様な経済的メリットはあるでしょう。
しかし、全体からいったらそれも一部です。
仕事というものをどう捉えるか、一人ひとりのその意識で働き方や自己実現は大きく変わります。
自分の時間の一部を売ってやりたくない仕事をやりお給料を貰うという働き方ではストレスも溜まりますし、なかなか自分の成長につながりません。
早く時間が経たないかということに意識が向かって、仕事の密度は低くダラダラしがちになります。
4時を回ったらソワソワしだし、5時になったらピューと帰るのです。
それではどう顧客満足度を向上させようかとか、いかに自分のスキルを上げようかということには余り思慮が働かないでしょう。
被雇用者(従業員)は与えられた仕事を確実にこなすということを意識します。
もちろんそれは当然のことであり、それができて初めて報酬を頂くということになりますが、経営者がほしい人材というのはそれだけでは不足で、もう少し高所に立ち、広い視野で会社の発展を考えてくれる人です。
どこの会社でもそのような人財は重宝され、必要な役職と報酬を与えられます。

「あっしらクローン兵は帝国のために働きまっせ」
時々バイトから成りあがって社長になったという立志伝を聞くことがあります。
例えば・・・
・吉野家(安部修仁)
・吉野家(河村泰貴)
・ブックオフ(橋本真由美)
・モスバーガー(櫻田厚)
・・・などであったと記憶していますが、その様な人はバイトや平社員の時代から会社の発展のために自分ができることを与えられた仕事以上に意識して働いていたのだと思います。
さて、「日月神示」には意外と仕事に関する記述が多くあります。
「仕事は行であるから務め務めた上にも精出してくれよ。それが真の行であるぞ。」(日月の巻 第三帖)
「現在の仕事が御神業と心得よ、不満を持ってはならん、そなたが招いた仕事ではないか。この道理わからねば迷信の迷路に入るぞ。」(五葉の巻 第八帖)
仕事はあなたにとっての修行であり、また神業であり、神に奉仕することであるということです。
「この世の仕事があの世の仕事。この道理がわからずに、この世の仕事捨てて、神の為じゃと申して飛び廻る鼻高さん、ポキンぞ。仕事仕えまつれよ。徳つめばこそ天国へ昇るのぢゃ。天国に行く人、この世でも天国にいるぞ。」(黄金の巻 第六十帖)
仕事をほったらかしにして寺社参拝に勤しむ(いそしむ)のは本末転倒であり、そんなことをしても神は喜ばないと言っています。
「今の仕事、五人分も十人分も精出せと申してあろがな」(キの巻 第十七帖)
「どんな苦しい仕事でも、今の仕事、十人分もして下されよ。神は見通しざから、次々に善きようにしてやるから、欲出さず、素直に今の仕事致しておりてくれよ。」(下つ巻 第二帖)
この様に人の何倍も働きなさいという記述もあります。
要は、働きまくれ!と言っています。
・・・かくいう私ですが、日曜・祝日に休みを頂いています。
私のお客様や生徒さんには年中無休で働いている猛者がいます。
このような方々は本当に立派で頭が下がる思いがします。
しかし、疲れすぎては最良のパフォーマンスができませんから、その様な生徒さんには休むのも仕事の内と助言します。
特に気功家は疲労しすぎると、癒しの気(エネルギー)の源泉であるご神仏とのつながりが薄れ、波動が変わり施術の効果が低下しますので要注意です。
また、この記事を読まれる方の中には専業主婦もいるでしょう。
私は専業主婦が働きに出るべきだと主張している訳ではありません。
男と女は身体も違えば家庭での役割も違うのです。
ご主人が働きやすいように支えること、子供を立派に育てることは何より重要な仕事であり、それが主婦のすべき最優先の仕事です。
「日月神示」にもこう書いてあります。
「家の治まらんのは女が出るからぞ。夫立てると果報は女に来るぞ。」(黄金の巻 第七十二帖)
主婦は家庭の太陽なのです。
その仕事を果たすためにも主婦も生活の中で自分自身を磨き、子の鏡(模範)となるべく人物を作らなければなりません。
惰性で掃除・洗濯をやっていたり、コンビニ食を買ってくる様な生活をしていてはご主人や子供にパワー(気または愛)を与えることは毛頭できません。
そんなことでは人財は育ちません。
ご主人やお子様が社会や企業の人材(材料=使われておしまい)となるか、人財(財産)となるかは主婦にかかっていると言っても過言ではありません。
また、現在病気を抱えていて社会で思う様に働くことができない方は今は焦らず療養に専念し、ご快復後の活躍のための充電期間と思ってお過ごしになったら良いと思います。
病気は広義にメグリ(業・因縁・カルマ)取りであり、この場で解消されればその後の人生が障害少なく順風に行くはずです。
ちなみに当院では日曜・祝日は本来休みのところですが、シルバーウィークの21日(月)、22日(火)は営業しています。
まだ若干の予約の空きがありますので、この機会に心身をメンテナンスしたい、病気を良くしたいという方はお気軽にお越しください。
プロフェッショナルはOFFの時にもONに十分働ける様に心身をリフレッシュしたり、日頃できない新たな経験を求めたりするものです。

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アゴのラインが黒くなってきているところ
皆さん、こんにちは。
12日(土)にヒーラーサットサンガ(合同瞑想会&ヒーリング練習会)9月の会が開催されました。

会員のNさんは「耳鳴りがしている。最近邪気が溜まっているのかな・・・」と少々弱り気味でした。
会員のTさんがNさんを担当し、ヒーリングを行いました。
Nさんの顔から耳をヒーリングスティック(独鈷杵)で擦ったところ、邪気で皮膚が炭の様に黒くなって他の会員さんも「うわ~!!こんなに黒くなるの!」と驚いていました。
耳鳴りがしている人は耳も固くなっています。
血流・リンパの流れが悪化しているのでしょう。
耳は前も後ろも丹念に擦ってあげてください。
Nさんの場合は、頬、アゴのライン、耳の前面が黒くなりました。
スピリチュアル・ヒーラー養成塾の「ヒーリングスティックWEB講座」にてQ&Aを設けました。
今回は、気感、浄化法、保管についての質問と回答を掲載しています。

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撮影 水野博友 2015年9月9日
9月初旬というのに、梅雨の様にずっと雨が続いています。
台風が接近していてここ浦和でも今日は大雨だったのですが、その一瞬の間隙に綺麗な虹が出ていました。
折しもお客様がちょうど帰った時で、虹と遭遇できたのは幸運でした。
今回の虹は私がこれまでに見た虹で一番綺麗なものでした。
前回虹を見たのは2011年4月24日のことです。
その頃はまだ店舗が北浦和にありました。
なぜ日にちまではっきり覚えているかというとその日はサティア・サイババが他界した日と同じだったからです。

サティア・サイババ
サティア・サイババ(1926年~2011年)は有名なインドの聖者で日本でも信仰している人はたくさんいます。
サティア・サイババはご自身を神の化身(アヴァター)であると言っています。
ここでいう神とは、シヴァ神とパールヴァティ女神であり、姿形は人間ですが中身は人間ではなく神ということです。
インドでは姿形のない神が人間の肉体をまとって降臨することが度々あり、サティア・サイババもその一人です。
人間の形をしていても中身は神ですから、過去・現在・未来まですべてお見通しであり、また数々の物質化現象を起こしたことでも話題となりました。
サティア・サイババは95才まで生きると宣言していましたが、実際は84才で他界しました。
心無い人々は、それ見たことか!神が自分自身の死ぬ時を当てられないとはインチキ聖者の証拠だと言いふらしました。
皆覚えているでしょうが、2011年3月11日は東日本大震災が起こり、津波と原発事故で放射能汚染が広がった日です。
奇しくも3月下旬にサティア・サイババは呼吸器の不調で入院し、翌月の24日に亡くなっています。
私が前に虹を見たのがちょうどその日で、空にかかった綺麗な虹を見て、私はサティア・サイババが汚染の毒を引き受けて持って行ってくれたのではないかと直観しました。
東日本大震災が起こり、その後も小規模な余震が続く中、師匠と私、そして霊性修行をしている仲間たちはそれが鎮まる様毎日祈りを捧げていました。
私たちのみならず、ヒーラーや宗教関係者など日本人の多くが祈っていたはずです。
師の場合は、地震を収める地のマントラを夜を徹して唱えていらっしゃいました。
私は毎日シヴァに祈っていました。

シヴァ神
シヴァ神には千の別名があり、その中にニーラカンタ(青黒い首を持つ者)という名があります。
シヴァ神はイラストでは青い身体で描かれます。
その理由は、悪魔がこの世を滅ぼそうとまき散らした毒をシヴァ神が飲み込んで被害を収束したという神話があり、その毒でシヴァ神の身体は青い色になってしまったということなのです。
2011年3月には放射能汚染の被害状況が一向に伝わって来ず、私はここさいたまに住み続けていくことができるのだろうかと不安になりながらネットで情報を探っていたことを思い出します。
その頃、私はシヴァ(ニーラカンタ)に毒(放射能)が拡散しない様助けてくださいと祈っていました。
福島では一部の方々が移住を余儀なくされましたが、関東ではそこまでの被害にはなりませんでした。
ところがちょうどその頃インドではシヴァ神の化身サティア・サイババが呼吸器を壊し入院することになっていました。
普通の人から見たら只の偶然と考えるに違いありません。
サティア・サイババはそのまま回復することなく、翌月24日に他界してしまいました。
本当は95才まで生きられる予定だったのを、日本の毒を引き受けて逝ってしまわれたのではないだろうか・・・私はその様に考えています。
私は特別サティア・サイババを信仰していた訳ではありませんが、サティア・サイババが他界した報道を聞いて只何となく寂しい思いがしました。
その日外を見ると空に虹がかかっていました。
その虹を見て私は、「もう大丈夫だ」と言われている気がしました。
それで私は前に虹を見た日を正確に覚えていたのです。

撮影 水野博友 2015年9月9日

撮影 水野博友 2015年9月9日
今回虹を見て、「虹って龍なんだ」と初めてわかりました。
本当かどうか調べてみると、やはりその様な考え方があるということでした。
虹は龍神の表れであり、また神との契約という意味もある様です。
今回の虹の出現にどのような意味があるのかは私自身はっきりしません。
しかし、今日は朝から何か素晴らしいことが起こるのではないかとワクワクしていて、何だろう何だろうと思っていました。
こういうことは私には珍しいことなのです。
それが虹の出現でした。
虹の出現は何かの吉祥と思います。
ちなみに、シヴァ神のシヴァとは吉祥という意味です。
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修行後記&ヒーリングスティック使用法テキストの更新のお知らせ
category: NEWS

画像はイメージ(こんな感じ)
皆さん、こんにちは。
ここ2日半ばかりとある山の中にある洞窟で瞑想をしていました。
今回の修行は瞑想が長かったためか、時間の経過が早かった様に思います。
ジーザス、ブッダ、シルディ・サイババ、ババジ、出口王仁三郎など過去の偉大な聖者・聖賢は皆洞窟で修行をしてきました。
現代のヒマラヤの聖者の多くも洞窟で修行をしています。
特定の洞窟で瞑想をすることは、人の意識を変える大きな効用があるということです。
私の様な市井(しせい)の凡夫はその様な偉大な人物に比肩するものではありませんが、いくらかでも成長を遂げて縁ある難病で苦しむ人のお役に立ちたいと思っています。
自分がお金を得たいとか、人から尊敬されたいとか、有名になりたいという自己本位的な動機で行うものはそれ程の行果を得られないと考えています。
他人の幸せのためという動機で行う行為には大きなパワーが与えられるのだと思います。
このことは気功治療(ヒーリング)に限ったことではありません。
私は人のお役に立ちたいと思い修行を重ねていますが、それでもどこまでも自分の中の我(エゴ)をそぎ落としていかねばなりません。
さて、スピリチュアル・ヒーラー養成塾の「ヒーリングスティック療法WEB講座」にて「ヒーリングスティック使用法テキスト」を2015年8月版に更新しました。
銅製、独鈷杵タイプのヒーリングスティックをお持ちの方は、ログイン後ダウンロードしてご活用ください。

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出せば入るという法則・2 ~知識・アイデア、お金の話~
category: スピリチュアル

前回では、私のバリ島での荒行体験やヒーリングスティック療法を例に挙げて、良くない物を出すことではじめて良い物が入ってくることをお話しました。

今回は身体のこととは別のことでお話しましょう。
私は師匠と共にインド・ヒマラヤやインドネシアで修行をしてきました。
また、師匠の国内の寺院で毎月修行を行い、密教を学んでいます。
密教と言うのは文字通り「秘密の教え」であり、それは公開せずに内々に伝えていくだけの理由と価値があります。
漫画「北斗の拳」で必殺の拳法「北斗神拳」が一子相伝という話でしたが、それと似たようなものです。
私はスピリチュアル・ヒーラー養成塾の講座でその一部をお伝えしています。

時には、自分が苦労して得た貴重な智識・教えを人に伝えるのは何かもったいないなと思う時もあります。
霊性修行をしている人は自分自身が得た経験や智識をとかく秘密にして他人に教えたがりません。
私もその気持ちはわからないでもないのですが、この教えという分野でも出せば入るという法則が当てはまるのです。
この貴重な教えは伝えたくないなとか、または貴重な法具を人に譲りたくないなと思ってもそれを敢えてすることで、私にはより貴重な教えや法具が入る様になるのです。
これはこれまで私が何度も経験してきていることなので間違いはありません。
私は密教的な智識や法具について例を挙げましたが、その様なものでなくても、例えば自分がひらめいたとっておきのアイデアなど人に話すとパクられるのではないかと危惧するかもしれません。
近年は著作権や商標権など権利関係が厳密になってきている様に思います。
私はさほど大したことは書いていないと思っているものの、自分が外気功療法さいたま院のサイトで書いてある文章が他のサイトにほとんどそのまま転載されていたり(リンクもない状態)すると、一瞬「ひどいことするな」と思ってしまいます。
しかし、すぐに「まぁ、いいか」と思い直し、また自分には別のアイデアや知識が入って来ることだろうと開き直ってしまいます。
所詮二番煎じは二番煎じでしかありません。
同じことを書いていても、私が書いている文章と、他人が転載した文章では読み手への伝わり方は違うものです。
発明家で工学博士の故・政木和三さんは神人の様な方と私は思っていますが、政木和三さんの凄いところは生涯で4000件以上の発明をされたのですが、その内3000件近くは特許申請をせずそれを放棄したところにあります。

参考 : 政木ワールドへようこそ
その訳は、何でもインスピレーションを得て1~2秒の超短時間で発明したものだからというのです。
皆が知っている発明品では、うそ発見器 エレキギター 自動ドア 電波測定用オシログラフ 自動炊飯器 格安テレビの考案・試作 熱線風速計 水深計測器 魚群探知機 超音波コンクリート測定器 低周波美顔器 瞬間湯沸かし器 などがあります。
特に自動炊飯器の特許料は4~5千億円になると推定され、それがなかったためにメーカーの販売価格が安くなり普及が早くなったそうです。
世のため人のためになるという利他の精神が利己の精神よりずっと優っていたためその様にされたのだと思いますが、その結果多くの人がその恩恵を受けられることになったのです。
政木和三さんがインスピレーションを得たというのは言い方を変えれば、神様からアイデアをダウンロードしたとも言えます。
もし、政木和三さんがそれを自分のものだと固執し特許権にうるさかったとしたら、この様に次々とアイデアが湧き出てくることが果たしてあったのでしょうか?
この様な例から分かるように大事なアイデアも人に伝えてどんどん使って貰うことで、自分にはまた別のもっとすごいアイデアが湧いて出てくるのです。
お金もそうです。
お金持ちではない私が言っても余り説得力はないかもしれませんが、貯金残高が増えるのを楽しみにするより、お金は有効に使えばまた必要な分のお金が入ってくるものです。
ここでいう有効にお金を使うというのは、自分自身のエゴを満たすための消費ではなく、自分自身を人や社会に役に立てる様にする自己投資であったり、または神事に使うお金で、いわば他人や神のために使う生きたお金のことです。
私は余り物欲がないのですが、神事や自分自身の修行には惜しみなくお金をかける習慣があります。
修行や法具は私にとってとてもお金がかかると感じるものです。
例えば法具一つ例にとってもみても、私が気功の施術や瞑想の時に使っている法具は結構な値段がするものです。
店の神棚に置かせて頂いている数々のご神像も非常に高価です。
いつもこんなに使って大丈夫かと思わない時もないではありませんが、不思議と使った分以上のお金がすぐに入ってきます。
それはホントに不思議と思います。
私の修行仲間も「神事(かみごと)に使ったお金はもっと増えて返ってくる」といつも言っている人がいます。(その人は本当にお金持ちです。)
それは私もまったく同感です。
インドの大聖者シルディ・サイババ(~1918年)は、神事に使ったお金は7倍にして返すと言っています。

シルディ・サイババ
神事(かみごと)というのは、神社・寺院への喜捨(きしゃ)・浄財・お布施もそうですし、また神と繋がるための修行・学びに使うお金もそうです。
後者のことで言えば、例えば私が主宰しているスピリチュアル・ヒーラー養成塾の講座を受講することや法具を買い求めることもそれに該当します。
神事に使うお金も生きたお金の使い方でありますが、同様に素晴らしいのが陰徳を積む行為です。
陰徳とは、人知れず人のためになる慈善をすることであり、お金のことで言えばどこかの慈善団体に人知れず寄付をしたりすることです。
人のために役立つお金の使い方でも、人知れず行うというのが陰徳を積む上で大事なことなのです。
ちょっと前に、タイガーマスクに扮した正体不明の男が孤児院などにランドセルをプレゼントしたというニュースがありましたが、タイガーマスクはそれによって感謝されることがあっても売名行為ではないためそれは陰徳を積むことになるのです。
例えば私が『孤児院の子にランドセルをプレゼントしました!』とブログに書いたとすると、後から「いや~水野さんは立派だねぇ」とか「水野さんは素晴らしい!」とか言われる可能性があります。
ランドセルをプレゼントする行為はしないよりは余程立派であり、生きたお金の使い方ではありますが、後から人に賞賛されることを期待する下心があれば陰徳を積むことにはなりません。
要は行為には動機が大事であって、お金が7倍になって帰ってくるなら定期預金より利率がいいから喜捨・浄財をしようとか、○○をしたら人から褒められて尊敬されるだろうという動機が第一に来ているようではダメなのです。
あくまでも人を助けたい・人のためになりたいという思いが第一に来るのでなければなりません。
出せば入って来る法則・・・このことは「日月神示」にも書かれています。
自分が生んだもの、自分から湧き出るものは、いくら他に与えてもなくならんぞ。与えよ、与えよ、与えてなくなるものは自分のものではないと申してあろう。無くなると思うのは形のみ見ているからぢゃ。カラのみ見るからぢゃぞ。本質は無限に拡がるぞ。与えるほどよりよく、神から与えられるぞ。井戸の水のようなもんぢゃ。汲めば汲むほどよくなる仕組。(秋の巻 第十五帖)
捧げるもの、与えるものは、いくらでも無限にあるではないか、捧げよ捧げよ、与えよ与えよ、言(ことば)こそは誰もが持てる其(そ)の捧げものであるぞ、与えても与えても無くならんマコトの宝であるぞ
(碧玉の巻 第十二帖)
利子は後からでよいと申すが、先に払うこともあるぞ(五葉之巻 第四帖)
もの与えることなかなかぢゃ、心してよきに与えねばならんぞ。与えることは頂くことと知らしてあろうが、与えさせて頂く感謝の心がなくてはならん、強く押すと強く、弱く押すと弱くはね返ってくるぞ。自分のものというもの何一つもないぞ、このことわかれば新しき一つの道がわかるぞ(五葉之巻 第五帖)

多くの人はその様なことを知りませんが、おばあちゃんの世代にはそれを知っている人はたくさんいるものと思います。
核家族化が進み、我よし(自己中心的)な人が増えて、様々な大事な教えが子や孫の世代に伝わらなくなってしまったのでしょう。
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三峯神社 参拝記・2 ~奥の宮 編~
category: スピリチュアル

妙法ヶ岳山頂に近いところに立つ奥の宮の鳥居
前の記事では三峯神社の拝殿にご参拝したところまで書きました。

拝殿のご参拝を終えて奥の宮に向かいました。
三峯神社の奥の宮は近くではなく、妙法ヶ岳山頂にあります。
神社からは徒歩1時間半程かかると書かれていました。。
奥の宮へ山道の入口は小雨という天候もあって、霧が出ている上に薄暗い感じでした。
しばらく進むと行くことを決心したのを後悔させる位の怖い雰囲気があります。
入口には熊出没注意の看板があり、また入山の届けが必要であると書かれていました。
・非常用の水・食料を持つこと
・一人での入山は危険である
・携帯は通じないところもある
と、表示がありました。
私は単独行でしたが、軽い気持ちで行かない方が良いということでしょう。
しばらく登っていくと結構急勾配で疲れを感じ始めました。
地面は雨でぬかるんでいて、すべりやすく、ズボンはあっという間に膝から下が泥だらけになってしまいました。
道中は、結構足場が悪く、危険な道もありました。
細い道で両サイドは急な崖になっているところもあり、気を許せません。
手を使わないで綺麗に登れるという感じではなく、手も使って登るような急勾配もあります。
霧深く薄暗い山中で見渡す限り自分ひとりしかいません。
ここには、オオカミがまだ生きているという説もあります。
スピリチュアル・ヒーラー養成塾のコラム

オオカミはともかく熊と出会ったら嫌だなぁと思いながら足を速めていました。
時々、大きなブフゥ~という様な獣の鼻息が聞こえ、「熊が出たか!」と振り返ると何もいなかった時がありました。
また、人の咳が聞こえ、誰か来たのかと思ったら誰もいなかったことがありました。
昼間だというのにとにかく薄暗い
「三峰神社はあんなに人がいたのにここはどこにも人がいないものだなぁ・・・それも当然か。」

往路では合計3名の方と行き違いになっただけで、人知れぬ聖地に入っている感がありました。
その内の一人はお婆さんで、最初見たときは幽霊かと思いました。(笑)
しかし、そのお婆さんをしてこの様な山深いところに独り駆り立てた理由とは何だったのでしょうか?
きっとそれだけの壮絶なご経験をされているのかもしれません。
登っても登っても一向にゴールが見えてこないので、「なかなか着かん!」とぼやき始めた頃のことです。
山道から少し離れたところに大きな磐座(いわくら)を発見しました。
磐座と言っても見た目はただの大きな岩です。
それを見た時にこの岩には神が鎮まっていると感じました。
磐座とは神が降りている岩のことで、太古の人々がその岩に神を降ろし祭祀をしていたものです。
長い年月が過ぎ、その多くは人々の記憶から忘れ去られました。
時間がないので、簡単にご挨拶をしてその場を去りましたが、人に気付かれたのは久しぶりだったのかもしれません。
誰もいない山中の草を分け入った斜面で、男が一人大岩を撫でたりしているのですから、傍から見たら相当変な人に見えたことでしょう。
その時はわかりませんでしたが、スマホで撮った写真を後から見ると、それは見事な神の顔が岩に浮かび上がっていました。
妙法ヶ岳山頂に近いところに立つ鳥居(一番上の画像)から奥の宮までは600メートルと表示がありました、ゴールもあと少しです。
奥の宮に近づくと最後の難所があります。
そこはかなり急勾配の階段とその上に鎖場があります。
アスレチックみたいに鎖に掴まって登っていくのです。

それを登り切るとようやくゴール、そこには奥の宮がひっそりと鎮座していました。
その祭神はオオヤマツミノ大神です。
オオヤマツミノ大神はイザナギ、イザナミの神の子で、山の神や武神とされている神様です。

山頂からの景色、晴れの日はきっと綺麗なのでしょう
奥の宮に参拝して誰もいないその場でしばらくそこで休憩をしていました。
とても狭い場所に祠が建っているだけでしたが、下界の喧騒とはかけ離れた場所に辿り着いた満足感がありました。
下り道は登りと違って身体が楽で飛び跳ねる様にして駆け下りていきました。
小雨なので危ないところですが、気分が良くなって天狗になったつもりで走っていました。
片道1時間半かかると書かれていましたが、私の場合は下りが早かったので往復で1時間半の道中でした。
入口が見えた時、熊が最後まで出なかったので一安心したものです。
また怪我もなく無事に行って来られたことに感謝した次第です。
入口に近くなると急に雨が強くなって傘なしでは歩いていけなくなりました。
ちょっとの間だけ小雨にしてもらっていたのかもしれません。
往路は邪気でまだ重かった身体も浄化されたのか、それが余り感じられなくなっていました。
帰宅後、床についた時には身体に気(エネルギー)がみなぎって眠れなくなる位で、たくさんエネルギーを頂いていたことがわかり本懐を遂げた感がありました。
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