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シルディ・サイババ


皆さん、こんにちは。

 

5月のサットサンガ(真理の集い)のご案内です。

 

5月のサットサンガの開催日時は、

 

〔土曜の夜のサットサンガ〕

511 日(土)19時~2115

 

〔平日お昼のサットサンガ〕

514日(火)11時~1415

 

となります。

 

 

 

 

また、5月の説法の題目は、

 

「シルディ・サイババの教え」

 

 

です。

 

シルディ・サイババはインドに100年前に実在した聖者です。

日本ではほとんど知る人はいませんが、インドでは逆に知らない人はない位有名です。

 

外見こそ人間と同じ形態ですが、インドでは人ではなく神だと言われています。

肉体は人間、魂は神そのもの・・・その様な存在をアバターと言います。


人の過去現在未来が自由自在にわかる、同時に何か所にも現出する能力を持つ、五大元素(地火空水風)を自在に操る、人の難病も癒すことができる、天候操作も思いのまま等々・・・の超絶の力を持つシルディ・サイババはその生涯でたくさんの奇跡を起こしました。

 

その奇跡の一端をご紹介すると共に、シルディ・サイババがこの世界に現れた理由や、教えとして残したものを今回はお話していきます。

 

そして、私たちの霊性修行という道を再考してみたいと思います。

 

どうぞ楽しみにしていてください。

 

 

 

 

では、5月のサットサンガ(真理の集い)のご案内です。

 

 

では、サットサンガのご案内です。

サットサンガの参加資格は、次の通りです。

 

●水野氣功塾の下記の講座受講者(受講中でも可)

・旧スピリチュアル・ヒーリング講座

・旧メディテーション&ヒーリング講座

・密教瞑想講座

・レイキ講座

 

●当院から下記をご購入された方

・ヒーリングスティック(銅製)

・ヒーリングスティック(独鈷杵)

・五鈷杵

・神獣のネックレス(動物の牙爪) 

・魔除けの缶

(➡ 「邪気祓い開運堂」

 

●上記有資格者の紹介者

 

中学生以下のお子様は無料で参加できる様にしました。

お子様連れのご参加もOKです。

(落ち着いて説法が聞けないお子様は隣室で待っていただきます。)

説法の内容が一部しかわからなくても、説法後一緒に瞑想するだけでもお子様に大きな恩恵があります。

 

 

後半は合同瞑想をしますが、瞑想初心者でも大丈夫です。

初めての方も奮ってご参加ください。

合同瞑想に参加して、たくさん力を受け取って、たくさん浄化して帰ってください。

 

瞑想をしますので、腹一杯の状態で来ない様に。

できるだけ空腹の方が良いですね。(水分はOK。強制ではありません。)

 

 

くせの強い人もいませんので、人間関係のご心配も要りません。

万教同根の思想の下、宗教宗派に関係なくご参加頂けます。

レイキ講座の受講生も奮ってご参加頂ければと思います。

 

また、サットサンガでは、講座のカリキュラムで触れていない内容もたくさん話をしていますので、密教瞑想講座やスピリチュアル・ヒーリング講座の受講生はなるべく参加する様にしてください。

 

 

参加ご希望の方は事前準備がありますので、メールフォームかメールよりご一報ください。

 

➡  「お問い合わせ」メールフォーム

 

その他、詳細は「水野氣功塾」のサイトの「サットサンガ」をご覧ください。

 

➡  「サットサンガ」

 

 

では、たくさんの方とお会いできるのを楽しみにしています。

 

 


2019_04_29


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2019年4月20日 ご神木プージャの炎


皆さん、こんにちは。

 

今、山の修行場から帰るバス車内で原稿を書いているところです。

山の気候も温かくなり、日中は半袖でも過ごせる位になりました。

夜でも暖房を付けずに寝ても寒いということはありません。

 

新緑が美しく輝いて見えるのが4月で、この時期の自然の美しさは生命力に満ちまた格別です。

これから大型連休を迎えますが、皆様も混雑を避けて自然の中でお過ごしになると、心身の浄化になることでしょう。

 

 

 

 

さて、420日(土)22時~約40分間恒例のご神木プージャを執り行いました。

今回も多くの方々にご参加いただきました。ありがとうございます。

師匠共々厚くお礼申し上げます。

 

 

 

 

プージャに先駆けて師匠の説法がありました。

今回は、「人の幸せとは何か」についてお話されました。

私の感想を以下に書き記していきたいと思います。

 

 

 

 

日本の現代社会では、多くの人があくせくして暮らしています。

科学は発展し、それに伴い通信・移動手段・購買・各種サービスは多種多様に栄え、生活の便利さは有史以来最高と言えるでしょう。

現代の日本人はかつての王侯貴族にも劣らない豊かな生活を享受しています。

 

しかし、現代社会では心を病む人が多く、うつ病と診断されている人は100万人超です。

その内、自殺者は毎年3万人を超えています。

事故死で片付けられるものもあり、一説には10万人を超えると言われています。

本当に心が痛むばかりです。

 

貧富の差は拡大して、持つ者は益々豊かでありますが、特に地方経済は冷え込んでおり都市部との年収格差は大きいものがあります。

 

病院は病人で賑わうばかりで、治らない患者が群れをなしています。

ロードサイドには大型ドラックストアも乱立していますから、薬の売上もさぞかし上がっているのでしょう。

 

子供達は学校や親から勉強を押し付けられ、中学校以上ではあまり実用性がない知識を身に付けるために机に向かわなければなりません。

学校が終われば成績を良くするために塾に行き、遊ぶ暇もなく、大人の様に肩こりに悩む子も多いと聞きます。

子供たちの目を見れば、生きる力が削がれているのがよくわかります。

 

企業の社長と言えば、金持ちで肩書もあり、ブランド物を所有し、羨ましいと思うかもしれません。

しかし、弱肉強食の市場経済の中では、いつ何時強敵が現れるかどうかと戦々恐々とし、心が休まる暇もありません。

恐怖と惰弱の本性を、スーツという鎧で身を固めて疲弊していると見て取れます。

 

 

 

日本全体が、お金という資本主義経済に酷使・翻弄され、身も心もすり減っている社会と言えるのではないでしょうか。

 

 

 

 

こうした現代社会と弥生時代の暮らしを比較して考えてみましょう。

 

 

人口は少なく、村人がお互い助け合って暮らしていました。

山の幸、海の幸も天然物で、農薬や添加物という言葉すらありません。

現代では調味料が発達していますが、新鮮な地の物を素朴な調理法で食べるのはさぞ美味しいことでしょう。

日が暮れたら寝る支度に入り、朝日が昇れば活動が始まります。

 

ゲームやテレビもありませんから、個に籠ることなくコミュニケーションは盛んです。

村人は、季節の村の祭りを楽しみにしていたに違いありません。

祭りではシャーマンが祭祀の中心となり、人々の災いを除いたり、病気を治したりしていました。

 

結婚制度はありましたが、生涯を縛る法的な拘束力はありませんから、好きなら一緒にいて、嫌いになれば離れるというのが自然でした。

今の様に嫉妬に狂うことも、打算で心が冷え込むことも少ないでしょう。

生まれて来た子供は村の宝としてみんなで育てていました。

 

農耕や狩猟をしながら、村人全員が仲良く穏やかに暮らしていたのではないでしょうか。

 

 

 

そう考えてみれば弥生時代の原始生活は幸せそうで羨ましくもあります。

一概に現代人の方が幸せとはいえないかもしれません。

 

私は毎日帰宅が午前様で、睡眠もろくにとれず、どうして自分の人生はこうも忙しいのだろうかと思うことしばしばです。

稀に22時台に帰宅できれば随分早く帰った感があります。

20時や22時に消灯する様な、のんびりした田舎の生活をしてみたいと思うこともあります。

これだけ慌ただしく生きている人は、弥生時代には日本中を見渡してもいなかったでしょう。

 

 

とはいえ、弥生時代には侵略のリスクや病気、特に疫病に弱いことなどデメリットもあります。

今の時代で手術を受けたことがある人は、弥生時代ならもれなく死んでいたのです。

平均寿命は短いですが、自然の中で宇宙のリズムに合ったシンプルな生き方は羨ましいところです。

 

生活するためにはお金がなくてはならないというのが、現代の日本人の行動原理です。

お金のためなら意にそぐわないことも平気でやってしまうでしょう。

お金中心に回る社会は便利ではありますが、人の心が追い付いていきません。

 

 

 

物がいくらあっても、家電などが発達して生活が便利になっても、実はそれだけでは余り人の幸せには結びつかないのです。

 

自分自身はどうなったら幸せを感じるかどうか、一度よく考えてみてください。

 

 

その答えは、人によって違います。

 


吝嗇家(りんしょくか)の中には、夜床に入る前に預金通帳を夫婦で見て、幸せを感じるという人もいると聞きました。

 

それが悪いということではありませんが、物やお金がいくらあっても本当の意味で幸せを感じることはできません。

私のお客様の中には、大変なお金持ちもいますが、だからといって幸せであるかというと全く別問題です。

ないよりあった方がいいという程度のものです。

 

 

私は、人が幸せを感じるのは、他人との心の結びつきが深くなったときではないかと思います。

親子、家族、仕事の同僚、チームメイト、修行仲間、異性のパートナーまたはお客様・・・

他人と信頼や愛で結びついた時に、人は得も言われぬ幸福感を感じます。

とりわけ、人から感謝される時が、最も幸福感を感じるのではないでしょうか。

 

そうなるためには、「愛をください、ください」といくらせがんでも貰うことはできません。

自分自身から愛の灯明(とうみょう)となり、周りの人を照らす必要があります。

 

月並みですが、周りの困っている人を助けたり、優しい言葉をかけてあげたり・・・

あなたが笑顔でいるだけで、誰かの心はホッとやすらぐのです。

自分から愛を発することで、やがて周囲から倍返しで愛が還ってきます。

 

更に高度な幸福感を求めるなら、人とのつながりだけではなくて、神とのつながりを深くするとよいでしょう。

人がこの世に生を受けた目的は、魂を成長させて、解脱~悟りに至るためであると経典には説かれています。

 

まぁ、そこまでわかる人は少ないかもしれませんが、信仰心を持ち神仏のご加護が厚くなると安心立命の境地で生きていかれるものです。

身魂磨きをして意識が向上すれば、嬉し嬉しの世の中になります。

 

 

ご神木プージャは、皆様の願意を天(神)に届ける儀式です。 

生活上の諸問題の解決や、霊性の向上をお願いすれば、プージャの炎によってその足かせとなるエネルギー(カルマ)が消えていきますから、一歩一歩そのゴールに近づきます。

これも一つの身魂磨きの形です。

それによって、皆様が少しでも幸せを感じることが多くなれば、行者としてこれに優る歓びはありません。

 

ご神木プージャは、私の師匠のT仙人を中心に、繋がりの濃い弟子達によって真摯(しんし)に執り行われています。

皆様の願いが速やかに神仏に届けられ、一日も早く神の恩寵(おんちょう)が現れることを心よりお祈りしております。

 

 

 

 

以下の内容は先月の記事とほとんど同じですが、初めての方もいらっしゃいますので再掲します。

 


 

 

最近は、Twitterで正確な開始時間を告知しているため、その時間に合わせて瞑想やお祈りをされている人が増えてきている様です。

22時からの開始に合わせて一緒にお祈りをしてくださった方はおそらくシヴァのマントラ(オーム・ナ・マ・シヴァ・ヤ)を唱えていたことと思います。

 

➡ 水野博友Twitter

 

そして、気に敏感な方は「凄いエネルギーが来ている!」「プージャが終わった頃、身体が軽くなる!」と嬉しいご感想をメールで寄せてくれる人も少なくありません。

 

プージャのエネルギーを感じることができたら、プージャに参加している実感がより高まるから喜ばしいことではありますが、感じる感じないは気(エネルギー)への感度の個人差があるため気にする必要はありません。

 

肝心なのは、プージャに参加し共に神仏にご祈願することで、お悩みの問題となっているカルマ(業/因縁/メグリ)のエネルギーが浄化され、願意到達に着実に近づいているということです。

 

 

 

 

また、今回も参加者の皆様に師匠より特別のギフトを預かりました。

 

先月のルドラクシャと同じものになりますので、複数になるという方は身近にいる大切な人にプレゼントしたり、または紐を変えたりして身体の違う部位に漬けてみたりするのも良いでしょう。

 

4つ貯まった人は、小袋に入れてベッドや布団の四隅に置いてみるのもお勧めです。

4つのルドラクシャに囲まれたエネルギーの結界ができて、睡眠中ネガティブなエネルギーから護られます。(睡眠中はエネルギー的にも無防備になりやすいのです)

高いエネルギーの空間で睡眠をとれますので、疲労の回復が早いと実感しています。

また、溜まったルドラクシャで素敵なブレスレットを作成された方もいました。

 

 

ギフトとして預かっているのは、下記のルドラクシャのお守りです。

ストラップタイプとネックレスがあります。

 

ルドラクシャ 

実物は多少デザインが異なる場合があります

 

 

ルドラクシャとは、インドの聖者や修行者が首から下げているネックレス(ジャパマーラ)の珠のことで、神の雫(しずく)とも言われます。

私も気功治療の際にいつも首から下げていますから、ご存知の方も多いことでしょう。(右のプロフィールの写真をご覧ください)

 

ルドラクシャは、菩提樹の木の実で、菩提樹といえば仏陀がその木の下で悟りを啓いたことで有名です。

また、ルドラクシャは、水や水晶と並んで気(エネルギー)を蓄えやすい性質があります。

インドの聖者は、瞑想の際にこのルドラクシャのネックレス(=ジャパマーラ)を指でくくってマントラ(真言)を唱える修行をします。

修行を重ねるにつれ、ジャパマーラにマントラのエネルギーが充填され、ジャパマーラは益々強いエネルギーになっていきます。

そのため、聖者の修行レベルを計るには、その人自身とジャパマーラのエネルギーを見れば容易に判定がつく訳です。

 

 

 

ルドラクシャは、色々と種類があり、ランクもピンからキリまでありますが、その価値を決めるのはそこに入っている気(エネルギー)です。

写真のルドラクシャは、師の庵(修行場)で45年もの長期間、気(エネルギー)を入れ込んだ非常に価値の高いものです。 

通常は、オレンジ色っぽいのですが、これは年期入っているため黒光りしています。

黒光りしているルドラクシャは珍しく、持っている人は稀です。

また、小さなオレンジ色のルドラクシャはブッダ系の寺に伝わって来た物です。

 

この中には、

 

龍のエネルギー(願望成就)

天使のエネルギー(喜びをもたらす)

魔除けのエネルギー

 

が入っています。

 

 

 

龍のエネルギーを入れるために、ルドラクシャを密教で伝わる龍のオイルに漬け込みます。

この「龍のオイル」とは、ある特殊な密教技法によって龍のエネルギーが満ち溢れているオイルのことをいいます。

私が「邪気祓い開運堂」で斡旋している邪気祓いオイルより強力で、一般には斡旋していない修行者専用のオイルです。

その「龍のオイル」のエネルギーが入っているため、ルドラクシャのエネルギーも非常に強力です。

悪霊も容易に近づけません。

気(エネルギー)が感じ取れない人にとっては、只の飾りにしか見えませんが、気(エネルギー)がわかる人が見たらその真価がわかるというものです。

 

龍 

 

ルドラクシャをお渡しする際にこの「龍のオイル」を拭き取らずそのままお渡ししています。

そのためルドラクシャはオイルがたくさん付いている状態です。

お手数ではありますが、ご自身で「龍のオイル」を布で拭き取ってヒーリングスティックなどの法具や大切なアクセサリーに塗って浄化・パワーアップに活用してみてください。

 

そして、目に見えない不思議なご縁(神縁)があって手に入ったものですのですので、ルドラクシャをたかが飾りと思わず永く大切にして頂けたら嬉しく思います。

 

 

 

また、このルドラクシャを手に持って瞑想をすればパワー(神気)を頂けます。

また痛みや症状があるところに直接当てても良いでしょう。

 

その際は、シヴァ神のマントラを唱えてみてください。

 

シヴァ神のマントラは、

 

オーム ナ マ シヴァ ヤ

 

です。

これを幾度も繰り返し心で唱えます。

 

 

また、何かお祈りをする時やシヴァ神のご加護を得たい場合は、ルドラクシャを右手に握り「オーム・ナ・マ・シヴァ・ヤ」と唱えてください。

 

シヴァ神について、詳しくお知りになりたい方はこちらをご覧ください。


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シヴァリンガム(シヴァ神のご神像) 

➡ シヴァ神

 

 

 

今回ご神木プージャをお申込み頂いた方には漏れなく進呈します。

当院に通院中の方・講座受講中の方には直接お渡しし、そうでない方には後日発送させて頂きます。

もし、前回のプージャのギフトが届いていない場合はご連絡ください。

 

今回は、師よりギフトがありましたが、次回はあるかどうかはわかりません。

あるかもしれないし、ないかもしれません。

ご神木プージャはギフトがあるかないかの損得勘定でやるものではなく、信仰心の発露によって参加するものですので、お気持ちが高まりましたらどうぞご参加ください。

 


 

 

 

さて、次回のご神木プージャは、

 

518日(土)の夜(22時頃)

 

開催します。

 

 

自分の願いの成就を後押ししてほしい方は、下記のページ中にある。「ご神木プージャお申込みフォーム」に必要事項を入力し送信してください。

ご神木プージャは11000円以上のご喜捨(お布施)で承っています。

 

 

➡ 「願いを叶えるファイヤープージャ」

 

 

たくさんの方のご参加をお待ちしております。

 

 

 




2019_04_21


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皆さん、こんにちは。


今年も桜が満開を迎えています。
既にお花見に行って堪能した人もたくさんいることでしょう。

桜の開花を見ると、寒い冬が終わってようやく春が来たと、心が弾みウキウキしている自分に気付きます。

しかし、私は桜を見ていつも儚さ(はかなさ)も感じます。
それは、まるで人生の儚さにも似ている・・・そんな感じです。



私はいつも末期がんのお客様の気功治療をしています。
そのため、他の人より生死について意識することが多い様に思います。

毎年桜を見ると、この桜を見納めと自覚し、万感の思いで観賞している人も少なからずいるといるのだろうと思いを馳せます。


がんを罹患している人は、ゆっくり寿命の終わりを迎えますので、自分の死期がおよそわかります。
その様な方々は、この春に観た桜を来年もう一度観るのは難しく、今年の桜が最後と思うことでしょう。
きっと、ピンク色に淡く咲く桜を目に焼き付ける様にして観ているに違いありません。

また、花見をしながら呑んで騒いでいる人たちを見て、どうして自分がそっちの立場にいないのか・・・と切なく思っているのかもしれません。

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その状況は決して他人事ではありません。
そう遠くない将来、自分自身がその立場を迎えるということは想像に難くないことです。
その時、どの様な気持ちで桜を観るのでしょうか?


惨めな思い?悲壮感?・・・そのような気持ちで桜を観ていると想像するかもしれません。
そんな人もいるでしょうが、私はおそらくそうではなく、

「地球は美しいなぁ」

と、その美しさを目に焼き付けておこうと、感激して観ているに違いありません。

私は今生で地球での生活を終わりにしたい、輪廻の輪から抜け出したい(=解脱)と真面目に考えていますので、本当にこれが最後の最後になると思って穏やかな気持ちで見ているかもしれません。


舞い散る桜の花びらを観て「儚いなぁ・・・」と。


人生もその真っ只中にいる時は長く感じるのかもしれませんが、最期には「人生は儚い(はかない)なぁ」「あっという間だったなぁ」と、まるで一夜の夢の様に思うのかもしれません。

今年も桜を観れたのは、とてもありがたいことです。
あと、何回桜を楽しめるでしょうか?


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2019_04_07


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皆さん、こんにちは。

この社会で生きている多くの人は、大なり小なり人間関係に苦労しているものです。
なぜなら、この世界(地球)に生まれて来た目的が、魂を成長させるためであり、魂を成長させる(これを「身魂磨き」と言います)ためには人間関係から多く学ぶ様にできているからです。

そのため、私たちの周りにはどうしても好きになれない人、嫌いな人が配置されています。
その人とできれば一緒にいたくない、関わりたくないと思うのですが、なぜかそういう訳にいかない。
離れたくても、離れられない。
あるところまでいかないと離れられない様になっている。

それでストレスを感じ、ああでもない、こうでもないと心を悩ませ煩悶する訳です。
これはとても苦しいことです。




しかし、考えてみると自分の周りにイエスマンばかりいたらどうなのでしょうか?
自分の事を「すごいね!」とか「素敵!」「立派ですね!」とか、褒めてくれてばかりいたら・・・

それが毎日だったらどうなりますか?
ストレスもさほど感じず、気持ちよく楽しい日々が続いていきますが、果たしてそれで成長できるでしょうか?



企業のトップもイエスマンばかりで重役を固めると、その会社はやがて傾いていくと言われます。
意見の対立がないと、より良いものが出てこないし、間違った方向に向かっていてもそれに気付かなくなります。

社長であるならば、主君への諫言(かんげん)も辞さないという気持ちの強い家臣を置かなればなりません。
企業のトップであれば、周りの人はトップの顔色を伺って、いつも気に入ってもられる甘言ばかり言う人が集まってくることでしょう。


誰かが自分に厳しいことを言ってくれないと、人は自分の間違いに気づかないものです。
そういう人が周りにいなければ、のほほ~んと温泉気分で生きていけますが、それで人は成長するでしょうか?
そんな状態が続いていけば、ふやけきって馬鹿になってしまうに違いありません。



「身魂磨き」をするためには、大根おろしのおろし金ではありませんが、トゲがなければ磨くことはできないのです。
自分に厳しいことを言ってくれたり、嫌な事を言ってくれたりする人がいないと人は成長しないのです。


筋肉は加重という負荷がなければ強くなりません。
同様に、人間の心も、ある程度のストレスという負荷がなければ強くならないのです。


そういうことをわかっていないと、厳しいことを言ってくれる人に憎しみなどの悪感情を持って応対してしまいます。
自分自身の成長の要因を考えれば、その人のお陰で成長できるのです。
それを思えば、怒りや恨みなどの気持ちを抱くのではなく、真逆の感謝の気持ちを持たなければならないはずです。




なかなか人間関係の問題の渦中にいれば、頭でわかってもそう心を持って行くのは難しいかもしれません。

しかし、いつか感謝の気持ちに自然となれれば、既にその嫌な人の存在意義はなくなりますから、やがて自分の眼前からいなくなってしまうでしょう。
そうした時に、人生のステージがあがって、人間関係の問題に悩むのは卒業ということになるのです。



私もサラリーマン時代に上司に恵まれず長期間辛酸を舐めたことがありました。
理不尽なことばかり続いたり、小馬鹿にされたり、なんでこんな目に・・・と毎日上司を恨めしく思っていました。
上司はまったく尊敬に値しませんが、それでも上司の機嫌をとっていかなければならないところがサラリーマン社会の辛いところです。

その様な状況が何年も続き、ある日の夢にその上司が満面の笑みで現れました。
何を言っているかはわかりませんでした。
その様な温かみのある笑顔を実際に見たことはありませんが、私を褒めている様でした。

その笑顔は、映画「千と千尋の神隠し」で、腐れ神というドロドロとした悪臭を放つ神様が、千尋の接待で浄化され、本来の河の神になって、最後に「よきかな」と歓び上がっていく・・・そんな感じの笑顔だったのです。

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腐れ神

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「よきかな」




「なんだったのだろう・・・変な夢をみたな・・・」


と振り返りましたが、程なく上司は人事異動でいなくなりました。

今思えば、生まれて来る前の約束だったのでしょうか、今世で私を鍛えてくれるためにヒール(悪役)をかってくれていたのかもしれません。




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皆さん、こんにちは。

3月の山での修行から帰るリムジンバスの車中で書いています。

今月から私はカーリープロセスに入りました。
カーリープロセスというのは、カーリー女神との結びつきを深める特別なコースです。
行を授ける側も、受ける側も必死の思いで挑まなければならない難行であります。

おそらく、この行を満行すれば、また一層気功治療の効果は上がることでしょう。


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カーリー女神

まるで悪魔の如く異様な容姿のカーリーは、麗しく美しい女神パールヴァティの忿怒相(ふんぬそう)です。
悪の軍勢を一掃し、勝利のダンスを夫・シヴァの腹上で踊ったという神話があります。
それだけ強力なパワーを持ちますが、それだけに修行も一層厳しいものになります。




木曜の夜、修行場の3階の狭苦しい部屋に籠り、行が始まったのですが、開始早々で自分自身の中に無意識で抑え込んでいたネガティブな感情が噴出し、修行仲間も含めて行が中断する異常事態になりました。


外見で穏やかそうに見える人でも、中身はそうとは限りません。
人は外見で判断できないのです。
いつも笑顔を絶やさない人でも、その笑顔が現れるまでに艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えてきて、ようやくその境地に辿り着いていることもあります。

私の見えない心の内にも、いつの頃からかわからない溜めこんだ醜い感情のエネルギーが潜んでいて、心のフタが開いてそれが顔を覗かせました。

真っ黒のコールタール状のドス黒さで、長い年月の恐れや憎しみや悲しみ、不信や孤独感などネガティブなエネルギーが圧縮し腐敗しているかの様です。
思いがけず、それと急に向き合って味わわなければならなくなったので、精神が崩壊しそうになります。


「まだ自身の中にそんな醜いものが潜んでいたのか・・・」


エゴの抵抗が最終局面を迎えているかの様です。

また、同時に、生霊などの霊障、お客様の身代わりに被った攻撃的な悪念も絡んでいて、ネガティブなエネルギー、ブラックなエネルギーのオンパレード・・・超巨大台風に飲み込まれ翻弄されているかの様相を呈していました。



霊性修行とはこの様なもので、どこまでいっても浄化、また浄化・・・
自分自身という器からネガティブなエネルギーを空に近づけないと、神聖なエネルギーが入るスペースがありません。

大局的に見ればこの様な段階なのでしょうが、こういう苦しみというのは、直面している当人しかわからないものです。
一歩間違えば、精神が崩壊し、分裂病になってしまいそうな、そんなギリギリの瀬戸際を歩いている感じがします。

うつや心の病の人を健常者が見ると、「心が弱いんだな」と思うかもしれませんが、そういうことではないのです。
健康な人でもいつ何時その様な状態になるかわからないというのは知っておいた方が良いです。




人の心の中には、光と闇が50対50で同居していると言われます。
この世界もやはり光と闇、善と悪が50対50で構成されています。
腸内細菌も、善玉菌と悪玉菌がだいたい同じくらいの割合で構成されています。
より一層の光を放つ存在になるには、そのネガティブな部分を直視し、それを浄化するしかありません。



行の最中、私はなんとか正気を保っていましたが、師匠からは何度も「大丈夫か?大丈夫か?」と心配をされました。
おそらく、目がおかしかったのでしょう。

夜中の1時半頃、私が地下洞窟で独り睡眠中、ふと目を覚ますと師匠が私のヒーリングをしていたこともありました。


「ありがたいなぁ・・・(涙)


ハリケーンの様に荒れ狂った胸中に、温かい感謝の思いがこみ上げました。

まだこの文章を書いている今も、やや安定感を欠いている感じがありますが、師匠からは

「8日間だ。8日目になったら楽しみだ」

と、何がそう言わせているのかわかりませんが、そう告げられました。




最近の修行では肉体的な辛さが続いていましたが、今回は精神の大浄化が始まった感じです。
実はこれまでにも同様の経験をしており、その時も思い出したくない位大変でした。
その時もやはりカーリーだったのです。




書いている内に気が落ち着いてきました。
まぁ、私は今回も何とか耐え忍んで凌ぐことができるでしょう。

思えばシルディ・サイババも時に狂人の様に見えたという逸話が残っています。
それは、シルディ・サイババ自身の闇というよりも、おそらく救わなければならない熱烈な信者の闇や業(ごう)を引き受けてのたうち回っていたのかもしれません。




修行場から帰るバスの車内で「日月神示」を開きました。
すると、黒鉄の巻第三帖が開き、そこにはこの様に載っていました。



理屈は一方的のものぞ
どんな理屈でも成り立つが
理屈ほど頼りないもの、力にならんものないぞ
理が⦿(カミ)の御働きぞ
よく見極めねば間違うぞ、囚われるなよ
他の為に苦労することは喜びであるぞ
全体のために働くことは喜びぞ、光の生命ぞ
誰でも重荷負わせてあるのじゃ
重荷あるからこそ、風にも倒れんのざ
この道理、涙で笑って汗で喜べよ
それとも重荷外してほしいのか
重い重荷もあるぞ、軽い重荷もあるぞ
今播いた種、今日や明日には実らんのざ
早く花が見たく、実が欲しいから焦るのじゃ
人間の近欲と申すもの
神の大道に生きて実りの秋(とき)待てよ
播いた種じゃ、必ず実る、誰も横取りはせんぞ
万倍になってそなたに返ると申してあろう
未来に燃えつつ現在に燃えよ、神相手に悠々と天地に歩め



この神示を読み、勇気を得ました。

私がぐらついてしまったのは、頭でっかちで理詰めで考える様になっていたからかもしれません。
または、苦しんでいるお客様から離れてしまっていたからかもしれません。
気功治療家として実に情けないことです。

苦しみの闇の中、出口が見えないトンネルの中にいるお客様のことを思えば、これしきは何ということないはずです。
病気のお客様のためにも、ここは敢然と乗り切らなければなりません。


行者とは、行の中に生き、行の中に死ぬ者のことを言います。
また、行者とは、行の苦しみよりも、他人を救う歓びを貴ぶ(たっとぶ)者を言います。
私は自身が行者であることを再認識し、これからの修行に邁進していきます。


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※修行明け数日、精神が不安定な状況が続いていましたが、8日を過ぎると嵐が過ぎたかの様に穏やかな心持ちになりました。まるで台風一過の様です。今日は愉快なお客様が来て、お陰様でたくさん腹の底から笑うことができました。




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プロフィール

水野博友

Author:水野博友
気功家・ヒーラー・瞑想家
気功で人の病気や苦しみを癒すヒーラー

愛知県出身、早稲田大学商学部卒。
埼玉県さいたま市浦和区で気功治療院「水野気功療法院」を開業、肉体の病~精神の病まで日夜 気功の施術を行っている。遠隔気功の実績も豊富。
満月時は日本の山に籠り密教修行を行う、また2011年より定期的にインド・ヒマラヤ、インドネシアに渡り様々な聖者の指導を受けて霊性修行に励んでいる。

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