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先の記事では、野口晴哉が唱えた「風邪の効用」について解説しました。

 

➡ 天才治療家 野口晴哉が唱えた「風邪の効用」


 

これはネガティブに捉えられる風邪を、身体が健康になるための良い機会としてポジティブに活用していくというものでした。

 

私が実践している霊性修行においても同様の考えが伝わっています。

それは、「脱皮行」という思想です。

 

 

 

私の師は、約千年続く裏密教の法を継承しています。

私も、師からそのエッセンスを毎月の山ごもりの修行でご指導いただいています。

 

裏密教の話はそれだけでとても長くなりますので、今回はその内容は省きます。

 

「脱皮行」というのはその裏密教の思想です。

修行の段階が上がっていく過程で、ある時期に集中的な浄化の現象が起こるというものです。

 

その浄化は4日から7日間位続き、その時期は重度の風邪症状的な苦しみで動くこともままならない・・・という厳しい行です。

 

(参考)

➡ 落命必至!? 壮絶・生まれ変わりの行 


 

「脱皮行」は、蛇などの動物・虫が脱皮をして成長する様に、人間も脱皮をするというもの。

当然ながら、人間が皮を脱ぐことはないのですが、この脱皮というのはエネルギー的な意味の脱皮です。

 

肉体的には奥底に溜まった毒素や老廃物を強制的に排泄し、エネルギー的には抑圧したネガティブなエネルギー、家系に伝わる因縁などのネガティブなエネルギーなどを表面化し浄化する。

そして、これまでの周波数帯から次の周波数帯に上がっていく・・・この様なものです。

 

それを誘発するために、伝承の仙薬を服用します。

しかし、飲めば必ず脱皮が起こるというものではなく、神が必要な時期に必要な人にそれを起こすと考えられています。

 

「エネルギー当たり」という言葉がありますが、これは強い気(エネルギー)に当たると、好転反応で体調の具合が一時的に悪化するというものです。

「脱皮行」はそのキツイ表れ方という見方もできます。

 

とにかく、その「脱皮行」の時期を迎えると、苦しくて辛くて仕方がないという時間を過ごさなければなりません。

食べ物を食べることもできませんし、ただ横になってウンウンもだえ苦しみ、苦しみの中で意識朦朧となりながら時間が経つのを待つしかありません。

 

私も辛い脱皮行を何度か経験しましたが、意識が遠のく様な苦しさの中で過ごすのは望んでやりたいものではありません。

 

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そして、面白いのは、その脱皮が完了すると気(エネルギー)がこれまでと一変するのです。

気の出方や感じ方もそれまでと違って、ステージアップしたと自覚できます。

心身も軽く爽快になり、頭の働きも冴えてきます。

 

「脱皮行」は生まれ変わりの行と言われます。

死ぬ思いをして新たな生を得る・・・そんな辛いものが「脱皮行」で、水野氣功塾の「密教瞑想講座」でも奥伝以上の高等者がそれをやります。

 

赤ちゃんが子宮から参道を抜ける・・・死ぬ思いをしてやっとのことで出て来て安堵し「ほぎゃー」と泣く。

そんな感じが、生まれ変わりの「脱皮行」です。

 

 

 

 

修行者に起こる脱皮とは違いますが、病気に罹るというのも浄化であり、ある種の脱皮です。

インフルエンザやコロナウイルスでも同じです。

師は、「インフルエンザも浄化だ」と言います。

 

私もかつてインフルエンザに罹ったことがあります。

只、私は病院に行きませんので、症状の具合からインフルエンザと判断しているに過ぎませんが。

 

インフルエンザを薬も飲まずに、ひたすら寝て治す・・・私は風邪を経過する時その様に過ごします。

その時期はもう「遺書を書こうか」という位、辛いのです。

大袈裟な様に聞こえますが、男性は女性より弱いから、ちょっとのダメージで「もうダメ」となりがちです。

女性は痛みや苦しさによく耐えますが、それは出産という一大事に臨める身体に成っているためです。。

 

薬も飲まずにひたすら寝て風邪を「経過する」と、これが「脱皮行」をした後の様に心身が爽快になり、元気が溢れます。

気の出方も感じ方も一変します。

 

だから、いわゆる風邪に罹るというのは、実にありがたい機会だと思います。

生まれ変わったかの様に身体が軽く心身爽快で気持ちよくなるのですから。

 

これが何かの薬を飲んでしまえばそうはなりません。

例えば、インフルエンザの特効薬のタミフルは、細胞内で分裂・増殖したウイルスのDNAが細胞外に出ない様閉じ込めておく薬です。

つまりは閉じ込めてあるだけで治っていない・・・。

治ったと錯覚させているだけです。

 

 

 

ヒトは古来よりウイルスを取り込んで進化をしてきました。

ヒトのゲノム(遺伝子)総数の半分はウイルス由来のものです。

 

ウイルス由来のDNAは、ヒトの先祖がウイルスを取り込もうと闘病した跡であり、その積み重ねでウイルスを仲間にしてきました。

 

ウイルスを取り込んで様々な形質や機能を獲得し、ヒトは現在のところまで進化してきました。

一見、悪者に見えるウイルスも、取り込んでしまえば仲間になります。

 

マンガ「ドラゴンボール」では、様々な敵が現れてきますが、敵との死闘を経験するとやがてその敵は仲間になって、次なる強敵と闘う時に協力するというのが話のパターンです。

天津飯、ピッコロ、ベジータはみんな過去の敵でした。

ウイルスを仲間にして同化するというのは、この様なものだと言えます。

 

 

風邪を経過し、免疫を獲得するというのは、敵に見えるウイルスを味方にする作業です。

インフルエンザでも、新型コロナウイルスでもそうです。

それを自然に経過すれば、ある種の進化、変化が起こります。

 

新型コロナウイルスでも同じことが起こると思います。

新型コロナウイルスの場合は、なかなか検査をしてもらえないので正確にそれかはわかりませんが、新型コロナウイルスに罹ったと自覚した人は、それを自然に経過したところ、それまでのアレルギー症状がパタッと出なくなったと喜んでいました。

治ったと思ったらしばらくしてまたぶり返すことがあり、「なかなか抜けきらなかった」と言います。

 

また、意識の点でも変化があり、「山田花子」(例)という個体についている名前の「自己」が拡大し、地球(ガイア)を「自己」の一部として認識できる様になったと言います。

 

もし、これが新型コロナウイルスの果報だとすればスゴイことです。

皆が同様の成果があるとは限りませんが、新型コロナウイルスも他の風邪と同じく、自然に「経過」すればある種の変化や進化があるものと確信します。

 

 

 

 

「風邪を経過する」「脱皮する」ことにおいて、薬を飲むのはご法度です。

薬は風邪が経過する過程で起こる浄化を抑えてしまうためです。

薬を飲むか飲まないか、そこは自己責任で判断して行ってください。

 

自然界の脱皮でも、一定の割合で脱皮がうまくいかず、皮が脱げずに死ぬ個体があります。

脱皮は自然界の動物にとっても命懸けの行程です。

 

薬を飲まないからといって、インフルエンザや新型コロナウイルスに罹ることが、たいしたことないと舐めている訳ではありません。

病気の経過では、相当きつい思いをするのは避けられないでしょう。

下手すれば重症化するリスクもあります。

 

ウイルスを取り込んで進化をしていくのは簡単なことではありません。

「脱皮」できるかどうかは、自分自身の力、神仏の見えない加護を心底信頼しないとできません。

勇猛果敢な精神が備わっている必要があります。

私はそれを無理に勧めている訳ではありませんし、誰もができるものでもないと考えています。

 

「コロナに罹ってしまった」・・・

「どうしよう」「不安だ」「死ぬかもしれない」・・・

 

その様に恐怖の感情にとらわれている人は、免疫力が低下するでしょうから、治癒も難航し時間を要します。

 

 

しかし、ウイルスに罹って、

 

「ようやく待ちに待った浄化のチャンスが来た!」

「身体の悪い物を出し切るぞ」

「邪気を根こそぎ浄化して生まれ変わるぞ」

 

と、ポジティブに捉え、感謝と愛でウイルスを迎え入れることができれば・・・おそらく困る様な事態にはらならないでしょう。

短期間で経過し、同化した暁には何らかの果報があることでしょう。

 

マスコミが新型コロナウイルスの恐怖を煽っていますから、この様に「嬉し嬉し」の精神で病気を経過する人はまずいないはずです。

 

 

 

 

神典「日月神示」には下記の様な件があります。

その解釈は、ここで私が唱えた思想で読み解くこともできます。



 

富士の巻 04

「五六七(みろく)の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ、獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ、今度は万劫末代のことぞ」



 

「五六七(コロナ)の仕組」と書いて、「弥勒(みろく)の仕組」と読みます。

獣と臣民が二分されるのは、精神が恐怖や不安で一杯になる獣と、感謝と愛で歓び迎え入れることができる臣民に分かれるという意味にもとれます。

コロナを通して進化した人は、弥勒菩薩の境地に移る・・・それがコロナの仕組=弥勒の仕組である。





 

秋の巻 第1帖

「大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせてゐるのであるぞ。抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが。」



 

ウイルスが悪であり敵であるというのは、世の中の常識です。

しかし、それを愛で抱き受け容れることができれば、肉体も意識も進化して、不動の天国の境地に到達することができる。

それは大神様の境地であり、大歓喜、嬉し嬉しの境地である・・・と読むことができます。

 

 

 

新型コロナにわざと罹患する必要はありませんが、もし自身の症状が「これは!」と思えたら、「あぁ、ありがたいなぁ」という温かい気持ちで受け入れる様にしたら、ウイルスも歓んで同化してくれるものと思います。

 



 


2020_04_29


拝啓 時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、誠にありがとうございます。

さて、このたび弊社では、4月26日をもちまして店名を「水野気功療法院」に改称致しました。
これを機に新たな気持ちでより一層業務に邁進いたす所存でございます。

日頃の皆様のお引き立てに心から感謝申し上げますとともに、なにとぞ倍旧のご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。

敬具 


一、新店名 水野気功療法院
(旧店名 外気功療法さいたま院)
一、変更年月日 令和2年4月26日

※なお、所在地、電話番号等に変更はございません。

以上 





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風邪の効用


野口晴哉(のぐちはるちか、1911年~1976年)〔以下、敬称略〕は、野口整体の創始者であり、日本屈指の身体思想家です。
古今の東洋医学のメソッドを自分の整体法に取り入れ、気の流れを調整することで人間が潜在的に持つ自然治癒力を呼び覚ますという独自の整体法を確立しました。

野口晴哉の技術は、神憑り的で、超絶的だと伝わっています。
整体とは言っていますが、技術の核心は「愉気」という気功法でした。

有名人や政治家もたくさん通っていた様です。
西洋医学のお偉い医師たちも「大っぴらには言えないのだが・・・」とこっそり施術を受けていました。
ご存命でしたら私も一度施術を受けてみたかったです。

野口晴哉は15才の頃から療術の指導をする道場を設立した神童でありました。
他界してから既に50年近くになりますが、今でも療術の世界では神様の様に尊崇を集めている人です。

野口晴哉
野口晴哉

野口晴哉の有名な著書に「風邪の効用」があります。
今でも多くの西洋医学の医師たちは、風邪は「治す」ものと考え、症状が出なくなる様抑え込む治療をします。

私が子供の頃は、それでよく抗生物質を処方されていました。
私も子供の頃はよく風邪を引いて、その薬を飲んでしまいましたので、未だにその悪影響が残存しています。
アレルギー症状に悩む人の原因はだいたいこの薬です。


西洋医学の医師たちは風邪の治療を「抑え込む」「闘う」「根絶する」など、病気と対立する概念で応対するため、症状を抑え込む反動が違う症状として現れてしまうのです。
一方、野口晴哉は風邪を「経過する」という表現を用いました。


「経過する」風邪は、真逆の考え方です。
風邪を通して、身体を良くしていく。
人が持つ本来の自然治癒力が、風邪を通して身体の毒素を排泄し、歪みを整え、健全な状態に戻していくという様に考えます。



「癌になる人とか脳溢血になる人とかいうのを丁寧に見ると皆、共通して風邪も引かないという人が多い。 長生きしているしている人を見ると、絶えず風邪を引いたり、 寒くなると急に鼻水が出るというような、いわゆる病み抜いたという人である。」 

「だからいろいろな病気を治す方法よりは、風邪を上手に経過する生活法と云いますか、それを会得しておけば、癌になるとか、脳溢血になるとか、そういう麻痺した体も正すことが出来る。 従ってそういうような病気にならないで済む。」



と、この様に風邪を整体のために積極的に活用するのです。


鼻水が出る、咳が出る、頭痛がする、下痢をする・・・などの多様な風邪症状は、身体の老廃物・毒素を排泄しようとする働きで、内在の力の発露とも言えるものです。

風邪を通して毒素を出し切ってしまえば、身体はスッキリし、元気になります。
毒素の排泄をせずに、症状を薬で抑え込んでしまえば、いつまでも風邪が身体に籠ってしまってスッキリしない状態が続きます。

また、一つの症状を抑え込むことに成功しても、身体は違う経路からそれを排出しようと働きますので、また別の症状が現れて来るということになります。
風邪をぶり返すとか、風邪をこじらすというのは、この様な状態のことをいいます。


西洋医学の薬で風邪を治した場合、症状がなくなれば治ったと患者は判断します。
しかし、厳密に見れば、とりあえず症状はなくなったけれど本当に身体が元気に回復したとは言えません。

自然に風邪を経過すれば、身体は風邪を引く前の状態よりも、更にレベルアップし一層元気になります。
この点は大きな違いと言えます。



野口晴哉は、



「上手に風邪を引くと古い病気がいろいろと治ります。 私は昔、喘息を治すのに迷走神経を調整したりいろいろな事をやって骨を折りましたが、 近頃は風邪を引くのを待っている。 (中略)リウマチなどでも風邪を引きさえすれば治る。」

「風邪を途中で中断してしまうような事ばかり繰り返しているのだから、いつまでも体が丈夫にならないのは当然である。」



と、言います。
風邪を引くと、これまでの持病が治ったり、一層身体が丈夫になったりするメリットがあると積極的に捉え受け容れるのです。

発熱して、ウンウン唸って、汗をかいたり、鼻水を出したり、下痢をしたりすれば、当然苦しいものですが、それは身体の奥に潜んでいた毒素を出そうとする好ましい反応です。
溜め込んだ毒を出すのですから苦しいのは当然と言えるでしょう。

風邪を「経過する」ことにおいて、重要なことは薬を用いないということです。
西洋の薬は症状を抑え込んでしまいますので、身体が本来の健全な状態に戻ろうとする力を削いでしまいます。

薬を使わず寝て治す、ということが重要です。
薬を使わず寝て治すことが、病を「経過する」という意味です。
それには、病気を治す力は自らの中にあると、自身の治癒力に全幅の信頼を置かなければなりません。




病気にどう対峙するか・・・それはその人の思想が現れるところです。
それまでの生き方・人生の結集であり、精神性の発露でもあります。

私は常々、「病気と闘ってはいけない」と伝えてきました。
よくお医者さんは「ご一緒に病気と闘いましょう」と優しく(?)言ってくれます。

病気とは何でしょうか?
「病気と闘う」に込められた病気の意味とは何でしょうか?

あたかも病気が外から入って来て、何か病気になった人が一方的に被害者であるかの様な表現です。
交通事故で言えば、0対100で、私は全然悪くない・・・そんなニュアンスに取れます。
病気になった人には原因がなかったのでしょうか?


私は、その様なことではないと考えています。

病気とどう向かい合うか・・・

敵とみなし一方的に強力に抑え込むのか。
それとも、それまでの人生を清算をする機会とありがたく積極的に捉え、自然に経過するのか。




現在の新型コロナウイルスの騒動も同じです。

「コロナに罹ったら嫌だ!」
「コロナは怖い、大変だ!」

と世間全体が怖い怖い病になり恐怖感が蔓延しています。

「少しでもウイルスが付着したらとんでもないことになってしまう・・・」と多くの人が必要以上に怯え暮らしている様に見えるのは、私だけでしょうか?

ウイルスが蔓延する同じ空間にいても、ウイルスが移る人と移らない人がいます。
過去の世界的パンデミックでも、大量に人が罹患し亡くなる中、なぜか発病しない人が一定の割合で存在しました。
その様な病気に罹らない人は、「神の隠し子」と言われ不思議な存在として見られてきました。

病気が移るのは、移る要因をその人が持っているためです。
ウイルスが発動する何かの問題がその人の中にあるから病気になるのです。

新型コロナウイルスに対峙する時も同じくその人の生き様や思想が現れます。
野口晴哉は、今の世の中をどの様に見ているのでしょうか?

「みんな細心の注意を払って、何としても感染しない様気を付けよう!」

と、言っているでしょうか?

それとも、

「身体を整体する良い機会が訪れた。この機会をありがたく有効に活用したらよい」

と、世間とは真逆に考えているでしょうか?

偉大な治療家の言を私ごときが代弁することはできません。
その答えは皆さんのご想像にお任せします。

私の想像では、大好きなクラシックを聴きながら世間の大騒動を冷ややかに眺めている様に思えます。


  





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ヒトの身体は約60兆の細胞から構成されています。
それだけではなく、目に見えない100兆以上もの微生物(ウイルス・細菌)が共存しています。
細胞の全総数よりも、微生物の数の方が圧倒的に多いのです。
人は微生物と共に一つの「人体」という生態系を形成しています。

私たちの身体そのものが1つの生態系。
生命力溢れる豊かな生態系の人もいます。
一方、環境破壊が進んだバランスの悪い生態系の人もいます。
そして、生態系のバランスが崩れてくると病気が発生します。



面白いことに、地球と人間は非常に多くの共通点があります。

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地球には万物を育む海があります。
海には海流があり、地球全体を巡っています。
陸上の大部分は植物が覆い、森を作っています。
そして、そこには無数の動物・虫たちが生息しています。
地球にはN極・S極というという磁場(エネルギーフィールド)があります。
磁場は太陽風など外部のエネルギーから地球を守る役割をしています。

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これらが地球の生態系です。

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一方の人間の生態系はどのようなものでしょうか?
地球と照らし合わせてみていきましょう。

人間は、体内を血液が流れています。
血液の塩分濃度は太古の海水と同じです。

人間の皮膚は、地球の陸です。
皮膚は約1兆もの細菌に覆われ、常在菌によるコロニーが作られています。
そして、そこには無数のウイルスが生息しています。
皮膚上に形成された常在菌のコロニーという森に、ウイルスという生き物が無数に棲んでいます。

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地球に磁場がある様に、人間には気場(エネルギーフィールド)があります。
N極が7番チャクラ(サハスラーラ・チャクラ)で、S極が1番チャクラ(ムーラーダーラ・チャクラ)です。
この気場(エネルギーフィールド)が外部の有害なエネルギーから守ってくれています。

これが人間の生態系です。



人体は小宇宙です。
秘伝の書・エメラルドタブレットに書いてある如く、「上なる如く、下もまた然り」なのです。



そして、もう一つ重要なことをお伝えしましょう。
人間が1つの意識体である様に、地球も一つの意識体です。
意識を持っている存在で、ガイアと呼ばれます。
地球は土くれの塊ではありません。
宇宙と共に成長を志向する一つの意識体なのです。



ヒトは無数の腸内細菌と共に生きています。
腸内細菌叢には善玉菌もあれば、悪玉菌もいます。どっちつかずの日和見菌(ひよりみきん)もいます。
ヒトは、それら腸内細菌の意思を感じ取って、自らの意思として思考・行動しています。


ヒトと腸内細菌の関係は、そのまま地球と人間との関係に当てはまります。
人間は地球にとっての腸内細菌の様なものです。
人間の集合意識は、地球の意識と交感しています。

宇宙はこの様な相似関係(フラクタル)を持っています。
更に追求すれば違う分野でも同じ様な関係性が見出せるでしょう。


私たちは生活の中で発酵食品をとったり、ヤクルトなど乳酸菌飲料を飲んだりして、腸内細菌叢を良くしようと努めます。
それが健康の重要なキーであることを知っているからです。
善玉菌を強くし、悪玉菌を弱くしたいと考えます。
和食は、味噌・醤油・ぬか漬け・納豆など発酵食品が多く、腸内細菌叢を良好に保ちます。

私たち人間は、地球にとっての腸内細菌の様なものだとしたら、今の人類は地球にとってどのような存在でしょうか?
善玉菌でしょうか?
悪玉菌でしょうか?

人間は、空気を汚し、海を汚し、森を破壊し、森に棲む生物を殺し・・・地球環境そのものを破壊しようかという勢いです。
人間は未熟であるため、自分の欲求を優先し、欲望のままに行動します。
欲が尽きることがなく、物が豊かになっても、お金持ちになっても、「もっと欲しい、もっとくれ」とがめつく求めます。
どこまで行っても欲求が尽きることがありません。

ライオンなどの肉食毒物ですら、自分らが食べる分以上の殺傷はしません。
どちらの方が高等な生き物なのでしょう?



一部の人達は魂を磨き、成長発展し神に近づきたいと志向します。
そのためにするのが霊性修行です。

地球もヒトと同じ様に、宇宙の進化発展に合わせて成長を志向しています。

地球の意思を想像してみましょう。
今の人類は地球にとってありがたい存在でしょうか?
それとも迷惑で邪魔な存在でしょうか?

もし、後者であったとしたら・・・
地球は人間にいてほしいと望むでしょうか?

「もう悪玉菌はホント邪魔だからいてほしくないよ」・・・そう思っているかもしれません。

選民思想は好きではないけれど、私たち人間が良好な腸内細菌叢を望む様に、地球も意識の高い人間(善玉菌)とそうでない人間(悪玉菌)を間引きするかもしれません。

神典「日月神示」では、大峠を生き残るために再三にわたり「メグリ(=業)を落とせ」と警告が発せられています。


現在、地球の意思なのかと思わせる様な、異常気象、天変地異、そして異常なウイルスによるパンデミックが起こっています。

そして、皮肉なことに新型コロナウイルスのパンデミックが世界を覆い、人類の経済活動が落ちていけば行く程、地球は本来の美しさを取り戻し、輝きを増しています。

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これまで見て来た様に、私たちヒトは微生物の総体であり、ウイルスのDNAを取り込んで進化をしてきました。



それは、私たちが日常使う言葉の中にも表れています。

例えば、日本語では「風邪をひく」といいます。
英語では、「catch a cold」(風邪を掴む、つかまえる)といいます。

どちらの表現も、能動的に風邪になるという意味になっています。
受動的な姿勢であれば、「風邪に憑かれた」「風邪に入られた」という様な受動的な言葉になっているはずです。

これから分かる様に、ヒトは能動的に風邪状態になるのです。
能動的に、自らの選択で、細菌やウイルスを取り込んでいるのです。


「そんなバカな!だって私は風邪になりたいと思ったことはないです。」

と、思う人も少なくないでしょう。


そもそも「私」が選択する、その「私」ということについても話せば長くなりますので詳細は別の機会にしますが、「私」という意識には「山田花子」という様な、名前が付いている個のみならず、もう少し深いレベルの個、共有する意識、集合意識というものがあります。

「私」と考えている部分には、もう少し深い人種や人類の共通意識というものが根っこにあって、それが意思決定や選択に影響を与えています。

名前がついている自分という個体の「私」は、ウイルスに感染したくはないでしょう。
誰だって苦しい思いはしたくないし、下手すれば死んでしまう様な状態になりたくはありません。

しかし、人類の共通意識、種の意識レベルでは、進化向上を志向しています。

「ここはひとつウイルスの力を取り込んででも進化をした方が得策だ」

と、判断している可能性もあります。

この種の意識というものは、多少の損失が生じても、一部が進化を獲得できた方が成功だと考えます。
つまり、たくさんの人がウイルスに感染して死のうが、極一部の人がそのウイルスの力や特質を獲得し進化を達成できれば、そこからまた子孫が増えますので、成功ということになるのです。


歴史上、時々発生するパンデミックは、その意味で人類全体が進化するための試練と言えます。
蔓延するウイルスの特質を獲得できるかという、ヒトにとっては厳しい進化のステージアップの時期なのです。
もう少しわかりやすく言うと、人類全体のバージョンアップ、アセンションということになるでしょう。

スマホやWindowsがバージョンアップする様に、人類もバージョンアップ、アップグレードします。
それはウイルスの力を借りてする共同作業です。
つまり、新型コロナウイルスのパンデミックは、「人類のWindowsアップデート」ということになるのです。


新型コロナウイルスも罹患して自然に経過すればある進化が起こると考えています。
具体的にそれは何なのか・・・その点は18日土曜日のサットサンガ(真理の集い)でまずはお話するつもりです。



今の国のパンデミック対策は、死者数が1人でも少なくなる様に・・・ということを目的に施行されます。
それは社会常識からすれば当然でしょう。
そのため、いかにウイルスに触れないかという点に力を置いて、手を洗いましょうとか、人ごみをさけましょうとか、その様な取り組みをします。

私は個人的にはそれは間違っていると思います。
間違っているというか、意識が低い対応だと思っています。



パンデミックの歴史を振り返ると、エボラウイルスの様な致死率の高いものは封じ込めが可能ですが、感染力が強く致死率が低いものは封じ込めができません。

ほとんどすべての人類が感染し、免疫を獲得できた時に、ウイルスの力が弱まって自然に終息します。

または、ワクチンや特効薬が開発されて、それでウイルスを抑え込んでいくということになります。
しかし、そこで使われる薬は、例えば既存薬の「アビガン」が候補として挙げられますが、それは「劇薬」指定なので、人体への負担(副作用)は付いて回ることになるでしょう。

ウイルスは抑え込むと、弱体化しませんので、脅威は残って継続します。
しかも、ウイルスは常に変異しますので、薬で解決しようとしたらいつまでたってもいたちごっこになります。



ウイルスと人間の本来の関係性という点を踏まえても、ヒトがウイルスに感染することが必要ですし、それが進化につながります。

感染しても発病しない人もたくさんいることでしょう。
それはそれで良いのです。

だから、新型コロナウイルスにどう向き合うかということでいえば、速やかに感染して、軽度に経過する。
これが重要だと思います。
そして、早く免疫を獲得するのです。


今は、いかにウイルスに触れないか、近寄らないかということばかり力を入れていますが、軽度に経過するために、免疫力をいかに高めるかという点に社会は力を入れるべきでしょう。


ウイルスはほとんどの人類が感染すれば、自然に力を失い、ヒトと共生する穏やかなウイルスに変異していきます。
それはウイルスが目的を達成したから当たり前の結末なのです。

「怖い怖い」とマスコミは恐怖をあおり、ウイルスを避けてばかりいては一体いつ終息することになるのかわかりません。

新型コロナウイルスに限らず病気への対応は、その人の思想や人生観が如実に表れるところです。
私の考え方は社会常識と正反対でありますので、「本当はそうじゃないのに・・・」と、私は歯噛みする思いで社会を眺めています。






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2020年4月 ご神木プージャの炎


こんにちは。

 

411日(土)22時~約40分間恒例のご神木プージャを執り行いました。

コロナウイルス禍の最中、今回もたくさんの方々にご参加いただきありがとうございました。

師匠共々厚くお礼申し上げます。

 

 

 

 

それにしても、人がいない・・・

 

羽田空港、九州の空港もガラガラ。

空港はお客よりスタッフの人数の方が多い状況・・・

 

空港内の飲食店も休業していて、たまに営業している店も利用者は私だけ。

 

空港からのバスも私一人。

いつもは空港行きの乗客でごったがえしているバスセンターも私一人。


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往路 羽田空港 平日午前の風景

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往路 羽田空港 平日午前の風景


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往路 九州の空港 平日午後の風景

 

「こんな時期に動いている私は、一体・・・?」

「自粛していないから、自分は悪い人なのだろうか?」

 

私は新型コロナウイルス・パンデミックについては思うところが明確にあり、信念を持って行動しています。

また、師匠と一緒に何としてもご神木プージャを務めあげねばなりません。

 

 

 

しかし、それにしても飲食店でも飛行機の機内でもすごく感謝されます。

 

「ご利用いただきありがとうございます。」

「またのお越しをお待ちしています。」

 

この一言の重みが全然違います。

涙目の人もいて、ものすごく感謝されている気持ちが伝わってきます。

 

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復路 羽田空港 日曜日の午後の風景

 

 

世界中に恐怖と自粛の嵐が吹き荒れています。

 

修行場がある山の麓の街は有名な温泉観光地で、中国・韓国からの観光客も多く、いつもは半分くらい外国人で賑わっています。

しかし、その観光地も外国人・日本人の観光客はほぼ皆無でした。

志村けんが亡くなってから、パタッと人が来なくなったそうです。

 

しかも、この修行期間中にその観光地で新型コロナの第1号患者が出て、そのニュースが地元民をパニックに陥れました。

人のいない街・・・これが旅館・ホテルなど観光業にどれだけの壊滅的な影響を与えるかと思うと戦慄を覚えます。

 

 

 

 

今月の修行に参加した人も随分と少なかったです。

参加した人の中にも、「コロナウイルス怖い」という思いを抱いている人が多かったです。

冷静に考えて何が怖いのでしょう?

修行をしている人の中でさえも考え方の相違があります。

 

(参考)

➡ 世の中全体が「怖い怖い病」

 

 

 

感染症の歴史を調べてみるわかりますが、今回の新型コロナウイルスは封じ込めることができないと思います。

感染力が低く、致死率が高い感染症は封じ込めることができます。

なぜなら、感染するとあっという間に死んでしまって遠くに拡がらないからです。

 

しかし、新型コロナウイルスは感染力が強く、致死率が低い。

しかも感染してから発病するまでの期間が長い。

この手の感染症は、キャリアであることを知らずに行動してしまうため、あっという間に拡がってしまいます。

出歩かない様にという対策では歯止めが効かないのです。

新型コロナウイルスの様な感染症は、人類の大部分が感染し免疫を獲得すると、徐々に力を失い終息するのです。

 

終息すると言っても、根絶するという形ではなく、インフルエンザの様に季節病として付き合っていく様になります。

 

だから自粛すればするだけ長期化するでしょう。

そして、経済的な影響が益々甚大になります。

 

これが1つ目のパターン。

 

もう一つは、ワクチンや特効薬が開発され、それによって収束するという結末です。

アビガンという既存薬が特効薬になるらしいですが、政治的な思惑(?)で動きが遅い様に思えてなりません。

これも時間がかかるでしょう。

 

 

 

「どうしたら罹患しないか?」という発想で外出自粛するのは、正しい対処法とは思えません。

かかってもほとんどの人は軽症で済む病気ですから、さっさとかかって免疫を獲得した方がよいのです。

本当に気を付けなければならないのは、重症化する可能性が高い他の病気を抱える人や既往症がある人です。

 

猫も杓子も同じパターンで行動しては、経済がストップし、そのダメージから来る2次災害が大きくなります。

これからはうつや不安症などの精神的な病の人、自殺者がうなぎ登りに増えていくことでしょう。

 

先のブログでも書きましたが、恐慌から戦争への道を歩んでいるのではないかと危惧しています。

予想が外れてくれるのを祈るばかりです。

 

 

 

今回は、ご神木の願意に「新型コロナウイルスの終息」を祈願する人が目立ちました。

私も貯金を切り崩しながらの生活に入りましたが、もっともっと厳しい状況に陥って経済的な不安と恐怖に苛まれている人たちのことを思うと、胸が痛みます。

 

私も一生懸命お祈りさせていただきました。

皆さまの願意が今回のプージャ(ご祈祷)で叶うことをお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

以下、ギフトと次回のプージャのご案内です。

 


 

 

最近は、Twitterで正確な開始時間を告知しているため、その時間に合わせて瞑想やお祈りをされている人が増えてきている様です。

22時からの開始に合わせて一緒にお祈りをしてくださった方は、シヴァのマントラ(オーム・ナ・マ・シヴァ・ヤ)を唱えていたことと思います。

 

➡ 水野博友Twitter

 

そして、気に敏感な方は「凄いエネルギーが来ている!」「プージャが終わった頃、身体が軽くなる!」と嬉しいご感想をメールで寄せてくれる人も少なくありません。

 

プージャのエネルギーを感じることができたら、プージャに参加している実感がより高まるから喜ばしいことではありますが、感じる感じないは気(エネルギー)への感度の個人差があるため気にする必要はありません。

 

肝心なのは、プージャに参加し共に神仏にご祈願することで、お悩みの問題となっているカルマ(業/因縁/メグリ)のエネルギーが浄化され、願意到達に着実に近づいているということです。

 

 

 

 

また、今回も参加者の皆様に師匠より特別のギフトを預かりました。

 

今回も、「龍眼菩提樹」のお守りをいただきました。

今回、龍眼菩提樹の恩恵に授かった人は幸運だと思います!

 

龍眼菩提樹は、菩提樹の突然変異でできた大変珍しい実です。

実に35個の穴があり、そこに龍が棲むという言い伝えがあります。

 

その恩恵は、次の通りです。

 

l  無量の福、最勝の益を得る。

l  浄化・平静・調和・寛容・高い意思に導く

 

 

 

このルドラクシャは、今回のプージャでプリースト(司祭)の師匠が神のエネルギーを封入しています。

形は小さいものですが、ご神像と思い大切にご活用いただければ幸いです。

 

 

ルドラクシャは、菩提樹の木の実で、神の雫(しずく)とも言われます。

菩提樹といえば仏陀がその木の下で悟りを啓いたことで有名です。

菩提樹の名前は、菩提がゴータマ・ブッダの別名であったボーディ (Bhodhi) から来ています。

つまり、「菩提樹」は「ブッダの木」を意味しています。

 

インドの聖者や修行者は、首からルドラクシャのネックレス(ジャパマーラ)を下げています。

私も気功治療の際にいつも首から下げていますから、ご存知の方も多いことでしょう。(右のプロフィールの写真をご覧ください)

 

 

また、ルドラクシャは、水や水晶と並んで気(エネルギー)を蓄えやすい性質があります。

インドの聖者は、瞑想の際にこのルドラクシャのネックレス(=ジャパマーラ)を指でくくってマントラ(真言)を唱える修行をします。

修行を重ねるにつれ、ジャパマーラにマントラのエネルギーが充填され、ジャパマーラは益々強いエネルギーになっていきます。

そのため、聖者の修行レベルを計るには、その人自身とジャパマーラのエネルギーを見れば容易に判定がつく訳です。

 

 

ルドラクシャをお渡しする際に秘伝の「龍のオイル」を拭き取らずそのままお渡ししています。

そのためルドラクシャはオイルが付いている状態です。

お手数ではありますが、ご自身で「龍のオイル」を布で拭き取ってヒーリングスティックなどの法具や大切なアクセサリーに塗って浄化・パワーアップに活用してみてください。

 

そして、目に見えない不思議なご縁(神縁)があって手に入ったものですのですので、ルドラクシャをたかが飾りと思わず永く大切にして頂けたら嬉しく思います。

 

 

 

また、このルドラクシャを手に持って瞑想をすればパワー(神気)を頂けます。

また痛みや症状があるところに直接当てても良いでしょう。

 

その際は、シヴァ神のマントラを唱えてみてください。

 

シヴァ神のマントラは、

 

オーム ナ マ シヴァ ヤ

 

です。

これを幾度も繰り返し心で唱えます。

 

 

また、何かお祈りをする時やシヴァ神のご加護を得たい場合は、ルドラクシャを右手に握り「オーム・ナ・マ・シヴァ・ヤ」と唱えてください。

 

シヴァ神について、詳しくお知りになりたい方はこちらをご覧ください。


Siva1.jpg 

シヴァリンガム(シヴァ神のご神像) 

➡ シヴァ神

 

 

 

今回ご神木プージャをお申込み頂いた方には漏れなく進呈します。

当院に通院中の方・講座受講中の方には直接お渡しし、そうでない方には後日発送させて頂きます。

もし、前回のプージャのギフトが届いていない場合はご連絡ください。

 

今回は、師よりギフトがありましたが、次回はあるかどうかはわかりません。

あるかもしれないし、ないかもしれません。

ご神木プージャはギフトがあるかないかの損得勘定でやるものではなく、信仰心の発露によって参加するものですので、お気持ちが高まりましたらどうぞご参加ください。

 


 

 

 

さて、次回のご神木プージャは、

 

59日(土)の夜(22時頃)

 

開催します。

 (ご神木の締め切りは、55日火曜日です。)

※締め切りを過ぎて到着したご神木は次月に回させていただきます。こちらから特に連絡は差し上げませんので、ゆとりをもってお届け願います。

 

自分の願いの成就を後押ししてほしい方は、下記のページ中にある。「ご神木プージャお申込みフォーム」に必要事項を入力し送信してください。

ご神木プージャは11000円以上のご喜捨(お布施)で承っています。

 

 

➡ 「願いを叶えるファイヤープージャ」

 

 

たくさんの方のご参加をお待ちしております。

 

 

 

 



2020_04_12


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DNA


ヒトは存在そのものが細菌・ウイルスの集合体、微生物の塊です。

そして、身体の消化・代謝や免疫に関係するたくさんの機能を、微生物にアウトソーシングしています。

 

2003年にヒトノゲム(遺伝子情報)がすべて解読されました。

遺伝子情報というのはDNAで人間の設計図です。

これを解読できれば、病気の原因などもすべてわかるようになるだろうと期待されていました。

 

しかし、実際は予想に反し、そうはなりませんでした。

 

なぜでしょうか?

 

ヒトノゲムが解読されて、ヒトの遺伝子の総数は21000個あることが判明しました。

この数字、多いのか?少ないのか?

 

これはとても少ない数なのです。

小さい小さいミジンコでも31000個の遺伝子があります。

そして、植物の稲はヒトの約2倍の遺伝子を持っています。

 

ヒトの遺伝子数はミジンコ以下。

ヒトは身体が大きく、知能も高く、万物の霊長という割にDNAはとても少なかったのです。

 

そして、わかったことは、ヒトは100兆を超えるヒト常在細菌叢〔ヒューマンマイクロバイオータ〕と共生しており、その細菌叢の遺伝子の総数が440万にも上るということです。

 

つまり、ヒトの遺伝子の総数が21000、共生するヒト常在細菌叢〔ヒューマンマイクロバイオータ〕の遺伝子の総数が4400000

遺伝子の数で比べれば、わたし達のヒトの部分は0.5%過ぎません。

遺伝子的に言えば、わたし達は少なくとも 99%は微生物なのです。

 

これから分かることは、ヒトは遺伝子の数は少ないけれど、免疫や代謝などの機能の大部分をヒト常在細菌叢〔ヒューマンマイクロバイオータ〕に委託し、彼らの力を借りて生きているということです。

 

わたし達はほとんどヒトではなく、ヒト常在細菌叢〔ヒューマンマイクロバイオータ〕の容器だったとみることもできます。

 

ヒトの身体はからっぽ、だから「からだ(空だ)」というのかもしれません。

 

 

 

 

ここまでは細菌の話です。

さらにウイルスは細菌の数よりも多く存在します。

 

ウイルスは増殖する時、ヒトの細胞に自身のDNAを注入し、DNAを攪拌し、コピーを増やして増殖します。

ウイルスはそれ自身が細胞分裂する様にできていません。

そのため、宿主(しゅくしゅ)の細胞に取り込み、その細胞の力を使うのです。

 

人類は大昔から非常に多くの種類のウイルスに感染してきました。

それで、無数の人が命を落としました。

その一方で、免疫を獲得した一部の人たちが生き残りました。

今、私たちを含め生きている人は、かつてそうして生き残ってきた先祖の末裔ということになります。

 

 

ここで重要なのが、人類はウイルスと共に進化してきたということです。

 

感染をする中で、ヒトはウイルスのDNAを自らの身体に取り込み、進化をしてきたのです。

 

進化のことでいえば、ダーウィンの進化論が有名です。

ダーウィンの進化論では、環境に適応できたものが生き残ったと言われています。

生物は形状や機能を変化・向上させて進化していますが、その進化という部分では細胞分裂のミスコピーという偶然が重なって種の進化がなされたと考えられてきました。

 

しかし、近年それは間違っていたことがはっきりしました。

種の進化はDNAのミスコピーの連続で進んできたものではなく、ウイルスのDNAを取り込んで機能を高め進化してきたということがわかったのです。

 

つまり、すべての生物はウイルスの力を借りて種の進化をしてきたのです。

 

 

 

ヒトのDNAをすべて解析した結果、約半分はウイルス由来のDNAでした。

私たちの身体の半分はウイルスから来ているものです。

 

たくさんの機能がウイルスのお陰で獲得できました。

例えば、哺乳類は胎生をしますが、子宮の中で胎児を育て大きく成長してから出産をするという機能はウイルスのDNAを取り込むことで獲得したものです。

 

そして、ウイルスの力を借りて進化をするということは現在も進行中です。


 

「ウイルスは悪者」「ウイルスは敵だ」「殺菌しろ、殺せ!」というのが社会の共通認識です。

しかし、ほとんどのウイルスは敵ではありません。

私たちを有害な外敵から守り、進化を促す有力なパートナーです。

 

「ウイルスは悪者」「ウイルスは敵だ」「殺菌しろ、殺せ!」「ウイルスに勝つ」という意識が社会全体に蔓延していますが、その意識で対応して果たしてそれで良いのでしょうか?

 




2020_04_10




47日は、ちょうど75年前に戦艦大和が沈んだ日です。

 

戦艦大和は、大日本帝国が国の威信をかけて建造した最大最強の戦艦です。

生きて帰れることはないと知りながら、沖縄、そして日本を護るために出航しました。

戦艦による事実上の「特攻」でありました。

結果、私たちの祖父たち3056名が沖縄の海に散華しました。

 

今、奇しくも戦後最大の国難(80名死亡・47日現在)を迎えていますが、当時300万人が命を落とした大東亜戦争という当時の国難を振り返ってみるのも良いかもしれません。

 

5年前に書いた記事ですが、よかったらご覧ください。

 

➡ 現代の日本人へのメッセージ 戦艦大和が示した愛と誇り




日本人は強いのだ




2020_04_08


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ヒトは身体に何兆もの細菌・ウイルスを棲みつかせ、それらと共同で人体を運営しています。

 

「ただ寄生虫みたいに付いているだけではないの?」

「えっ、不潔だから付いてるんじゃないの?」

 

 

違います。

 

ヒトはウイルスや細菌と共同で人体を生かしています。

それは、本当にたくさんの働きがあります。

 

 

例えば、腸では微生物がヒトに必要な栄養素を合成し、それをヒトは腸壁から吸収しています。

腸内で栄養素が作られているということに驚いた方もいるでしょう。

ヒトは栄養を経口摂取の食べ物だけから摂っているものではありません。

腸内細菌叢で栄養素が作られるのです。

 

ニワトリにカルシウムの含まれていない餌を与えていても、卵を産み続けます。

生物が栄養素を経口摂取の食べ物からだけ摂取していると考えると、合点が行きません。

それはなぜかというと、ニワトリの腸内細菌がカリウムという元素をカルシウムに元素転換しているために、卵を産むのができるのです。

 

だから、少食(中には不食も!)の人でも健康に生きていられるのです。(腸内細菌叢が良好であればですが)

つまり、現代の栄養学は経口摂取の栄養分しかみていないので、その点で欠陥があります。

 

 

また、体質を決定しているのも微生物の働きです。

太っているか、痩せているか・・・女性は特に気になるところでしょう。

それを決めているのも腸内細菌です。

 

「あの人はあんなにたくさん食べているのに、なんでスマートなのかしら?私は食べたいものも我慢しているのに・・・」

 

と、女性の恨み節が聞こえて来そうですが、体型を決めるのは腸内細菌叢の構成によります

細菌学の先進分野では、「肥満は感染症の可能性がある」と考えている専門家もいます!

つまり、肥満を決定づける腸内細菌叢になると太ってしまうということなのです。

 

体質だけではなく、性格を決定しているのも微生物であると言われています。

陽気な性格、暗い性格。

内向的な性格、社交的な性格。

それも腸内細菌叢の構成が大きく影響しています。

 

そして男女の異性の好み・・・それすらも腸内細菌の指令によって行われているのです。

信じられない話ですが、好きなタイプの異性というのは、腸内細菌叢が自分たちにない細菌群を持つ異性を選択させます。

 

腸内細菌叢が「あの細菌群を取り込みたい」と思うと、脳に指令を出してその人に恋をさせてしまう・・・この様な仕組みです。

 

そして、セックスの時、キスしたり、舐めたりして体液を吸うのは、皮膚や粘膜に付着している細菌群を交換するためであります。

 

つまり、自分(?)の意思で好きな相手を選んでいたと思っていたのは、腸内細菌からの指示でそう思わされ行動していたというのが本当のようです。

 

「あたしの彼はブサイクで、性格もイマイチなのに、どうしてか好きなのよね・・・」

 

と、理屈でなく男に惚れてしまうのは、腸内細菌に動かされているだけかもしれません。

それを聞くと、ときめくロマンスも味気なく思え、がっかりしてしまいます。

 

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この様に、ヒトは微生物と共生し、一つのチームとして動いています。

そして、人が主で、微生物が従、と考えられていたのは、実は逆で、微生物が主で、人が従であったのです。

 

そうなると、「自分」というものは一体何なのでしょう?

自分の意思がどこから出て来て、どの様に選択・決定されるのか?

人間というのは不思議で謎が多い存在です。

まだまだわかっていないことがたくさんあります。

また、一般常識として認識されていることが実は間違っていたということも少なくありません。

 

その様なことに関心がありましたら、霊性修行に取り組んでみてください。


自分とは何か?

神とは何か?

 

その様なテーマを体験から答えを見出していくのが霊性修行です。

私の主宰する「水野氣功塾」では「密教瞑想講座」で学べます。

 

➡ 「密教瞑想講座」

 

 


2020_04_07


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新型コロナウイルスのパンデミックで戦々恐々としている方が多いです。
テレビもSNSも「怖い怖い」が一杯で、恐怖が世界を覆っています。

「ウイルスが怖い」
「ウイルスをとにかく殺菌して!」
「私にウイルスが付くなんて嫌!!」
「ウイルス、あっちに行って!!!」
「汚物は消毒だ~!!」

汚物は消毒
結局この方はケンシロウに「お前の言う通りだ。汚物は消毒すべきだな」
と自分が消毒されてしまいました💦今の人類を見ているかの様です。

人類の意識は今だいたいこんな感じです。
そこら中に消毒液が置いてあって、「消毒してください」と書いてあります。
そうすれば新型コロナウイルスは殺せると思っているのでしょう。

新型コロナウイルスは感染力がとても強いので、そのような小手先の対処法ではどうにもなりません。
マスクは拡散防止にはなると言われますが、果たしてどうか??

残念ながら、多分気休めレベルなのでは・・・



新型コロナウイルスに対峙するためには、ウイルスに対する正しい情報を持たなければなりません。
マスコミは国民をある方向に誘導しようとする傾向がありますから、自分の頭で考えることが大事です。

「ウイルスは怖い!!」と考えている人、その様な方に安心してもらえる様に、ウイルスがどのような存在であるのか一緒に考えてみましょう。



ウイルスは一言で言うと、そこら中に無数に存在しています。
人体にも数えきれない位のウイルスが付着しています。

現代は除菌・殺菌のブームで、CMでもファブリーズなどなんでもかんでも生活空間を除菌するのが衛生的で良いという考えを広めています。
しかし、ウイルスは無数に遍在していますので、殺菌してどうにかなるものではありません。


人体の細胞は、60兆であると言われます。(最新の研究では37兆という説もある)
全身、それも内臓も全部含めてざっとそれだけの数です。

しかし、それ以上に人体の皮膚や臓器に付いているのが、細菌(バクテリア)です。
腸内細菌とか腸内細菌叢(そう)という言葉を聞いたことがあるでしょう。
腸の中にも、また皮膚の表面にも無数の細菌群が生息しています。

その数、約100兆。
全身の細胞の数よりも多いのです。

細菌は、身体中に付着してコロニーを形成しています。
というか、皮膚は細菌のベールで被われていると考えた方が適当です。

良い菌は善玉菌、良くない菌は悪玉菌と言われます。
どっちつかずの菌は日和見菌(ひよりみきん)です。

体重の内、細菌だけの重さで1~2㎏。
身体の大きさにもよって違いはありますが、体重の内1~2㎏は共存している細菌だけの重量です。

結構重いでしょう。
それだけたくさんの細菌と共生しているということです。

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ちなみに、大便のほとんどは腸内細菌の死骸です
大便は食べ物の残りかすがほとんどであると思っていた方、それは違います。
大便のほとんどは腸内に棲んでいる腸内細菌の死骸と水分です。

腸内細菌叢(そう)の構成が悪いと、大便は腐臭が強くなります。
そして、ベトベトして拭いても吹いてもお尻の汚れが落ちない。

一方、良い腸内細菌叢(そう)の人は、便臭が臭くなく、排便後のお尻のお手入れもスムーズです。

大便を見れば、腸内細菌の状態、ひいては免疫力がよくわかります。



そして、細菌以上に数が多いのがウイルスです。
ウイルスは細菌の100倍以上小さく、細菌のいるところにはウイルスがいます。
その数は細菌以上と言われますので、途方もありません。

地球上のすべての生き物の細胞の数以上にウイルスは存在しており、1滴の海水にも数億のウイルスがいます。
海全体に含まれるウイルス量は、重量で言えばシロナガスクジラ7500万頭分、全部一列に並べると長さは1000万光年の距離になるのだそうです。
海全体がウイルスの煮詰まったスープの様なものです。



ウイルスは人体に無数に付着・存在しており、言うなれば人体そのものがウイルスの塊の様なものです。

「ウイルスが付いたらどうしよう」
「ウイルスが付くのは嫌」

と言っている人には、「あなたの存在そのものがウイルスの集合体なのだ」と気付いてほしいです。



つまり、ウイルスや細菌はヒトと共生しているのです。

「えっ、ウイルスと共生していて人間は病気にならないの?」

そう思われるでしょう。
その通りで、ほとんどのウイルスはヒトに悪さをしません。
それどころかウイルスはヒトを助ける存在であります。
ウイルスは本来有益なのです。





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プロフィール

水野博友

Author:水野博友
気功家・ヒーラー・瞑想家
気功で人の病気や苦しみを癒すヒーラー

愛知県出身、早稲田大学商学部卒。
埼玉県さいたま市浦和区で気功治療院「水野気功療法院」を開業、肉体の病~精神の病まで日夜 気功の施術を行っている。遠隔気功の実績も豊富。
満月時は日本の山に籠り密教修行を行う、また2011年より定期的にインド・ヒマラヤ、インドネシアに渡り様々な聖者の指導を受けて霊性修行に励んでいる。

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