「ありがとう」の意味
category: 人生

皆さん、こんにちは。
私たちは頻繁に「ありがとう」と人に感謝を伝えます。
または、人から感謝を伝えられます。
「ありがとう」とは、漢字で書くと、
有り難う
と、なります。
この意味は「(そう)あることが難しい」「(そう)あることが困難である」ととることができます。
なのに・・・それなのに、やってくれたとは・・・
と、いう感謝の気持ちがその言葉の裏にある訳です。
つまり、
「そうあることがとても難しいのに、私のためにやってくれて・・・」
と、いう高まった気持ちが「ありがとう」です。
そうあることが難しいのに、それを私のためにやってくれることが日常で頻発しています。

(出典: モロヘイヤ栽培 )
例えば、私は昼食に伊豆諸島産のモロヘイヤを食べました。
それだってそれが生育するまで農家の方(たぶん夫婦でしょうか?)が毎日面倒をみて、刈り取るまでの長期に渡って台風でダメになることもなく、トラック・飛行機などの物流に携わる多くの人の力を借りて、ある経営者が経営してくれているスーパーで、その社員さんが丁寧に陳列してくれて、私がお客様から頂いた施術料の一部と交換して、ようやく私の口に入ったのです。
より細かく検証したら、もっともっと多くの人が関わっていますよ。
この様にたった一つの事例をとっても多くの人の力が関わっています。
でも、普段はそんなこと考えませんよね。
しかし、私たちの日常はそんな多くの人の力が結実して成り立っているのです。
そんなことばかりです。
それはある意味、奇跡ではないでしょうか。
例に挙げたモロヘイヤだって300年、500年前では有り得ない(=そうあることはない)ことでしょう。
不満や怒りなど心がネガティブに振れていてはその様な日常の小さな奇跡に気付きません。
今の日本人は電車が3分遅れただけで激怒しキレてしまう人が多いのが実情です。
「ありがとう」とは奇跡が起こっていること。
何もない空中から物質を取り出すばかりが奇跡ではありません。
私たちの身体は60兆もの細胞から成っており、それが不思議な力で実に見事に有機的に動いています。
何も私たちは意識せずとも自動で身体は動いてくれています。
多少の不調はあるかもしれませんが、細菌が一杯、リスクが一杯のこの地球という星で故障もせず長く生きていられることは奇跡以外の何ものでもありません。
本当に「有ることが難しい」、ありがとうなのです。

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