〔気の法則〕 人の意識(気・波動)がその人の世界(境地)を決めている
category: 気(エネルギー)、気功

皆さん、こんにちは。
死後の世界について、様々なところでこの様だという説が言われていますが「日月神示」にも人の死後の世界についての記述がたくさんあります。
「日月神示」は高級神界から降ろされたお筆先ですので、下位の霊界・幽界の様子はよくわかるのでしょう。

以下の引用は「日月神示」からのものです
人は死んだ後に霊界に移行しそこで第二の人生が始まるとされています。
この世界(現界)で死を迎えることは肉体という衣を脱ぎ捨てることであり、本体である魂は肉体とは違うエネルギー体の衣をまとうことになります。
そなたたちの本尊は八枚十枚の衣着ているのぢゃ。死ということは、その衣、上から脱ぐことぢゃ。(白銀の巻 第一帖)
想像しやすい表現をとるとすると、死後は夢の世界の様なところに行くのです。
夢の世界でも私たちは身体を持っていますが、肉体ではありません。
肉体とはこの地球で魂が活動をするためのボディスーツの様な物です。
そして、重要なのは死後の世界では人の意識レベルに応じて行くところが異なるということです。
周りの人と喧嘩ばかりしている人、競合店潰しに明け暮れ切った張ったの修羅の生活を現世で送っている経営者は、死後も同じ様な殺伐とした世界に行きます。
農業や園芸が好きで草花を育て穏やかな生活をしている人は、死後も同じ様な平和な世界に行きます。
人間の死後、自分の命の最も相応しい状態におかれるのであるぞ。悪好きなら悪の、善好きなら善の状態におかれるのであるぞ。(黒鉄の巻 第三十八帖)
現界で天国を生み出し、天国に住めんものが、死んで天国に住める道理ないのぢゃ。(白銀の巻 第三帖)
この世で天国に住めんもの、天国に行ける道理ないのぢゃと申してあろう。(黒鉄の巻 第二十一帖)
この件(くだり)を読めば、私たちはこの地上世界で天国の様な生活を何としても実現しなければならないということがわかります。
また、死後の世界の特徴は、同種が相まみえるのであって、そこにいる人たちは意識レベルが近いと言われています。
そうなると、修羅や畜生の様な生活を送っている人と、善行に励むなど人助けを我が喜びとしている人は死後には交わることはないのです。
同気同類の霊人は、同一の情態で、同じところに和し、弥栄(いやさか)え、然(しか)らざるものは、その内蔵するものの度合に正比例して遠ざかる。同類は相寄り、相集まり、睦び(むつび)栄ゆ。(地震の巻 第四帖)
天界も無限段階、地界も無限段階があり、その各々の段階に相応した霊人や地上人が生活し、歓喜している。その霊人たちは、その属する段階以外の世界とは、内的交流はあっても、全面的交流はないのである。(地震の巻 第二帖)
地球は前世が動物だった若い魂や幾度も人間をやって来た古い魂まで幅広く存在しており、自分の意識レベルとは異なる人々と交わることができる特別な場で、それ故に人間塾と言われます。
人間関係はとかく困難を伴うことが多いものですが、それが魂を磨く砥石(といし)なるのです。
そうは言っても地球でも波動の法則があり、同じ波動の人同士は共鳴し知らぬ間に集まってきます。
「類は友を呼ぶ」という諺(ことわざ)がありますが、それはこの意味です。
私は気功治療院を経営していますが、お客様は本当に人間的にできた人が多く、私は「先生」と呼ばれますがどちらが先生かわからないと思うことしばしばです。
真面目(まじめ)で人柄の穏やかなお客様ばかりが集まってきますが、それは私の波動に共鳴して集まってきているのだろうと考えています。
埼玉県には私が苦手とするあるショッピングモールがあります。
そこは波動が酷い、つまり邪気が多いケガレチだと私は感じており、長くいるとかなり疲労しますし、具合が悪くなることもあります。
私のお客様でそこでパニック発作を発症したという女性もいました。
他にもそのショッピングモールで具合が悪くなってしまい、しばらく体調不良になったというお客様もいました。
ショッピングモールの前は工場だったと聞きますが、ひょっとすると祠(ほこら)の身魂抜きをせずに取り壊しをしてしまったのかもしれません。
狐に憑かれたある女性は私が苦手とするそのショッピングモールが好きで頻繁に行っているそうです。
具合が悪くならないのでしょうね。
それも波動の法則で、私から見て邪気であっても自分自身と同じ波動のところは心地よく感じるものと思います。
意識が高い人から見たらそこは地獄界でも当の本人たちはそれが当たり前なので地獄とは思っていないのです。

霊人の中には、太陽を最も暗きものと感じて、太陽に背を向けて呼吸し、生長している者もある。要するに、これらの霊人は、反対のものを感じ、且(か)つ受け入れて生活しているのであるが、そこにも、それ相応の歓喜があり、真実があり、生活がある。歓喜の受け入れ方や、その厚薄の相違はあるが、歓喜することに於(お)いては同様である。歓喜すればこそ、彼ら霊人たちは太陽に背を向け、光を光と感じ得ずして、闇を光と感得していることを知らねばならぬ。この霊人たちを邪霊と呼び、邪鬼と言い、斯(かか)る霊人の住む所を地獄なりと、多くの人は呼び、且つ感じ、考えるのである。しかし、それは本質的には地獄でもなく、邪神、邪霊でもない。(地震の巻 第六帖)
波動(気)は人と人を引き合わせるだけではなく、土地・建物との共鳴もあるのです。
私にとって都会は疲れるところが多いので、最近は自然の多い田舎や山に惹(ひ)かれます。
この様に人・場所に気の同調・共鳴が起きていて、同種が相交わっています。
この現象は地上世界から天界まで通じる法則であります。
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