熊本の農聖 松田喜一 ~百姓の五段階~
category: 人生

松田喜一像
皆さん、こんにちは。
今回は熊本県の偉人、農業研究家の松田喜一翁についてお話しします。
松田喜一翁は「土の行者、今尊徳(いまそんとく)、昭和の農聖」と人びとの尊敬を集めた人物です。
松田喜一翁は明治20年12月1日下益城郡豊川村(現松橋町)松崎に生まれ、熊本農業学校に学びました。
その後、麦作法の改良に情熱を傾け「松田式麦作法」を考案・普及し、麦作の生産性向上に大きく寄与しました。
日本初の民間農業実習所を開設し後進を指導、直接教育を受けた生徒は約3600名、講演で講習を受けた者は延べ約40000名に及ぶといいます。
その実習所の凄いエピソードがwikipediaにこう書かれていました。
● 農友会実習所で春秋の年二回、三日間ずつを使って行われた定期講習会には、喜一の話を聞くため毎回数千人、多いときには6500人もの人々が各地から集まった。長蛇の列が国鉄千丁駅から農場まで数キロに渡って続いた[4]。
● 実習所での生活は過酷を極めた。午前5時の朝礼から農作業は三食を挟み、夜まで続いた。食事は視察者が「豚も食わん」と顔をしかめたほどの粗食であったが、喜一は「論より証拠」の精神から率先して腐った芋を食い、一日3~4時間の睡眠で労働や研究・執筆に励んだ。
昭和24年6月には天皇陛下の御巡幸の光栄に浴し、また昭和26年には高松宮殿下、27年には三笠宮殿下の御視察を頂き、その名声は日本中に響き渡りました。
生涯に渡って農民指導に勤め、日本農業の進歩と発展のために捧げた人生でした。

その松田喜一翁は「百姓の五段階」を唱えました。
それは、次の様なものです。
一段目が、「生活のための百姓」
二段目が、「芸術化の百姓」
三段目が、「詩的情操化の百姓」
四段目が、「哲学化の百姓」
五段目が、「宗教化の百姓」
一段目が低いレベルで、五段目が最上級のレベルとなります。
では、具体的に私流の解説をしていきましょう。
「生活のための百姓」とは、生きるための職業として百姓をしているという段階です。
他にできることもないし、食べていくためには百姓をせにゃならん、そんな動機で働いているレベルです。
または、遊興・享楽のためのお金を稼ぐ手段が百姓であるというレベルです。
二段目の「芸術化の百姓」とは、百姓の仕事を通して十分な貯蓄もでき、無理に百姓をする必要はない。辞めようと思えばいつでも辞められるのですが、生活上の実利よりもむしろ農作物の美しさや趣きといった内的価値感によって心を動かされ働いているというレベルです。農作物が生育しやがて実がなり収穫となるその不思議さ・神秘に感動を覚え、それにつき動かされている段階とも言えます。
三段目の「詩的情操化の百姓」とは、四季折々の山水や農村の風情を味わうことに幸福感を感じ、そのために百姓をしているというレベルです。百姓という仕事が生の一部になってしまい、仕事をしているという感覚はほとんどないのでしょう。
四段目の「哲学化の百姓」とは、天地の声なき声を聞き百姓をしている、農業を通して真理を追究するレベルです。天候を自在に読みきったり、農作物と会話をしたりして、自然と一体化している賢者クラスでしょう。
五段目の「宗教化の百姓」とは、百姓の最高峰で、自分自身が農業に従事していることが神の手足となって働いているという自覚があるレベルです。百姓をしているということが神業奉仕であると肚(はら)で分かっている聖者クラスと言えるでしょう。
百姓は昔から低く見られがちであると思いますが、本物の百姓になるには天地自然と一体化しなければならないので、霊性が向上しやすい仕事です。
一見、百姓は野良着で汚らしく見えるかもしれませんが、魂レベルでいえば霊性が高い人が多いのではないかと思っています。
実際、宗教大本の巨人 出口王仁三郎も「これからは一番いいのが百姓だ」と言っています。(他の含みもあるかもしれませんが・・・)

この松田喜一翁の分類は、百姓に限定されず他の様々な職業に当てはめることができると思います。
皆さんは自分自身を診断するとどの段階になりますか?
生活にあくせくして稼ぐことばかり考えている人はまだ一段目です。
治療家でもお客様を治すことより、やれマーケティングだ・経営だと集客のことばかり考えている人はこのレベルです。(世の中にたくさんいますよ。)
そういう人は、人から感謝されることが自分の喜びであるという境地まで早く進むといいかと思います。
私はイチローのことを「野球をする哲学者」と考えています。
イチローは野球を通して真理を追究する姿勢があり、そのために彼の発言は他の分野で活躍する人にとっても大いに啓発されるのです。
実際、イチローは若い時から、自分の高額な年俸の理由について「野球界に限定されず他の職種の多くの人に与える影響力に対する報酬である」と語っていました。
それからするとイチローはここでいう四段目になると思います。
私は農業をしている人を多く知りませんが、リンゴ栽培で有名な木村秋則さんは五段目の境地なのでしょう。
木村さん以外にも、あの人が作った作物はなぜか大きく実る・とりわけ美味しい、または地域全体が天候被害や害虫などの被害を受けても、あの人の畑だけはなぜか無傷だったという人がいたら、神のご加護が厚い五段目の百姓と言えるでしょう。
参考 :

治療家で言えば、自分が人々を癒し救済することが神業奉仕である感覚的に分かっている段階と言えるでしょう。
その様な人は特別集客などと考えなくても、結果を出し続けていますのでお客様が途絶えることなく繁盛しています。
私はその様な治療家さんも数人知っていますし、自分もかくありたいと思い気功治療の仕事に従事しています。
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