霊性修行は価値観のリストラを要す
category: 霊性修行

皆さん、こんにちは。
皆さんは「リストラ」という言葉を聞いたことがあるかと思います。
よくマネジメント用語として用いられ、「リストラ」=首切り、という印象をお持ちの方も多いことでしょう。
日本では「リストラ」を人員削減、事業縮小の意味で多用しますが、本来は「re」(=再)+「structuring」(=構築)で、「再構築する」という意味になります。
本当は経営革新のため事業を再構築する意味なのですが、日本では事業の再構築が専ら人減らしになってしまったため、リストラというと首切りのイメージが付いた訳です。
さて、私たちがこの世界で生きていくにあたり、心を縛る無数の価値観というものがあります。
もう少し具体的に言うと、「○○をしてはならない(してはいけない)」「これは良い、これは悪い」という善悪の縛りです。
それは、これまでの成長の過程で両親・学校の教師・会社の上司から教えられ、それを規範として受け入れ続けて形成されてきたものです。
法律や常識・道徳などの不文律が私たちの思考・行動を支配しています。
私たちはそれを当然のものとして受け入れていますが、実際それは絶対的なものではなく時代や文化によって価値観が真逆になることも珍しくありません。
その一方、絶対に変わる事がないという基準が真理であります。
真理は時代や文化によって変わることがありません。
いわば神が示したルールとも言えます。
もう少し具体的に話をしてみましょう。
例えば、肉食を例にとってみます。
私は肉を食べない生活を長くしていますが、日本ではその様な食習慣を持つ人は少数派です。
日本では牛肉・豚肉・鶏肉と色々な料理があり、それを和・洋・中と色々な調理法で味付けして日本人の大多数が肉食を楽しんでいます。
では、肉を食べることは正しいことなのでしょうか?間違っていることなのでしょうか?
所変わればインドでは牛肉はご法度ですし、イスラム圏では豚肉は食べません。
これは宗教上の理由です。
倫理的にみれば、私たちが味覚を満足させるために牛・豚・鶏などの生き物の生命を奪うのは正しいことと思いますか?(肉を全く食べなくても健康に生きていくことはできます。)
特に、牛や豚は人間に近い意識を持っている哺乳類であり、死を自覚しています。
自分の生が人間によって強制終了させられることに恐れ悲しみます。
また、地球上の多くの人間の食肉を賄うためには、その膨大な餌を育てなければなりません。
それはご存知の通り、地球の環境破壊の大きな要因となっています。
また、「日月神示」などの様々な神典(神からのメッセージ)では、共通して日本人には四つ足はご法度とされています。
➡ 「日月神示」
この様に、当たり前に考えていた習慣・価値観が違う場所に行けば禁じられていることは珍しくありません。
法律で禁じられていないから、また多くの人がやっているからそれが正しいということにはなりません。
もう一つの例を挙げてみましょう。
例えば、日本では男性が奥さんを2人娶(めと)ることはできません。
既婚男性が妻の他にもう一人の女性と付き合ったり・結婚したりしようものなら、「不倫だ!」と鬼の首を取った様に言われます。
芸能界のゴシップネタはこんなものばかりです。
不倫というのは「倫理的ではない」という意味で、不倫をした人はあたかも人非人の如く攻撃の対象となります。
しかし、所変わってインドネシアでは4人まで妻を持つことができます。
男性が複数の女性と結婚し、女性の生活を養ってあげることは良いことであり、それが多い程立派なことなのです。
この様に婚姻制度も場所によって異なりますし、時代によっても異なります。
現代の日本の社会では独身女性または離婚した子持ちの女性の貧困ぶりが問題になっています。
単純に一夫多妻制を推奨している訳ではありませんが、生活をしていくだけで精一杯という苦しい生活を続けている女性がたくさんいるのが現代の日本ですので、経済力のある男性が彼女達を公に面倒をみることができれば助かる人も少なくないはずです。
この様に2つの例を挙げてみました。
この2つの命題に答えはありません。
自分自身で答えを出すのです。
この2つの例から、私たちが絶対と考えている価値観もそうではないことがお分かりになったのではないでしょうか。
この様なことは2つの例以外にも無数にあります。
無数にある「こうあらねばならない」「こうすべきである」「〇〇は善で、●●は悪」という基準で、私たちはがんじがらめになっています。
霊性修行を進めていくと、常に真理を意識する様になってきます。
真理に照らして私たちを縛る価値観を考察してみると、後生大事に考えていたものが実はそうではなかったと気付くことは少なくありません。
人の苦しみの原因となっているものは、執着心です。
それがあるが故に、人は怒ったり・悩んだり・悲しんだり・心配したりするのです。
執着を生み出す基になる価値観が揺らぎ、別の価値観が現れると苦しみの原因となっていた執着が自然と消えていきます。
先のサットサンガ(真理の集い)では「中庸」の重要性を訴えました。
感情に揺さぶられないフラットな精神状態、あたかも風のない湖面の様な心、それを継続維持する先に神意識が現れます。
執着だらけでいつも心に様々なネガティブな感情が湧き起こっていては、霊性の向上は図るべくもありません。
そのため私は生徒さんの価値観を破壊する様な命題を提示することがあります。
当たり前と思いこんでいて、それを考えることさえしなかったことに焦点を当て、真理に照らしてみるとどうなるのか考えて頂きます。
時に向き合いたくなかったものに向き合わなければならなくなることもあるでしょう。
そして、それは大きなショックを伴い、怒り・悲しみ・失望・喪失感・不安感などのネガティブな感情を一時的に味わうかもしれません。
肉体的な苦しみを伴う修行法もありますが、自分自身を見つめ直すこともまた大変なことなのです。
しかし、そうした工程の先には真理に立脚した揺るがない強い自分というものが再構築(リストラ)されるのです。
軟弱な精神を持つものが悟った試しはないでしょう。
偉大なる精神を持つためには、勇気を持って価値観のリストラを敢行する必要があるのです。
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