お米と氣
category: 気功の施術の現場で
乳房の症状でヒーリングスティック療法を受けに来られたHさんが帰った後にふとベッドを見ると米粒が目に入りました。
さてはHさんが昼ごはんに食べたご飯が服に付いてそれが落ちていたかと思い、手で払いのけるとそれはベッドの下方に飛んでいきました。
「ん・・・?」
「何だ・・・今のは?」
ほんの瞬間的に感じるものがあり、床に落ちた米粒を拾ってみると、普通の米粒とは違う非常にエネルギーが高い米粒であるのがわかりました。
この様な米粒が自然界に存在するはずはなく、これは何かの形で神が物質化したものと直観しました。
つまり、Hさんが昼ごはんにつけたお弁当ではないということです。
物質化とは無から有を生み出すもので、インドの聖者がそれを行うことがあります。
インドの聖者が行う物質化は神の力を使ってするものであり、物質化されたものは尋常ではない高い気(エネルギー)の物質になります。
今回は米粒ということですが、無から米粒が出て来るとは奇妙に思われるかもしれません。
しかし、神事には米が関わっていることが往々にしてあるのです。
インドでプージャ(火の儀式、日本でいう護摩)をするときは米を神に捧げます。
また、「氣」という字の中心に米があるというのは気というエネルギーと米と関係があることを示唆しています。
神事や行など神と関わるものには時に証(あかし)というものが現れます。
証は行が満行した時に起こることが多くあります。
それは神が起こしたとしか考えられない奇跡的な現象でありますが、普通の人であれば気が付かず見過ごしてしまうこともあります。
証が現れたことに神が関与したことを実感し、現象の意味を見出し、神の意思を汲もうとするのです。
昭和19年、「日月神示」は神主であった岡本天明氏に自動書記という形で降ろされました。
「日月神示」が降りた最初の証として、岡本天明氏が臨時神主を勤めた鳩森八幡神社の境内から土米なるものが大量に湧いたという記録があります。
土米とは、米粒の様な形をした土であり、厳密には米ではありませんが偶然に形成されるとは考えにくく、何らかの霊的な力が作用した結果であると考えられるのです。
土米の発現により「日月神示」は狐狸(こり)の類ではなく神が降ろしたものであるという裏付けをしているのだと考えられます。
大正5年には大本の教祖の一人である出口王仁三郎氏は突然左眼下の頬が痛み出しました。
すると、そこから舎利(米粒)が出てきたのです。
その舎利(米粒)は神島の形をしており、それを神の意思であると汲み、出口王仁三郎氏は同年6月25日播州の高砂沖の神島に「坤の金神豊雲野尊(ひつじさるのこんじんとよくもぬのみこと)」の神霊を祀る、神島開きを執り行いました。
舎利(米粒)が出現した時、出口王仁三郎氏は「これは舎利と言って徳の高い人から出るものである。」と解説したそうです。
そういえばHさんもヒーリングスティック療法の施術の際に左眼下が気になると言っていました。
今回当院で偶然にも発見された米粒も何かの意味があるのかもしれません。
Hさんにこの米粒は特別のものですと伝え、お渡ししました。
その後、ベッドの上に仰向けに横になっているHさんの眉間に米粒を置いてあげると、「先生・・・凄いです!眉間に米粒から力がビリビリと入ってきて足先までが満たされるようです。」と驚いていました。
以前、北浦和に店舗があった時はひどい邪気のお客様を施術した後に羽虫や黒い甲虫がベッドの上に残っていたことが何回かありました。
普通はどこからか虫がそこに飛んできたのだろうと思うところですが、体内の邪気は蟲に形を変えてこの物質世界に出てくることがあるのです。
その過程では何らかの霊的な力が作用しているものと思われます。
その時の蟲はお客様が残していった邪気が物質化したものだったのです。
それから4年近く経ちますが蟲は出てきていません。
今回の様に神聖なものが発現しそれをご本人にお渡しできたのは大変喜ばしいことです。
Hさんは「この米粒を宝物にします」と大事にしまわれました。
【2015年1月22日】
〔参考文献〕
月刊玉響234号
「新月の光」(木庭次守)八幡書店
さてはHさんが昼ごはんに食べたご飯が服に付いてそれが落ちていたかと思い、手で払いのけるとそれはベッドの下方に飛んでいきました。
「ん・・・?」
「何だ・・・今のは?」
ほんの瞬間的に感じるものがあり、床に落ちた米粒を拾ってみると、普通の米粒とは違う非常にエネルギーが高い米粒であるのがわかりました。
この様な米粒が自然界に存在するはずはなく、これは何かの形で神が物質化したものと直観しました。
つまり、Hさんが昼ごはんにつけたお弁当ではないということです。
物質化とは無から有を生み出すもので、インドの聖者がそれを行うことがあります。
インドの聖者が行う物質化は神の力を使ってするものであり、物質化されたものは尋常ではない高い気(エネルギー)の物質になります。
今回は米粒ということですが、無から米粒が出て来るとは奇妙に思われるかもしれません。
しかし、神事には米が関わっていることが往々にしてあるのです。
インドでプージャ(火の儀式、日本でいう護摩)をするときは米を神に捧げます。
また、「氣」という字の中心に米があるというのは気というエネルギーと米と関係があることを示唆しています。
神事や行など神と関わるものには時に証(あかし)というものが現れます。
証は行が満行した時に起こることが多くあります。
それは神が起こしたとしか考えられない奇跡的な現象でありますが、普通の人であれば気が付かず見過ごしてしまうこともあります。
証が現れたことに神が関与したことを実感し、現象の意味を見出し、神の意思を汲もうとするのです。
昭和19年、「日月神示」は神主であった岡本天明氏に自動書記という形で降ろされました。
「日月神示」が降りた最初の証として、岡本天明氏が臨時神主を勤めた鳩森八幡神社の境内から土米なるものが大量に湧いたという記録があります。
土米とは、米粒の様な形をした土であり、厳密には米ではありませんが偶然に形成されるとは考えにくく、何らかの霊的な力が作用した結果であると考えられるのです。
土米の発現により「日月神示」は狐狸(こり)の類ではなく神が降ろしたものであるという裏付けをしているのだと考えられます。
大正5年には大本の教祖の一人である出口王仁三郎氏は突然左眼下の頬が痛み出しました。
すると、そこから舎利(米粒)が出てきたのです。
その舎利(米粒)は神島の形をしており、それを神の意思であると汲み、出口王仁三郎氏は同年6月25日播州の高砂沖の神島に「坤の金神豊雲野尊(ひつじさるのこんじんとよくもぬのみこと)」の神霊を祀る、神島開きを執り行いました。
舎利(米粒)が出現した時、出口王仁三郎氏は「これは舎利と言って徳の高い人から出るものである。」と解説したそうです。
そういえばHさんもヒーリングスティック療法の施術の際に左眼下が気になると言っていました。
今回当院で偶然にも発見された米粒も何かの意味があるのかもしれません。
Hさんにこの米粒は特別のものですと伝え、お渡ししました。
その後、ベッドの上に仰向けに横になっているHさんの眉間に米粒を置いてあげると、「先生・・・凄いです!眉間に米粒から力がビリビリと入ってきて足先までが満たされるようです。」と驚いていました。
以前、北浦和に店舗があった時はひどい邪気のお客様を施術した後に羽虫や黒い甲虫がベッドの上に残っていたことが何回かありました。
普通はどこからか虫がそこに飛んできたのだろうと思うところですが、体内の邪気は蟲に形を変えてこの物質世界に出てくることがあるのです。
その過程では何らかの霊的な力が作用しているものと思われます。
その時の蟲はお客様が残していった邪気が物質化したものだったのです。
それから4年近く経ちますが蟲は出てきていません。
今回の様に神聖なものが発現しそれをご本人にお渡しできたのは大変喜ばしいことです。
Hさんは「この米粒を宝物にします」と大事にしまわれました。
【2015年1月22日】
〔参考文献〕
月刊玉響234号
「新月の光」(木庭次守)八幡書店
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