水温む(ぬるむ)
category: 霊性修行

桜が開花しているのがあちこちで見られる様になりました。
ようやく長い冬が終り、春がやってきたなぁという感じです。
暦の上では立春(2月4日頃)から春ですが全然暖かくないですから、こうして桜が咲くとやっと春だと顔がほころびます。
毎年冬は長く感じます。
日本は四季があり、その季節毎の風情は生活に彩りを与えてくれます。
四季折々の風情が、情緒豊かな日本人のメンタリティを作っているものと思います。
フィリピンやインドネシアなど南国の国は年がら年中季節が夏です。
そのような国では食べるもの・着る物もいつも同じ様で風情に乏しく、メリハリがない様に感じます。
長い冬の厳しい寒さに耐えてこそ、春の暖かさやありがたさが身にしみてわかるものです。
気候のことのみならず、人生においてもしかりで、不遇の時こそ人間が鍛えられ、それを抜けた時に一回り大きな人間に成長しているものと思います。
たとえ人生が辛く恵まれていない様に感じられても、神はその人が乗り越えられない試練は与えないと言いますから、自分にとって必要なので起こっているのだと強い気持ちで乗り切りたいものです。
そこで思い出したのは、昭和天皇が戦後2年経った時に詠まれた御製です。
大東亜戦争という過酷な時期を経験した昭和天皇が発するメッセージは重みがあり、私達も頑張らなければならないと心が励まされます。
『 降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ 』
さて、私は人に話したことがありませんが、毎朝の行の際に禊(みそぎ)をする習慣があります。
禊とは何でしょうか?
初めて知る人のためにwikipediaの解説を抜粋します。
神道で自分自身の身に穢れのある時や重大な神事などに従う前、又は最中に、自分自身の身を氷水、滝、川や海で洗い清めること。類似した水垢離(みずごり)と呼ばれるものがある。
禊とは自分自身の穢れを冷水で祓って神事に臨むというものです。
私も毎朝施術の前に各種の行を行って準備をしていますが、その時に禊を行っています。
禊はインドネシアで修行をした時も行いました。
ですので、日本特有のものではありません。
冬の寒い日に滝に打たれるというのが、禊や滝行のイメージです。
インドネシアのバリ島でも特別な行を行うための一般人禁足の滝があって、そこで滝行を行ったことがあります。
インドネシアの行者からは「寒いぞ~」と言われていましたが、日本の冬場の冷水で鍛えていれば南国の滝行は思った程でもありませんでした。
さて、私はかねてから漢字の作りにはその言葉の本質を意味するものが含まれていると考えています。
例えば禊(みそぎ)という字には、左の「しめすへん」に契約の「契」と書きます。
「しめすへん」は神を表す部首であります。
つまり、禊という字を分解して意味を解釈すると、禊とは「神との契約」ではないかと思うのです。
よく願をかけて禊・水垢離を行うと成就するという話を聞きます。
理由はわかりませんが、禊の前に願掛けして執り行うと神が聞き入れてくれるのではないかと思ったりしています。
ですので、私は毎朝禊をする前に気合を入れて願掛けして、それからシャワーで冷水を浴びているのです。
気合を入れれば真冬の雪の日の冷水も決して凍えることはありませんが、気合を入れないと死にそうになります。
今でも禊をやる前は寒くて嫌だなぁ~と思ってしまいますが、禊を終えた後の爽快感は何事にも優るといつも実感します。
それは禊がただの水浴びではなく、やはりそれ相当の邪気払いになっているからなのでしょう。
私が禊の際にする願掛けはその日の施術がうまくいく様にという願いです。
遥々お客様が私の気功院に来て頂いて手ぶらでお帰り頂くのは本意ではありません。
いかなる病気の方であろうと、必ず結果を出すという決意で禊に臨むのです。
あと、やはり人には邪気があり、私もお客様から自覚しなくても受けてしまうものもありますので禊で冷水を浴びることでそれを祓うのです。
私の師匠は風邪など体調の悪いときには日に何回もシャワーを浴びます。
私の体調が良くない時にも、「水野君、シャワーを浴びなさい。」(※この場合は温水)といつもおっしゃいます。
水の浄化の力は火と同様に強いのです。
この記事を読んで関心がある方は是非自宅で実践されると良いと思います。
でも余り無理をしない様に。
私はかつてサラリーマンだった時にこれを起きがけにやって、ガンッと脳の血管が切れたんじゃないかと思ったことがありましたので・・・
毎朝の冷たい水もようやく温んできたなぁと肌で春の訪れを感じている今日この頃です。
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