嫌いな人のおかげで磨かれる
category: 人生

皆さん、こんにちは。
この社会で生きている多くの人は、大なり小なり人間関係に苦労しているものです。
なぜなら、この世界(地球)に生まれて来た目的が、魂を成長させるためであり、魂を成長させる(これを「身魂磨き」と言います)ためには人間関係から多く学ぶ様にできているからです。
そのため、私たちの周りにはどうしても好きになれない人、嫌いな人が配置されています。
その人とできれば一緒にいたくない、関わりたくないと思うのですが、なぜかそういう訳にいかない。
離れたくても、離れられない。
あるところまでいかないと離れられない様になっている。
それでストレスを感じ、ああでもない、こうでもないと心を悩ませ煩悶する訳です。
これはとても苦しいことです。
しかし、考えてみると自分の周りにイエスマンばかりいたらどうなのでしょうか?
自分の事を「すごいね!」とか「素敵!」「立派ですね!」とか、褒めてくれてばかりいたら・・・
それが毎日だったらどうなりますか?
ストレスもさほど感じず、気持ちよく楽しい日々が続いていきますが、果たしてそれで成長できるでしょうか?
企業のトップもイエスマンばかりで重役を固めると、その会社はやがて傾いていくと言われます。
意見の対立がないと、より良いものが出てこないし、間違った方向に向かっていてもそれに気付かなくなります。
社長であるならば、主君への諫言(かんげん)も辞さないという気持ちの強い家臣を置かなればなりません。
企業のトップであれば、周りの人はトップの顔色を伺って、いつも気に入ってもられる甘言ばかり言う人が集まってくることでしょう。
誰かが自分に厳しいことを言ってくれないと、人は自分の間違いに気づかないものです。
そういう人が周りにいなければ、のほほ~んと温泉気分で生きていけますが、それで人は成長するでしょうか?
そんな状態が続いていけば、ふやけきって馬鹿になってしまうに違いありません。
「身魂磨き」をするためには、大根おろしのおろし金ではありませんが、トゲがなければ磨くことはできないのです。
自分に厳しいことを言ってくれたり、嫌な事を言ってくれたりする人がいないと人は成長しないのです。
筋肉は加重という負荷がなければ強くなりません。
同様に、人間の心も、ある程度のストレスという負荷がなければ強くならないのです。
そういうことをわかっていないと、厳しいことを言ってくれる人に憎しみなどの悪感情を持って応対してしまいます。
自分自身の成長の要因を考えれば、その人のお陰で成長できるのです。
それを思えば、怒りや恨みなどの気持ちを抱くのではなく、真逆の感謝の気持ちを持たなければならないはずです。
なかなか人間関係の問題の渦中にいれば、頭でわかってもそう心を持って行くのは難しいかもしれません。
しかし、いつか感謝の気持ちに自然となれれば、既にその嫌な人の存在意義はなくなりますから、やがて自分の眼前からいなくなってしまうでしょう。
そうした時に、人生のステージがあがって、人間関係の問題に悩むのは卒業ということになるのです。
私もサラリーマン時代に上司に恵まれず長期間辛酸を舐めたことがありました。
理不尽なことばかり続いたり、小馬鹿にされたり、なんでこんな目に・・・と毎日上司を恨めしく思っていました。
上司はまったく尊敬に値しませんが、それでも上司の機嫌をとっていかなければならないところがサラリーマン社会の辛いところです。
その様な状況が何年も続き、ある日の夢にその上司が満面の笑みで現れました。
何を言っているかはわかりませんでした。
その様な温かみのある笑顔を実際に見たことはありませんが、私を褒めている様でした。
その笑顔は、映画「千と千尋の神隠し」で、腐れ神というドロドロとした悪臭を放つ神様が、千尋の接待で浄化され、本来の河の神になって、最後に「よきかな」と歓び上がっていく・・・そんな感じの笑顔だったのです。
腐れ神
「よきかな」
「なんだったのだろう・・・変な夢をみたな・・・」
と振り返りましたが、程なく上司は人事異動でいなくなりました。
今思えば、生まれて来る前の約束だったのでしょうか、今世で私を鍛えてくれるためにヒール(悪役)をかってくれていたのかもしれません。
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