メメント・モリ(死を想え)
category: サットサンガ(真理の集い)

皆さん、こんにちは。
27日は今月2回目のサットサンガ(真理の集い)で「美しく死ぬ~メメント・モリ(死を想え)~」というテーマでお話をしました。
私たちは日々の生活を割と単調な繰り返しで生きています。
そうして、時間が経過し年齢を重ねていっています。
約70年前の平均寿命は50才位でした。
70年前は戦争や栄養事情の貧しさから、50才位で亡くなっても老衰だと言われていました。 ( 私ももうすぐ老衰と言われかねない年齢を迎えます(=∀=) )
今は80才位ですから、わずかな期間の内に随分と伸びたものです。
この世の中に絶対というものはほとんどないのですが、それでも絶対的なものが、私たちがいずれ死を迎えるということです。
生きていれば刻一刻と死に近づいています。
しかし、ほとんどの人はルーティンな生活の中で雑事に追われ、死を意識することはありません。
仮に死を意識してみても、「縁起でもない」と頭の中から放逐してしまします。
死が間違いなく遠くない将来に自分の身に起こるということ。
また、現代では2人に1人はがんになりますから、いつ自分ががんの宣告を受けるかわからないということ。
この2点については他人事と思わずに真面目に考えた方が良いと思います。
いざ自分の身に降りかかってから、「どうしよう!」と右往左往しても良い選択をするのは難しいでしょう。
そういうこともあって、2019年の6月・7月は「がん」をテーマに、8月は「死」をテーマに説法をした訳です。
そして、8月の死に関する説法では、2点のことについて詳説しました。
一つには、できるだけ苦しまない死に方をすること、またできるだけ美しく死ぬということです。
もう一つには、死を見つめて生を輝かせるということです。
皆、なんとはなしに平均寿命の80才位まで生きられると考えていますが、果たしてそうでしょうか?
私は終末期のがん患者さんを気功治療する機会が非常に多くあります。
高齢者の方であれば、それも寿命かと納得できる部分もありますが、時には自分より若い方が死を迎えようとしていることもあり、その度に心が痛みます。
平均寿命くらいまで生きられるのではないかというのは甘い幻想と思った方が良いかもしれません。
いつ何時、死が訪れて人生の幕を下ろすことになるかわかりません。
死を迎える人は、病床の中で次の様な後悔をすることが多いと聞きます。
1. もっと他人の目を気にせず生きればよかった
2. お金に執着せず生きればよかった
3. 家族との時間をもっと大切にすればよかった
4. もっと健康に気を使って生きればよかった
5. 仕事ばかりの人生だったこと
6. 記憶に残る恋愛をしなかったこと
7. 人生でお世話になった家族、恋人、友人に感謝を伝えなかったこと
8. 夢を持って挑戦しなかったこと
特に多いのが8番の「自分のやりたいことに挑戦しなかった」ということです。
自分がやりたいことがあっても、いつかできるだろうと思っている内に人生の終末が来てしまった・・・という後悔なのでしょうか。
それとも、やりたかったけど勇気がなくて踏み出せなかった・・・ということなのでしょうか。
いつまでも生が継続する、そして自分には時間がたっぷり無限大にあると考えていれば、「その内にやればいいや」と何となく流されがちです。
しかし、自分の生がいつ終わるかわからないと真剣に考えられる様になれば、やるのはいつかではなく今しかないということになります。
人生に時間が尽きぬくらいにあると考えるのは、間違っているのかもしれません。
本当は残された時間は余り多くないという人も中にはいるでしょう。
残された時間が余り無いという状況を想定すれば、その時間内で果たして何を成し遂げたらよいのでしょうか?
死を迎える病床の中で、後悔のない様にするためには今何をしたら良いのでしょうか?
答えは一人一人違うと思います。
私たちは後悔がない様に、今という生を充実させて輝いて生きていたいものです。
下記はサットサンガ(真理の集い)参加者のご感想
水野先生こんばんは。今日のサットサンガは深く自分の心に刺さりました。今の自分は本当にやりたい事に踏み出せずに惰性の生活を続けています。もし今余命宣告を受けたとして、悔いが残らない生き方には程遠い事は明らかです。死を意識するとどうでも良い事は勝手に除外されて、本当に大切な事だけが残るんですね。すぐにそれを実行に移すのは大変ですが、そこに少しずつでも近付けていく事が必要と感じました。今回も有難いお話をありがとうございました。
次回のサットサンガは、
①9月28日(土)19時~
②9月30日(月)11時~(※2回目は月曜日)
です。
詳細は下記をご覧ください。
➡ サットサンガ
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