浄化の連続が修行であり人生である
category: 霊性修行

山の修行を終えて里に降りてきたところです。
ターミナルのカフェで記事を書いています。
人間は業(カルマ・メグリ)だらけの存在です。
私も同じで、魂も肉体も穢れている存在です。
「私にはそのような邪気はないから」と言うご立派な方も時々聞きますが、穢れていない人間はこの地上世界に生を得ることはありませんから、大なり小なり汚れているものと思います。
私は何人も気功家やヒーラーさんを知っていますが、自分自身の邪気や受け手から貰った邪気で汚れている様に感じられます。
汚れているという感覚がないものは仕方ないです。
自覚はなくとも身体が疲れる・重いとか、頭が痛いとか、胃の働きが良くないとかの身体症状、またはネガティブな感情が頻繁に思考に入って来るなどのメンタルの問題で人生のアップダウンを味わっているものと思います。
人は何のために生まれてくるのでしょうか?
この地上世界でただ寝て食ってテレビを見て無駄に時間を消費するためでしょうか?
それともお金を貯めて金持ちになるためでしょうか?
人は幾つもの輪廻転生を繰り返し、魂を磨いている存在です。
そしていずれ六道輪廻の軛(くびき=束縛)から抜けて神界に向かうものと思います。
そのために魂を磨き、神の波動に近づいていくために修行をするのです。
汚れた身魂には、神の波動・光は入ってきません。
人間の魂の深奥には神の分魂が宿っています。
だから、誰でも本来は神聖を宿しているのです。
それは良心として垣間見れるのであって、何かの行動を取るときにやましい気持ちになるとか、または気持ちがワクワクするとか、それは良心に照らして行動の是非のサインを受け取っているものと思います。
かつてインドの大聖者サティア・サイババが生きていた時にある人が訪ねました。
「あなたは神ですか?」
すると、サティア・サイババは次のように答えました。
「私は神です。しかし、あなたも神なのです。」と。
しかし、ほとんどの人間は穢れが多く、生きている時に自分自身の神聖に気付くことはほとんどありません。
自分の魂の深奥に潜む神聖・光を太陽に例えると、穢れである業・因縁やカルマは厚く天を覆った雨雲であります。
雨が降っている時に、雨雲の上にまぶしい太陽があることがわからないのとよく似ています。

霊性修行は、身魂を浄化していくことの繰り返しです。
身魂を浄化していくと、雨雲が晴れて光が差してくるのです。
その過程では時には辛い体験になることもあるでしょう。
風邪を引くと熱が出てうなされることがありますが、熱が出るその症状自体は浄化の働きであり、老廃物や邪気を浄化しきってしまうと、熱が下がり風邪が抜けた後に生まれ変わった様に身が軽く爽快になります。
しかし、西洋医学は熱が出たら「お熱を下げましょう」と解熱剤を処方してくれます。
どちらが正しいのでしょうか?分かる人にはすぐ分かるものと思います。
気功家、施術家、ヒーラー、セラピストなど癒しを行う人は人一倍浄化をしていかなければなりません。
① 受け手から貰ってしまった邪気を排出すること。
② 自分自身が持つ霊障や業・カルマを浄化すること。
これが極めて重要です。
これがある限りは良いエネルギーは入ってきませんし、チャネラーであれば自分では高級な存在とつながっていると思っていてもそうでない低級なものと通信しています。
今回の修行では密教の浄化法の続きをやりました。
密教のことなので詳しく書けませんが、ある動物の身体の一部を焼いてプージャ(護摩・火の儀式)する技法で、密教に伝わる強力な浄化法です。

その動物は0.5gで1万円位しますのでお金も随分かかります。
その動物の霊力を持って肉体に潜む邪霊を追い出すのです。
ここでも前回の記事で紹介した様に動物の力を借ります。

私も一時「もう勘弁して」と言う位苦しみました。
私の場合は、余程根深いのかまだまだという感じでしたが、修行仲間はそれなりに進歩していました。
ある巫女さんはいつも薄暗い表情をしていましたが、憑き物が落ちて周りから「かわいくなった」と言われて喜んでいました。
身体のエネルギーがボンボン出る様になって「どうしようもない」とか「止まらん」とか言っていました。
ネガティブなエネルギーが身体から抜けるとこの様に気(エネルギー)の量も質も大きく変わります。
浄化法は色々とありますので、自分の段階に応じたことをしていけば良いと思います。
私の場合は難病の人に気功をする仕事ですのでそれなりのことをしていかなければなりませんが、特に癒しを仕事にしていない人は肉食を止める・減らす等の食べ物を変えることから初めていけば、それに応じた果報をいただけることでしょう。
気功の施術やスピリチュアル・ヒーリングを受けるのも浄化になります。
その影響は最初の内は自分自身に留まるものですが、やがて波紋が湖面に広がる様に自分の周りの人まで及んでいくのです。
「日月神示」にはこう書いてあります。
一升桝持ってきて一斗(いっと)入れよと人民申しているが、神は一斗も二斗も入れてやりたいなれど、一升桝には一升しか入らん。大き桝持って来い。頂くには頂くだけの資格いるぞ。一歩ずつ進め。一歩ずつ絶えず進めよ。それより外に道はないのぢゃ。(春の巻・第十二帖)
着物脱いで裸体となることつらいであろうなれど、脱がねば新しい着物きられんぞ。裸になってぶつかれよ。神様も裸になってそなたを抱いて下さるぞよ。(春の巻・第十帖)
「日月神示」はこの世界の主宰神から降ろされた神典であり、読むだけでメグリ(カルマ・業)を減らすと書かれています。
「日月神示」を熟読するのも浄化にはかなり良いことです。

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