出せば入るという法則・2 ~知識・アイデア、お金の話~
category: スピリチュアル

前回では、私のバリ島での荒行体験やヒーリングスティック療法を例に挙げて、良くない物を出すことではじめて良い物が入ってくることをお話しました。

今回は身体のこととは別のことでお話しましょう。
私は師匠と共にインド・ヒマラヤやインドネシアで修行をしてきました。
また、師匠の国内の寺院で毎月修行を行い、密教を学んでいます。
密教と言うのは文字通り「秘密の教え」であり、それは公開せずに内々に伝えていくだけの理由と価値があります。
漫画「北斗の拳」で必殺の拳法「北斗神拳」が一子相伝という話でしたが、それと似たようなものです。
私はスピリチュアル・ヒーラー養成塾の講座でその一部をお伝えしています。

時には、自分が苦労して得た貴重な智識・教えを人に伝えるのは何かもったいないなと思う時もあります。
霊性修行をしている人は自分自身が得た経験や智識をとかく秘密にして他人に教えたがりません。
私もその気持ちはわからないでもないのですが、この教えという分野でも出せば入るという法則が当てはまるのです。
この貴重な教えは伝えたくないなとか、または貴重な法具を人に譲りたくないなと思ってもそれを敢えてすることで、私にはより貴重な教えや法具が入る様になるのです。
これはこれまで私が何度も経験してきていることなので間違いはありません。
私は密教的な智識や法具について例を挙げましたが、その様なものでなくても、例えば自分がひらめいたとっておきのアイデアなど人に話すとパクられるのではないかと危惧するかもしれません。
近年は著作権や商標権など権利関係が厳密になってきている様に思います。
私はさほど大したことは書いていないと思っているものの、自分が外気功療法さいたま院のサイトで書いてある文章が他のサイトにほとんどそのまま転載されていたり(リンクもない状態)すると、一瞬「ひどいことするな」と思ってしまいます。
しかし、すぐに「まぁ、いいか」と思い直し、また自分には別のアイデアや知識が入って来ることだろうと開き直ってしまいます。
所詮二番煎じは二番煎じでしかありません。
同じことを書いていても、私が書いている文章と、他人が転載した文章では読み手への伝わり方は違うものです。
発明家で工学博士の故・政木和三さんは神人の様な方と私は思っていますが、政木和三さんの凄いところは生涯で4000件以上の発明をされたのですが、その内3000件近くは特許申請をせずそれを放棄したところにあります。

参考 : 政木ワールドへようこそ
その訳は、何でもインスピレーションを得て1~2秒の超短時間で発明したものだからというのです。
皆が知っている発明品では、うそ発見器 エレキギター 自動ドア 電波測定用オシログラフ 自動炊飯器 格安テレビの考案・試作 熱線風速計 水深計測器 魚群探知機 超音波コンクリート測定器 低周波美顔器 瞬間湯沸かし器 などがあります。
特に自動炊飯器の特許料は4~5千億円になると推定され、それがなかったためにメーカーの販売価格が安くなり普及が早くなったそうです。
世のため人のためになるという利他の精神が利己の精神よりずっと優っていたためその様にされたのだと思いますが、その結果多くの人がその恩恵を受けられることになったのです。
政木和三さんがインスピレーションを得たというのは言い方を変えれば、神様からアイデアをダウンロードしたとも言えます。
もし、政木和三さんがそれを自分のものだと固執し特許権にうるさかったとしたら、この様に次々とアイデアが湧き出てくることが果たしてあったのでしょうか?
この様な例から分かるように大事なアイデアも人に伝えてどんどん使って貰うことで、自分にはまた別のもっとすごいアイデアが湧いて出てくるのです。
お金もそうです。
お金持ちではない私が言っても余り説得力はないかもしれませんが、貯金残高が増えるのを楽しみにするより、お金は有効に使えばまた必要な分のお金が入ってくるものです。
ここでいう有効にお金を使うというのは、自分自身のエゴを満たすための消費ではなく、自分自身を人や社会に役に立てる様にする自己投資であったり、または神事に使うお金で、いわば他人や神のために使う生きたお金のことです。
私は余り物欲がないのですが、神事や自分自身の修行には惜しみなくお金をかける習慣があります。
修行や法具は私にとってとてもお金がかかると感じるものです。
例えば法具一つ例にとってもみても、私が気功の施術や瞑想の時に使っている法具は結構な値段がするものです。
店の神棚に置かせて頂いている数々のご神像も非常に高価です。
いつもこんなに使って大丈夫かと思わない時もないではありませんが、不思議と使った分以上のお金がすぐに入ってきます。
それはホントに不思議と思います。
私の修行仲間も「神事(かみごと)に使ったお金はもっと増えて返ってくる」といつも言っている人がいます。(その人は本当にお金持ちです。)
それは私もまったく同感です。
インドの大聖者シルディ・サイババ(~1918年)は、神事に使ったお金は7倍にして返すと言っています。

シルディ・サイババ
神事(かみごと)というのは、神社・寺院への喜捨(きしゃ)・浄財・お布施もそうですし、また神と繋がるための修行・学びに使うお金もそうです。
後者のことで言えば、例えば私が主宰しているスピリチュアル・ヒーラー養成塾の講座を受講することや法具を買い求めることもそれに該当します。
神事に使うお金も生きたお金の使い方でありますが、同様に素晴らしいのが陰徳を積む行為です。
陰徳とは、人知れず人のためになる慈善をすることであり、お金のことで言えばどこかの慈善団体に人知れず寄付をしたりすることです。
人のために役立つお金の使い方でも、人知れず行うというのが陰徳を積む上で大事なことなのです。
ちょっと前に、タイガーマスクに扮した正体不明の男が孤児院などにランドセルをプレゼントしたというニュースがありましたが、タイガーマスクはそれによって感謝されることがあっても売名行為ではないためそれは陰徳を積むことになるのです。
例えば私が『孤児院の子にランドセルをプレゼントしました!』とブログに書いたとすると、後から「いや~水野さんは立派だねぇ」とか「水野さんは素晴らしい!」とか言われる可能性があります。
ランドセルをプレゼントする行為はしないよりは余程立派であり、生きたお金の使い方ではありますが、後から人に賞賛されることを期待する下心があれば陰徳を積むことにはなりません。
要は行為には動機が大事であって、お金が7倍になって帰ってくるなら定期預金より利率がいいから喜捨・浄財をしようとか、○○をしたら人から褒められて尊敬されるだろうという動機が第一に来ているようではダメなのです。
あくまでも人を助けたい・人のためになりたいという思いが第一に来るのでなければなりません。
出せば入って来る法則・・・このことは「日月神示」にも書かれています。
自分が生んだもの、自分から湧き出るものは、いくら他に与えてもなくならんぞ。与えよ、与えよ、与えてなくなるものは自分のものではないと申してあろう。無くなると思うのは形のみ見ているからぢゃ。カラのみ見るからぢゃぞ。本質は無限に拡がるぞ。与えるほどよりよく、神から与えられるぞ。井戸の水のようなもんぢゃ。汲めば汲むほどよくなる仕組。(秋の巻 第十五帖)
捧げるもの、与えるものは、いくらでも無限にあるではないか、捧げよ捧げよ、与えよ与えよ、言(ことば)こそは誰もが持てる其(そ)の捧げものであるぞ、与えても与えても無くならんマコトの宝であるぞ
(碧玉の巻 第十二帖)
利子は後からでよいと申すが、先に払うこともあるぞ(五葉之巻 第四帖)
もの与えることなかなかぢゃ、心してよきに与えねばならんぞ。与えることは頂くことと知らしてあろうが、与えさせて頂く感謝の心がなくてはならん、強く押すと強く、弱く押すと弱くはね返ってくるぞ。自分のものというもの何一つもないぞ、このことわかれば新しき一つの道がわかるぞ(五葉之巻 第五帖)

多くの人はその様なことを知りませんが、おばあちゃんの世代にはそれを知っている人はたくさんいるものと思います。
核家族化が進み、我よし(自己中心的)な人が増えて、様々な大事な教えが子や孫の世代に伝わらなくなってしまったのでしょう。
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