人に必要とされることは大切・1
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先日、メジャーリーガーのイチロー選手がマーリンズに移籍することが決定し、入団記者会見が行われました。
私はイチロー選手をプロ野球をしている哲学者と考えています。
イチロー選手が常日頃考えていることは多くのプロフェッショナルにとって啓発されるものがあり、私も以前からイチロー選手の高い境地を達成した人物が持つ独特な発想・思考法に刺激を受けてきました。
実際、イチロー選手は自分が他の業界・業種で仕事をする人よりも高額な報酬を得ていることに対し、「自分の考え方が同じ野球という分野に限定されず、他の分野で仕事に従事する人にも感化をする意味で自分は高額な報酬を貰えているものと思う。」という様なことを言っていました。
記録に残る活躍をしたイチロー選手もヤンキースでのここ2年はかなり不遇で辛かったものと思います。
マーリンズの記者会見で自分が必要とされていることを感じ、「ただただ恐縮しております」と言い、恐ろしいほど闘志がメラメラと燃えているのが伝わってきました。
今年のイチロー選手は恐い存在になるのではないでしょうか。
昨年に巨人から中日に移籍したガッツこと小笠原道大選手も巨人で目覚しい活躍をした選手でしたが、巨人での最後の数年はレギュラーになれず不遇の身でした。
ガッツの雰囲気は孤高の侍という感じで男気という言葉がマッチする選手で、バッターボックスでバッドを構える姿はまるで刀を持つ侍に見えます。
また小笠原選手は人一倍練習をする選手としても有名です。
巨人から中日に移籍することが決まりその経緯を入団発表で話していましたが、中日の落合博満GMから一言「必要だから来てくれ。」とたったそれだけを電話で言われ即断即決したということでした。
イチロー選手も小笠原選手も有名なプロ野球選手で一般人の私たちとは立場も報酬も違いますが、私たちも生きる上でも誰かに必要とされていないと心が折れそうになります。
家庭内でも、職場でも、立場があったり仕事が与えられたりするということは少なからず必要とされているということです。
定年退職をした方々で、定年後めっきり老け込んで枯れた老人の様になってしまうのは社会で必要とされなくなるという寂しさ・孤独感から来るものでしょう。
私はお陰様で朝から晩まで忙しく過ごさせて貰っており、ゆっくりお茶をしたりブログやホームページの原稿を書く時間もなかなかとれません。
先週今週で12時過ぎの帰宅が6回以上あります。(でも朝は早い)
仕事が忙しいのは大変ありがたいことで、忙しいことの疲労には耐えられるのです。
かくいう私も開業して半年はほとんどお客様が来なくて、このまま廃業するのではないかという不安と闘っていました。
施術院の中で一人で仕事をしていましたので話をする人もいません。
「暇疲れ」と言いますが、お客様が来なくて暇なのは一日終わってぐったり疲労困憊します。
その時は仕方なくホームページを作ってしました。
今思えばそれも私がしなければならない仕事だったのだと思います。
しかし、午後の日差しだけが温かく室内に差し込んで穏やかでのどかな時間を独り誰からも必要とされず過ごすのは耐えらませんでした。
帰りの通勤電車の中で今日も誰とも会わなかった・・・と振り返る日も何度もありました。
貯金残高は日に日に少なくなっていきました。
私はその不安と空虚感に耐えかね知人のチャネラーを訪ね、転職をしたけれどこのままやっていけるのだろうかと相談しました。
すると、「3月からお客様が入るようになり、それからは大丈夫です。」と言われました。
すると実際3月になったら、その様になり何が起こったのかわからなかったけれどそれからお客様が途絶えることはなくなりました。
だから日々私はお客様と接し、ありがたい思いを一杯持って施術に当たっています。
(ちなみにそのチャネラーさんは数年前に東京は危険だからと山梨の方へ引越されました。)
私は暇でのんびりした時間を過ごすより、目が回る忙しさの中で病気のお客様を相手に戦国無双のゲームの様にこれでもかこれでもかと施術しまくる・・・そんな奮闘している生き方が自分には合っていると思います。
私もお客様が来ない時期を経験したことから、人はどんな形でも他人に必要とされて初めて生きていけるのだと思う様になりました。
また、別の言い方をすれば人はどんなことでも他人に奉仕しなければ生きていけない特性を備えているのだといえます。
人に奉仕し、それに対し感謝の気持ちを頂くことが生きる原動力・エネルギーになっていくのでしょう。
私はイチロー選手をプロ野球をしている哲学者と考えています。
イチロー選手が常日頃考えていることは多くのプロフェッショナルにとって啓発されるものがあり、私も以前からイチロー選手の高い境地を達成した人物が持つ独特な発想・思考法に刺激を受けてきました。
実際、イチロー選手は自分が他の業界・業種で仕事をする人よりも高額な報酬を得ていることに対し、「自分の考え方が同じ野球という分野に限定されず、他の分野で仕事に従事する人にも感化をする意味で自分は高額な報酬を貰えているものと思う。」という様なことを言っていました。
記録に残る活躍をしたイチロー選手もヤンキースでのここ2年はかなり不遇で辛かったものと思います。
マーリンズの記者会見で自分が必要とされていることを感じ、「ただただ恐縮しております」と言い、恐ろしいほど闘志がメラメラと燃えているのが伝わってきました。
今年のイチロー選手は恐い存在になるのではないでしょうか。
昨年に巨人から中日に移籍したガッツこと小笠原道大選手も巨人で目覚しい活躍をした選手でしたが、巨人での最後の数年はレギュラーになれず不遇の身でした。
ガッツの雰囲気は孤高の侍という感じで男気という言葉がマッチする選手で、バッターボックスでバッドを構える姿はまるで刀を持つ侍に見えます。
また小笠原選手は人一倍練習をする選手としても有名です。
巨人から中日に移籍することが決まりその経緯を入団発表で話していましたが、中日の落合博満GMから一言「必要だから来てくれ。」とたったそれだけを電話で言われ即断即決したということでした。
イチロー選手も小笠原選手も有名なプロ野球選手で一般人の私たちとは立場も報酬も違いますが、私たちも生きる上でも誰かに必要とされていないと心が折れそうになります。
家庭内でも、職場でも、立場があったり仕事が与えられたりするということは少なからず必要とされているということです。
定年退職をした方々で、定年後めっきり老け込んで枯れた老人の様になってしまうのは社会で必要とされなくなるという寂しさ・孤独感から来るものでしょう。
私はお陰様で朝から晩まで忙しく過ごさせて貰っており、ゆっくりお茶をしたりブログやホームページの原稿を書く時間もなかなかとれません。
先週今週で12時過ぎの帰宅が6回以上あります。(でも朝は早い)
仕事が忙しいのは大変ありがたいことで、忙しいことの疲労には耐えられるのです。
かくいう私も開業して半年はほとんどお客様が来なくて、このまま廃業するのではないかという不安と闘っていました。
施術院の中で一人で仕事をしていましたので話をする人もいません。
「暇疲れ」と言いますが、お客様が来なくて暇なのは一日終わってぐったり疲労困憊します。
その時は仕方なくホームページを作ってしました。
今思えばそれも私がしなければならない仕事だったのだと思います。
しかし、午後の日差しだけが温かく室内に差し込んで穏やかでのどかな時間を独り誰からも必要とされず過ごすのは耐えらませんでした。
帰りの通勤電車の中で今日も誰とも会わなかった・・・と振り返る日も何度もありました。
貯金残高は日に日に少なくなっていきました。
私はその不安と空虚感に耐えかね知人のチャネラーを訪ね、転職をしたけれどこのままやっていけるのだろうかと相談しました。
すると、「3月からお客様が入るようになり、それからは大丈夫です。」と言われました。
すると実際3月になったら、その様になり何が起こったのかわからなかったけれどそれからお客様が途絶えることはなくなりました。
だから日々私はお客様と接し、ありがたい思いを一杯持って施術に当たっています。
(ちなみにそのチャネラーさんは数年前に東京は危険だからと山梨の方へ引越されました。)
私は暇でのんびりした時間を過ごすより、目が回る忙しさの中で病気のお客様を相手に戦国無双のゲームの様にこれでもかこれでもかと施術しまくる・・・そんな奮闘している生き方が自分には合っていると思います。
私もお客様が来ない時期を経験したことから、人はどんな形でも他人に必要とされて初めて生きていけるのだと思う様になりました。
また、別の言い方をすれば人はどんなことでも他人に奉仕しなければ生きていけない特性を備えているのだといえます。
人に奉仕し、それに対し感謝の気持ちを頂くことが生きる原動力・エネルギーになっていくのでしょう。
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