人に必要とされることは大切・2
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私は脳梗塞で寝たきりになった83歳のお婆さん(ノリさん)の出張療法をしていたことがありました。
その家ではノリさんのお世話をできる家族はおらず、何人かの介護ヘルパーさんがノリさんのお世話をしていました。
ヘルパーさんはいたものの、一日の内の一部の時間に入っていたに過ぎず、その他の時間はIさんというおそらく70歳後半位の年齢のお婆さんがノリさんのお世話を甲斐甲斐しくしていました。
小さくずんぐりした体型のIさんはいつもはにかむ様な笑顔を絶やさず、ぼそぼそとではありますが歯切れのよい話し方をされます。
長くノリさんの出張療法をしていましたが、Iさんとお話する機会は余りありませんでした。
私の気功の施術が終わると、Iさんはノリさんのベッドにとことこと歩いて行き、「よかったね」と言い身体をマッサージしてあげたり、世間話をされていました。
ノリさんは寝たきりで自分から動けません、寝返りも打てません。
ノリさんの寝ている部屋はテレビもラジオもなく、静か過ぎる位静かな部屋です。
Iさんのたわいない日常の世間話がノリさんにとってとてもありがたかったことと思います。
ある日のこと、ノリさんは私に次の様なことを漏らしました。
「Iさんは話ができなかったの・・・」
普通に会話をしているIさんの姿を目にしていますから、「えっ?」と私は耳を疑いました。
そして、ノリさんはIさんと知り合ったきっかけについてゆっくり話し始めました。
寝たきりのノリさんがまだ元気に動けていた時のこと。
ノリさんは犬を飼っていたそうです。
ノリさんは犬の散歩に近くの別所沼公園まで朝夕出かけていたそうです。

別所沼公園(出典:wikipedia)
犬の散歩をしていた時、いつも別所沼の畔のベンチに座っているお婆さんの姿を目にしました。
ノリさんはいつも散歩をするとそのお婆さんが独り寂しそうにベンチに座っているので気になっていたそうです。
朝の散歩の時も、夕方の散歩の時もそのお婆さんは独りでぽつんとベンチに座っていました。
その寂しげなお婆さんこそ、Iさんでした。
ある日のこと、ノリさんは思い切って声をかけてみましたが、Iさんは頷いたり首を振ったり、ジェスチャーで応答するだけで声を出しませんでした。
何か事情があると思ったのでしょう、心優しいノリさんはIさんを自宅に呼んであげておもてなしをして差し上げたそうです。
それからも何度もIさんはノリさんのご自宅にお呼ばれする様になり、段々と仲良くなっていきました。
声の出ないIさんはそれから幾度もノリさんの自宅で楽しく過ごす内に、なんと、ぽつぽつと言葉を発する様になったのです。
それは、最初はホンの一言、二言だった様です。
しかし、特に治療をする訳でもなく、ノリさんと邂逅しお互いが打ち解けていく内にIさんは長く閉ざしていた心を開いていったのでしょう、徐々に長く会話ができる様になっていったそうです。
ノリさんはIさんの生い立ちについてご本人から聞いたことを私に教えてくれました。
Iさんは生まれてからずっと声が出なかったそうです。
母親のお腹にいた時の問題か、生後の問題かはわかりません。
ひょっとしたら幼児の時に何かとてもお辛い育てられ方をしたのかもしれません。
人と交流を持とうという気持ちを断つ程の何か出来事があったのかもしれません。
それだけではありません。
声が出ないのであれば筆記で意思伝達をするところ、Iさんは文字の読み書きがまったくできませんでした。
親から教わらなかったのか、学校に行かなかったのか・・・今時日本で読み書きができないというのは尋常ではありません。
やがて妙齢になり、Iさんはお見合いをして結婚をしました。
しかし、婿殿はIさんが声を出せないのを知らずに結婚したそうで、それに気付いたのは結婚後一週間後だったそうです。
ノリさんからそれを聞いて、「何それ!!」とびっくりしました。
一体、どんなお見合いだったのか想像力をかき立てられます。
婿殿は何も話をしないIさんを物静かな大和撫子と思ったのでしょうか?
お見合いして結婚後、自分の妻は声が出ないと知ったら、まぁそれはいか程の驚きだったことでしょう。
私だったらきっとクーリングオフ(!)してしまうのではないかと思います。
しかし、ご立派だったことに、その婿殿はそれを結婚したものは仕方がないと観念しIさんとの結婚生活を続けたのでした。
声が出ない、話ができないということは重大なことですから、お見合いの段階でIさんの家もそれを伝えなければならないと思います。
おそらくそれを伝えない程複雑なご家庭だったのかもしれません。
しかし、結婚生活はうまく行かず、またIさんは友人もおらず独り寂しい人生を過ごしていたそうです。
そうして70歳を過ぎて、独り寂しく別所沼の畔で湖面を見つめて時間を過ごしていたのでした。
誰からも相手にされず、心を通わせる相手もなく、必要ともされず、長い長い時間を湖面を見つめ過ごしていたIさんの心の内は他人が窺い知ることができない深い深い闇であったと思います。
しかし、ノリさんの温かい気持ちから始まった交友はIさんの心の闇に光を当てていきました。
ノリさんは70歳過ぎの老女に文字を教えてあげたそうで、そのうちに簡単な読み書きができる様になりました。
料理もまったくできなかったので、ノリさんは料理も教えてあげました。
そして、固く閉ざされていた心が徐々にほぐれて開いていった時、70年以上に渡って声が出なかったIさんの喉から声が発せられたのでした。
今、Iさんを見てその様な過酷な生い立ちがあったと想像する人はおそらくいないでしょう。
やがて時は経ち、ノリさんが脳梗塞に倒れ自力で動くことができなくなりました。
ノリさんを世話する家族はなく、散歩に一緒に行っていた犬もおらず、ノリさんも本当なら寂しい寝たきり老人になるところ、その隣にいつも一緒にいるのはIさんでした。
Iさんは別に介護ヘルパーの資格を持っている訳ではありませんので特別な介護ができる訳ではありません。
しかし、おつかいをしたり、掃除をしたり、食事を作って食べさせてあげたり、別に報酬を貰っているわけではないでしょうが、毎日毎日ノリさんの家に通ってお世話をしています。
Iさんは自分を必要としてくれたノリさんの傍にいるのが幸せなのだと思います。
「もうすぐ雪が降るね」とか「雨が降ってきたね」とか、たわいないことをボソボソと話をしています。
そんな会話の中に、お二人の深い愛情が感じられます。
人に必要とされることは、Iさんの様に長く長く凍りついていた心も溶かし、奇跡とも思える変化をももたらす力があるということです。
その家ではノリさんのお世話をできる家族はおらず、何人かの介護ヘルパーさんがノリさんのお世話をしていました。
ヘルパーさんはいたものの、一日の内の一部の時間に入っていたに過ぎず、その他の時間はIさんというおそらく70歳後半位の年齢のお婆さんがノリさんのお世話を甲斐甲斐しくしていました。
小さくずんぐりした体型のIさんはいつもはにかむ様な笑顔を絶やさず、ぼそぼそとではありますが歯切れのよい話し方をされます。
長くノリさんの出張療法をしていましたが、Iさんとお話する機会は余りありませんでした。
私の気功の施術が終わると、Iさんはノリさんのベッドにとことこと歩いて行き、「よかったね」と言い身体をマッサージしてあげたり、世間話をされていました。
ノリさんは寝たきりで自分から動けません、寝返りも打てません。
ノリさんの寝ている部屋はテレビもラジオもなく、静か過ぎる位静かな部屋です。
Iさんのたわいない日常の世間話がノリさんにとってとてもありがたかったことと思います。
ある日のこと、ノリさんは私に次の様なことを漏らしました。
「Iさんは話ができなかったの・・・」
普通に会話をしているIさんの姿を目にしていますから、「えっ?」と私は耳を疑いました。
そして、ノリさんはIさんと知り合ったきっかけについてゆっくり話し始めました。
寝たきりのノリさんがまだ元気に動けていた時のこと。
ノリさんは犬を飼っていたそうです。
ノリさんは犬の散歩に近くの別所沼公園まで朝夕出かけていたそうです。

別所沼公園(出典:wikipedia)
犬の散歩をしていた時、いつも別所沼の畔のベンチに座っているお婆さんの姿を目にしました。
ノリさんはいつも散歩をするとそのお婆さんが独り寂しそうにベンチに座っているので気になっていたそうです。
朝の散歩の時も、夕方の散歩の時もそのお婆さんは独りでぽつんとベンチに座っていました。
その寂しげなお婆さんこそ、Iさんでした。
ある日のこと、ノリさんは思い切って声をかけてみましたが、Iさんは頷いたり首を振ったり、ジェスチャーで応答するだけで声を出しませんでした。
何か事情があると思ったのでしょう、心優しいノリさんはIさんを自宅に呼んであげておもてなしをして差し上げたそうです。
それからも何度もIさんはノリさんのご自宅にお呼ばれする様になり、段々と仲良くなっていきました。
声の出ないIさんはそれから幾度もノリさんの自宅で楽しく過ごす内に、なんと、ぽつぽつと言葉を発する様になったのです。
それは、最初はホンの一言、二言だった様です。
しかし、特に治療をする訳でもなく、ノリさんと邂逅しお互いが打ち解けていく内にIさんは長く閉ざしていた心を開いていったのでしょう、徐々に長く会話ができる様になっていったそうです。
ノリさんはIさんの生い立ちについてご本人から聞いたことを私に教えてくれました。
Iさんは生まれてからずっと声が出なかったそうです。
母親のお腹にいた時の問題か、生後の問題かはわかりません。
ひょっとしたら幼児の時に何かとてもお辛い育てられ方をしたのかもしれません。
人と交流を持とうという気持ちを断つ程の何か出来事があったのかもしれません。
それだけではありません。
声が出ないのであれば筆記で意思伝達をするところ、Iさんは文字の読み書きがまったくできませんでした。
親から教わらなかったのか、学校に行かなかったのか・・・今時日本で読み書きができないというのは尋常ではありません。
やがて妙齢になり、Iさんはお見合いをして結婚をしました。
しかし、婿殿はIさんが声を出せないのを知らずに結婚したそうで、それに気付いたのは結婚後一週間後だったそうです。
ノリさんからそれを聞いて、「何それ!!」とびっくりしました。
一体、どんなお見合いだったのか想像力をかき立てられます。
婿殿は何も話をしないIさんを物静かな大和撫子と思ったのでしょうか?
お見合いして結婚後、自分の妻は声が出ないと知ったら、まぁそれはいか程の驚きだったことでしょう。
私だったらきっとクーリングオフ(!)してしまうのではないかと思います。
しかし、ご立派だったことに、その婿殿はそれを結婚したものは仕方がないと観念しIさんとの結婚生活を続けたのでした。
声が出ない、話ができないということは重大なことですから、お見合いの段階でIさんの家もそれを伝えなければならないと思います。
おそらくそれを伝えない程複雑なご家庭だったのかもしれません。
しかし、結婚生活はうまく行かず、またIさんは友人もおらず独り寂しい人生を過ごしていたそうです。
そうして70歳を過ぎて、独り寂しく別所沼の畔で湖面を見つめて時間を過ごしていたのでした。
誰からも相手にされず、心を通わせる相手もなく、必要ともされず、長い長い時間を湖面を見つめ過ごしていたIさんの心の内は他人が窺い知ることができない深い深い闇であったと思います。
しかし、ノリさんの温かい気持ちから始まった交友はIさんの心の闇に光を当てていきました。
ノリさんは70歳過ぎの老女に文字を教えてあげたそうで、そのうちに簡単な読み書きができる様になりました。
料理もまったくできなかったので、ノリさんは料理も教えてあげました。
そして、固く閉ざされていた心が徐々にほぐれて開いていった時、70年以上に渡って声が出なかったIさんの喉から声が発せられたのでした。
今、Iさんを見てその様な過酷な生い立ちがあったと想像する人はおそらくいないでしょう。
やがて時は経ち、ノリさんが脳梗塞に倒れ自力で動くことができなくなりました。
ノリさんを世話する家族はなく、散歩に一緒に行っていた犬もおらず、ノリさんも本当なら寂しい寝たきり老人になるところ、その隣にいつも一緒にいるのはIさんでした。
Iさんは別に介護ヘルパーの資格を持っている訳ではありませんので特別な介護ができる訳ではありません。
しかし、おつかいをしたり、掃除をしたり、食事を作って食べさせてあげたり、別に報酬を貰っているわけではないでしょうが、毎日毎日ノリさんの家に通ってお世話をしています。
Iさんは自分を必要としてくれたノリさんの傍にいるのが幸せなのだと思います。
「もうすぐ雪が降るね」とか「雨が降ってきたね」とか、たわいないことをボソボソと話をしています。
そんな会話の中に、お二人の深い愛情が感じられます。
人に必要とされることは、Iさんの様に長く長く凍りついていた心も溶かし、奇跡とも思える変化をももたらす力があるということです。
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