本物の霊性教師と出会うこと
category: 霊性修行
霊性修行や正道のヒーリングの道を歩もうと志す人にとってその教師の存在は何者にも代えがたい程重要です。
なぜなら、これらのものは気(エネルギー)を伝えるものですので、間違った教師について正道の気(エネルギー)を得られるものではありません。
師の様になりたいと憧れそこで修行するわけなので、師のことを「なんとなく違うよなぁ」とか「とりあえず今はまぁいいか」などと思いながらでは師から吸収できるものも限定されます。
古来より武道や諸芸の世界では、師に弟子入りし内弟子となり生活の世話など無償奉仕をする中で師の気や心を自分に移し自然と技を体得していったものです。
これは霊性修行やヒーリングにおいても同じであり、一般的に師とできるだけ時間と空間を共有した方がより師に近づくことができます。
霊性修行やヒーリングでは直接的に師から弟子(生徒)に気を移す伝授という手法が用いられますので、武道や諸芸の世界以上に師を選ぶことは重要となります。
では、どのように探すかというと現代ではホームページが多いのではないではないかと思います。
または、ご縁があって直接会う中でビビッと来るものがあったとか、ヒーリングを受けて感動したとか、本を読んでその著者に会ってみるとか・・・その様なところでしょうか。
私の場合は今では人の気(エネルギー)が分かります。
ですので直接その人と会ったりまたはホームページを見ればそこから感じる気でその人の本質やレベルというものがおよそ分かります。
今はどんなに虚言を弄されても、まぁめったに騙されることはないと思っています。
しかし、多くの人は直接的にエネルギーを感じそれを判断する能力が落ちていますので、師の成りや発言から判断するしかありません。
悲しいことに世の中には多くのブラックな力を使うものがいるので気をつけなければなりません。
したがって、師を選ぶ際には、石橋を叩いて渡る位慎重に選ぶべきです。
ビジネスの取引相手を探す時には信用会社の情報を買ったりして慎重に相手を判断すると思いますが、そこまでしなくてもそれと同じ位慎重さが必要です。
霊性修行やヒーリングの道はいわば神仏に近づく道であり、魂を浄化し磨いていく作業の繰り返しです。
魂と肉体とは対極のものですので、肉体的な欲求が強い師はちょっと違う方向に進んでいるとみて良いと思います。
肉体的な欲求とは食欲・性欲・睡眠欲であり、またそれに付随し金銭欲・名誉欲も絡んできます。
金襴緞子(きんらんどんす)に飾られた派手な生活をしている人は例え世間的に著名であっても、この道においてはいかがなものかと思うところです。
一般的に人は著名な人・肩書きを持つ人・マスコミで紹介されている人には弱く、それだけで凄いと思ってしまうところがあります。
インドの聖者やサドゥ(遊行僧)を見たら分かりますが、彼らは所有欲自体を極限まで放擲(ほうてき)し、あたかも乞食同然の生活をしています。
私はこの姿が本物の証左と思うのです。
日本ではそこまではなかなかできるものではないけれど、本物はシンプルで質素な生活を送っています。
そして、自分をいつも人のために役立てようと生きています。
また、師が自分自身の能力を自慢したりひけらかすのもいかがなものかと思います。
一般的には師がその能力の高さを表さなければそのレベルが分からないではないかと思うでしょう。
普通の師はそう、確かにそうするかもしれません。
自分は神の声が聞こえるとか、何か普通の人が見えないものが見えるとか・・・
そして、弟子がよそへ行かないよう精神的に拘束をします。
本物の師というものは自分が何ができるかをひけらかすことは余りありません。
長い月日を共に過ごしようやくその一端を覗かせる位です。
霊性修行の世界では高みに行けば行くほど、師も弟子も互いのエネルギーが分かります。
本物の師は弟子にあまり事細かに「何ができますか?」とか「最近どうですか?」と問わなくても弟子のことは手に取るように分かるものです。
ですから師に嘘を付いても無駄なのです。(もっとも平気で嘘をつけるような人物は魂のレベルが低いから本物の師まで辿り着けません)
例えば、弟子がベジタリアンを気取りながら陰で肉を食べていたらそれは分かってしまいます。
また、弟子入りを希望するものがいてもその弟子のエネルギーをみて相応しくないと思えば面会も拒絶されてしまう厳しい世界です。
師は弟子によって自分のエネルギーを汚されてしまうのをひどく嫌います。
弟子をとるということは師は弟子のカルマも引き受けることになりますから、本物の師は弟子を多く育てることをしません。
この道に入って間もない人はわからないかもしれませんが、師と弟子の関係は魂の響き合いです。
今世の短い数十年の時を共に過ごすだけではなく、おそらく過去世でもっと長い時を共に歩んでいる可能性があります。
本物の師に出会うのは実に難しい・・・そう思います。
ほとんどの人はそれが叶うことはないでしょう。
幸いにしてそれが叶った人は過去世や先祖の徳(グッドカルマ)の力が働いた幸せ者と言えるでしょう。
師との出会いは、論理的判断を超越し直観でビビッと来るものです。
よく女の子が将来のだんなさんと出会ったとき「ビビッと来ました~」と言うがそれと同じです。
いや、この例えはかえって意味合いが軽くなってしまったかもしれません・・・それよりもずっと重いものです。
伴侶よりも師の方が幾世も長く一緒にいるのかもしれないのです。
師のまたその師、それを幾つかをさかのぼれば高級な聖者につながるかもしれません。
また更にはこの人類を救済しようとするアセンデッドマスターにつながるかもしれません。
師との魂の結びつきはそのような高みから滔々(とうとう)と流れるエネルギーを受け取ることに他なりません。
そして、自分の霊性も師のエネルギーに影響され高みに導かれていくのです。
なぜなら、これらのものは気(エネルギー)を伝えるものですので、間違った教師について正道の気(エネルギー)を得られるものではありません。
師の様になりたいと憧れそこで修行するわけなので、師のことを「なんとなく違うよなぁ」とか「とりあえず今はまぁいいか」などと思いながらでは師から吸収できるものも限定されます。
古来より武道や諸芸の世界では、師に弟子入りし内弟子となり生活の世話など無償奉仕をする中で師の気や心を自分に移し自然と技を体得していったものです。
これは霊性修行やヒーリングにおいても同じであり、一般的に師とできるだけ時間と空間を共有した方がより師に近づくことができます。
霊性修行やヒーリングでは直接的に師から弟子(生徒)に気を移す伝授という手法が用いられますので、武道や諸芸の世界以上に師を選ぶことは重要となります。
では、どのように探すかというと現代ではホームページが多いのではないではないかと思います。
または、ご縁があって直接会う中でビビッと来るものがあったとか、ヒーリングを受けて感動したとか、本を読んでその著者に会ってみるとか・・・その様なところでしょうか。
私の場合は今では人の気(エネルギー)が分かります。
ですので直接その人と会ったりまたはホームページを見ればそこから感じる気でその人の本質やレベルというものがおよそ分かります。
今はどんなに虚言を弄されても、まぁめったに騙されることはないと思っています。
しかし、多くの人は直接的にエネルギーを感じそれを判断する能力が落ちていますので、師の成りや発言から判断するしかありません。
悲しいことに世の中には多くのブラックな力を使うものがいるので気をつけなければなりません。
したがって、師を選ぶ際には、石橋を叩いて渡る位慎重に選ぶべきです。
ビジネスの取引相手を探す時には信用会社の情報を買ったりして慎重に相手を判断すると思いますが、そこまでしなくてもそれと同じ位慎重さが必要です。
霊性修行やヒーリングの道はいわば神仏に近づく道であり、魂を浄化し磨いていく作業の繰り返しです。
魂と肉体とは対極のものですので、肉体的な欲求が強い師はちょっと違う方向に進んでいるとみて良いと思います。
肉体的な欲求とは食欲・性欲・睡眠欲であり、またそれに付随し金銭欲・名誉欲も絡んできます。
金襴緞子(きんらんどんす)に飾られた派手な生活をしている人は例え世間的に著名であっても、この道においてはいかがなものかと思うところです。
一般的に人は著名な人・肩書きを持つ人・マスコミで紹介されている人には弱く、それだけで凄いと思ってしまうところがあります。
インドの聖者やサドゥ(遊行僧)を見たら分かりますが、彼らは所有欲自体を極限まで放擲(ほうてき)し、あたかも乞食同然の生活をしています。
私はこの姿が本物の証左と思うのです。
日本ではそこまではなかなかできるものではないけれど、本物はシンプルで質素な生活を送っています。
そして、自分をいつも人のために役立てようと生きています。
また、師が自分自身の能力を自慢したりひけらかすのもいかがなものかと思います。
一般的には師がその能力の高さを表さなければそのレベルが分からないではないかと思うでしょう。
普通の師はそう、確かにそうするかもしれません。
自分は神の声が聞こえるとか、何か普通の人が見えないものが見えるとか・・・
そして、弟子がよそへ行かないよう精神的に拘束をします。
本物の師というものは自分が何ができるかをひけらかすことは余りありません。
長い月日を共に過ごしようやくその一端を覗かせる位です。
霊性修行の世界では高みに行けば行くほど、師も弟子も互いのエネルギーが分かります。
本物の師は弟子にあまり事細かに「何ができますか?」とか「最近どうですか?」と問わなくても弟子のことは手に取るように分かるものです。
ですから師に嘘を付いても無駄なのです。(もっとも平気で嘘をつけるような人物は魂のレベルが低いから本物の師まで辿り着けません)
例えば、弟子がベジタリアンを気取りながら陰で肉を食べていたらそれは分かってしまいます。
また、弟子入りを希望するものがいてもその弟子のエネルギーをみて相応しくないと思えば面会も拒絶されてしまう厳しい世界です。
師は弟子によって自分のエネルギーを汚されてしまうのをひどく嫌います。
弟子をとるということは師は弟子のカルマも引き受けることになりますから、本物の師は弟子を多く育てることをしません。
この道に入って間もない人はわからないかもしれませんが、師と弟子の関係は魂の響き合いです。
今世の短い数十年の時を共に過ごすだけではなく、おそらく過去世でもっと長い時を共に歩んでいる可能性があります。
本物の師に出会うのは実に難しい・・・そう思います。
ほとんどの人はそれが叶うことはないでしょう。
幸いにしてそれが叶った人は過去世や先祖の徳(グッドカルマ)の力が働いた幸せ者と言えるでしょう。
師との出会いは、論理的判断を超越し直観でビビッと来るものです。
よく女の子が将来のだんなさんと出会ったとき「ビビッと来ました~」と言うがそれと同じです。
いや、この例えはかえって意味合いが軽くなってしまったかもしれません・・・それよりもずっと重いものです。
伴侶よりも師の方が幾世も長く一緒にいるのかもしれないのです。
師のまたその師、それを幾つかをさかのぼれば高級な聖者につながるかもしれません。
また更にはこの人類を救済しようとするアセンデッドマスターにつながるかもしれません。
師との魂の結びつきはそのような高みから滔々(とうとう)と流れるエネルギーを受け取ることに他なりません。
そして、自分の霊性も師のエネルギーに影響され高みに導かれていくのです。
- 関連記事